5.

 霊峰アッタン魔術研究所。

 地質にラグトル鉱を多く含み、その過剰魔力が大規模な術式展開に都合がよく、国内最大規模の魔術研究施設として利用されている。様々な魔術の実証実験――攻城用の破壊術式であったり、防御の基本である各種障壁術式、空間転移、魔獣召喚などおよそ体系化された汎用魔術はすべてが研究対象である。また、皇国の認可を得た大出力のラグトル演算装置を保有していることでも知られる。

 歴史的にも重要な場所である。キールニールの九ヵ国封印、並びにイニアの遺骸を用いた疑似叡海干渉魔術もこの場所で執り行われた。

 ただ、山頂であるがゆえに交通は不便である。国家最重要施設でもあるため魔術障壁は常時展開され、その範囲も広い。麓まではレグナの空間魔術でよいが、そこからは徒歩になる。


「4年前の資料盗難事件ですか? 封印魔術の研究室でしたら東棟になりますが……」

 受け付けはいかにも怪訝な様子だ。4年前の事件をなぜ今さら、といったところだろう。曠野とディアスは気にせず案内された奥へ進む。もっとも、わざわざ聞くまでもなく目的地はわかっていたのだが。


「なんだお前たち。私は忙しい」

 ぼさぼさ髪の大きな丸眼鏡をかけた身なりのだらしない女性がいた。声をかけると、彼女は不機嫌そうな様子で応えた。封印魔術研究の主任を務める研究者で、受付で聞いたところ名をヒラノというらしい。事件当時から主任らしく、話を聞くにはふさわしい人物だったが、こちらと目を合わせようともせず幸先は悪そうだった。

「すまない、我々は〈風の噂〉内部犯罪調査室――」

「あんだって? 知らねえよ。クソ共業党が失脚してくれたおかげでよーやく予算が回ってくるようになりがやった。今までやれなかったこと今のうちにやっとかねえとならねえ。だから忙しい。わかったらどっか行け」

 この通りだ。紳士を自称する(あくまで自称だ)ディアスも、女性が相手とはいえ ここまで無礼で邪険な態度をとられると笑顔がひきつるのを感じた。ヒラノは気に留める素振りもなく、ディアスに背を向け作業に戻った。

「共業党ですか。我々も彼らの資金の流れは怪しんでいたのです。結果、贄木氏による莫大な違法献金が明らかになり――」

「ん? あれってあんたらの功績? へーありがと」

 こちらを振り向きもせず雑に返される。さすがのディアスも握り拳が震えてきた。

 一方、曠野はその様子を穏やかな笑みで見守りながら、周囲も含め注意深く観察していた。主任研究者ヒラノを中心に数人のチームが取り掛かっている作業は、なんらかの魔術実証実験だろう。黒檀製の箱を中心に見覚えのある術式が描かれている。曠野はこのあたりを会話の切り口にしてみることにした。

「ネアクレイモアの制動による封印魔術の耐久試験ですか」

「ん? あんたわかるのかい」これにはヒラノも振り返って応じた。専門馬鹿にはその専門分野で会話を振ればよいという経験則はここでも通じた。

「ま、基本中の基本だな。こういった静的環境で最大火力を発揮できる魔術はネアクレイモアだ。こいつに耐えうるのが封印魔術の最低条件だからな。今回は破壊魔術の研究班からよこされた最新の代物だ。け、だからなんだってんだ。封印が単純破壊魔術で突破されるようじゃ話になんねえからな。見てな」

 ネアクレイモアは爆発系を一点に指向させ、さらに障壁によって威力を閉じ込め目標に対して集中させることで最効率の火力発揮を目的とした複層術式による魔術だ。展開と発動の過程が複雑であるため動的環境の実戦での利用は難しいが、攻城など静止目標に対するものとしては現段階で最大の攻撃力を誇る。また、被害規模を制御できるのも大きな特徴である。

 術式を発動させ、棺に対してネアクレイモアが放たれる。激しい閃光と轟音が鳴り響くが、爆発の威力と硝煙は障壁によって漏れることはない。数秒爆発が続き、障壁を除いたのち換気により煙が取り除かれる。ヒラノは目を輝かせながらその様子を見守る。中からは無傷に木箱が現れた。

「ほれみろ! けけ、あいつら指さして笑ってやろ。力づくで封印が解けるわけねーだろっての。特定の解法を設定することで“それ以外”を拒むのが封印魔術だ。ただまあ、解法を複雑に設定しすぎると構造的に単純破壊に対して脆くなっちまうからな。そのギリギリを攻めるのがうちらの研究ってわけだが……で、なんだお前ら?」

 ヒラノは実験成功による上機嫌の勢いのまま、どうやら話を聞いてくれるようだ。

「〈風の噂〉内部犯罪調査室です。4年前、こちらで不法侵入者による窃盗事件があったはずです。その際、なにか資料が盗まれたと」

「4年前? たしかにあった気がするな。それがどうした? 当時も憲兵の取り調べがあったし、そのときにいろいろ話してるはずだが」

 事実だ。しかし、当時の聴取記録を調べると奇妙な点がいくらかある。「どんな資料が盗まれたか」という点について彼らは言葉を濁しており、捜査にもあまり協力的な姿勢を見せなかった。調査によりいくらかの研究記録資料が紛失しているのは明らかになったが、その具体的な内容まではわかっていない。そして、犯人も捕まっていないにもかかわらず、その捜査は中断されている。

「どういった資料が盗難されたのか。また、その内容。これらについて伺いたいのです」

「お前たちなんてったっけ? 〈風の噂〉? よくわかんねえな。憲兵の取り調べなら受けたっつってんだろ。なんで今さら……」

「はい。どのような資料だったのか、詳しくお話を伺えればと」

「……大したもんじゃねーよ。別に騒ぐほどのもんじゃない」

「そうですか。ありがとうございます」

 そういい、曠野は礼をして立ち去る。呆けているディアスも引き連れていった。


「どうしました、ディアス」

 研究所を離れ、落ち着かない様子でいるディアスに曠野が尋ねる。

「いや、あの彼女の泣き叫ぶ姿が脳裏をよぎると一部血流の抑制が利かなくなるだけだ。……じゃなくて」

「はい」

「彼女は明らかになにかを隠していた。もう少し突けば埃は出そうだったが、あれでいいのかい?」

「そうですね。おおよそ察しはつきますが、彼女を揺さぶるには少し材料が足りません。それに、諜報虫も仕掛けておきましたから」

「なんだって?」

「あなたと彼女が話している間に研究室の各所に。資料の盗難は4年前ですし、証拠の隠滅ならとっくに済ませてはいるでしょうが、なんらかのリアクションでもあればと思いまして」

「いつの間に……で、その諜報虫ってのは」

「文字通りですよ。後日、回収した際にでもわかると思います。ひとまず、彼女はなにかを隠している。それだけわかれば今日は十分です」

「聞き出すってだけなら、あの手のは案外ちょろいんだけどねえ……」


 曠野は嘘をついている。

 曠野は諜報虫など仕掛けてはいない。それはディアスを素直に引き下がらせるための嘘であり、なにより彼がディアスをまだ完全に信用していないがための嘘である。そのような魔術があると匂わせておけば、彼を牽制できると考えたのだ。そして、その魔術はアッタンの研究所に対して仕掛けてなお気づかれることのないもの、ということになる。

 実際に似たような魔術は持っている。だが、それについても特に仕掛けてはいない。ただ彼は、ディアスをまだ信用していないだけだ。


 ***


 レイティリアス魔工業。

 メスィ州沿岸に本社造船所を有し、造船事業に関しては国内有数の企業である。魔工製鉄、海に関わる建造業を得意とし、最近での大きな事業としては永続海底研究都市がある。また、第四皇子と深い関わりのある企業でもある。より正確にいえば、社長の娘が第四皇子の正妃として嫁いでいるのである。海底都市建造の受注も、第四皇子の斡旋があったとされている。


「すみません、〈風の噂〉内部犯罪調査室ですが――」

 レグナは従業員をつかまえて話を聞く。

 一方、暇を持て余すレックは周囲を見渡す。潮のにおいに誘われて視線をやると、奥の造船ラインでは魔術動力が船体に積み込まれる作業が行われていた。

 見覚えがある。以前にことのあるタイプの船だ。ここで製造していたのかと思うと感慨深い。いつかは自分でもあれくらい大きな船を持ちたいものだ。しかし、あれでは小回りは利かないし、維持コストもかかるだろう。いや、そもそも今後二度と海賊に戻ることはないかもしれないな――などと考えていた。

「第四皇子殿下ですか? たしかに、最近よく姿を見た気がします。社長に会ってたんじゃないでしょうか」

「社長は今どちらに?」

「社長室じゃないですか?」

 礼をいって別れる。社長に会っていたというのなら直接聞くのが早い。アポなしではあるが、内部犯罪調査室は皇王陛下の命で動いている。いざとなれば強引な手も取れる。


「内部犯罪調査室、ですか。はい、殿下から話は伺っております。ええ」

「殿下から?」

 だが、社長レイティリス氏の反応は予想とは違ったものだった。

 内部犯罪調査室は設立から10年程度であり、その仕事内容からもあまり公に知られた組織ではない。まずはその説明から必要になるかと思っていたが、彼は「皇子から聞いていた」、つまり皇子はこの事態を想定していたらしい。

 問題は、そのうえで皇子がどういった対策を講じているかだ。

 レックは会話にこそ参加しないが、注意深く相手を観察し、レグナに霊信を送る。〈偽証看破〉により相手の発言が「嘘でない」場合は霊信を一つ、「嘘である」場合は霊信を二つ送る取り決めになっている。些細な発言ではあるが、ひとまず嘘はないようだった。

「はい。きっと事情聴取に来るだろうと。その際には聞かれたことを特に隠す必要はないともいわれています」

 霊信:1。ただ、想定外の対応にレグナは怪訝な表情をする。ただ、聞くべき内容は変わらない。

「それでは。第四皇子殿下はここ最近頻繁に御社を訪問されていたようですが、どういったご用件で?」

「殿下の指示で建造を進めていた耐高圧深海潜水艇の視察です」

「潜水艇、ですか」少し考え、レグナはその意味を察した。「要求仕様はどのようなものでしたか」

「深度2000m以上の耐圧。潜水時間は4時間以上。また、海中のものを掴むための義腕を要求されました」

 疑惑が確信に変わった瞬間だ。そのような潜水艇を要求する意味は一つしかない。

「用途はどのように聞いていますか」

「海底探査ではないのですか? いえ、なにを探しているのか、という点については伺っておりません。ご自身で私的にご利用になるつもりのようでしたが」

「その要求自体はいつから?」

「たしか……9年ほど前ですね」

「9年……」ならば、それは内部犯罪調査室設立から間もないころだ。「開発は秘密裏に?」

「公表しないようにはいわれていました。ええ」

「で、開発は完了し、殿下に納品は済ませたと?」

「ええ。開発自体はだいぶ前に完了しましたので、念入りに耐久試験も終え、3日前に」

「わかりました。ありがとうございます」

 そうして二人はレイティリス魔工を去った。


「別に俺は要らなかったみたいだな。特に嘘は言ってなかった」

 魔工を離れた先で、レックはぼやく。

「そうらしいね。いや、彼が嘘をついておらず、それが殿下の指示だった、というのは有益な情報ではあるけど……室長の想定は外れたようだ」

「皇子の身内に近いレイティリス魔工なら、皇子を庇い虚実織り交ぜつつ煙に巻いてくるかもしれない――というのを警戒してたから俺だったわけだろ」

「レックが必要なのはむしろアッタンの方だったかもしれないな。お互い、便利な固有魔術で引っ張りだこだ」

 拍子抜けではある。ただ、情報は得られた。

 グロウネイシス。九ヵ国封印。耐高圧深海潜水艇。

 すべて一つの目的を示唆している。

 彼らは、海溝の底に投棄されたキールニールを引き上げ、その封印を解くつもりだ。そして、内部犯罪調査室は、その試みに皇子が関わっている以上それを止めなければならない。

 止めるまでもなく決して成功するはずのない企みだが、その真意は確かめなければならなかった。

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