3−4

 食事は、当たり障りのない会話で和やかに終わり、コルには午後も買い物に付き合ってもらう。

 定食はとても美味しく、もっちりとした塩パンに子牛肉の煮込みと、卵料理まで付いていた。大山でも腹八分目になる食事が、二半銅と五豆銅、日本円にして七百五十円だと言うのだから素晴らしい。もちろん、この値段は日本円で考えてしまうからのお得感であって、実際は高級な食事だという点は忘れずにおくべきだ。

 細田はいつも通り、定食の半分を残した。せっかくなので処理させてもらったが、おかげで腹が満タンだ。早急に、お子様ランチを開発して欲しい。もしくは、男も頼める少なめレディースランチを。

 取り置きを頼んでいた天幕は言い値で買い、ひとまず宿に置いておく。驚くことに、部屋では余分な二人が、まだベッドの上に座っていた。

「お、帰ったな! んで、この後はどうするんだ?」

「まだだ。なんなら逃げてもいいぞ」

「えー、せっかく養ってもらえるのに、逃げたりしないって。それより、ラガ君と二人だとつまらないんだよ。俺も一緒に連れてってくれない?」

「やなこった。他の客に迷惑だから、大人しくしてろ」

 陽気に声をかけて来たデニスを適当にあしらって、鍵もかけずに部屋を出る。防護壁も、すでに消えていた。宿を出てしばらく後に十の鐘が鳴り、いまは三度目の鐘が鳴った時間だ。鐘ひとつで一時間らしいので、三時間も経てば、魔法は自然と消えてしまうと考えておく。距離の方は、すっかり忘れていた。

 この国では、どんな方法でか定時法で時間を計っているそうだ。もっとも民間人が使えるような時計は無いので、こうして一時間ごとの鐘を目安にする。その鐘も里の中心部だけで、午後の八時から、翌朝の四時までは鳴らさない。

 宿の門限が午後の七時とは、さすが田舎の里だ。

 ついでに言えば、一日が二十四時間なのも驚きだった。いや、時間は人間の作った物なのだから、地球と同じ長さとは限らない。一日の配分が、楽に想像できる事だけを感謝しておこう。

「お金の心配はありませんし、頑丈な荷車がいいですよね。ちょっと歩きますが、地元の農家が買う店に行きましょう」

「そのほうが、丈夫な品物を売っているんですか?」

「いえ、商品は同じものですが、引く馬や牛も一緒に買えますので」

「なるほど。助かります」

 大山が荷車を欲しがっていると聞けば、コルはすぐに道案内をしてくれた。出来るだけ多くの情報を仕入れようとしている若者には悪いが、ここからは少し嘘をつかせてもらう。荷車を引く馬か牛は、すぐに売り飛ばせばいい。

 俺が自分で引くのは、次の人里を過ぎてからだ。いやはや、面倒だね。

 三人が訪れたのは、里の畑や民家をいくつか過ぎた所にある広い土地だった。平屋の建物には木材の集積所が併設されており、その向こうは、こんもりとした山林になっている。日本の里山に似た風景は、大山に郷愁の念を抱かせた。

 不思議なものだ、と思う。自分は子供の頃から、田舎には縁のない生活をしていたのに。

 農道に面した店には、すでに乾燥を終えた丸太が山積みになり、おがくずの匂いが立ち込めていた。奥の平屋からは、ノコギリや金槌の音がしている。

「おお。小さいのから大きいのまで、たくさんありますね」

 雨よけの屋根と柱だけの店には、何台もの荷車がずらりと並んでいた。大山が端からひとつずつ見ていると、コルが一台を手で示して見せる。

「これなら、上にさっきの天幕を置いても使えますよ。四輪ですから安定していますしね」

「確かに、馬車の小型版みたいでいいですね」

 それは前後に細長い荷馬車だった。後部の車輪がやや大きく、前方に馬具を繋ぐための長い棒が二本付いている。部品の名称は知らないが、ハンダの使っていた馬車は棒が一本で、その左右に馬が繋がれていた。荷台の横幅も、あの幌馬車に比べればかなり狭い。

「これに使うのは、馬か牛が一頭ですか」

「ええ、一頭立てです。ヤマさんが慣れているなら、もっと小さくて安い、二輪の荷車をお勧めするんですが……」

「はい、まったく慣れていません。四輪にしましょう」

「ですね」

 コルは楽しそうに笑って、店の奥から主人を呼んでくれた。ここでは少し交渉して、一頭の馬を込みで銅板を二十一枚支払う。

 天幕は、上等の馬革を使っている変則的な商品だったので、日本円にして七万五千円の買い物だった。キージは、オマケだと言って厚手の毛布や野営道具まで付けてくれたので、少しはお得だったはずだ。

 荷馬車と馬は、セットで三十一万五千円だ。どちらが高くて、どちらが安いのか判断がつかない。

 まあ、どちらも崩してもらった銅板で払えた。小銭が増えなかっただけ良しとしよう、と考えて、大山はブルブルと首を振る。

 いかん、いかん。思考が大金に引きずられているぞ。小銭は大事、小銭も大切です!

「そんじゃ、夕方までにはミヤさんとこに運んどいてやるよ。この、後ろん所の棚な。ここに飼葉を入れとくから、草の少ないような場所じゃ、しっかり食わせてやってくれ。」

 店の主人は荷馬車の説明よりも、馬のことを注意したいらしい。それでも、ざっと確認した荷車には防水布も付いていて、なかなか使い勝手が良さそうだ。

「飼葉は、なるべく濡らすなよ。お前さん、馬の食うもんとか、回数は知ってるんだろうな?」

「ええと……?」

「おいおい、大事にしてやってくれよ。馬ってのはな、日に何回も食わなきゃ動けねえんだ。放っとけば、一日中だって食ってる。腹が小せえからな。たまには雑穀だとか、塩も舐めさせてやったほうがいい。ちょっとでも調子が悪そうに見えたら、すぐに慣れてる奴に診てもらえよ」

「わかりました。雑穀に、塩ですね。ああ、そうだ。前に乗った馬車の御者さんが、こう、体を揉んでやったり、ブラシをかけたりしていたんです。そういう世話も必要ですね」

「おお、そりゃあ大事にしてるな。毛を梳くのはもちろん、寒い時期には体を冷やさないよう布をかけてやったり、汗を拭いてやるのも重要だぞ。荷を引いたまま走らせたら、しばらくは自由にして歩かせたりな」

「馬の世話って、大変ですね……いえ、がんばります」

「おう、長生きさせてやってくれ」

 不安そうな顔をしながらも、店主は裏手の牧場から、一頭の馬を引いてきた。

 紅馬こうばよりも少し大柄な、黒い体毛の馬だ。毛並みは短く、ロバのようなたてがみが突っ立っている。四本の足先にだけ、紅馬と似たふさふさの毛が生えていた。体もがっちりとして、いかにも力が強そうだ。

「こいつが、紫馬しばだ。馬と紅馬の間の子だな。これからの季節も、紅馬みたいにへたりたりはしない。二年目で良く訓練してあるから、しっかり荷を引けるよ」

「しば、ですか。可愛いですね。目が真ん丸だ」

 大山が、自分の胸辺りに鼻先を突っ込もうとしてくる馬を観察していると、それまで無関心でいた細田が、ふらふらと近付いて来た。

「俺たちも、とうとう馬主か。ちっこくていいな」

「お前、馬とか好きだっけ。紅馬も良く見てたよな。なんなら、御者をやってみるか?」

「いや、それはいい。見るのが好きなだけだから」

「てめえ……」

 睨み付ければ、ひょいっと距離を取る。まあ、こうした分野で、細田が役に立つなど期待はしていない。

 店主に、くれぐれもよろしくとお願いして、また里の中心部へ戻る。それにしても、荷物が重い。薄い本の山を背負って歩けるのは、三日が限界なんだな。コミケも三日間の開催だし。

 だが、明日からは荷馬車での道行きだ。雑貨屋で必要な物も揃えたし、後は野となれ山となれ、だな。

 宿に着くと、ちょうど四回の鐘が鳴った。午後の四時だ。

 五の鐘には、通りの屋台や店が閉まる。買い物は終わっているし、今夜は宿で食事がとれるので、しっかり食べてたくさん寝よう。

 受付にはミヤが居たので、長男を褒めにほめて礼を言う。彼女は、今日の夕食が豚の焼肉だと教えてくれて、天井を指差した。

「あの二人だけど、まだ居るよ。昼飯も食べていないけど、大丈夫かね」

「しまった。食事の事は忘れていました。その辺の屋台で、なにか買ってきたほうがいいですかね?」

「ま、水は注いでやったから、後は夕飯まで我慢させたらどうだい。そこまで贅沢させなくてもいいよ」

「それは、お手数をおかけしました。夕食は何時になりますか」

「うちは五の鐘で食堂を開けるけど、七の鐘までなら待つよ。今夜は客も少ないし、好きに下りて来たらいいからね」

「わかりました。では、また夕食で」

 大山は両手を塞ぐ荷物の許す限りお辞儀をして、階段を上がった。だが、その背中にコルが声をかけてくる。

「あの、これは余計なお世話かも知れないんですけど……ヤマさんたちもあの二人も、風呂には入っていませんよね」

 振り返ると、数段下で細田がこくこくと頷いている。言われてみれば自分たちは、宗教施設を出てからこちら、盥の湯で体を拭いただけだ。

「はい。でも、この宿にはお風呂が無いんですよね」

「ですから、夕食までに風呂屋はどうかと思いまして。荷物の心配があるでしょうから、部屋には鍵をかけて、あの二人も連れて行ったらどうでしょう」

「お風呂屋さん、ですか……」

「山ちゃん、行こう。すぐに行こう。風呂に入りたい」

 細田が、上着の裾を思い切り引っ張ってくる。止めなさい。お前はリュックだけで手ぶらだけど、こっちは荷物を抱えているんだから。

「あと、服も洗濯したい」

「ああ……コルさん、洗濯屋さんもありますかね?」

 階段の上から訊くと、コルは笑顔で頷いた。

「ええ、風呂屋と同じ建物です。先に預けておけば、上がる頃には受け取れますよ」

「わかりました。ちょっと、荷物を置いて来ます」

 あの二人も連れて風呂か。嫌な予感しかしないな。



「俺の話を良く聞いて、大人しく付いて来ること。わかりましたね?」

 大山が上から言うと、デニスとラガは「はい」と頷いて返した。身長が高いので、どうしても見下ろす形になってしまう。

 デニスは嬉しそうな笑顔で、大げさに片手まで上げている。

 ラガは反対に、不服そうな表情を隠しもしない。ふむ。

「よし、おっさんは付いて来い。そっちのガキンチョは、もう宿を出ていいぞ。二度と帰って来るなよ」

「なんで! そっちが僕を連れて来たんじゃないか」

「お試し期間は終わりました。態度に変化が見られませんので、ここで失格となります。お疲れ様でした、お引き取り下さい」

「やったー! 風呂だ風呂。ラガ君は残念だったね。まあ、無駄に長い時間だったし、楽しくもなかったからな。達者で暮らせよ!」

「おっさん、お座り」

「はい、ごめんなさい」

 けろっとして謝るが、まだ表情のはしゃいでいるデニスに、大山は銅板を一枚渡す。日本円で一万五千円の計算だし、これだけあれば適当な服くらい買えるだろう。

「あの、このお金は?」

「風呂を上がった後で、着替えがないだろう? あんたの身長で合う服があるかは知らないけど、もう少し目立たない格好に着替えて欲しいんだよ」

「君、誰かにお人好しだって言われない? 本当にもらっていいの?」

「おう、要らないなら返せ」

「いただきます。ありがとうございます」

 深々と頭を下げて、デニスは小躍りしながら部屋を出て行った。風呂屋の場所はコルから教えられているので、そこで集合すればいい。

「いやあ、おっさんは簡単でいいな。裏があっても、あれなら気兼ねなくぶん殴れるわ」

「そうなー。なあ、山ちゃん。棚に全部入らないぞ」

「大事なもんだけ仕舞っておけばいいだろ。この部屋にも鍵をかけるけど、盗まれる時は盗まれるし。気にするだけ無駄だ」

「それもそうか」

 細田は、昨晩と同じようにリュックサックを二つと、銅板の詰まったトートバックだけ戸棚に入れた。残りの荷物は、テントも含めてベッドや床の上だ。こればかりは、荷馬車に乗せるまで放置するしかない。

 大山も小銭の入った巾着袋だけポケットに入れ、シーニャが部屋に届けてくれていた風呂敷包みを持つ。自分たちは幸いにして着替えもあるので、次の人里まではこの中の服で保たせる予定だ。

 いや、下着くらいは余分に買うかな。サイズがあるといいけど。それに、上着を買うのを忘れていた。毛布もあるし、これから春になるなら止めておくか。

「飯も五時には始まるんだろ? 早く行って来ようぜ」

「おう。ほら、出て行けよ。邪魔だぞ」

 まだ、うつむき気味に顔を歪めているラガを見下ろし、大山は頭の真上から声をかける。

「聞いてんのか、ガキ。俺たちは、お前なんかどうでもいいんだよ。あの姉ちゃんが、小遣いもくれたんだろう? 行き先はわかってるんだし、ひとりで追いかけたらどうだ」

「……なさい」

「あ? 聞こえませんねー」

「ごめんなさい! 僕も連れて行って下さい!」

「だとよ。どうする、ダダ」

「えー。面倒くさいから置いて行こうぜー」

「ちゃんと言うこと聞きます! だから、置いて行かないで!」

 勢い良く顔を上げたラガは、目からぼろぼろと涙を流していた。本当に面倒くさいな、こいつ。

「しょうがないな。いいか、一度しか言わないぞ」

 大山はラガの目の前に人差し指を立てて、噛んで含めるように言い聞かせた。

「あのおっさんが気に入らないなら、仲良くする必要は無い。だがな、いまから一度でも文句を言うなら、すぐに放り出すから覚悟しておけ。その年なら、嫌な奴とも適当に合わせられるだろう?」

「はい……わかりました」

「それと、こっちはお前の小遣いだ。ラダーのかねは、いざという時のために取っておけよ」

 大山から銅板を手渡されると、ラガは涙の溜まった目で何度もまばたきをした。

「あの……おじさん、本当にお人好しだね。これ、僕が盗んで逃げたらどうするの?」

「気が変わった、いますぐに逃げていいぞ」

「えっ、あの、ごめんなさい。着替えとか無いから、急いで買って来ます」

 大慌てで部屋を出て行くラガに、大山は深々とため息をついた。

「いやあ、とんでもないクソガキだな。あれともうひと晩、同じ部屋に泊まるかと思うと気が重いわ」

「なに言ってんだ。そんなの、俺だって嫌だぞ。お前と同じベッドとか、もっと嫌だ。狭苦しい」

 今日の買い物から、真新しい手ぬぐいを肩にかけた細田が、半眼になって文句を言う。

 昨晩は二人も余計な客が居たので、仕方なくデニスを床に転がして、片方のベッドは少年に明け渡したのだ。それであの態度なのだから、救いようの無いガキンチョだ。どこまで甘やかされているんだか。

 おっさんは、文句も言わずに床で寝ていた。あっちも、冷遇される事に慣れすぎていて、どうかと思う。

「別の宿に、まとめて放り込んで置いたほうが平和じゃね? ほら、素泊まりの安宿ってのがあるんだろ」

「それもそうか。じゃ、申し訳ないけどコル君に案内してもらおう」

「あの兄ちゃんにも、後でチップを弾まないとな。山ちゃん、適当にあげといて」

 おや、コルが坊主から兄ちゃんに進化したな。可愛い馬を手に入れて、細田も機嫌が持ち直したかね。

「だた、銅板はやりすぎだぞ。当分、あいつらの小遣いは無しでいいな」

「そうか……まだ、こっちの庶民的な金銭感覚を掴めていないんだよな。ま、無駄遣いしたなら、自分たちで反省してもらおう」

「おう。んじゃ、風呂にしゅっぱーつ」

 部屋にもしっかり鍵をかけて、いつの間にか受付を交代していた次女に渡しておく。この辺りの手順は、地球の宿と同じだ。

「ああ、ヤマさん。ちょっといいですか」

 だが、鍵を受け取った次女は、周囲を見回しながら小さく手招きをしてくる。大山が近づけば、彼女はカウンターに身を乗り出してささやいた。

「さっき、荷馬車と馬が届いたんですけど。馬の方はいま、兄が裏で世話をしています」

「ああ……はい。もう着いたんですね、ありがとうございます」

「いえ、違うんです。その時に、兄が話しているのを聞いていたんですけど……もしかしたら、ヤマさんたちには内緒にするんじゃないかな、って」

 おや、馬車になにか問題でも発生したのだろうか。

 首を傾げて返せば、次女はさらに声をひそめて続けた。

「ギーヤさん……ああ、中通なかどおりで、荷車なんかを売っている店の主人です。その人の所に、古い馬車が売られてきたそうなんですよ。それも箱馬車じゃなくて、ジョードで良く使うような、幌の付いた大型の馬車が。例の、嫁ぎ先から逃げて来たって奥様たちも、幌馬車に乗っていたんですよね」

「それは……もしかすると、あの女たちが乗っていた馬車かも知れませんね」

 実際に見れば判別も可能なのだが、大山が荷馬車を買ったのは、里の郊外にある店だ。中央通りにある店など、気に留めてもいなかった。

「幌の後部が破れていたなら、確かにその馬車なんですが」

「あいにく、そこまでは。ただ、その客は代わりに箱馬車を買って、馬も替えたそうなんです。兄たちは、そういう話をこそこそと集めているんですよ」

 そこで、ふんと鼻息を鳴らした次女は、店の奥をチラッと横目に見てから、ようやく体を起こした。

「気をつけて下さい。兄は自分が店を継げないもんで、ちょっとおかしくなっているんです」

「わかりました。お話して下さって、ありがとうございます」

 しかし、彼女が自分たちに加勢する理由がわからない。

「ですが、それを俺たちに知らせていいんですか?」

 疑問に思うと、つい口にしてしまう大山である。その言葉を聞いた次女は、きょとんとした顔でまばたきした後、口角を引き上げて獰猛そうな笑みを浮かべた。

「あら。だって、最後まで面倒みるんでしょう?」

「ああ……なるほど」

 大山は昨晩の彼女が、母や姉と同じく、国のお嬢様に対してひどく同情する場面を見ている。あれは決して、場の雰囲気に飲まれた発言ではなく、彼女の本心だろう。

 思わぬ方面から、発破をかけられてしまった。これは本気でやらないと、宿の女性陣を失望させてしまうな。

「自分たちは、明日にでもこの里を出るつもりです。逃げ足には自信があるので、大丈夫ですよ」

 大山は、ミヤの次女に力強く頷いてみせた。

「まあ、旅のついでに、ちょっと寄り道はするかも知れませんが」

「そうですよね。いつまでも、あんなお荷物を連れていたら大変ですし」

 クスクスと笑って、次女がすぐに表情を引き締める。

「明日の朝に出発されるなら、私に考えがあります。兄は放っておいて、姉のジャイナに朝市を案内してもらって下さい」

「ジャイナさん、ですね。朝市があるんですか」

 困惑してオウム返しになってしまう大山に、次女はこくりと頷いた。

「兄も、そう休んではいられませんから。この事は、おかみも承知です……では、また後で」

 ふっと横を向いた次女に、大山もそちらを見やると、食堂の裏手からミヤの陽気な話し声が聞こえた。コルが戻ったのだろう。

「はい、行って来ます。夕食、楽しみにしていますね」

 笑顔で挨拶して、大山はさっさと宿を出た。ふむ。いよいよ面倒な展開になってきたな。

 すでに外に出ていた細田は、ニヤニヤと悪そうな笑みを浮かべている。

「いやあ、期待されてるね。可愛い女の子が味方してくれるのは、気分がいいけど」

「俺は背筋が凍ったぞ。女性の情報網は怖いからな。俺たちが手を抜いたら、知らない相手から石を投げられそうだ」

「ま、あの兄ちゃんを出し抜けるなら、面白そうだから嬢ちゃんの話に乗っかってみようぜ」

「お前さんの期待するような結果になればいいけどな……他に選択肢は無いか」

 夕焼けに照らされる里を歩けば、人波で揺られるような虚脱感が襲って来る。日本の都市部で長く生活している大山には、人混みで酔うなど久しぶりの感覚だった。ずっと背負っていた荷物も無いので、体がふわふわと落ち着かない。

 ぼうっとしているうちに、コルから風呂屋だと教えられた建物に着いた。目印は緑色の旗だ。通り沿いの開放は、右側が入り口になっており、風呂と書かれた長いのれんが下がっている。

 左手には横長のカウンターがあり、周囲の人々を少し観察すれば、そちらが洗濯屋の受付だとわかる。近づくにつれ、乾燥機を開けた時のような、湿った繊維の匂いが鼻先をくすぐった。

 大山は、ちょうど人の途切れた受付に立ち、目の合った女性に声をかける。

「すみません。いまから風呂に入りたいんですけど、洗濯物はここに預ければいいんでしょうか」

「ええ。脱いだ物も洗いたいなら、中にも受付があるけど」

「あ、そうなんですか……では、中でお願いします」

 少し疲れた雰囲気の女性は、どうぞ、と言うように肩をすくめて返す。

 いいなあ、こういう雑な接客。里に着いてからこちら、田舎らしい親切に揉まれまくったので、店員から適当な扱いを受けると心が軽くなる。

「あと、簡単に手順を教えていただけますか。こういう洗濯屋さんを使うのは初めてなもので」

「へえ。ま、中に入ったら、脱衣所の横に黄色い籠があるから、それに入れて出すだけだけど。代金は服によって違うから、中で聞いて。心配なら、こっちから男湯に声かけとこうか?」

「お願いします」

 女性は、はーいと間延びした返事を最後に、ふらっと奥へ姿を消す。態度はいい加減なのに、きちんと仕事をしてくれるのが嬉しい。

「お、間に合ったな!」

 大山たちがのれんを潜ろうとした所で、背後からデニスの陽気な声がした。きちんと買い物を済ませて来たらしく、裸の腕に畳んだ布を抱えている。彼は下着の上下に革のブーツだけで、寒いさむいと言いながら風呂屋に駆け込んだ。

 見慣れた作りの衣類はどうしたのだろう。大山がデニスを見て首を傾げると、彼は歯並びのいい口をぱかっと開けて笑った。

「いやあ、いい店だった。俺の着ていた服も、二銅で買ってもらえたぞ。あんなボロなのにな!」

「そりゃあ良かった。で、合う服はあったのか」

「あったあった。この辺りはまだ、ジョードからの客も多いらしくてな。三銅五半で、洗い替えから下着まで全部揃ったよ。ありがとうなー」

 デニスは調子よく喋りながら、風呂屋の受付に小銭を一枚、ぽんと置く。見れば半銅だ。受付に座っていた老人は、無言で豆銅を六枚と、数字の書かれた木の板を返してきた。

 へえ、慣れたもんだ。このおっさんは旅に暮らしているようだし、情報源としてなら連れて行く価値はあるな、と大山は考えを改めた。

 風呂屋の内部は、昔ながらの銭湯に似て男湯と女湯に別れ、真ん中に受付がある。この受付は銭湯の番台と違い、脱衣所まで見えるような作りではなかったが。

 大山が、二人分と言って半銅を出すと、やはり木の板と一緒に二豆銅が返される。大人がひとりで百二十円か。

 屋台で軽食を二回食べても、せいぜい三百円から五百円くらいだし、風呂は公衆浴場がある。素泊まりの宿は千五百円か、もっと安いと聞いた。ざっと三千円もあれば、旅人が里でひと休みするに足りるのだ。

 それに比べて、青シャワル亭の一泊は四銅だから、倍の六千円という計算になる。なるほどなあ。あの宿が、商人向けとされるわけだ。

「服を売ったら、オマケに手ぬぐいも付けてくれたよ。あ、おつりは返したほうがいいのかな」

 まだ喋っていたデニスは、脱衣所の横に重なっている黄色い籠を取って、そこに脱いだ下着をぽいぽいと入れる。太めの糸を編んだ靴下も入れて、ぶらぶらさせながら奥の小さなカウンターに向かった。

「いや、取っといてくれ。その金はあんたたちが、しばらく小遣いとして使えるように渡したんだから」

 細田にやりすぎだと言われてしまったので、大山はとぼけて返す。旅支度は自分たちの二人だけを想定して買い揃えたので、彼らには自分で生活の面倒をみて欲しい。

 デニスはそれを聞くと、やったあと嬉しそうに両手を上げた。片手には服と一緒に買ったのか、丸めて紐で結ぶタイプの財布を持っている。最初から返すつもりが無いんじゃないか、と大山は呆れた。

「そうだ、あのガキンチョはどうした? まだ買い物してんのかね」

 大山が訊くと、デニスは首だけで振り向いて顔をしかめた。

「あのさあ、ラガ君をひとりで放り出すなら、もう捨てる気でやんないとだめだよ。表通りの仕立て屋に入ろうとしてたから、無理やり古着屋に置いて来たけど」

 ひょいと肩をすくめて、さっさと風呂場に歩いて行く。

「俺はもう、あの子の面倒はみないからねー。面倒みてもらう方が好きだから!」

 大山と細田は、しばし無言で顔を見合わせた。

「仕立て屋だって?」

「あいつ、どんな育ちをしてるんだ」

 やっと出て来た言葉も、ため息に消えていく。二人は、ラガを待たずに風呂を楽しむ事にした。

 まずはデニスに習って、黄色い籠に脱いだ服を入れる。洗濯屋の受付らしいカウンターに顔を出せば、話を聞いていたらしい男性の店員が、ざっと代金を説明してくれた。

 下着は一枚で三豆銅、服は上下に関係なく一枚が六豆銅だ。冬物や、外套のように厚手で大きな衣服になると、すぐに乾かさずとも半銅になるらしい。

 店員は、大山の持っていた板の番号を確認して、仕上がりは半刻後だと教えてくれた。

「洗濯も安いな。大きい街でもこの値段なら、国都までかねの心配をせずに済みそうだ」

「だと、いいんだけどな。飛龍がいくらかかるか、まだわからんから。そういう相場は、本にも書いて無いんだよ」

「飛龍ってなんだ? 空を飛ぶ龍でもいるのか」

「いるいる。ドラゴンじゃなくて、体の長い昔話のオープニングみたいなやつ」

 着替えは全て、受付で渡された木の板と同じ番号の棚に入れる。板が鍵になっており、黒ずんだそれは浴室まで持って入っていいようだ。

 細田は、渡してやった着替えの上に眼鏡を丁寧に置くと、棚の扉をぱたんと閉じた。

「つっても、本のイラストを見ただけだけどな。すごくでかい龍が飛行船みたいに、客を載せた籠をぶら下げて飛ぶんだ。タズルトまで一直線だし、いちど乗ってみたいんだよ」

「いや、大丈夫なのか? 空を飛ぶんだろ」

 こいつは星山道会から逃げる際にも、空中では怯えて目をつむっていた。てっきり、高所恐怖症だとばかり思っていたのだが。

「おーい、お客さん! そこの、でっかい人!」

 その時、受付の方から声がかかり、大山は何事かと振り向いた。でっかい人、と聞いては、自分を指しているのだろうと判断するしかない。

 脱衣所の入り口では、受付の老人がむっつりと顰め面をしてラガ少年を押し込む所だった。

「この坊主も連れなんだって? 金を払ってくれなきゃ困るよ」

「ああ、はい。すみません」

 ラガは、両手に大きな布の包みを抱えている。先ほどデニスが持っていたものより、二回りは大きい。

 まさかこいつ、渡したかねを全部使ったんじゃないだろうな。

 大山が追加で代金を払うと、老人はぶつくさと文句を言いながら受付に戻って行った。残されたラガは、無言で下を向いている。

「おい、服は買えたのか?」

「……まだ」

「じゃあ、その荷物はなんだ。無駄遣いしても、小遣いはあれで終わりだぞ」

「だって、靴に穴が空いてて。店の人が、新しく作ったらどうだって言うから。五銅あったんだけど、それじゃ足りなくて」

「意味がわからねえよ。そんなもんキャンセルして、かねを取り戻して来い」

 ラガの肩を掴んで反転させると、少年は身悶えして大山を見上げてきた。

「でも、もう注文しちゃったんだ! 三日で出来るって言うし、僕もそれまでに仕事を探すから」

「うるせえよ。出発は明日だ。靴は我慢して、店員さんに頭を下げるんだな。嫌なら、もう戻って来なくていいぞ」

 少年が、明日? と目を見開くが、大山は強引に細い体を掴み上げると、そのまま脱衣所の外に放り出した。

「さっさと行って来い!」

 怒鳴って引き戸を閉め、大山は長く息をつく。この異世界に来てからというもの、ため息ばかりをついている気がする。

 振り返ると、大山は脱衣所の人々の注目の的になっていた。絡みつく視線を無視して、大股に風呂場を目指す。

 風呂場の前では、細田が苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

「なあ、山ちゃん。やっぱり、あのクソガキは置いて行こうぜ」

 まったく同感だ。

 いくらかかねを掴ませて、どこかに放り出そうか。いや、それをしたのがラダーだ。あの女たちは他人に面倒な子供を押し付けて、勝手な目的のために旅を続けている。

 あいつらに、ぎゃふんと言わせる手は無いもんかね。

 ラダーやハンダの本当の性格はわからないが、あの少年を捨てて来たと言っても、大して堪えはしないだろう。なにしろ、彼女たちは死地へと向かっているのだ。

 なら、その死地に着いた時、残念でしたと言って少年を返品してやればいい。

 どんな顔をするか見ものだな。大山は、この先の寄り道が、少し楽しみになってきた。

 そのためには、ラダーたちが生きているうちに追いつく必要がある。飛龍ね。旅を急げるなら、試しに乗ってみてもいいか。

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