6.

 アズキアの膝は絶望のために屈しかけていた。

 息は乱れ、汗は落ち、血が流れ、泥に塗れながら、剣だけは手放さぬ、心だけは挫けまいと気丈に振る舞う。

 その剣の向かう相手は、アズキアを正面に据えるでなく半身を構え、その様子を横目に見る。アズキアを軽んじているわけでも、挑発しているわけでもない。もう一人も警戒しているためだ。

 リミヤもまた、アズキアの対角線上に同じ相手と対峙していた。息を切らしながら同様に満身創痍ではあるが、目は死んでいない。鉱鉄棒を剣に変化させ敵に向けていた。

 まだ諦めてはいない。諦めてはいない、が、攻め手は見つからなかった。愚直に突っ込んでも返り討たれるのみ。幻影魔術は当然のように通用しない。何時間続けても感覚保護が切れる様子はない。幻現魔術を狙ったフェイクも通じない。遠距離からの攻撃も即座に距離を詰められ一人ずつ倒される。範囲攻撃でその回避に隙が生じたと思っても、一瞬で立て直っている。逆に相手からの攻撃を誘いカウンターを狙う、にはとても対応できる速度ではない。

 反射神経。攻撃精度。経験。なにもかも次元が違いすぎた。

 二人の相手が手に持つのは非殺傷の模擬刀。主力攻撃手段である炎熱魔術も使用を制限している。それでいて彼女――カリス・フィールドは、涼しい顔をしたまま、無傷だった。

 ただ、その条件の範囲内で一切手を抜くことなく本気であることはわかった。が、それは実力差が近いためではなく、彼女の性格によるものだ。単に、手加減の仕方を知らないのだ。

「前団長の娘と聞いていたが、こんなものなのか」

 いつまでも向ってこないアズキアに対し、あくまで平坦な語調でカリスはいう。

「んだと? 親父は関係ねえだろうが……!」

「そうなのか? 魔術能力の遺伝は一般的な傾向だと思っていたが」

「てめえ……!」

 アズキアは激昂する。その怒りのままにカリスへ突っかける。

 アズキアの固有魔術〈意葬剣〉は実体を持たない。ゆえに、それは防御不能の剣だ。だが――度重なる立ち合いによってその性質はすでにカリスに知られている。対策はシンプル。躱すか、カウンターだ。

 カリスは後者を選んだ。アズキアの剣と同じく非殺傷の、しかし実体を持った模擬刀が、アズキアの腹部に突き刺さった。

「がはっ……!」

 その隙にリミヤも仕掛ける。だが、それは隙と呼べるようなものではなかった。

 カリスは背後を確認しない。背後を確認しないままに、死角から仕掛けてくるだろうという予想により、剣を振る。それは的中し、振りかぶる最中のリミヤの脇腹へ沈み込む。その様は傍目には、カリスの攻撃にリミヤが引き寄せられたかのようにすら見えた。

 かくして、20戦目の模擬試合が終了した。


 治癒士ヴィゥム・ベスク。騎士団の、そして皇国軍最高の治癒魔術師による20度目の治療がはじまる。

 彼はピンク色の巨大な肉塊――魔術的に生成されたいわば魔獣の一種――を背負い、それを用いて治療行為を行う。すなわち、それは輸血・輸肉用のタンクである。うねうねと触手ないし管のようなものが伸び、表面は脈を打っているように見える。ただ、生きているように見えるのはあくまで鮮度を保つための方法に過ぎない。容積はおよそ人間3人分、つまり3人は全身すべてを置換してでも余裕をもって治癒できることを意味する。彼の経験上では10人までなら同時治療が可能だ。

 ちなみに、ピンク色については肉塊本来の色ではなく彼自身の創意により表面に着色したものである。「その方が可愛らしく、患者も安心できるだろう」との考えからだが、功を奏したことはない。

 アズキアは全身を管に繋がれながら治療を受ける。肉塊の存在感に当初はたじろいでいたが、さすがに今はもう慣れた。管を伝って肉塊は患者の容体を診断。打撲、亀裂骨折、内臓の損傷。治癒に必要な栄養素を送り込むとともに、肉体内部で細かに術式を展開させ治癒を促進する。致命傷というほどでなければこの工程は20分ほどで完了する。疲労感は残るし、それも含めた完治にはやはり時間が必要だが、ひとまず元のように動くことはできる。

 そうして肉体の怪我は癒えつつも、アズキアの心は折れかけていた。

 自身はまだ獅士。騎士にはまだほど遠いことはわかっている。ましてや、相手は騎士団長。皇国軍においておよそ最強の存在だ。とても敵う相手ではない。わかりきっていたことだ。

 だが。しかし。それでも。もう少しなにかできると思っていた。

 カリス・フィールドが手にするのはよく使い慣れた愛剣ではなく非殺傷の模擬刀。人間を軽く消し炭にする炎熱魔術も禁じ手とし、さらにこちらは二人。ここまでお膳立てされていれば、まだなにかできると思っていた。

 勝てるはずのない相手だ。わかっている。だがそれは、「今はまだ」なのか。「いずれは勝てるようになる」という話なのか。果たしてそんな日は来るのか。そう考えると、気持ちが深く沈みこんでいく。

 ――父のようには、決してなれぬのだ。

「もう一度お願いします」

 治療の様子を眺めたのち、立ち去ろうとするカリスを、リミヤが呼び止める。

「カリスさん、もう一度」

「もう時間だ。他に仕事もあるからな。もとより20戦の予定だった。私は戻るが、教官は他に引き継ぐ」


「どうだ?」

 訓練場を去り、宿舎へ戻ったカリスに岡島は声をかける。

「私には結果しかわからん。20戦続けたが、彼女たちは私に触れることすらできなかった」

「やはりそれくらい実力差は離れているか」

「それが“どれくらい”かは、一部始終を観戦させていたシスなら正確にわかるだろう」

「助かる。騎士団直々の教練などそう受けられるものじゃない」

「我々にも多少は都合がいい。騎士団はあの事件で4人も欠員が出た。ゆえに、早急な人員補充のため以前より目をつけていた獅士に声をかけ招集し、入団のための訓練と選抜を行った。そして三か月、残ったのは4人。とはいえ、実力にはまだ不安が残る」

「それで合同訓練か。ありがたい」

「候補生も騎士団相手の演習はすでに飽きるほど繰り返しているからな。未知の相手、やや格下相手というもの悪くはない。ただ、あの程度の相手に一度でも負けるようでは……騎士団員の望みはないだろう」

「……手厳しいな」


 ***


「情報を整理しよう」

 会議室。岡島はリミヤとアズキアを除く構成員を集めて話をする。

「例の首飾りはオリジナルのグロウネイシスに由来するものであることが確認された。ただ、これを知るものはかぎられる。軍内部からの情報流出、独自の遺跡探索、あるいは当時のグロウネイシスを知るもの。可能性は複数考えられるが、ただのネオグロではないと考えるのが妥当だ。

 アッタンより奪われたらしい九ヵ国封印の資料については、あいかわらず言葉を濁されたとのことだ。これについては後ほど再調査が必要だろう。

 レイティリス魔工では第四皇子の要請で耐高圧深海潜水艇の建造と納品がなされていたのがわかった。また、皇子はこのことを隠す素振りがなく、我々が調査へ向かうことは予想していたようだ。

 いずれにせよ、グロウネイシスと第四皇子の狙いはハッキリした。彼らは、キールニールの封印を解くつもりだ」


 グロウネイシス(ネオグロ)がキールニールを目覚めさせようとしている、というのはよくある話だ。だが、これまで現実的な計画は一度もなかった。そもそもキールニール本体は深海に投棄されており、それを引き上げる手段がないからだ。しかし、今回は少なくとその手段は用意されている。これまでで最も現実的な計画だ。

 それでもなお、その計画は確実に失敗するし、未遂に終わる。その確信の揺らぐものはいなかった。仮に引き上げに成功し、九ヵ国封印を解くことに成功しても、キールニール自身の封印を解くのは絶対に不可能だからだ。

 とはいえ、深刻な事態には違いない。キールニールはアイゼル国内に留まらず、世界を騒がせた厄災だ。第四皇子が未遂とはいえその計画に手を貸したことが知られれば、国際的な大問題になりかねない。

「ま、室長の読みで当たりだね。皇子はことの重大性を理解しているし、たぶん本気でもない。適当なタイミングで僕らに妨害でもしてもらって、あわよくば隠蔽も期待している」とヌフ。

「……そんな読みを披露した覚えはないが」

「そうだっけ? ま、でも似たようなことは考えてたでしょ」

「そうだな。お前の見解を支持する。ただ、皇子の真意については今は憶測の域を出ない。ただ、少なくともグロウネイシスは本気でキールニールの目覚めを目論んでいると仮定する。そのために必要な準備、資材、施設、人員、時間――おおよそでいい。ヌフ、それらを算出しまとめてくれ。やつらの潜伏場所の手がかりになるはずだ」

「あとはキールニールの投棄場所ね。重大な国家機密になるから正確にはわかんないけど、深い海溝ってだけである程度は絞れちゃうんだよね。大詠洋の、たぶんフロレアル州とかエンベルあたりの東だね。九ヵ国封印についてはアッタンの専門家にでも聞けば?」

「そうだな。聞くべきこともまだ残っている」

「げ」といやな顔をするのはディアスだ。「またあの彼女のもとへ?」

「お前たちが大した情報も得ずに帰ってくるからだろう」

「いえ、室長。それは私の判断です」口を挟むのは曠野だ。「せっかくならレックを連れた方がスムーズにことが運ぶかと思いまして」

「なるほど。では、行こうか」


 ***


「おい! もう8時間だぞ。わかっているのか!」

 甲板上で苛立ちながら待ち続け、ようやく浮上してきた潜水艇に第四皇子ブエルは怒号をあげた。

「つい、熱中してしまいました」

 戻ってきたドルチェは、悪びれもなくそう答えた。ハッチから潜水艇の内部を覗いたブエルは「うっ」と鼻を押さえる。彼女は、潜水艇のなかで漏らしていた。

「時計は……壊れていないな。説明したはずだ。限界潜水時間は4時間だと」

「安全係数はとってありますよね」

「もちろんそうだ。レイティリアス魔工は有能だからな。だが、常識で考えろ。限界設定の2倍も潜り続けるやつがあるか。……というか、酸素はどうした」

「息をするのも忘れていました」

「……とにかく、過度な連続潜水は耐圧殻が保たない。損耗するぞ。こいつが壊れたら代わりを用意することはできない。意味はわかるな?」

「わかりました。次からは4時間おきに浮上しますね。それでは」

「ん? おい、待て! また潜る気か!」


 耐高圧深海潜水艇は2人乗りだ。だが、ドルチェの我を忘れた過剰な連続潜水に同乗者が耐えきれず、現在は彼女一人で潜航を続けている。動力並びに耐圧殻の補強、義腕の操作には搭乗者の魔力が要求される。ゆえに、彼らのうちで最も高い魔力を持つ彼女を搭乗員から外す選択肢はなかった。

 が、ここまでの連続潜航は想定していたものではないし、彼女の健康も害され事故のリスクも高まる。そんな常識的判断を受け入れる彼女ではなかった。「キールニールを見つけ出す」という熱狂のまま潜り続けた。一度潜れば浮上するまで連絡をとる手段はない。彼女を無理矢理引き剥がすことも考えたが、彼女の狂暴性を鑑みればその方がよほどリスクが高い。

 大海溝の直上に船を停泊させ、潜水艇の潜航と浮上を支援する。本来なら浮上のたびに潜水艇の点検と整備を行う予定だったが、せいぜいたまに要求してくる食糧や水を投げ込む程度だ。

 また、待っている間もただ退屈というわけではない。この海域は第三艦隊の管轄になる。巡視船対策に認識妨害障壁は施してあるが、それでも発見される可能性はあるため常に目を光らせる必要がある。こういったリスクもあるため定期的な浮上が必要だと説明するが、ドルチェはやはり聞く耳を持たない。4時間で浮上するといった3回目の潜航でも、そのことを再度説明する機会を得るのに結局7時間かかった。


 そして二日目。一睡すらせず、潜水艇から一度も出ることのないまま、驚異的な集中力を持続させドルチェはを探し続けた。少なくとも一週間はかかるだろうという予想を覆し、彼女はわずか二日で深き底にそれを発見する。

 その瞬間、彼女は歓喜のあまり失神しかけた。いや、失神した。彼女の中でなにかが途切れた。感極まり、脳は多幸感に満ち溢れた。夢見心地のまま引き上げ浮上し、肉体的に限界を迎えていた彼女はすぐさま船の医務室へ運ばれた。艇内の洗浄も必要だ。わがままお姫様が暴れ疲れてようやく眠りについた。そんな気分だ。ドルチェの横暴さにはずいぶん悩まされた。

 だが、今はそれを忘れるほどの興奮に船は包まれている。潜水艇の義腕は、たしかにそれを掴んでいた。

 幾重もの封印を施され闇の中で眠り続けた黒き棺。人類の過剰な恐れを体現するかの九ヵ国による多重封印。それでもなお漏れ出す禍々しい魔力。

 400年のときを経て、愚者たちの手によりついにそれは陽の光を浴びることになる。

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