第5話「しまった! という話」

 落城寸前の城で、地下への大移動が始まった。

 数千人規模の人数がゲートを通じて異世界に転移するには、かなりの時間がかかる。だが、外にはもう闇の軍勢が迫っていた。

 だから、ナルリは出ていった。

 自ら姫君ひめぎみけ、ドレスとヴェールで完全武装して。

 そして今、さらなる時間を稼ぐために遊馬アスマも城を出る。

 勿論もちろん、異世界を救ってナルリを助けるためだ。


「遊馬、君達にはすまないと思っている。その上で、頼む」

「大丈夫ですよ、アイゼルさん。彼女は、ナルリは異世界から来た救世主ですから。そして僕は……そうですね、あらゆる異世界の隣人りんじん、門と門との狭間はざまの人間ですから」

「そ、そうなのか? よくわからんが……だが、今は信じて頼らせてもらう」

「色々ありがとうございました。アイゼルさんはお姫様と一緒にいてあげてください。自分は最後でいいって聞かないもんですから。あとは、手筈てはず通り」


 それだけ言うと、よじ登るようにして遊馬は騎馬にまたがった。

 乗馬の経験などなく、見よう見まねだ。

 だが、彼がぎこちないなりに馬に乗れるのには訳がある。

 アイゼルが開門を命じ、轟音ごうおんが響いた。

 ひしめくオークやゴブリンの群へ向かって、遊馬は走り出した。あっという間に周囲の槍衾やりぶすまから、驚きながらもたける声が聴こえてくる。それは化物達のいわゆるモンスター語とでも言うべき言葉だ。遊馬には全て理解できる。


「ゴブッ!? 一騎出てきたでゴブ!」

「待て待て、リッチ様から手出し無用と言われてるオーク!」

「そうでゴブ、すでに姫は我らが手中……略奪りゃくだつ虐殺ぎゃくさつまで、もう少し待つでゴブ!」

「止まれ、止まるでオーク!」


 ――リッチ。

 それが邪悪じゃあく魔道士まどうし、その成れの果て。

 千年の時をて死すらも超克ちょうこくした、恐るべき侵略者の名だ。

 そして、リッチが約束をたがえることを遊馬は知っていた。この手の悪党は、人質を取っても予定調和の蛮行ばんこうを思い直したりしない。

 居並ぶ魔物達をけるようにして、遊馬は馬を進める。

 アイゼルの相棒だった駿馬しゅんめは、風切る速さで駆け抜けた。

 遊馬はそっと身を低くして、振り落とされぬよう身構えつつつぶやく。


「さて……僕の言葉がわかるね? お馬さん」


 さも当然のように、疾走はしる馬から声が返ってくる。


「事情は聞いてるぜ、ボウズ。……しっかし驚いた、ソロモンリングの使徒しとを直接見たばかりか、背に乗せる機会に恵まれるたあね」


 そう、

 遊馬の予想通り、馬は人間の言葉を理解し、人間の言葉を返してくれる。

 だから、乗って走らせるのも簡単だったのだ。

 全ては、馬がソロモンリングと呼ぶ指輪のおかげである。

 馬は苦もなく大軍団の大海原を突き抜けた。

 抜剣ばっけんきらめきが波となって襲う中、まるで飛ぶようにせる。


「ボウズ、ソロモンリングはあらゆる世界線に72個しか存在しない絶対特異点ぜったいとくいてんだ。それをたくされた使徒は、神にも悪魔にもなるだろうよ」

「詳しいんだね」

「人間は俺等と話せないだけで、自分達が一番賢いと思ってるからなあ。悪いが俺等の中では、ソロモンの女王の逸話いつわは常識さ」


 ちなみに、この世で一番賢いのがネズミ、次がイルカ……人間はずっと下だという。動物達は皆、真理を得てそれを超越ちょうえつした中で今の暮らしを選んでいるのだった。

 それはさておき、と笑って馬は喋り続ける。


「ボウズはもう気付いてるんだろう? ソロモンリングの力に」

「だいたいね。この指輪をくれた人が言ったんだ……知りにおいで、と。つまり」

「そう! その指輪は門を開くキーだ。万能言語の恩恵おんけいを含め、多くの機能は副次的ふくじてきなものにすぎない。しっかし、ボウズはどうやってソロモンリングを?」

「まあ、通り道に住んでるからね。さて」


 不思議と恐怖は感じない。

 それもソロモンリングの力だろうか?

 そうであっても不思議ではないが、もっと単純明快シンプル馬鹿馬鹿うつくしい答を遊馬は知っている。そして、自分がその結論を体現する人間でありたい。

 世界の危機を救う少女の、その危機を救う。

 困っている女の子のためなら、なにも躊躇ためらわない。

 まるで自分が、物語の主人公になったかのような高揚感こうようかんがあるのだ。


「さあ、しっかりつかまってな! 俺も久々に燃えてるぜ……一気に突っ切る!」


 遊馬は目をらして周囲を見渡す。

 いくつか天幕テントが貼られているが、奥に一際ひときわ大きく絢爛けんらんたるものが一つ。そこに向かってくれるよう、遊馬は馬に頼んだ。

 それは、夜明け前の空気が不意ににごっていくのと同時。

 今、よどんだ瘴気しょうきが広がる中で、一番大きな天幕から人影が現れた。


「おのれ、人間っ! たばかりおったな……この姫は偽物ではないか!」

「ちょっと、汚い手でどこつかんでるのよ! あ……遊馬! 遅い! やっと……やっぱ、来てくれた」


 ナルリをかかえるように拘束して、リッチが現れた。

 恐るべき負の力は、周囲に亡者もうじゃ死霊しりょうを吸い寄せている。それが目で見えるほどに強力な魔力がほとばしっていた。

 遊馬は馬を降りて、礼を言って別れる。

 ひづめの音が遠ざかるのを聴きながら、彼はリッチに対面した。

 だが、リッチを見てはいない。

 遊馬の眼差まなざしは、泣き顔で笑うナルリを見詰みつめていた。


「小僧! どう料理してくれよう……万死ばんしあたいする罪を、地獄の業苦ごうくをもってつぐなうがいい!」

「ナルリ、面白い話が聴けたよ。さっさと片付けて帰ろう」

「貴様ぁ! このワシを無視するなど――」

「そうそう、あとね。この世界で一番賢いのはネズミ、二番目はイルカだって。人間はずっと下……その骸骨がいこつを見てると、少し納得だね」

「どこまでもワシを愚弄ぐろうしよる! 我が魔法で消し炭にしてくれよう!」


 リッチは乱暴にナルリを突き飛ばすや、骨だけの全身でまとうローブをはためかせる。周囲で大気が逆巻き、ただならぬ力が集束してゆく気配が広がっていった。

 周囲のコボルト達が、巻き添えはゴメンだと逃げ始める。

 だが、遊馬は冷静だった。

 もうナルリに秘策を伝えてあるから。


「さて、じゃあ物語をたたむとしよう。……、ナルリッ!」


 自分でも信じられない、大きな声が出た。

 全力で走り出す背後に、巨大な落雷が落ちる。リッチの魔法が次々と炸裂する中で、遊馬は突進する。リッチへ……その背後で立ち上がる、ナルリへと向かって。

 そして、遊馬は無様でみっともない姿も気にせず、リッチへ肉薄にくはくして組み付いた。


「くっ、小僧! 放せ! ええい、このままワシごと焼いてくれようか!」

「今だ、ナルリッ!」

「む……? こ、これはっ!? 吸い込ま――」


 勝負は一瞬だった。

 遊馬はただ、身を浴びせたリッチをナルリへ向けて押し込む。

 ナルリは突き出す両手にを握っていた。

 そう、超科学文明ちょうかがくぶんめいの産物を詰め込んだ……同じ超科学文明の技術で作られたポーチを。クライン・ポケットという名の、超空間収納装置ちょうくうかんしゅうのうそうちを。

 あっという間にリッチは、小さなポーチに吸い込まれて消えた。

 そして、そのままリッチを押し込んだ遊馬は……両手を広げたナルリの胸の中へ倒れ込むのだった。

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