三日目、第一試合、前編

 最強無敵のメイドの次にどんな相手が待ち受けているのか戦々恐々としていた一之瀬アザトであったが、アザトにとっての第二試合、大会三日目の試合の相手は、小柄で愛らしい少女、サキっちであった。


「また殴りにくい相手か……」


 ただでさえ過去の経験から暴力、それも女性に自分が振るう暴力を最も嫌うアザトにとって、見目麗しい少女との二連戦は精神へのダメージがあまりに大きい。


「なんじゃ、一ノ瀬とやら、相手のことを調べもせなんだか。よほど俺を侮っているのか、勝つ気がないと見える」


「なるほど。全力で戦わないと相手に失礼、というのは事前の準備も含めてのことか。その意味で言うと、この大会のために研鑽を積んでいない俺は最初から超弩級の無礼者、ということになる」


 サキっちが放つ正論に首肯を返しつつ、アザトは自らの不誠実を恥じた。やはり大会参加による元の世界への帰還などという方法ではなく、守護霊になんとかさせた方が良かったのではなかろうかとさえ思いつつ。


「その通りじゃよ。今更気づきおったか、戯けたわけめ」


「返す言葉もございません」


 愛らしい外見に似合わぬ、まるで歴戦の武人のような貫禄を持つ少女、サキっちの言葉に、ただただアザトは低頭する。それを、どうしようとてなく正論と認めて。


「それで、かかって来ぬのか? 来ぬのならばこちらから参るが」


「いや、襲い掛かられて仕方なく女の子を殴ったとか自分に言い訳したくない。ハンデを頂くようで恐縮ながら、先手はこちらに譲っていただけると幸い!」


 サキっちの、どこからどう見ても誘いでしかない言葉にあえて乗り、アザトは右の拳を弓のように引いて踏み込んだ。今から己が振るう暴力を、一身上の都合で少女に拳を振り下ろす邪悪をしかと見据え、アザトは……自らの腕を大きく切り裂いた。


「ぐっ……!」


 拳の軌道にただ差し出された剣。自ら力を込め、腕を切り裂いたのはアザト。


「全て読み通りじゃよ、小童こわっぱ


 アザトならば必ずこうする。サキっちは確信していた。だから、予想した拳の軌道にただゆるゆると剣を持ち上げただけだ。

 周到な準備とは相手の調査も含む。アザトが本来は暴力を嫌っていること、自分に弁護の余地を与えず、自分でその悪を糾弾するという面倒な性格をしていること、その程度ならばもはや戦いの場に立った時点で知らないほうがおかしいとさえ言えるレベルで、サキっちの調査は徹底している。弱点を探し、それを衝く。幾度となく軍師として繰り返してきた作業を、サキっちは呼吸するかのように当たり前に行った。


「おみそれしました」


 アザトはそんなサキっちの行動を賞賛し、左手で右腕を握って即席の止血とする。その間に守護霊による強制的な自己修復が働き、数秒と経たずにアザトの右腕は元通りになっていた。


「全く、その守護霊とやらだけは底が見えなんだわ。おぬしに勝機があるとすれば、まだ見せたことのない力で俺を圧倒することじゃろうな。あるか? 隠し札」


「恥ずかしながら、俺にも全く分かりません」


 アザトの返答に、サキっちは呆れ果てたと言わんばかりに肩をすくめた。


小童こわっぱよ、敵を知り己を知れば百戦危うからずという言葉を知っておるか?」


「存じ上げています」


 知らないのならまだしも、あろうことか、この戯けは知っていると抜かした。軍師としてのサキっちにとって、それは度し難い侮辱であった。

 基本中の基本を弁えながら実行しないなど、控えめに言ってナメている。


「ならば問おう。何故敵も己も知ろうとせんのだ。よもや、本当に勝つ気がなくてこの大会に出ておる、などという世迷言は言うまいな」


 こめかみをひくつかせながら、サキっちはアザトに問う。


「弁解をお許しいただけるならば、一朝一夕に知ることができるほど相方は分かりやすい存在ではなく、また、俺の頭脳も彼女を知るには甚だ不足していた、と」


 アザトは気まずそうに言い訳を口に上らせた。

 それに対し、サキっちは納得顔で頷いて見せた。


「なるほどのう。つまり小童こわっぱよ、お主は心底戯けなのじゃな」


 アザトは、深く深く頷いた。


「返す言葉もございません」


 その姿を見て、サキっちは不敵に笑った。


「面白いわ。軍師が最も苦手とするは心底の戯けよ。戯けは時に予想もつかぬことをしでかすからのう」


「お褒めに預かり光栄です」


「褒めとらんわ!」


 背筋を伸ばし見当違いの感謝を述べるアザトの間抜けぶりに、サキっちは剣を地面にたたきつけて怒りをあらわにする。そして、はっとアザトの顔を見やった。


「なるほど。俺の心を乱して隙を作ろうという腹か。これは一本取られたわ」


 愚者のふりをして相手を欺くのもまた、駆け引きの初歩である。そして、途方もない愚者を演じることで相手を苛立たせられれば、相手が冷静さを欠いた分だけこちらが有利になる。石田三成ほどの人物がそんな基礎を見落とそうはずもない。


「いえ、そのようなつもりは毛頭」


 だが、サキっちの目の前にいる若造はそうでもないようで。気まずそうにそれを否定した。


「正直なのが常にいいこととは限らんのだぞ?小童」


 剣を拾いなおし、ゆるゆると青眼に構えながらサキっちは忠告する。


「それより、動きが少なくて観客が退屈しておる。少しばかり、俺の手妻に付き合ってもらおうかの。俺はお主と違って、無策でここに上がってくるような無謀はしておらぬ」


 その宣言に、観客席から生唾を飲み込む音が聞こえたのは、アザトの気のせいではあるまい。なにしろ彼女が前の試合で使った切り札は、生物兵器。今度は何を隠し持っているのか。誰もが、固唾をのんで見守っていた。

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