第3話屋上の戦い

 久しぶりにやってきた屋上は、相変わらず僕を夢の中へと瞬く間に引きこんだ。町随一の大型デパートの最上階に位置する催事場には観覧車をはじめ、メリーゴーラウンドやコースターの乗り物など、遊園地で見かけるようなアトラクションが設置されていた。もちろんすべて小型ではあるが、滅多に行くことができない僕にとっては一つ一つがキラキラと輝きを放ちながら動いているようだった。母と一緒に来たが、母も普段立ち寄ることがない場所であったためだろうか、あそこにゴーカートがある!前行ったときはなかったはずよ!と僕に話しかける声の調子がいつもより高かった。ここに来られたのも昨夜突然届いた屋上遊園地の無料招待券のおかげであり、この券がなければ今頃ぼろいアパートの一室で母の内職を手伝っているはずだった。

 

 「まもなく、特設ステージにて職業戦隊ワーキンジャーのショーを公演いたします」


 電柱に取り付けられたスピーカーから女性の声が響いた。内容は僕が今日一番楽しみにしていたものだ。毎週月曜日になると同級生の男子が必ずワーキンジャーのハイライトをまねしていた。しかし、僕の家にはテレビがなく、内容を知ることができなかったため、正義の枠に入ることができないまま隅っこに位置する自分の机に屈服していた。否が応でも耳に入る同級生のセリフは僕の心を震わせた。「見てるだけじゃだめだ。行動せよ」何もできない無念さを感じるとともに自分の思い描くヒーローたちの雄姿に一人恍惚とした気分に入った。そんな彼らにこれから会える、心臓の鼓動が高鳴り、隣の母に気付かれないか心配した。母もアナウンスの声に気付いたらしく、ステージに急ごうと僕を急かした。僕はかぶっていた野球帽を深くかぶりなおす。周りの人々に見せられる顔をしている自信がなかった。


 ヒーローショーはあっという間だった。気づけばワーキンジャーのリーダーであるレッドが必殺技であるバーニングパンチを怪物に放っていた。倒れる怪物と右手を高くつき上げるヒーロー。「見てるだけじゃだめだ。行動せよ」彼から発せられた声は輝く光となって僕の心を突き通した。


 観客が公演終了の合図とともに三々五々散っていく。僕は中々パイプ椅子から動こうとしない腰を何とかあげてその場を立ち去ろうとした。緊張の糸が切れたのか、空腹感が僕を包んでいく。無意識のうちにお腹をさすっていた。母が勘づき、辺りをきょろきょろとする。自分らがいる場所から少し離れた場所に屋台があった。


 「お腹が減ったでしょ?お母さん、あの屋台で何か買ってくるわ。ここちょうど座れそうだし、少し待っててもらえる?何か食べたいものある?」


 「ホットドックが食べたいな、ああでも何でもいいよ」


 母は僕の頭を優しくさすり、屋台の方角へ歩いて行った。屋台前は小さな行列ができている。母はしばらく帰ってこないだろう。僕はまたパイプ椅子に座りステージを眺めてショーの余韻に浸ろうとした。ヒーローが登場した時の湧き上がる歓声。怪物に一撃をくらい狼狽えるヒーローの身体。じわりとにじみ出る手汗の感触。そのすべてが新鮮だった。BGMの地響き。スモッグの濃艶。うだるような人いきれ。誰もいないステージが一つ一つを追憶しながら僕に語り掛けてくる。僕は時折うなずきながら、感想を共有していた。やっぱりレッドはかっこいいよな。僕の思った通りの男だった。憧れの光を纏った存在。その形は実際よりも何倍も大きく感じた。


 「ショーは面白かったか」


 突然後ろから声をかけられたため、大きく身体が震えた。母の声ではない。僕はおそるおそる振り向く。振り向いた先にはレッドがいた。正確には、仮面だけを外したレッドの姿があった。髪はぼさぼさで無精ひげが生えている。顔は整っているようにみえるが、だらしなさが目立つ顔をしていた。


「いやー、疲れたよ本当に。第一面倒な動作が多すぎるんだよな。なんだっけ必殺技、ああバーニングパンチだ、あのパンチをするのになんであんなに腕を上に下に回さなきゃいけないんだよ。面倒だろ、怪物にやられるかもしれないし」


「はぁ・・・」


 この人は本当にレッドなのだろうか。レッドに憧れてコスプレをしているだけのおじさんなのではないだろうか。でも、今僕の目の前に立っている男は確かにレッドだった。身体のところどころに白い汚れが見える。この汚れは先ほどのヒーローショーで敵が放ったヘドロ(おそらく絵の具か何かであろうが)によるものに違いなかった。


「でだ。俺は悠太にある頼み事があってここに来た。悠太はあれだろ、最近女の子泣かせちまっただろ。でもその女の子に謝っていない。それで・・・」


「ちょっと待って。レッドはどうして僕の名前を知っているの?それに、同級生の女の子を泣かせてしまって、未だに謝れずにいるのはそうだけど、どうしてレッドは知っているの?」


 レッドは一瞬目を見開いたように見えたが、すぐに先ほどの仏頂面に戻った。


「ヒーローはそれくらいの情報嫌でも入ってくるんだよ。ほら、サンタ。サンタクロースのおやじと仲がいいんだよそれで」


 僕は口には出さなかったものの、警戒を強めた表情をしてしまった。脳裏には学校の先生が口を酸っぱくして言っている、怪しくてやたら飴をあげようとするおじさんが浮かんだ。


「そんなことはどうでもよくでだな。うむ・・・、なかなか面倒だな悠太は。とにかく、さっき言った、泣かせた女の子に謝ってほしいんだ。それくらいできるだろ?」


 僕は口を閉じ、下を向いた。謝りたい気持ちはそこそこある。だけど、なんというか、腑に落ちない。そもそもあのとき彼女にも非があったんだ。それに、僕が軽くごめんごめんと言ったのに、彼女は聞く耳も持たずに許さないと言った。今さら改めて謝れと言われても。それに、一体レッドは何なのだ。会って早々、僕が描いていたレッド像を壊し、さらには謝れだなんて要求してくる。レッドが何の目的でお願いしているのか全然見当がつかなかった。やはりこの男はレッドではないのかもしれない。だとすると、先生の言っていた例の悪い男だ。逃げなければ。助けを求めなければ。僕は辺りを辺りに人がいないか確認した。


 すると、近くに男女が話し合っているのが見えた。男の方はパーカーにニット帽をかぶっていて、女の方は黒のパンツにデニムジャケットと、いかにもデート中のカップルに思える。二人の声まで聞こえてきた。どうやら口喧嘩をしているらしい。


「アイスクリーム服につけちまったくらいでそんなに怒るなよ、なあ星奈」


「この服は私がとても、とーっても大切にしていたものなのよ?なのに佑二は謝りもしないで、さらには私が悪いみたいな口ぶりじゃないの」


「だってそもそも星奈がよそ見をして僕にぶつかりそうになったから、あわてて避けようと思ったけど間に合わなくてついちまったんだろ。洗えばすぐとれるだろうし」


「そうゆう問題じゃないでしょ・・・。もういいよ、私が我慢するから」


「そうか。それならいいんだ」


 僕はレッドに向き直った。そして男女の方へ指をさす。


「ほら、あの人たちだって謝ってないけど、喧嘩は収まったよ。僕たちだってきっと謝らなくたってどうにかなるんだよ」


「ユールとセネーめ・・・猿芝居をこしあげやがって・・・」


 レッドはぶつぶつと独り言を呟いた後、ひざを折ってしゃがみ、僕と同じ目線の高さになった。そして僕の目をまじまじと見つめる。


「俺はな、仲直りをしろって言ってるんじゃないんだよ。心から謝ったらどうだ、と言っている。そのあと仲良しになろうが絶交しようが悠太たちの勝手だ」


「じゃあ僕がやる意味がないじゃないか。僕が謝ったら何があるって言うの」


「そりゃ・・・地球が救われる・・・んじゃないか?あ、今の忘れて。俺もよくわかってねえから」


「地球を救う?」


 レッドは何のために僕に謝ってほしいのかがわからない、僕もなぜここまで頑なに謝ることを拒んでいるのかわからない、レッドがいきなり地球と言ったのはなぜだろう、今までに浮かんだ疑問が溢れ、最終的に突飛な質問となった。レッドは自分の頭を掻きながらぶっきらぼうに応える。


「ったく・・・。悠太はヒーロー好きか?」


「うん、好きだよ」


「ヒーローになりたいか?」


「もちろんだよ、レッドみたいになりたいって思ってた。今はちょっとわからないけど・・・」

 

「ヒーローはな、地球を救えっていう指令が出されたとき、いきなり巨大な悪に向かって戦ったり、衝突してくる隕石に向かって飛び込んだりはしないんだ。まずすることは、お年寄りの荷物を持ってあげたり、転んで泣いている子供を慰めてあげることなんだ。なぜかわかるか?それはな、小さなものを救えないのに大きなものを救うことはできないって知っているからだ。小さな助けが積もって大きな力に変わり、その力で大きな助けを成し遂げるんだ。これがヒーローの仕事だ。悠太はこのまま謝らないで平然と過ごすことはできる。小さなものを気にしなきゃいいだけだからな。ただ、悠太はヒーローにはなれない。大きなものは救えない」


「・・・」


「まぁ、あとは自分で自分で決めな。それもヒーローの仕事だ。あ、あとな、レッド目指せばいいじゃないか。なんで迷ってるんだよ」


 じゃあな、というとレッドらしき男はその場から立ち去った。男はカップルが進む方向に沿っていくように歩く。男はカップルを助けるのかもしれない。


 最初から最後まで適当だったな、あれがヒーローなのか。僕は男の背中を見ながら呆然とそう思う。大きな背中だな、地球くらい背負えそうだ、なんとなくそう思った。


「お待たせ、食べよ食べよ」


 振り向くとホットドックを持った母がいた。母はさっきまでレッドと話していたことは知らないようだった。レッドがタイミングを見計らったのだろうか。いや、あんな適当そうな男にそれはできなさそうだ。


「とてもおいしそうだね。お母さんもお腹減ってきちゃうよ」


 そういいつつ、母はホットドックをまるごと僕にくれる。母はいつも僕の小さな頼みを不愉快な顔一つせず受けてくれる。ヒーローの素質ありだ。

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