科学世界10 より後悔の少ない道

 じりじりと、焦燥感に駆られる。俺は、もう何度目かも分からない溜息を吐いた。

 そして、やはり後悔する。あいつは、手の届く距離にいたというのに。少し勇気を出せば、事前に食い止められていたかもしれないのに。


「大丈夫よ。だから、ちょっと落ち着きなさい」


 最終試験は、各組が被らないよう、時間をおいて順番に出発する。参加者同士、行き帰りで出会うことはあるだろうが、そのくらいは許容範囲という話。裏を返せば、試験官がちょっかいを出してくるのは、前半がほとんどであることが考えられる。

 しかし、今は試験のことなんてどうでもいい。俺と姫乃は、もと来た道を引き返していた。試験合格のための道ではなく、俺にとって、いや俺たちにとって、より良い未来へと繋がる道。より、後悔の少ない道。それを選択したつもりだ。


 奈子を、助ける。どこかで聞き覚えのある声。俺がトイレで聞いた声は、確かにあいつのものだった。奈子のボディガードであるあの男は、主人である奈子を陥れようとしている。

 違ったら違ったで、もうどうしようもない。何も起こらなかった。勘違いだった。俺が試験に落ちて、一件落着。それならそれで、別に構わない。

 元々、全てを救う気なんて俺にはない。でも、知り合ってしまった。見過ごせないくらいには、他人ではなくなってしまった。姫乃と話して、欲がでてしまった。この手に掬える範囲であれば、救いたいと。


「あの娘が出発するのは、私達よりも後だったはず。きっと間に合うわ」


 姫乃の言うように、奈子の組が出発するのは、俺たちよりもいくつか後。とはいえ、さすがにもう出発している頃だ。


「とりあえず、葵には連絡したわ。五分ほど待って、だって」

「早いな。助かる」


 姫乃が葵に頼んだのは、居場所の特定。奈子と連絡先の交換をしていた姫乃が、今いる場所を特定できるかもしれないと言ったのだ。

 どのようにして調べるのかは聞かない。度の越えたお金持ちには、法律なんて関係ない。なんだってできるのだ。

 街中を走り回ろうとしていた俺にとって、五分という時間は長くも短い。焦れったくはあるが、いい加減に探すよりはよほど早いだろう。


 姫乃がいてくれて、よかった。話を打ち明けてよかったと、今は思う。助ける、助けないで悩んでいたことがバカらしい。具体的な解決策もなく、居場所すら分からないような男が、何を。俺は、過去の自分を責めた。


「だめね。繋がらない。葵からの連絡を待ちましょう」


 電源を切っているのか、奈子には繋がらないようだった。

 どの方向にでも迎えるよう、街の中心辺りまで戻ってきた俺たちは、そこで歩みをとめる。あとは、ただ連絡を待つのみとそわそわする俺に、姫乃が話しかける。


「私からすれば、連絡先を交換していなかったことが驚きね。あんなに、仲良さそうにしていたのに……」

「そうか? そうでもな――」

「良さそうだった!」


 私なんて、あれだけ言ってやっと……。姫乃は小さくそう呟いていたが、聞こえなかった振りをする。


「それで? 秘密ってなに?」


 目を逸し、何もない前方を眺めていた俺は、姫乃を見る。にこにことした、怖い笑顔がそこにはあった。

 秘密と聞いて、思い当たる節はある。この流れでふざけようものなら、きっとこいつは怒るだろう。おそらく、俺と奈子の交わした、あれのことだろうが。


「秘密なんだから、言っちゃだめだろ」

「ふうん。それは、主人である私にも言えないことなんだ」


 主人、の部分を強調してくる姫乃。俺は頬を引き攣らせる。


「俺は、言っても構わないと思っている。でも、奈子が可哀想だろ」

「庇うんだ。優しいね。ま、それもそうよね。今日出会ったばかりのはずなのに、秘密を共有しちゃうような仲だもんね? 私とは違って」


 お前だって会ったばかりだけどな、という言葉は飲み込む。疎外感か、もしくは劣等感でも感じているのか、姫乃の一言一言が刺々しい。

 今となっては大した秘密ではないのだが、嬉しそうな表情をしていた奈子を思うと、俺から言ってしまうのは憚られる。というよりも、お前はすでに知っていることだし、その他ありとあらゆる俺の秘密まで調べ上げていただろうが。誰にも言うつもりのなかったことまで。勝手に。


「ふーんだ。分かったわよ、もう聞かない。でもね、これだけは覚えておきなさい。あなたのご主人様は私。私なんだからね!」


 独占欲、だったのかな。飼い犬が、自分より他人に懐いているのを見れば、いい気はしないだろう。金持ちのお嬢様ってのは、そういう気質も強そうだしな。――これは偏見だ。


「分かってるよ」


 何にせよ、ありがたいことだよな。俺は自然と笑みが溢れた。


「感謝している。姫乃」

「え、うん。そりゃあ、私だって放っておけないわよ。こんな……」


 それもある。だが、もう一つ。


「あ。葵からだわ」


 隠しておきたかったこと、隠しておかなければならないと思っていたこと、その全てを知った上で、俺を必要だと言ってくれた。

 もう一度、口にだすのは恥ずかしく、とても言えなかったが、俺は心の中で感謝した。


「ソラ、場所が分かったわ」

「よっし。案内を頼む」


 ……。


 姫乃の端末に送られてくる情報を元に、俺たちは街を走る。足の遅い姫乃にペースを合わせているとはいえ、それほど焦ってはいない。安心さえしていた。


「ああ、良かった」

「良かった? 何言ってるの?」


 そんな予想外れてほしかった。しかし、予想通り奈子たちは、試験のチェックポイントがある場所からは、大きく外れた道に逸れ始めていた。まだまだ勘違いの可能性も残っているとはいえ、俺は確信する。それは、この後、実際に行われるのであろうと。

 だというのに、俺が安心したのには理由がある。


「標的は、さらに西へ向かって歩いているみたい」

「標的て。俺たち、殺し屋か何か?」


 そう。奈子たちは、まだ動いている。裏を返せば、まだ事は起こっていない。まだ、間に合うのだ。

 頼りにしている護衛に裏切られ、奈子の心は傷ついてしまうかもしれない。だが、最悪の事態だけは避けられる。


「少しずつだけど追いついている。でも、間に合うかしら?」


 間に合わせてみせる。


「ごめん姫乃。あとで謝る」

「え、きゃあ!」


 距離はそこまでない。しかし、辺りは随分と人気がなくなってきた。そろそろまずいか、と思った俺は、隣を走る姫乃を持ち上げる。


「悪いけど、この方が早い」

「そんなわけないでしょう! って、あれ……はや」


 俺の走る速度を見て、腕の中でおとなしくなる姫乃。肩に背負うか、お姫様抱っこするかを悩んだが、お姫様抱っこを選択。なぜなら姫乃は、この国では一、二を争うお姫様だからだ。


「人を一人抱えてこの速度って。あなたの体、どうなっているの。本当に」

「日々の努力。あとは、竜を食ったんだ」

「は?」


 こいつ、頭がおかしいんじゃないの? というような顔を向けられる。全ての秘密と言ったが、俺にはまだその件があった。言ったところで、信じてもらえるかどうかは、疑問だが。


「緊急車両が通りまーす! 道を開けろぉ!」

「私は、誘拐されているわけではありませんので!」


 目立っていた俺たちは、言い訳のようなものを口に出し、街を駆けていった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る