二日目、第一試合、前編

 無機質なアナウンスに呼ばれて闘技場へと向かった一ノ瀬アザトが対角線上に見たのは、優雅な立ち姿にまるで隙のない、メイド姿の美しい少女であった。


「メイドさんが相手か……」


「わたくしではご不満でしょうか?」


 つぶやきを聞き逃さないメイド―アナウンスではアイと呼ばれていた―はおそらく聴力を含む感覚も相当に鋭敏なのだろうと分析しつつ、アザトは苦笑した。


「まあ、殴りにくいよな。女の子は」


 そう口では言いながらも、アザトは直立姿勢のまま拳を握った。


 その姿勢の意味を正しく理解できた観客は、どれほどいただろう。まるで無防備。愚策。下策。拳を形作る手を除けばむしろリラックスしているとさえ見える姿勢。


 しかし、一流の戦闘者でもあるメイド、アイは、その姿勢の意味をはき違えなかった。それは所謂「無為の構え」。無防備と見えるその姿勢は千変万化。不用意に踏み込めば無限にも等しい選択肢の中から一つのカウンターが飛んでくる。確率で言えば、踏み込んだ者の回避可能性は限りなくゼロに近い。


 ならば、アウトレンジから仕留めればいい。簡単な話だ。


「ご主人様に仇なす不届き者は、お掃除いたします!」


 先制攻撃は怒涛の連撃。メイディアン・ジャベリンで投擲したモップの軌道に絡みつくようにメイドスラッガーで放ったメイドカチューシャ。だがその大技はどちらも虚手。目くらましに過ぎない。

 即座に追尾型の飛び道具となるパンプスをサマーソルトの要領で蹴り出す変則的なメイディアン・シューツに続けて、初速を変えながら12のナイフを投じ、さらにその軌道の合間を縫うように湾曲した軌道で12のフォークを投擲した。

 もちろん、その間に口では攻撃魔法を高速詠唱しており、それらの軌道、速度も一つとして同じものはない。

 互いを追い抜き、交錯しつつ、絡みあうようにして襲い掛かる一群の投擲武器と魔法。虚実入り乱れたその弾道は見切ろうと注視するほどに、逆に幻惑される。


 躱すはおろか、見切れもすまい。


 流星群の如き怒涛の攻撃に、観客のほとんどが一瞬での決着を信じて疑わなかった。だが、それを信じない者も、確かにその場にはいた。


 アイとアザトも、その数少ない者の名簿の中に存在していた。


 アザトは先頭を飛ぶメイディアン・ジャベリンの下をくぐり、横手から首に襲い来るメイドスラッガーを屈んで躱し、そのまま横転してメイディアン・シューツをやり過ごし、本命のフォークとナイフ、そして魔法の入り混じる流星群を、凌ぐ。


 無数の武器と魔法の同時攻撃をただの高校生が二本の腕で捌ききれるわけもなく、また超人的な鍛錬を積んでいるわけでもない脚力では躱しきれるわけもない。しかしアザトは凌ぎ切った。流星群を抜けたアザトは、満身創痍ながら確かに立っていた。


 立っていたのが、仇となった。


 追尾型のメイディアン・シューツが旋回を終え、アザトの腹を穿ったのは、アザトが流星群を抜け、両の足で地面をしかと噛み締め、アイを見据えた瞬間だった。


「ぐ……っ!?」


 腹に風穴をあけられたアザトが、しかしなお不屈の闘志を隠そうともせず睨み据えるのは、どこか涼やかな表情で戻ってくるカチューシャやパンプスを身に着けなおすアイ。両者の力の差は、傍目には歴然であった。


「随分と頼もしい相棒をお持ちのようですが、使いこなせないのでは宝の持ち腐れです。わたくしはご主人様のためにこの大会に優勝するつもりですので、これ以上続けるおつもりならばあなたを殺害しなくてはなりませんが、続けられますか?」


「主人、か。お姉さんほどの人が仕える人なら、さぞ素晴らしい人なんだろうな。羨ましいよ。そんな人に出会えたお姉さんは幸せ者だ。なるほど願いを叶える権利は、そういう人のものであるべきで、俺のような外道には相応しくないな」


 それは、投了ともとれる発言だった。だがアザトの目はあくまで挑戦的にアイを見据え、腹に空いた風穴は不快な音とともに塞がりつつあった。相手の主張が正しいと認めながら、しかし戦うことをやめない、紛う方なき悪人の姿がそこにはあった。


「だが俺は悪党だ。無理を通して道理を曲げて横車を押す、誰からも憎まれる外道であり続けなければならない。だから、お姉さんほどの善人には、憎んで恨んでもらわなきゃ気が済まないな」


 その言葉を最後に、今度はアザトが先に踏み込んだ。


「仕方ありません。メイドが冥土へ送ってさしあげましょう!」


 閃光の如く踏み込んでくるアザトを、アイは油断なくナイフを構えて迎え撃った。


 アザトが突進の勢いを乗せて繰り出した右正拳は、鍛えた体の体重と筋力のすべてを乗せた、会心の一撃。これが並みの喧嘩なら、その一撃で決着がついただろう。


 だがアザトは確信していた。これでやられてくれるようなたやすい相手が、先ほどのような変幻自在の猛攻を見せるわけがない。


 だから、彼女は確実に、これを凌ぐ!


 果たしてアザトの予測は的中していた。刹那、閃いた剣光は、アザトの拳を受け流したナイフだろうか。アザトの拳は、アザトの予想通り、アザトの意図した方向から些かずれて空振りに終わった。つまり、これはそういう戦いなのだ。


「おおあっ!」


 アザトが打つ。


「ハッ!」


 アイがいなす。


 虚実入り乱れた攻防。その神速の応酬は、つまるところ先の読み合いであった。


 受け手(アイ)のナイフは攻め手(アザト)の拳に乗せられた体重を敏感に察知し、そこに重さが乗るのに先んじて封じにかかる。


 それに絡め捕られまいと、即座に攻め手も型を変え……こうして両者の一手はその技の出始めで矛先を変え、すぐさま次手へと移るため、軽く、ほんの軽くアザトの手とアイのナイフが触れ合うだけの一撃が猛スピードで連環する形になる。


 その応酬が軽快なばかりで迫力に欠けるかといえば、全く逆だ。


 両者の間に鬩ぎ合う気迫の熾烈さに、観客のほとんどは総毛立ってすらいた。


 秒間数十に及ぶ連撃の内、どれか一手を応じ損なえばそれが一撃必殺の決め技へと化ける。まさに一髪千鈞を引く集中力の競い合い。その緊張の密度は尋常ではない。


 その応酬の中、アザトは己の不利を敏感に察知していた。


 技比べで一流の戦闘者に一介の高校生が勝てるわけがないのだ。今曲がりなりにも互角に渡り合っているのも、自分というより守護霊のとんでもない演算能力に体を何とか追随させているに過ぎない。このままでは、いずれ限界が来る。


 ならば、どうする?


 相手の一挙手一投足に最大限の注意を払い臨機応変に対処できる体勢を整えつつ次の一手を凌ぎ機を待ちその機あらば即座に必殺の一手を……否。それは一流の戦闘者の得意技だ。アザトが勝てる方法ではない。


 必要なのは技術スキルではない。剛力フォースだ。速度。速度を! この最強無敵のメイドをも凌駕する、圧倒的な速度を!


 集中力を瞬発力を思考力を体力を限界まで圧縮し、アイの速度に追随する。いや、少しずつ、少しずつアザトの攻め手は回転を増し、アイの受け手を追い込んでいく。


(このまま押し切れるか……?)


 祈るような心地で、アザトは己を叱咤する。一撃必殺ができない自分にできる、唯一つの戦術。百撃必滅。その成功を、祈る。誰に? 神仏に頼る資格など、とうに失ったというのに。


 そんなアザトを嘲笑うかのように、アイは小さくつぶやいた。


「メイディアン・モード・チェンジ、ハイスピード・モード」


 それは、一ノ瀬アザトへの死刑宣告であった。

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