山奥の宗教施設にて

1−1

 巨大な壁だけの建物は、荒涼とした岩山に建てられていた。

 出入り口の扉は、山を下りてゆく坂道の前に開かれており、しばらく進んで振り返れば、建物の背後はゴツゴツとした岩といじけた木がまばらに生えるだけの崖になっている。その向こうは、山の頂上らしき青い影が、遠くにちょこんと見えるだけだ。

 それよりも、行き先の方が眺めは良い。

 土を踏み固めただけの狭い坂道は、木々や巨大な岩を避けてうねり、いまは屋根だけが見えている大きな建物へと続いているようだ。周囲の樹木はまばらだが、目の前に広がる山裾には豊富な緑がどこまでも広がっていた。見渡す限り、山、山、山である。この場所は相当に標高が高いらしく、どの山も見下ろす位置にある。

 建物の中も寒かったが、外に出るとなおさらに寒い。日本の真冬に近い気温だろうか。半袖のアロハシャツにハーフパンツしか着ていない大山は、ぶるりと震えて身を縮ませる。両腕に抱えた紙袋がぐしゃっとなったので、慌てて力を抜いたが。

「おじいさん、なにか着るものありませんかね。めちゃくちゃ寒いんですけど」

 寒風吹きすさぶ高地の道を歩きながら、先導する老人に声をかけると、彼は申し訳なさそうに頭を下げた。

「すぐに、火を入れた部屋にご案内しますので。いましばらく、ご辛抱くだされ」

「そうですか。なんとも不親切ですね」

「も、申し訳ありません……」

「山ちゃん、ご老人をいじめちゃダメだよ」

「いじめてませんー。文句を言ってるだけですー」

 老人の言う通り、その後は十分も歩かずに目的の建物に着いた。もっとも、その頃には細田が唇を青くしてブルブル震えていたが。

 大山には豊富な筋肉と脂肪があるので、なんとか耐えられた。息が上がってしまったのは、おそらく酸素濃度が薄いからだろう。

 建物はやはり石造りで、長方形の簡素な外見だ。先ほどの壁だけ空間とは違い、粉っぽい質感の薄茶色をした石が使われている。屋根は三角で、石板を並べたように見えるので粘板岩スレート葺きだろうか? 焼き締めた粘土板ならもっと古い技術だが、風合いと色が職場の商品である天然スレートに似ている。

 二階建てらしく、それぞれの階には縦長の解放部がずらりと並んでいた。解放は四角形の石材を重ねた柱と、楔石と輪石を並べた曲線アーチで構成されている。その奥は廊下になっているのか吹きさらしで、ちらちらと木製の扉が見えた。

 建築様式が、いまいち地球のものに当てはまらない。粘板岩を屋根に使うなどヨーロッパでは大昔からある技術だし、楔石で支えるアーチに至っては紀元前にまで遡れる。建物から文明の程度を推測するのは難しそうだ。窓に透明な板ガラスが使われていても、ガラスの加工技術が、この世界では地球より早くに発展したんです! と言われれば、ぐうの音も出ない。なにしろ、魔法じみた力が存在するのだ。

 せめて、地球の近世くらいの文明はありますように。

 食事が不味かったら、地球に帰る前に飢えで大暴れしそうだ。

 建物の玄関は、長方形の短辺にあった。道のどん詰まりに狭い庭があり、そこからは石畳が敷かれている。建物には数段の階段と、いまは片側だけ開かれた木製の扉があった。

 扉の前では、やはり灰色のローブを着た人物が待ち構えており、老人と大山たちが数歩の距離まで近づくと、うやうやしく頭を下げて挨拶する。

「ようこそおいで下さいました、勇者様方。お帰りなさいませ、山長やまおさ様」

 顔は半ばまで隠されているが、声は年老いた女性のものだ。大山と細田も、なんとなく頭を下げて「こんにちは」と返してしまう。

 それにしても、留守番をしていた人にまで、自分たちは勇者と認識されているのか。やっかいな。

「ささ、こちらでございます。シーニャ、客間の準備は出来ておるな」

「はい、山長様」

 老人にシーニャと呼ばれた老婦人は、フードの奥で笑ったようだ。薄くなった唇が、浅黒い肌に皺を刻む。

「それにしても、ずいぶんと薄着でいらっしゃいますのね。さぞ、お寒かったでしょう」

「はい、寒かったです」

 大山が正直に答えると、今度は老婦人も声を立てて笑った。

「では、温かいお茶をご用意しましょうね」

「それと、なにか着るものをな。勇者様方は、着替えをお持ちでないだろうから」

「かしこまりました」

 老婦人の招きで建物に入ると、玄関の内側は簡素な広間になっていた。土足で上がるらしいので、大山たちも気負いなく老人についてゆく。屋内の壁も全て石材が剥き出しで、右手に木製の枠をはめた窓が三つ。左手に、先ほど見えていた廊下に続くのだろう扉と、正面にも両開きの大きな扉があった。

 くそう、窓に板ガラスが嵌っている。ますます時代がわからなくなったぞ。

 木枠が格子状になった窓は透明度が高く、ふんだんに外の光を取り込んでいた。寒いので全て閉めてあるが、掛けがねがあるので開いて空気の入れ替えもできるのだろう。壁には窓から距離を置いて、いまは火の点けられていない燭台がいくつか据えてある。ちびた蝋燭は白く、ガラスの火屋は吹きガラスの壺型をしていた。

 近世! 近世でお願いします!

 他にも、背の低い箪笥や作り付けの棚などがあったが、詳しく観察する暇もなく奥の部屋に通される。

「おお、あったかい」

 奥の間は、思わず声が出るほど暖かだった。

 見れば、これまでは石材剥き出しの壁ばかりだったのに、この部屋にはきちんと板が張ってある。床にも織物が敷かれ、窓側には腰高の暖炉がパチパチと音を立てて薪を燃やしていた。

 合理的! そうそう、寒い地方だと、暖房器具は窓側に置いた方が効率がいいんだよね。この建物を設計した人、わかっているな。

 暖炉からは煙突が天井へ伸びており、窓はその両脇に開かれていた。先ほどの広間もこの部屋も、窓は全て腰の高さから一メートルほどと小さい。開口部が狭いということは、よほど寒い土地なのだろう。さすが山奥。

「さあ、どうぞおかけになって下さい。いま、お茶をお持ちしますからね」

 老婦人に促され、大山と細田は、暖炉の前に置かれた椅子に近づいた。椅子は三脚あり、暖炉に向けて半円に並んでいる。幅広でどっしりとした椅子には毛織の厚い布がかけてあり、そのカラフルな織物はいかにも座り心地が良さそうだ。

 二人は、いそいそと荷物を下ろすと、遠慮なく椅子に座らせてもらう。思った通り、暖炉の熱で温まった布が全身を包むように支えてくれた。これで酒でもあれば満点なのだが、そこまで贅沢は言えない。

「ふいー。やっと人心地ついたね」

 細田がため息混じりに言うのに、大山も頷き返す。

「まったくだよ。こんな山奥、夏の装備で呼び出される環境じゃないわ」

 二人が、ぐったりと伸びて椅子と暖炉の暖かさを堪能していると、残るひとつの椅子に老人が座る。老婦人は、さらに奥の部屋へと姿を消した。

「さて……どこから説明しますか」

「全部」

「全部で。隠し事なしで」

「はあ……」

 老人は困ったように首を捻ってしまったが、しばらくすると考えがまとまったのか、軽く身を乗り出すようにして語り出した。



「まずは、名乗りをさせていただきましょう。わしは星山道会せいさんどうかい山長やまおさを務めております、ガヤンと申します」

「のっけから意味がわからないな。えーと、間違っていたら教えて下さいね」

 ガヤンと名乗った老人に答えたのは、細田だ。大山と細田は、大学の漫画研究会で意気投合した頃からずっと、力の大山、頭脳の細田でコンビを組んで来た。こと交渉事に関しては、細田に一任していいだろう。

 同人誌サークルでは、画力の大山、筆力の細田だが、いまは関係ないので置いておく。

 夏コミも落選したしな。つうか、このままだと冬コミのサークル申込み用紙が無駄になる! やっぱりチェンジでお願いしたい。

「その星山道会ってのは、神様を信仰する宗教団体と考えていいんですか? ガヤンさんの務める山長というのが、その組織のトップ……まとめ役で」

「はい、その通りでございます。わしはかれこれ三十年ほど、ここの道会の運営を任されております。しかし星山道会そのものは、本部が国都こくとにございまして。そこでは、道長どうちょう様が別におられます」

「んん……? 国都ってのは、首都みたいなもんかな。ここは支部なのか。まあいいや。で、あなた方は、どんな集団なんですか。先ほど叫んでいた、国教会ってのとは別なんですよね」

 細田の台詞に、ガヤンは照れ隠しのように咳払いをした。

「国教会は、国都にあります神々の道会どうかいの本部をまとめた組織であります。道会それぞれに、祝福を与える神がおられますのでな。道会同士で密に交流を図り、その祝福を国民にあまねく広げることを目的としておるのです」

「えーと、つまり。この国……国ってのも、どんな規模かわからないけど……この国の人々には、信仰している神様がいくつもあって、それぞれの神様に、ひとつずつ道会と呼ばれる組織があるんですね? ガヤンさんのまとめている組織は、その道会のひとつである、と」

「お話が早くて助かります。わしらの星山道会は、星神せいしんリュージャ様を祀り、そのご神託を受けたり、奇跡を行う祈祷師たちが集う場でありまして。この国では北の小さな道会でありますが、奇跡の力は他の道会に引けを取らぬと自負しております」

 ガヤンの説明によれば、この山奥の宗教団体「星山道会」は、名をドウリャという王国の北の外れにある弱小組織らしい。歴史を紐解けば、古くから北極星の神様である星神リュージャを信仰し、ほかの細々とした精霊なども祀ってきた、地方民族の祈祷師たちが開祖となる。

 だが、五百年ほど前に南方のドウリャ国が、北方の豊かで広大な山林を求めて侵攻してきた。

 ガヤンたちの先祖である、星神リュージャを祀っていた地方民族もそうだが、この辺りの山深い土地には小さな民族が細々と里を作って暮らすばかりで、国としては機能していなかった。そうした里をひとつ、またひとつと潰され、ついには北の広大な地域が、呆気なく大国ドウリャに飲み込まれてしまう。

 これだけなら、地球でも過去によくあった歴史だ。だが、ここは異世界。神も奇跡もある異世界なのである。

 地方民族たちには、それぞれに祀る神や精霊がいた。神の祈祷師や精霊の呪術士たちは、実際に奇跡を起こせる魔法使いとも呼べる人々だ。いくつか、そうした祈祷師たちと神の祠を潰してしまったドウリャ国は、手痛いしっぺ返しを食らう。

「神の呪いが、当時の国王であるゾーナンとその一族を襲ったのです。また、ドウリャ国の崇める太陽神パナギオン様が、その奇跡のお力を隠してしまわれました」

 ガヤンが、沈痛な面持ちで首を振る。

「天におわす神々はみな、この世界を形作るご兄弟、ご姉妹であらせられます。パナギオン様のお身内である神々の祠を穢し、その下僕である祈祷師たちを手に掛けたゾーナンの一族は滅び、ドウリャ国はその後、百年の長きに渡って太陽神の恩寵を失ったのです」

「すごいな。神様が直々に罰を与えるのか。でもいまは、この土地もドウリャ国の一部なんですよね?」

「はい。ゾーナンの一族が滅んだ後、混乱するドウリャ国をまとめ上げたカナン様が、太陽神パナギオン様のお怒りを鎮めるために素早く動かれたのが幸いしたのでしょう。まずは、太陽神様のご兄弟、ご姉妹であられる他の神々を盛り立てるため、それぞれの里から祈祷師たちを国に招きました」

 この時、ドウリャ国の国教会たる多神教の会、天星道会てんせいどうかいが生まれる。主会であり、主神の太陽神パナギオンを戴く天星道会の初代道長には、国王カナンその人が就いた。

 ただし、カナン王のひ孫の代になるまで、太陽神の祝福も奇跡も得られなかったそうだが。

「これら神々を祀る祈祷師たちに、カナン王は勉学を修めさせ、再び里へと帰したのです。里では祈祷師たちが中心となり、ドウリャ国のごうとなるべく統治を始めました。やがてドウリャ国は、郷ごとに道を極めるための会を組織するよう勧めます。これが現在の道会ですな。カナン王は戦ではなく、融和で国を広げる策をとり、そのための資金を惜しみませんでした」

「なるほど……なるほどと言えるほど、情報がねえな。つまり? この国というか世界には、複数の神が実在して、そのことを他の神を崇める人々も認知している。この辺りの感覚は、陸続きの土地なら人の流動があるから納得できるな……納得できるかあ?」

 うむむ、と唸って、細田が腕を組む。

「で、昔はひとつの神に対して、ひとつの民族で生活していたのが、太陽神を祀る国に侵略を受け、多神教の大きな国にまとまった、と。ガヤンさんたち星山道会が統治するこの山奥は、でっかい国の郷のひとつで、それも北の端っこの小さい里が集まっただけの集落なわけか」

「お前、本当に飲み込みが早いな」

 大山が感心すると、細田はニヤリと笑って返した。

「褒めてほめて。それと、ガヤンさんは民族って言ったけど、里のことは単純に、大きめの集落と捉えた方がいいね。土地ごとに別の神を崇めているだけで、人種が大きく違うというわけでも無さそうだし」

「そこまでわかるのか?」

「旧ドウリャ国は、南方の国なんでしょ? で、この星山道会がある山は北の外れだ。でも、ガヤンさんもシーニャさんていうおばあさんも、地球で言う北方の人種っぽくはないよね。肌は濃い茶色で、鼻が大きくて彫りがやや深いし、髪もうねっているじゃない……ガヤンさんは白髪ですけど、若い頃はどんな色でした?」

 急に話を振られたガヤンは、しどろもどろに「黒髪ですな、この辺りはみんな黒か、濃い茶色の髪です」と答える。

「ね。これって地球で言うなら、南ヨーロッパや中東辺りの特徴だよ。あとは中南米とか」

「ああ、そう言えば。東洋人っぽくは見えないもんな。でも、地球に当てはめていいのか?」

「ま、そこは地図が出てから追々ね。これは推測だけど、ドウリャ国とやらがどんな大国でも、たぶん、元から似たような人種の広がっていた範囲……神様に対する認識が同じ民族の暮らす場所まで、なんとか統一したところで落ち着いちゃったんじゃないの。別の宗教と衝突した歴史は無いみたいだし。すると、地球の人種の分布から見て、北緯三十度から五十度くらいまでの距離じゃないかな、と考えられるわけだ」

「まったくわからん」

「わかりやすく言うと、南はイランから、北はカザフスタン辺りまで」

「んん……?」

 大山が首をひねると、細田は指で空間を測るような仕草をした。

「そうだな……南北だけなら、日本列島が、離島も含めてすっぽり入る距離だね」

「十分に広いわ!」

「まあ、ローマ帝国よりは小さい国だよ。たぶん。頑張れば徒歩でも旅が出来るって」

「なんの慰めにもならない……」

 かつて西は大西洋から、地中海を中心にカスピ海沿岸まで勢力を伸ばした大国より狭いと言われても、ちょっと範囲が広すぎて想像が追いつかない。しかも、南北は日本列島と同じくらいとしたって、東西の横幅もあるんだろ?

 よし、考えるのは細田に任せて、自分は結論だけ拝聴しよう。大山は、暖炉の熱で炙られ始めたすね毛を守るように身じろぎして、再び聞く体制に戻った。

「まあいいや。後はよろしく」

「投げるの早いなあ」

 からからと笑って、細田がガヤンに向き直る。

「で、その北の外れにある星山道会さんが、どうして俺たちを召喚することになったんです? 闇の召喚とか言ってましたよね」

「記憶力もすごいわ」

「山ちゃん、茶化さない」

 と、そこで奥の扉が開かれる。

「お話の邪魔をしてすみませんね。みなさま、お茶が入りましたよ」

 老婦人シーニャが、取っ手の付いたワゴンを押してくる。ワゴンは木製の二段で、上の段に陶製の茶器らしきものが乗り、下段には厚手の布がこんもりと畳まれていた。

「それと、勇者様方のお召し物です。急でしたもので上に羽織るものと、ひざ掛けをお持ちしました」

「ああ、これはありがたい」

 シーニャが、まずはガヤンにご飯茶碗サイズの器を手渡すと、老人は陶器を両手で包み込むようにして深く息をついた。

「お二人もどうぞ。お口に合いますかしら」

「これはこれは、ご丁寧に」

「ありがとうございます」

 大山も茶碗を受け取ると、陶器の器がじんわりと手のひらを温めてくれる。中には熱すぎない温度の薄茶色の茶が、半分ほど注がれていた。

「お代わりもありますからね」

 さらには茶碗で手の塞がった大山たちに、三角形のショールに似た肩掛けを羽織らせ、膝にも灰色の毛布をかけてくれる。肩掛けは、椅子に掛かっているのと同じく様々な色が模様を描くカラフルな織物だった。すっぽりと布に包まれると、暖炉の熱もちょうど良く遮られて、炬燵に入っているように心地よい。

 自分の親より年上の老婦人に、何からなにまで世話をさせてしまい、大山は小さくなって頭を下げた。

「では、私はお食事を準備しますので」

「ああ。わしらも話が終われば、そちらに向かう」

「はい、お待ちしております」

 シーニャが下がると、ガヤンは茶を一口すすって話を続ける。

「あれは、三十年ほど前のことでした。東方にあります黒の森を越えて、魔族たちがこの国に攻め入って来たのでございます」

「出たよ、魔族」

 細田が顔をしかめて、茶碗に口をつける。大山も茶を飲んでみると、それは薄い麦茶のような味がした。砂糖などの甘味料は入っていないようだが、香ばしく、癖がなくて飲みやすい。温かな茶で食道から胃まで温まるのが心地良くて、つい一息に飲み干してしまう。

 確かシーニャさん、お代わりもあるって言ってたよな。

「で、その魔族とはどんな種族なんですか?」

「どんな……そうですな。姿形は、我々とそれほど変わりがありません。ただ、とても背が高く、屈強な種族です。肌は青白く、額から角を生やしております。なかには、獣のような耳や尾を持つ者もおるとか。そして、闇の魔術を使うのです」

「その、闇の魔術というのは」

「神々や精霊の祝福のない、不思議な術のことを総じて、我々はそう呼んでおります。いくつかの術を持ち帰った国の道士が、同じものを再現しようと苦心したようですが、まだひとつも成功してはおりません」

「ですが……俺たちを呼び出した召喚の術は、その闇の魔術なんですよね」

「はい。この召喚の術は、元は魔族が編み出したものです。それを我々が行使する切っ掛けとなったのが、十五年前のご神託でありました」

 大山は肩掛けが落ちないように結ぶと、ひざ掛けを置いてワゴンに近づいた。ワゴンの上段には毛糸で編んだカバーのかかった丸いものが残されており、触るとまだ温かい。これがお代わりかな。

 カバーを外せば、予想通りに陶器のポットが現れた。

「当時、戦は黒の森とザリ平原の辺りで一進一退を繰り返しており、国も疲弊しておりました。そこで国王陛下より国中の道会に、神々への祈祷を行うよう、ご下命がなされたのです。いずれかの神より、国を救うためのご神託を賜ればと……」

 大山はポットからお代わりをもらうと、そのまま細田とガヤンの茶碗にも茶を注いでいった。細田は当然のような顔で茶碗を差し出したが、ガヤンはなぜか恐縮しきった風情で頭を下げてくる。

 大山が椅子のそばにワゴンを引き寄せて、ひざ掛けに包まるように落ち着くと、再びガヤンが話を続ける。

「我々も、星神リュージャ様へ祈りを捧げました。これには、我々星山道会の道士たちはもとより、五つの里で資格のある者たちの全てが参加したのです」

「ほう。ずいぶんと大掛かりなんですね、その祈祷とやらは」

「はい。ご神託は、祈祷を行えば必ず下される、というものではございませんでな。奇跡の術とは違い、祈った者の器の大きさが、神のご意思に耐えられなくては受け取れぬのです」

「ふむ。それで、星神様はなんと?」

「星神リュージャ様は、里に住まう精霊の巫女であったミィナを選ばれました。リュージャ様は男神でおられますから、男性の祈祷師よりも女性を好まれましてな……ミィナの命と引き換えに、我々にご神託を授けて下さったのです」

「えっ」

 細田が、茶をこぼしそうな勢いで身を引いた。

「お、お亡くなりなったんですか……? その、巫女さんが」

「神々のご神託とは、そういうものなのです」

「こわ……こっわい! 実存する神様こわい!」

 大山も、これには心底から恐怖を覚える。神の声を聞くために命をかけるなど、現代日本の平凡な会社員である大山の感覚では、とても考えられないことだ。

「なんて酷い話だ。神ともあろうものが、自分に祈ってくれた巫女にやるこっちゃねえぞ。いや、神様だからなのか?」

 ある意味、これは生贄の話なのだろうか。日本でも昔は、自然災害を鎮めるために人柱を立てたと聞く。しかも、この世界では目に見える……いや、耳に聞こえる効果があるのだ。誰かが必ず命を落とすと知りながら、神に祈りを捧げる? いやいや、無いわ。

 日本のオタク二人がドン引きしていると、ガヤンは苦笑して茶をすすった。

「星神リュージャ様は、こうも申しておりました。異世界より召喚される者は……たとえ人と同じ姿をしていても、神々の祝福からは外れた存在であると。そのご様子だと、お二方は神々の存在を感じておられないのですかな」

「いやあ、そういう問題じゃなくて、ですね」

 大きく息をついて、細田が続ける。

「俺たちだって、神様をなんとなく信じちゃいますよ。国にはですね、八百万やおよろずの神という伝承がありまして」

「やおよろず、というのが、あなた方の神であられると?」

「いや、やおよろずってのは、八百万はっぴゃくまんと書きます。ものすごくたくさん、っていう意味の古い言葉ですね」

 こんな説明をすることになるとは、と言いながら、細田が茶を飲み干す。大山は再び、彼の茶碗にお代わりを注いでやった。

「ものすごくたくさん、神様がいるんですよ。とても偉い神様から、そのへんの小川とかでかい石とか、色々な場所に神様がいると考えられているんです。大昔から生まれては忘れられ、再び現れてね。いまでも新しい神様が、どんどん増え続けているんですよ」

「それは、また……」

「もちろん、その神様たちは、俺たちになにかしてくれるわけじゃありません。ご神託も無いし、奇跡も無い。だけど、神様はいる。いるんじゃないかな? たぶんね。神頼みをすることもあるけど、ご加護は……まあ、あったらいいな、くらいで。あんまり自然に神様がいるから、みんな普段は気にしていない」

「そうだな。悪いことをするとバチが当たるぞ、なんて言っても、それは生活する上で大切な道徳とか、規範の話だし」

 大山が同意すると、細田はにっこり笑って頷いた。

 笑った。この真面目な話をしている最中に、細田が笑った。なんだか嫌な予感がする。

「山ちゃん、いいこと言うね。そう、道徳の話なんだ。真面目に生きるための、目に見えない監視網だな。大昔はどうだったか知らないけど、今の俺たちにとって神様ってのは、そういうものなんです。決して、奇跡の力を与えてくれたり、変な術を発現させたり……巫女さんを死なせちまったりする存在じゃない」

 だからね、と声を落として、細田は窓の外を見やる。

「ガヤンさんの話を聞いて、俺はちょっと腹が立ってますよ。戦争の役に立つご神託、か。国のために神様に祈った巫女さんが、見返りに死んじまうって? やだやだ。本当に考えられない。卑弥呼の時代にだって、そこまで無茶な話は無かったろ」

 あ、これは本気で怒っているな、と大山は気づいて身構えた。細田が体格に見合わない低い声を出して、誰とも視線を合わせずに喋る時は要注意なのだ。

「ダダ。細田くん、落ち着いて」

「俺はいつでも落ち着いていますよ?」

 やだもう。全然、落ち着いていないじゃない。

「これはいけませんね。いけませんよ。神様だかなんだか知らないけど、地上で生活してもいないくせに人の生死に手を出してくるとはね。いけないなあ」

 細田の眼鏡を直す仕草が怖い。大山は、友人の手から茶碗を取り上げて、自分の茶碗と一緒にワゴンに避難させた。

「それを当然だと思っている、ガヤンさんたちもいけない。何時代なんだよ、まったく。奇跡? 術? 知らんしらん。俺に言わせれば、女性が死ななきゃ必要な情報も寄越さない奴なんて、神様とは呼べないね」

 だよねえ。細田は、昔話の生贄やら身代わりにも本気で怒る人だったもんね。

 でも、どうすんのよ。

 ガヤンさんが、青ざめて冷や汗かいてるよ。気づいて細田!

「俺たちを召喚した術とやらは、神様と関係無いんだっけ? それ、すごく興味があるなあ。闇の魔術か。神の祝福が無いのに術を使う、魔族と呼ばれる民族……なるほどねえ」

 細田が、くるりとこちらを振り向いたので、大山は椅子の中で飛び上がるほど驚いた。茶碗を持っていなくて良かった。俺、大正解。

「山ちゃん。まだまだガヤンさんに聞きたいことはあるんだけどさ、今日のところはここまでにしよう」

「あ、うん。いいけど」

「俺、お腹空いちゃったからさ。さっき、シーニャさんがご飯を作ってくれるって言ってたし。飯にしよ」

「お、おう。そうだな」

 お茶だけじゃ、お腹が膨れないもんね。

 異世界のご飯かあ、楽しみだなあ。

 大山は、頭脳の細田の考えていることなど全くわからなかった。ただ、ここは一度、仕切り直すために食事をとる、という意見には賛成だったので、素直に頷いておくのだった。

 大山にとって、最も機嫌を損ねてはいけない相手はカナちゃんだが、最も怒らせてはいけない存在は細田なのだ。

 カナちゃんは怒っても、謝ればデコピンで許してくれる。

 細田が本気で怒ると……最悪、このナントカ国が滅びかねない。

 本当だよ? 冗談じゃないよ?

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