真夏のメモリー:8

 とりあえず、気を失ったままの高校生たちを起こすことにする。声をかけたが反応が無かったので、揺さぶってみたらようやく目を開けてくれた。

 何が起きたのかよく分からない―――そんな顔をしているものの、とりあえず無事な様子の彼らに安堵する。渚が状況説明、及び説教をしていた。静かに怒る彼女は、傍から見て想像以上に怖かったのはここだけの話としておこう。


「幼馴染なんですよ」


 道すがら、渚は彼らの事をそう称した。道理で、遠慮の無い物言いなはずだ。



 長い一日もいつかは終わり、渚達が帰る時が来る。曰く、彼らは今日新幹線を使って来たとのことだったので、七瀬も駅まで見送りとして付き添った。これからどうしようか、などと、内心で今後の予定に頭を巡らせながら。

 駅には彼らの他にも、大勢の高校生らしき姿があった。入口の手前で立ち止まると、七瀬は渚たちに向かって片手を上げた。


「それじゃ。皆帰りは気をつけてね」


 そう言った彼の元に、件の男子どもがやって来て頭を下げる。


「すいませんでした」


 聞いたところでは、廃墟に入ってしばらくしてからの記憶がないとのことだった。


「別に気にすることはないよ。ただ、もう今日みたいなことはしない。いいね」

「「はい」」


 彼らなりに反省していることは見て取れたので、やんわり釘を差すにとどめておく。彼らに対して怒っていないと言えばそれは嘘になるのだろう。だが怒鳴り散らすのは七瀬の性に合わない。それに彼らは、既に渚にきつくしぼられているのだし。

 代わりにうっすらと冷笑を浮かべて、次は無いぞということを暗に示しておいた。今度似たようなことがあっても、そこに七瀬のような“見える人”がいるとは限らないから。

 ちなみに彼らの中では、七瀬は“偶然通りがかった大学生”ということになっている。その方が、色々とスムーズだ。

 もう一度頭を下げると、少年達は改札に向けて歩き出した。それに渚も続きかけて…………しかし数歩進んだところで不意に立ち止ると、振り返った。

 胸の前で両手を握りしめている。改札と七瀬の間を、その視線がためらいを含んで所在無さげに揺らいだ。

 しばらくして、結局七瀬の所へ戻ってきた。


「あの………」

「ん?どうかした?」


―――お礼やら挨拶やら。諸々の事は、もう済ませてあるはずだけど。


 何かまだ他にあっただろうかと思い、七瀬が首をかしげる。

 一方で渚は、戸惑うような瞬きを数回繰り返した。そして静かに口を開いた。


「“一期一会”って諺がありますよね。一生のうち、会うのは一度だけ、と。私……先輩と、私以外の視える人と初めてこうして知り合ったのに、これでおしまいにするのはもったいないような気がするんです。なので一つだけ、質問させてください」


 離れた男子達には、その声は届くこともなく。

 ただ一人七瀬だけが、彼女の紡ぐ言葉を聞いている。


「私は、先輩と―――」


 一拍の間があった。


「―――またいつか、どこかで会えますか?」


 かすかに上目づかいで、渚は言った。

 頬を桃色にほんのりと染めて、浮かべているのは照れ臭げな表情のはにかみ笑顔。

 地平線の向こうへと沈んで行く太陽がその大きな瞳に映って、黄金色の宝石のように輝いていた。


「ああ……えっとね」


 理由を付けるとするならば、目の前に立つ彼女の姿があまりにも可愛過ぎたから、だろうか。七瀬は自身の狼狽を隠しきれぬまま、右斜め下に視線をずらした。

 自然と胸が高鳴って行く。初めはゆっくり、次第に激しく。まるで、心臓が体の中を縦横無尽に跳ね回っているみたいだった。

 所在無さげに、その右手がぶらぶらと揺れる。心を落ち着けるのに数秒、どう返すべきか考えるのにさらに数秒が過ぎた。合計で十数秒の後、やがて七瀬はゆっくりと口を開いた。


「………会いたいと思っていれば、その人とはまた会える筈。それこそ、未来はこれから出来上がっていくんだからさ。運命とか奇跡なんてのは、所謂後付けの理由」


 そうであって欲しいという淡い期待も、そこには混ざっていたかもしれない。


「―――だからきっと、僕らもまた会えるよ。いつかと言ったら、それはきっとペンタスの花が咲く頃かな」

「ペンタス、その花言葉は?」

「“希望が叶う”さ。五月くらいが開花時期だよ」


 渚の頬が綻んだ。


「さすがです、先輩」


 七瀬からも笑みが漏れる。何だかくすぐったくて、そのまま暫く笑い合った。

 心地よいそよ風が、二人の間を駆け抜けていく。


「………さ、渚ちゃん、そろそろ行かないと。友達が待ってるよ」

「じゃあ最後に、一つだけいいですか」


 なにかな? そう訊き返すと、渚は何故か一度深呼吸をした。そして何やら意を決したような風で、七瀬の目を真正面から見つめてきた。


「初めて会った時、私のことを柊に喩えてくれましたよね。私は先輩程、植物に詳しくは無いですけど………私からも言わせてください。…………先輩は、私にとってカスミソウのような人です」

「花言葉は“親切”、あるいは“清らかな心”かな。そう思ってくれて嬉しい。……覚えておくね。また逢える時まで」


 答える彼の顔が赤かったのには、夕日以外の要因もあったのだろう。


「私も忘れません。今日の事は……忘れようと思っても、忘れられないです」


 渚は小さく頭を下げると、可憐な微笑みを浮かべた。それは彼女が、七瀬に初めて見せた時のものと同じ、春先の白スミレのような柔らかい笑顔。


 ――――――花が咲いたみたいだった。


「それでは、また」

「うん、またいつかね」


 名残惜しげに手を振り合う二人の影が、熱せられたアスファルトの上に伸びている。


 長く長く、どこまでも。

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