科学世界11 少女の想い

 私の名前は大和奈子。今日は、嬉しいことがありました。

 嬉しいこと? 自問自答します。うん。きっとそうです。だって、私の心はこんなにもはずんでいるのですから。


「ふふ」


 夢見ソラさん。面白い人と出会いました。面白いというより、おかしな人。出会った時のことを思い出し、私は小さく笑います。

 寝不足だと言っていたソラさん。私が、ベンチを占領していたことも悪かったのかもしれませんが、彼は私の体の上に堂々と座ってきました。いくら寝不足でも、気づかないなんてことがあるのでしょうか。しかも、そのあと彼が見せた、一欠片も自分は悪くないといった態度。


 反省しろ――


 ソラさんが実際に私に言った声と、その表情が頭の中で再生され、私はそれに返事をしました。

 はーい、反省します。うーん、どうしようかな? 反省するのはあなたではなくて? いくつか違うパターンを用意し、彼ならどう返してくれるかを想像します。

 結果は、何を言っても面白そう。楽しく会話を続けられそうだということでした。調子づいた悪い表情、訝しげな表情、よくも言ったなと不敵に笑う表情。想像するだけで、愉快な気持ちになれます。

 何を言ってくれるのかまでは分かりません。彼特有の世界観。でも、そこが彼の魅力なのかもしれません。


 初めてだった。世間一般での普通、でもそれは、私にとって初めてのこと。あんなにも砕けた口調で話してくれた。冗談半分とはいえ、私を叱ってくれた。仕事でも、政治のことでもない、何の益にもならない会話を続けてくれた。

 周囲にいる者達は、私を恐れるか、疎ましく思うかのどちらか。家族でさえ、互いに一定の距離を置いています。


 その程度と思うかもしれませんが、その程度、が私にとっては嬉しかった。楽しかったのです。

 久しぶりに、大きな声をだした気がします。思えば、冗談なんて言ったのはいつ以来だったかな。話し始めてすぐに、彼には冗談を言っても受け入れてくれるという安心感を得られました。

 ついつい、茶目っ気が出てしまいました。引き出されてしまったという方が正しいです。私の中にも、あんな部分があったんだなと気付かされました。一つ、発見です。


 年齢は、おいくつなんでしょう。見た目は私と同じくらいに見えましたけど、ボディガードをしているくらいだもの。おそらく、年上なんでしょうね。また、会いたいな。


「お嬢様、何か良いことでもございましたか? 随分と、ご機嫌なようですが」

「そう、見えましたか。ふふ」


 ああ。私ったらどうしてしまったのかしら。体が熱い。何だか落ち着かない。心がふわふわとして、飛んでいってしまいそう。なぜでしょうか。


 もう、気づかないふりをしてもだめ。本当は、気づいているのでしょう。あなたの頭の中にいるのは誰? あなたを浮足立たせているのは誰? 自分自身に問いかけます。

 なんて、単純なのでしょう。そう言った話を見聞きしても、自分は違うと思っていた。そうはならないと、内心鼻で笑っていた。でも、この気持ちはなんだろう。沸き立つ想いはなんだろう。


 もう、間違いない。私は……彼に。


「こういうのは、一目惚れって言うのでしょうか」

「すみません、聞こえませんでした。今、なんと?」


 いけない、いけない。考えていることが、口に出てしまっていました。


「独り言です。お気になさらないで」

「そう、ですか。わかりました」


 今、私の隣を歩き、話しかけてくれたのは、ショウタという名のボディガードです。数ヶ月ほど前から、私を守る護衛の一人として雇われました。

 そこそこ長い時間を共にしているのにも関わらず、私は彼のことをよく知りません。彼以外の方も、知っているかといえば嘘になるのですが、彼は特にです。

 明るい見た目とは裏腹に、彼は自身のことをほとんど語りません。ですが。


「この辺りまでくれば、もう大丈夫なのでは?」

「この先に、行きつけの落ち着いた喫茶店があります。そこでお話しますね」


 ショウタは、私に話したいことがあると打ち明けました。私が気にしていたことを、彼もずっと気にしていたのだそうです。

 本日の護衛は、彼一人。二人きりになる機会がなかなかなくて、と照れくさそうに言っていました。私は、快く了承しました。


「でも、これ以上はあなたの試験が……」


 私は、話しながらでも良いですよ、とお伝えしたのですが、彼は首を横に振りました。

 込み入った内容です。うつつを抜かして、お嬢様を危険にさらすわけにはいきません、と。


「お気になさらないでください。試験は、また来年にでも受けます。それよりも、今の私には大事なことがあるのです」

「そうですか。このような場を、私から提供できなかったことをお許し下さい。気が回りませんでした」

「何を。お嬢様が謝る必要などございません。これは私のわがままなのですから」


 私は少し微笑むと、小さく頭を下げました。本来であれば、主人が頭を下げるような真似はしないのですが、ここには見ている者などいません。感謝の気持ちが、少しでも伝われば良いと思って。

 今日は、嬉しいことが続く予感がします。でも、まだ分かりません。話の内容によっては、そこには悲しい事情なんかがあるのかもしれません。だから、予感です。

 だって、私の心に居着いた彼が、大丈夫だって言ってくれたから。心配ないと、言ってくれたのだから。彼には、こうなることが分かっていたのでしょうか? いえ、それはさすがに良いように見すぎですね。


「ボディガード……」


 そうそう。ボディガードと言えば、彼はなんと、あの富豪家のボディガードでした。驚きです。

 長い間私とお話していたことから考えるに、第一試験を早々に終わらせ、加えて、第二試験で一位を取れる実力。

 最近は、私もそこそこアンテナを張っていたつもりだったのですが、あれほど若くて優秀な者が、まだ燻っていたなんて。姫乃さん、どこで彼を見つけてきたのかな。羨ましいです。


 大丈夫、大丈夫。富豪家ということで最初は怯んでしまいましたが、あの様子から察するに、姫乃さんは彼を恋愛対象としては見ていません。

 それなら、私にだってチャンスがあります。まずは、彼の任期を聞いておくところからでしょうか。――あ、連絡先を聞くのを忘れていました。


 私がまた楽しい妄想の世界に入ってしまい、その結果、彼の連絡先を姫乃さんから教えてもらおうと、端末をポケットから取り出した時、気づきました。

 数度に渡る姫乃さんからの着信履歴と、隣を歩くショウタの悲痛な声。


「姫乃さん、何だったんだろう……」

「お嬢様、私はボディガード失格のようです」


 狭い路地でした。薄暗く、横幅もほとんどないような一本道。いつの間にか私とショウタは、数人の怪しい者たちに前後を囲まれていました。


「お面……あなたたち、誰ですか?」


 怪しい者たちは全員、顔を丸々と隠す大きさのお面を装着していました。顔を隠すという行為は、何か良からぬことを企んでいると考えさせられます。いえ、実際そうなのでしょうね。


「うおおお」


 震える私を置き去りに、ショウタが声を上げ、前方を遮る数人に飛びかかりました。ショウタの全身を使った体当たりに、お面の者たちが転びます。


「お嬢様! 今のうちにお逃げください!」

「で、でも」

「私のことはいいですから! 早く!」


 私は、ショウタを含めた彼ら全員が倒れている側を横切り、一人走りました。

 私では何もできない。誰か、助けを呼ばなくては。このままでは、身を挺して私を逃してくれたショウタが。


「そんな……」


 助けを呼ぶどころか、私自身も助からない。絶望が、体中を駆け巡ります。

 片や高い壁、片や工事中と思しき深い穴。工事中という看板はあったものの、周囲には誰の気配もありません。私の走った先は、行き止まりになっていたのです。


「ここには誰も来ねえよぉ、お嬢ちゃん」


 振り向けば、男たちの声。続々と、人数が増えていきます。ということは、ショウタは。彼はどうなったの。

 体が震えます。同時に、一部からは別の振動を感じました。それは震える私が握りしめていた、端末の振動でした。


「あっ」


 そうだ、姫乃さん。私は画面に表示されていた着信履歴から、姫乃さんにかけ直します。


「は! 意味ねえってそんなもん」

「助けを呼んだとしてな? 誰がこんな場所分かるってんだ」


 そんなのは、言われなくても分かっています。でも、それしかなかった。私には、それくらいしかできることが残されていなかった。

 姫乃さんの力なら、富豪家の力なら、もしかして。姫乃さんの顔が、頭に思い浮かびます。そして、私の頭の中に浮かんだ意識は姫乃さんを通り過ぎ、笑顔の彼が現れました。


「ソラさん……」


 下卑た笑い顔の男たちが近づいてきます。私が後ずさりすると、背中に壁が当たりました。


「ソラさん! 助けて! ソラさん!」


 目には涙が滲んでいました。私は叫びます。彼が今、試験中だということは分かっています。それでも、私は叫びます。


「うるせえなぁ。……あ? ソラ? ソラって確か」

「しっ、黙っとけ」


 ソラさんを知っているの? なぜ、という気持ちはありましたが、すでに私は何も考えられなくなっていました。恐怖に力が抜け、ぺたんと地面に座り込んでしまいます。

 男たちは、さらに近づいてきます。何人いるのでしょうか、複数の足音。そしてなぜ、それは近づいてくるのでしょうか。誰かの、端末の着信音。

 音はより大きくなっていき、私の前に、その姿を現しました。


「ふう。何とか、パーティには遅れずに済んだな」

「わあ、見渡す限りのクズ共ね。奈子さえいなければ、爆撃の指示を出していたところよ」


 暗い路地に、明るい声が響き渡りました。


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