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 里の中央通りを東へ向かい、ハタ街道が見える辺りまで来ると、コルは石造りの平屋に入った。

 周囲とは違い、開放部もない箱型の建物だ。窓もあるのだが、防犯のためか鉄らしい柵がはめ込まれている。扉の前には、わかりやすく両替と書かれた紫色の旗が下がっていた。旗には文字の上に、貨幣を意匠化したのだろう、円と四角の図柄も染め抜かれている。

 同じような建物は他に二軒あり、それだけでもユイダが大きな里なのだと推測された。日本でも江戸時代からこちら、両替商は手数料で食っていく職業だ。人の流通が多くなければ、里と呼ばれる村の規模で、両替商が三軒も経営を続けていくのは難しいだろう。

 少し待てと言われたので、大山と細田は建物の脇でぼんやりと立つ。まだ昼前だが、街道と丁字路になっている辺りはすでに混雑していた。来た時には気づかなかったが、里の奥に広がる農地へ続く道もあるようで、野菜や雑貨を載せた荷車が、茶色い牛に引かれて街道に出ていく姿も目にする。

「ああいう売り物は、どこへ行くんだろうな」

 牛も、あまり地球と変わらないなあ、などと思いつつ口にすると、細田がざっくりと西側を手で示しつつ答えてくれた。

「あっちの方に、でかい川が流れてるんだ。その川までの辺りは、土地が豊かなのか里がいっぱいあるけど、海側に抜ける街道はハタ街道しか無い。川沿いは、街道を通せるほど土地が平坦じゃないのかね」

 良くわからんけど、と言って、今度は南に向く。

「地図で見ると、海沿いのごうから二日もあれば、ユイダに着くからな。そっちから来た品物とか、逆に山ん中にある小さい里の産物なんかを行き来させてるんじゃないか」

「ふうん? という事は、ユイダって流通の拠点みたいになってるのか。それで、こんなに賑やかなんだな」

生物なまものの冷蔵技術も、魔法の袋みたいにファンタジックな品物も無いらしいからな。ちょっとした宿場町みたいに栄えてるんだろう」

「ああ……魔法の袋は無いのか。それに、冷蔵が出来ないって? 水の呪術士は何してるんだよ。ちょっと勘のいい奴なら、氷くらい、いくらでも作れるはずだろう」

「そこが、この国のおかしなところなんだ」

 眉をしかめて、細田が鼻息をつく。

「ちょっとでも上等な魔法が使える奴らは、みんな道会っていう国の組織に吸われてる。ありゃ、宗教の名を借りた魔法使いの養成所なんだ」

「ええ……あんなに、星の神様がどうとか言っておいてか?」

「いや、神を信じてる、ってのは嘘でも無いんだろ。自然の力を扱う呪術士よりも、神の奇跡を使える道士の方が地位は上だしな。ただ、魔法使いを有能な技術者として考えたら、もったいないって話だよ。もちろん、国の雇われになるから、個人の生活は安定するんだろうけど」

「ああ、将来は安泰、って言ってたやつか。国都っていう首都に呼ばれて、勉強させてもらえるんだっけ? てことは、卒業後はみんな国の組織に入るんだな。それが道会?」

「そういうこと。なにしろ、この国の魔法使いは、定年の無い仕事だからな。地元に帰って来る人間も少ないから、そういう技術が民間に還元されないんだ。昨日の、宿のおばちゃんの反応を見たろ? 少し火が使えるってだけで、あの大歓迎だ。ま、おかげで仕事にゃ困らんだろうけど」

 目立ちたくないんだよな、と言うので、大山も深く頷く。

 細田なら人間湯沸かし器として賃金を取れるだろうし、自分も荷運びなら馬以上に働ける自信がある。しかし、こうした魔法が民間で運用されていないのでは、少し能力を見せただけで、おそろしく目立ってしまうだろう。

 道会から逃亡した身で、魔法使いとして働くのは愚策だ。しかも星山道会には、こちらの能力をいくつか見られている。いや、自分の力を、か。

 細田は、ガヤンに喧嘩をふっかけて逃げただけだ。なにやら攻撃もしていたが、あれが彼の魔法だとは気づかれていない可能性が高い。

「ダダさんよ。俺の記憶が間違ってなければ、お前が火や水を使えるのって、ガヤンさんたちは知らないはずだよな。その方面で働くってのは難しいのか」

「うーん、どうかな。部屋で色々やらかしてるし、あいつらの中に透視能力者がいないとは断言できないんだよ」

「ああ、なるほど……じゃあ、警戒するに越したことはないか」

 自分が、世界の力を体内で使っている人間を察知できるようになったのは、細田にそそのかされて全力疾走をした後だ。それ以前にどんな監視を受けていても、二人とも気づけなかった。

「変に大金を使うのも問題だし、道会からも隠れる必要がある……こりゃ参ったね。しばらくは慎ましく、徒歩で旅をするしかないか」

「ま、それ以前に、俺らは面が割れてるからな。地元の人間とも顔つきが違うし、眼鏡は見ないし、お前はでかいから。細かいことは気にせず、いざとなったら国と喧嘩しようぜ」

 わくわくとした顔で笑うので、大山は細田の頭を軽く叩く。

「駄目です。辛抱しなさい」

「なんでだよー。魔法で無双しようぜ。ものすごく、面白い事になるぞ」

「お前は、国都とやらに行きたいんだろ? それまでは大人しくしとけよ」

「山ちゃんが、空飛んで連れてってくれればいいんだ。直線で飛べば、あっという間に着くぞ」

「本当に飛んでいいのか? お前さんは、高いところが怖いんでしょうが……ああ、そう言えば。なんでダダは、国都に行きたいんだ?」

 そもそも、自分はまだ細田の目的を聞いていない。友人を見下ろせば、彼はとぼけた顔をして見返してきた。

「あれ、言ってなかったっけ」

「聞いてませんね」

「そっか。あそこが首都で、国のお偉いさんが固まってるってのもあるけどな。国都のある南東島に、戦争の最前線があるからだよ。黒の森とザリ平原な。俺は、魔族って奴らに会いたいんだ」

「南東島? なんだそれ。まだ国の地図も見ていないから、地理の話をされてもわからないぞ」

 細田の、ぐちゃぐちゃした落書きを少し目にしただけだ。

「後で、例の本を貸してくれ。俺も読んでおきたい」

「そうだよ。俺ばっかり説明するのもしんどいから、いちど会議しようぜ。ごちゃごちゃ余計な事があったせいで、相談するのすっかり忘れてたろ」

「だな……おっと、もういいみたいだ」

 横目に見ていた両替商の扉が開いて、客か店員かわからない男が三人、無言で通りに出て行った。入り口はそのまま閉まったので待つと、再び細く開いた扉からコルが手招きをしてくれる。大山たちが中に入ると、彼は赤い木の板を扉の横に立てた。

「少しの間、店を閉めてくれるそうです。ただ、金板なんて普段は店でも扱わないそうなので。すみませんが、手数料を上乗せするって話になりました」

「それはもちろんです。迷惑をかけるのはこちらなんですから」

「ありがとうございます……ジンさん、こちらが例の方たちです。名前は勘弁してください」

「まあ、そりゃ構わねえけどな」

 答えたのは、木製のカウンターに肘をついた男性だ。

 店の旗と同じ紫色の上着を着て、柵のある窓口の手前に出てきている。コルの父親と知り合いと聞いて、もっと年上の人物を想像していたのだが、ジンと呼ばれた両替商は若々しい肌をした青年だった。体も細身で、背丈はコルより十センチほど高い。この里なら、長身の部類に入るだろう。

「奥の部屋を空けたから、入ってきてくれ。詳しい話はそこで頼む」

 建物の中は狭く、カウンター付きの窓口と数脚の椅子があるだけだ。その柵に守られた窓口にも、すでに木の板が嵌っていた。完全に店じまいをしてくれたらしい。

 カウンターの横には、いまは半ば開かれた頑丈そうな扉がある。そこから短い廊下を通されて、四人は窓の無い小部屋に入った。小部屋の扉に鍵をかけると、ジンが、ふうとため息をつく。

「ここでの話は俺と、このリンだけで仕舞っとくから安心してくれ。カジャさんには恩があるからな」

 小部屋には木のテーブルと、向い合せに椅子が用意してあった。奥側の椅子に座って、ジンが大山と細田にも座るよう手で促す。

 大山は、両替商の隣に座る少女が気になったものの、素直に座らせてもらった。リンというのが、この女の子なのだろう。両替商で働くには、ずいぶんと若い店員に見える。宿の受付にいたミヤの次女より、さらに幼い外見だ。

 リンは、その幼さに似合わず厳しい顔をして、じっと黙ったままこちらを観察している。大山の知覚に触れるような力は感じないので、魔法を使ってはいないようだが、少し不気味だ。

 いや、不気味は失礼かな。彼女の役割がわからないので、ちょっと不安なだけだ。リンは、ふわふわした黒髪を首の左右で結び、前髪を真っ直ぐに揃えている。容姿も整って可愛らしいので、そんな難しい顔をせずに笑って欲しいな、と大山は思った。

 細田はもちろん、気負いなくどっかりと大山の隣に座った。いったいこいつは、なんの自信があるんだか。最後にコルが椅子を少し離して座ると、ジンがテーブルに身を乗り出す。

「で、いくら両替して欲しいって?」

「ああ……これなんですが。両替よりもまず、この国の通貨について伺いたいんです」

 大山は、とりあえず自分の巾着袋だけを出して、中身をテーブルに広げた。種類ごとに、わかりやすいよう並べて見せる。

 改めて確認すれば、長方形をした貨幣は三種類だ。金色の板が二種類あり、それぞれ十枚と五枚。銀色の板は五枚ある。合わせて二十枚の金属の板は、明かりが蝋燭だけの小部屋で鈍く光った。

「金板と聞いても、俺には価値がわからないんですよね。つまり、ここで両替を誤魔化されても、俺たちは文句を言えません。そのくらい、未知の通貨なんです」

「なんだってまた、そんなかねを持っているんだ……いや、詳しくは聞かない約束だな。それに、横でリンが見てるんだ。誤魔化しゃしないよ」

 うん? リンが見ているから誤魔化せないとは、どういう意味だろう。地元の知り合いらしいコルが見ているから、なら理解できるのだが。

「わかった、金額の説明もだな。面倒だが、ひとつずつ解説してやるよ……どうだ、リン」

 問われた少女が、そっとテーブルの上に片手を出した。

 その瞬間、大山の知覚に鋭い力の波動が響く。発生元は、目の前にいる少女だ。とっさに、細田から燐眼りんがんと説明された第二の視力を発動させる。

 大山の視界に、きらきらとした精霊の光が広がった。この世界の力は壁をも通すようで、周囲に舞う光の粒が、吸い込まれるようにして少女に集まるのが見える。しばらくして、彼女の手のひらから、まばゆい光が金貨に放出された。

 続けて、隣の少し小さな金貨、銀貨にと手が移動する。そこでようやく大山は、これが例の「本物の物質を見分ける」能力なのだと気づいた。なるほど、これほど幼い少女が両替商で働いているわけだ。

 すごく便利な能力だな。俺にも使えないだろうか。いや、この目があれば充分だろうけど。

「うん……ぜんぶ本物だよ。すごいね、大金だ」

「ああ、目がくらむな。それでも、先に聞いてた話よりは少なかった。これなら、うちだけでも両替できる」

 言って、ジンは金貨の大きい方を指差した。

「この十枚が、金板と呼ばれるかねだ。国のお偉いさんや、商人でも大店おおだなが使う。金貨と銀円ぎんえんは全部、こいつを基準に計算されるから、小さい両替屋でも崩せない訳じゃないんだけどな」

 テーブルには金属の大きな箱もあり、ジンはそれを開いて、大山も知っている銅貨を一枚取り出した。穴の開いた、豆銅と呼ばれる小銭だ。

「この豆銅シダンが五千枚で、金板一枚とするのが国のお達しだ。わかるだろ? その辺の店じゃ、おつりが出せないんだよ」

豆銅まめどうが五千枚、ですか……確かに大金ですね」

 この小さな銅貨が一円でも、五千円になる計算だ。そして豆銅は、一円どころの価値ではない。

「ええと、ですね。この里に着いた時、肉の串焼きを買ったんです。一本が六豆銅でしたか。豆銅そのものは、どのくらいの価値なんでしょうね」

「おいおい、そこからか? いったい、あんたら何者なんだ」

 呆れた顔でこちらを見るジンに、大山は思わず半笑いを浮かべてしまう。すみませんね、こちとら異世界の素人なもので。日本円でいくら、という換算は難しいだろうし、ざっくりと屋台の食べ物の平均価格だけでも知りたい。

 どう説明しようか迷っていると、横から細田が上着の袖を引っ張ってくる。

「あ、山ちゃん待った。串焼きなんだけど、昨日食べた、あの薄いパンも付いての値段だったぞ。俺は要らないから、肉だけもらったんだ」

「はあ? じゃあ、六豆銅でパンと肉が買えたのか」

「うん。見てたら、そのパンに肉と、サラダ菜みたいなのを挟んで食べるようになってた。あれだけじゃ腹一杯にはならないだろうけど」

「そうですね。屋台の軽食は、客が二、三軒ではしごをするよう、少なめにしてありますから。五豆銅から八豆銅で買える、簡単な食べ物が多いです」

 そう言って、会話に加わったのはコルだ。彼は穏やかな笑顔で、大山と細田を見比べる。

なら、二軒も回れば満足できるでしょうね。ちなみに、きちんとした食堂で定食を頼むと、安くとも一半銅ダン豆銅シダン、平均では二半銅といったところでしょうか。食事には飲み物も付きますよ。参考になりますか?」

「はい、助かります。ええと……ちょっと待って下さいね」

 まったく。せっかくコルさんが名前を伏せてくれたのに、つるっと俺の名を呼びやがって。大山は、首を傾げている細田をひと睨みしてから、床に置いたリュックサックの前ポケットを開けた。

 まだページの残っているメモ用紙に、ボールペンで通貨と買えるものを書き出していく。地元の人間である三人が、一斉に自分の手元を注目したが、それには気づかないふりをした。

「豆銅が十枚で、半銅。半銅が五枚で銅だったかな? それで、と……」

「ああ、銅貨はその上に、銅板バリャク大銅板カガがあります。リャクの十倍が銅板で、銅板の五倍が大銅板ですね」

「ありがとうございます。そうなると? 宿の一泊が、五銅くらいでしたっけ」


 豆銅 5〜8豆銅、屋台の軽食

 半銅=豆銅×10 2半銅、定食

 銅=半銅×5 5銅、宿で一泊 

 銅板=銅×10

 大銅板=銅板×5


「うーん、わからん。豆銅をいくらに換算するか、だな」

「そもそも、日本とは物価が違うだろ。適当に計算すりゃいいって」

 細田が横から手を出すので、彼にもボールペンとメモ用紙の一枚を渡してやる。汚い字でごちゃごちゃと書いた後、細田は考え込むように視線を天井に投げた。

「豆銅が三十円くらいなら、感覚としては合うか? ちっこいホット・ドッグみたいのが屋台の食いもんだとして、百五十円から二百四十円。ちゃんとした定食が六百円で、宿泊費が五銅なら七千五百円の計算だけど。新宿のホテルが、素泊まりの最安でも四千円以上するし、二食に風呂込みならそんなもんか」

「待て、ちょっと待て。お前、暗算が早い」

「山ちゃんが遅いんだって。計算機が使えないんだから、もうちょっとがんばれよ」

「豆銅を三十円な。わかった、それでいく」

「ええー」

 適当なのに、と言われるが、大山は構わずに、新しいページに豆銅を一枚で三十円と書き込んだ。


 豆銅=30円

 半銅=300円

 銅=1,500円

 銅板=15,000円

 大銅板=75,000円


「こうか? これで合ってるよな」

「うん。さっきの、豆銅が五千枚って計算だと、金板が一枚で十五万円になるね」

「おい……嘘だろ」

 大山は、テーブルの上に並べた十枚の金貨を凝視してしまった。

「こっちの十枚だけで、百五十万かよ。マジで大金だな」

「俺の財布にも、同じだけ入ってるぞ」

 細田が自分の胸ポケットにも手を突っ込むので、大山は慌てて彼の腕を掴んだ。

「なんだよ。せっかくだから全部、小銭に崩してもらおうぜ。こんなん持ってても、店じゃ使えないんだろ?」

「そういうかねを押し付けられる、両替屋さんの迷惑も考えなさい。江戸時代の感覚なら、大金から小銭より、小銭から大金の方が手数料も安いんだから」

「いや、お構いなく。うちは、どちらへの両替も手数料は同じだよ」

 いつの間にか、にこにこ笑顔になっていたジンが、金属の箱の蓋を開いたまま、中を見えるようにくるりと反転させる。

「コルに話を聞いて、大金にも対応できるよう準備した。それに、全てを銅貨にする必要は無いだろう。こっちの半銀板なら、旅の人が持っていても不自然じゃないからな」

 箱の中には、テーブルに乗っているのと同じ銀貨を含めて、様々な貨幣がぎっしりと詰まっていた。

 なるほど、すでに金庫を用意してくれていたのか。

「半銀板は、そのまま仕舞っておくといい。変に崩すより、持ち運びが楽だからな。ちなみに、この豆銀板が、銅板の倍になる」

 ジンは、銀貨の中でもいちばん小さな貨幣を取り上げた。大山の持っていた半銀板より一回り小ぶりで、十円玉サイズの半銅を四角くしたくらいの大きさしかない。

がお持ちの半銀板は、これの倍だ。ご参考まで」

「……はい。書き取っておきます」

 くそう。わざとらしく名前を強調しやがって。こうなったら、手数料を弾まないとな。いや、口止め料か。

 大山は歯ぎしりをしつつ、メモ用紙に銀貨と、適当な日本円の価値を書き込んだ。


 豆銀板=30,000円

 半銀板=60,000円


 半銀板は五枚ある。こっちは三十万円か……現段階で、百八十万円もの大金だ。シーズン中に海外旅行をしても、安心のご予算ですね。もう、魔法がどうとか仕事を探すとか気にせず、このまま国都を目指してもいいんじゃないかな?

 崩してもらう予定の残りの金貨は、小金板だと説明してもらった。一枚で、日本円にして七万五千円となる。これも、ひとり五枚ずつあるので、大山と細田の全財産は四百万円を越えた。

「合計が、よんひゃくさんじゅうごまん……え、あの人、なにを考えてんの?」

「小銭もいっぱいくれたしな。いいばあさんだったな!」

 嬉しそうに財布を引っ張り出す細田に、大山は頭を抱える。これだけあったら、ジンに手数料をぼったくられても、一財産が手元に残るだろう。

「ええと……うん。まあ、いい人だったね。こんなの、お小遣いの範疇を越えてるっての。あ、待てダ……待て。そっちの小金板か金板は、いざという時のために取っておこう」

「なんで?」

「目的地を考えろよ。それに、あの女たちの事もあるだろ。そのうち、便利に使えるかも知れない」

「あー、そうな。んじゃ、高い方の金板をとっとくか? 十枚で切りがいいし」

「そうしよう。残りだって、旅をするには多すぎる」

 二人は金板と小金板を十枚ずつ、そして半銀板もひとつ下の豆銀板に崩してもらう事にした。

 両替後の銅貨は、全て銅板で揃えてもらう。一般的に、民間人は大銅板すら持ち歩く事は稀なのだそうだ。

 徒歩で旅をするような人々は、この板状の銅貨を衣服のあちこちに分散して持つそうだ。なにしろ銅板が一枚で、一万五千円になる。盗難対策に万札を靴に忍ばせる、というのは大山にも想像がしやすかった。

 手数料として、ジンは半銀板を一枚徴収した。これだけの大金を崩して、さらに口止め料も込みとしては安い。細田の適当なレートで、たったの六万円なのだ。

 つい質問してしまうと、ジンは楽しそうにクスクスと笑って返した。

「なに、カジャさんの面白い話も聞けたし、これでも取りすぎだよ。金板には、それなりに使い道があるしね。お客さんは気にしないでいい」

「カジャさん、というのが、コルさんのお父さんですかね? そう言えば、あの人も銀板を握らされたんだっけ……おい、口止め料に十二万円かよ」

 ラダーも、ちょっと金銭感覚がおかしいのかな?

 大山が驚いていると、横からコルが申し訳なさそうに口を挟んだ。

「いえ、あの。誤解があるようですが、親父がもらったのは豆銀板です。うちだと、五連泊できますね。さすがに銀板なんて出されたら、親父も、その女性たちを番屋に突き出して終わりですよ」

「あ、そうなんですか。銀板と聞いていたので、てっきり」

「俺たちが銀板と言ったら、普通は豆銀板の事なんです。そのくらい、こうした高額のお金は目にすることが少ないんですよ。あなた方も、豆銀板はあまり見せびらかさないで下さい。変な気を起こす奴なら、それ一枚でも命がけで盗みに来ます」

「ええ……マジですか」

 真剣そのものの顔で諭されて、大山の背筋に震えが走る。目の前のテーブルでは、その豆銀板が十八枚、ジンの手によって積まれているのだ。

「あの、でも。ミヤさんの宿で、六日しか泊まれないんですよね?」

「コルが、物慣れないって言ってた意味がわかるな。こりゃ、子供よりタチが悪いわ」

 ははは、と軽く笑ってから、ジンはため息をついて椅子に寄りかかった。

「ヤマさん。あんたの人がいいのはわかった。だがな、ちょっとズレすぎだ。どこのお坊ちゃんだか知らないが、ここを出るまでに頭を切り替えな」

 ジンが、指で自分のこめかみをコツコツと叩く。

「あんたらは手荷物だけで、ミヤさんとこに泊まったんだろ? これからも二人で、こそこそとお忍びの旅を続けるつもりなら、あんな所はもう止めとけ。ほら、この里の表通りにある宿や、コルの実家なんかは、建物が立派だったろう」

「ええ、確かに。とても綺麗で、快適な宿でしたね」

 食事もとても美味しかったし、と大山が頷けば、ジンは肩をすくめて続けた。

「ユイダは、北の山地と南のシュウリャごうを繋ぐハタ街道の、ちょうど中間地点だからな。ジョードからの行商も多いし、賑わっているからこそ、ああいう宿も商売がやっていける。けどな、普通の旅人が使うのは、もっと安い宿なんだよ」

「この里にも、五軒ありますけどね。ひと晩で一銅か、もっと安いかも知れません。それだって、野営地で過ごすよりは快適ですよ。徒歩の旅人なら、お金のかからない寝るだけの宿や、野営地に泊まるものなんです」

 コルの説明に、大山は恐るおそる尋ねた。

「つまり……俺たちみたいのが泊まるには、青シャワル亭は高級な宿だったんですか?」

「お二人は、お金持ちじゃないですか。でも、そうですね。うちに泊まるのは、それなりの商売をしている方ばかりです。表通りの宿が埋まるような時期には、国の役人や道士も流れて来てくれますし」

 そこでコルは、にやっと笑った。

「彼らだったら、六銅はふっかけても払いますから」

 うわあ。完全に宿場町だ。

 さすがに参勤交代のような行事は無いだろうが、この国には道会という宗教組織が複数ある。すぐ近くの山に建つ、星山道会もそのひとつだ。

 国都で学ぶという道士や呪術士も、入学や卒業の時期には大勢が街道を通るのだろう。才能ある魔法使いを遠い首都へ呼ぶのだから、それなりに支度金も渡されそうだ。そうした高給取りが、街道沿いの宿にお金を落としてくれる。

 魔法使いの養成所、ね。なるほど。

 星山道会では、まだ十代に見える若者から中年層まで、様々な年齢の人々が暮らしていた。しかし、幼児は見ていない。自分が目にしなかったのではなく、おそらく最初から居ないのだ。

 彼らも、ある程度の年齢になれば、結婚や子育てをするはずだ。そのためには山奥の宗教施設を出て、普通の町で生活する必要がある。ならば、家庭持ちの魔法使いにも、国が仕事を用意しているだろう。細田の話にあった、風使いとか。

 道会という組織が、どういうシステムで運営されているかは謎だが、高給取りの魔法使いが溜め込んだかねを民間に還元する機会は、いくらでもあるという事だ。

 そして、もうひとつわかった。

 宿屋の長男であるコルが、里長や両替商と知り合いなわけだ。さっきの商店でも、店主に対して気楽な態度だった。彼はこの里で言う「いいとこのお坊ちゃん」だったんだな。

 なら、両替商のジンが恩を受けたというコルの父親カジャは、いったい何者なんだ? 宿の経営者に婿入りした、ただの料理人じゃないのか。うーん、謎が増えてしまった。

 まあ、深く追求はすまい。探られて困るのは自分たちも同じだ。

「わかりました。意識を切り替えられるよう、努力します。この度は、本当にお世話になりました」

「なに、こっちも楽しかったよ。気をつけてな」

 大山が頭を下げると、ジンは軽く片手を振って返した。椅子を立って、廊下への扉を開けてくれる。

「じゃ、後はコルに任せた。いい取り引きだったよ」

「こちらこそ、ありがとうございます。親父には、良く言っておきますから」

「そうしてくれ。ついでに、林檎酒が欲しいかな。去年もしこたま仕込んだんだろ?」

「後で届けさせますよ。では、これで」

 コルも挨拶を済ませて、三人は両替商を後にした。

 最後まで大人しく話を聞いていたリンは、椅子に座ったまま、じっと大山を見上げていた。彼女も、こちらの魔法に気づいたのだろうか。

 お互い様だ。こうした民間の魔法使いにも、今後は気をつけないといけないな、と気を引き締める。

 それにしても、荷物が重い……旅人がお金を隠すための、袋帯ふくろおびがあるんだっけ? どこかで買わせてもらおう。さっきの天幕と、旅の道具も。

 いやあ、クレジットカードも無い異世界の旅は大変だ。先が思いやられる。



「ちょうどいい時間ですし、昼にしましょう。俺も店に顔を出したいんで、食堂でいいですか?」

「ああ、お願いします。ダダ、こっちだけでも持ってろよ」

 大山は、小さな巾着袋を二つとも細田に渡した。彼も頷いて、素直に上着の内ポケットに仕舞う。

 両替をした結果、巾着袋には細田の金板が十枚と、もう一方に豆銀板が十八枚入っている。板状の銅貨は、ジンが気を利かせて五十枚ずつ布の袋に入れてくれた。百五十枚あるので、それが三袋だ。さすがにリュックサックには入らないので、トートバッグにまとめて大山が持っている。五冊の本は、細田のリュックに入れさせた。

 小さな金貨を二十枚崩しただけで、とんだ大荷物だ。高額貨幣って優秀だったんだな。こりゃ、大銅板も混ぜてもらうべきだったか。

 いや、そもそも二百五十万円にもなる大金を銅貨で持ち歩くのがおかしい。重さはともかく、旅をするのにかさばりすぎる。

 コルが連れて行ってくれたのは、中央通りを半ばまで戻った所にある真っ白な店だった。木の柱以外は、煉瓦の壁が全て漆喰で塗られているのだ。通りに面した開放も石の柱を使っており、かなり高級そうに見えた。

 これがコルさんの勤める食堂ですか。ずいぶんとご立派ですね。

 大きな窓からは、広々とした店内が見える。とはいえ窓の位置が高いので、客の頭が少し覗いているだけだ。中央にある扉を入ると、暖かな空気と美味しそうな料理の匂いが出迎えてくれた。

「ここなら、個室がありますから。ちょっと待っていて下さいね」

 コルはそのまま奥に行って、ひとりの店員に声をかけた。

「シーリさん、こんにちは。今日はお休みをいただいて、ありがとうございます」

「あら、コルちゃん。いらっしゃい。そちらの方は?」

 店員は、白髪に清潔な青い布を巻き、紺色の前掛けをした老婦人だった。笑顔で小首を傾げつつこちらを見るので、大山も軽く会釈をして返す。

「うちのお客さんです。せっかくなんで、マダさんの料理を食べてもらおうと思って」

「へえ、それは嬉しいこと。じゃあ、奥を使うのね?」

「はい。空いていますか」

「大丈夫よ。先にお入りなさいな」

「そうさせてもらいます。ヤマさん、ダダさん。こちらです」

 コルに手招きされて、大山たちは店内を素通りする。青シャワル亭の食堂にもあったようなテーブルと椅子の席は、半分以上が埋まっていた。かなり繁盛している店のようだ。

 奥の個室は、左手の壁際にある扉を入った所で、そこにも大きな窓があった。外の光がふんだんに差し込んで、とても明るい部屋だ。すぐ隣の建物が見えないようにか、表には常緑樹が葉を茂らせている。

 ミヤの宿で泊まった部屋と同じくらいの個室だが、テーブルはひとつしかない。椅子は四脚で、座面には厚い布が張られていた。

「どうぞ、かけてお待ち下さい。すぐに、お茶をお持ちしますから」

「ありがとう。じゃあ、遠慮なく待たせてもらいます」

 大山は荷物を下ろすと、壁側の椅子に座った。窓が正面に見えるので、開放感があって気分が落ち着く。料理にも期待が出来そうだし、これで大金の事を忘れられれば、心から楽しめるのだが。

「山ちゃん。あいつらがどうあれ、明日にでもここを出るぞ」

 隣に座った細田が、難しい顔をして窓の外を睨む。

「出来れば、デニスのおっさんは連れて行きたいんだけどな。あのガキは、面倒を起こすだけだ」

「俺は、どっちも置いて行きたいね。それに、明日は早すぎないか? このかねとか、どうするんだよ。さすがに俺も、こんな大荷物とお前を同時には担げないぞ」

「空間魔法は、物語だけの夢だったのだ……」

「いや、そうだけど。荷車でも買うか? ほら、あの野菜を積んでたやつ。牛だけじゃなくて、人も引いてたろ」

「くっそ、やっぱり飛龍を使うしかないのか。街道を行きたかったんだけどな……いや、違うって。そっちの話は後でいい」

 細田は、個室の扉をチラッと見てから、また窓に顔を向けて唸る。

「さっきの両替屋で、高い代償を払ったからな。とにかく、さっさとユイダから離れたいんだ」

「高い、か? 手数料は、お前の計算なら六万円くらいだったろ」

 大山が言うと、細田は目を丸くしてこちらを見上げた。

「お前……本当に馬鹿だな」

「おいこら。悪態をつく前に、説明しなさい。俺でなきゃ、ぶん殴ってるぞ」

「馬鹿に馬鹿と言って、なにが悪い。あの両替屋が、どうして六万しか取らなかったと思ってるんだ。しかも、あの坊主と長話をして、まで引っ張り出して来たんだぞ」

「ええと? 野良の、っていうのは、あの女の子の事か。確かに、面白い魔法を使っていたな。手のひらから、こう、お金に向けて精霊を流してたよ」

 リンという少女がやっていたように、大山がテーブルに手を出すと、上から細田に引っ叩かれた。バチンと音がして、手がテーブルに押さえ付けられる。

「お前、あそこで燐眼を使ったのかよ! この馬鹿! あほんだら!」

 そのまま甲の皮をつねられるので、大山は慌てて手を引っ込めた。

「ちょ、痛いって。なんなんだよ」

「なんなんだは、こっちの台詞だ。いいか、良く聞けよ」

 そこで声をひそめた細田は、横目に小部屋の扉を見たまま言う。

「俺たちが、あの坊主と両替屋に払わされたのは、手数料だけじゃない。あの女が起こした騒動をひっくるめた、俺たちとの顔合わせこそが代金だったんだぞ。さっき説明したろ。この国じゃ、魔法使いのほとんどが国に吸い上げられるんだ」

 コルは、まだ戻らない。それでも細田は、緊張した早口で続けた。

「そこに、俺やお前みたいな素性のわからない、頭のおかしな魔法使いが現れる。しかも大金を持っていて、その価値すら知らないと来た。両替屋なんてのは昔から、上と繋がってる情報屋と同じなんだよ。さっきの会話だけでも、どんだけ高く付いたか」

「ああ……ごめん。その視点は無かった」

 大山は、ようやく回り始めたような頭で考える。

 自分たちの逃げてきた道会は、宗教組織であると同時に、国の運営する魔法使いを運用するための組織だ。なにしろ、街道の警邏まで道会の人間なのだから。

 そして、高額の貨幣を主に使うのは、取り引きの多い商人と……国の役人だ。公共事業のために、国から里長に支払われたという準備金も、金貨だと聞いたじゃないか。

「いや、なるほど。確かに馬鹿だった……ジンさんって、親切そうに見えたのにな。ああ、コルもか……若いのに、よくやるよ」

「あの、リンとか言うガキを出して来たから、警告も兼ねてだろうけどな。、ってやつだ。国から隠してる呪術士なんて、よっぽどの事が無けりゃ客前に出さない。あんまり里に長居してると、さっきの野郎に警戒されて、情報を丸ごと売られるぞ」

「それは不味いな……逆に、ガヤンさんの手下が俺たちを探して、この里で下手な動きを見せれば、すぐにコルやジンも双方の情報を繋ぐ事が出来る、ってわけか」

「あんまり舐めてると、火傷じゃ済まないけどな」

「うん? それは、どっちの意味で?」

 つい疑問を口にして、大山はすぐに後悔した。

 細田が、また例の笑みを浮かべると、指先に火を点したからだ。

「そりゃあ、こんな里くらい、潰すのはわけ無いからな」

「いや、止めとけって。自分から狼煙を上げてどうするんだよ」

「時間稼ぎにはなるだろ? 山ちゃんも、早く空を飛べるようになってくれよ」

「はいはい。そのうちにね」

「冬コミには間に合わせるからな」

「そうですねー」

 気が向いたら、ね。

 大山はため息をついて、椅子の背にもたれかかった。

 まったく、面倒な話だ。厄介事に面倒事が重なって、もう頭がいっぱいですよ。異世界なんて、長期滞在するもんじゃないな。

 特に、細田がやる気なのが面倒くさい。奥様とやらの実家でも大暴れするつもりでいるし、こんな心配すら時間の無駄だろうけど。物理的に目撃者の口を塞ぐのは、最後の手段にして欲しいものだ。

 ああ、早く日本に帰りたい。家に帰って、ベッドでゴロゴロしながら、買って来た戦利品を読みたい。アニメの録画、ちゃんと出来てるかなあ。カナちゃんは……自分の萌えている番組しか保存しないから、期待は出来ないか。

 誰か、どこでもドアをお持ちじゃないですかね?

 あ、空間魔法は無いんだっけ。まったく、使えない異世界だな。

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