第2話 来訪者

 朝。

 ううん、昼かな。日があんなに高い。

 寝すぎてしまったみたい。でもそのおかげで体が軽い。

 かぜひかなくて良かった。

 姉はもういない。仕事に向かってしまったのかな。

 姉さんはほかの人たちと一緒に畑仕事をしてる。

 わたしは、みんなと一緒に仕事が出来ないので、離れて小さなはたけをたがやすの。

 でも、今日はちょっと畑を広げて見ようと思って、鋤で新しく土を掘り始める。

 すると、小さくまるまっている蝶々プシュケーの幼虫が出てくる。

 「起こしちゃったね。ごめんなさい」

 もう一回土を掘って埋め返してあげる。

 「はは、虫さんとお話かい?」

 振り返ると知らない男の人が立ってる。

 見慣れない服に見慣れない顔。

 「おどかしてごめん。ちょっとかしてごらん」

 「ん」

 すっ、と鋤を手渡してしまったけど、渡さないほうが良かったのかもしれない。

 そう、渡した後で思った。

 男の人は、わたしがするよりはるかに高く鋤を持ち上げ、大きく振って、あっと言う間に一列掘り終えてしまう。

 「あ、待って。虫さんがいるよ。ぶつけちゃだめ」

 「そうか。そうだね。気付かなかったよ。ごめん」

 「ううん。だいじょうぶ。手伝ってくれてありがとう」

 わたしはさっと、虫さんの幼虫を拾って、畑の外に埋める。

 男の人はずっとニコニコしている。

 「おじさんはどこからきたの?」

 「ペイドスっていう町から来たんだけど……知らないかな?」

 「……知らない」

 「そうだな……オリンピアから南に3日ほどあるいて行ったところかな」

 「オリンピア?」

 「……まさか、オリンピアを知らないのかい?」

 「うーん、わたしこの村からほとんど出たことないから……」

 「ふーむ、じゃあこの山のふもとにあるデルフォイの町は知っているだろう?」

 「うん、知っているよ」

 「じゃあ、あのまちに大きな神殿があることも知っているね?」

 「うん、とっても大きいよね」

 「オリンピアにもあれくらい大きな神殿があるんだよ。いや、あれよりは少し小さいかな」

 「へー、あんなおっきいのが他にもあるんだー」

 「そうそう、そこでは楽器演奏の大会が四年に一回開かれていて僕は毎回出てるんだ。でも、予定よりだいぶ早く着いてしまって……どこかに休ませてくれる場所を知らないかな」

 「うちはいいと思うよ」

 「ほんとうかい?」

 「うん。あ、でもちょっと待って、お姉ちゃんに聞いてみないと」

 「お姉さんがいるのかい?」

 「うん。いるよ」

 「へー。きっと君に似て美人だろうね」

 「……? お姉ちゃんに会ったことあるの?」

 「無いよ。でも姉妹てのは大体似るもんだろう?」

 「うーん。足の裏は似てるかなー」

 「足の裏?」

 「うん、お姉ちゃんの足の裏にはほくろがあってね、わたしにも同じ場所にあるの」

 「……」

 急に声がやんだので、後ろを振り返ってみると、男の人は一瞬笑っていなかったように見えた。

 「ピトちゃんは面白いことを言うね」

 そういうと、男の人はさっきみたいに、またニコニコし始める。

 男の人は……。

 男の人……?

 「おじさん。お名前は? あ、わたしはピティアっていうの。ピトでも良いよ」

 「ピトちゃんか。僕はコスマスだ、そういえば名前を名乗ってなかったね。ピティアっていう名前は……ピューティアに似てるね。あ、ピューティアっていうのは……」

 「それくらい知ってるよ。神殿の巫女さんのことでしょ。なまえが似てるって……うん……よく言われる」

 後ろを振り返りながら話して、目線を前に戻すと家が見えた。

 「あ、あそこに見えるのがわたしの家だよ」

 ちっちゃい家なので、そういわれるかなと思ったけど、何も言われなかった。

 「入って」

 「お邪魔するよ」

 扉を閉める時、誰か木の裏からこちらを覗いているような気がした。

 けれども、もう一度扉を開けて確かめようとは何故か思わなかった。

 「座って」

 「飲み物を持ってくるね」

 ミルクと一緒に果物を何か持ってこようかと思ったけれども、カシスが見当たらない。

 丘の尾根にある木から採ってこよう。

 丘にはぽつぽつとオリーブの木が立っている。

 今日みたいに、よく晴れてる日は見えると思うんだけど……。

 見えた。

 オリーブの木が人の形に見える。

 それは、木の精ドライアドなんだって、昔お父さんが言ってた。

 あそこにも木の精ドライアドがみえる。

 近づいてみると普通の木。

 もういっかい離れてみると、やっぱり木の精ドライアド

 おもしろい。

 ここまでは木で、もっと離れると、木の精ドライアド

 あっちにもこっちにも見える。

 あっちの人は、たくましそうだけど、こっちの人はあえかな感じ。

 木の精霊は寂しがり屋さんなのか、わたしが近づくとすぐ木になってしまう。

 (……!!)

 ふと強い風が吹いて、はっとする。

 ……ずっとこうしてたら、日が暮れちゃう。

 それはだめだよって、精霊さんが教えてくれたのかも。

 じゃあね、木の精霊さん。ありがとう。

 木の実集めを急がなきゃ。

 丘の上からはすんでる家がよく見える。

 実を小さくちぎって手に取っていると、家の戸から人が出てくるのが見える。

 小さくてわからないけど、あの歩き方は多分お姉ちゃん。

 いつの間に家に帰ってたんだろう……。

 しまった……。

 家にいきなり知らない人が座ってたら驚くよね。

 引き返そうかな……。

 でもここまで来ちゃったし、カシスの実を採ってから帰ろう。

 急ぎつつも丁寧に実をむしって、実を手に大事そうに包みながら急ぎ足で丘を降りていく。

 家に近づくと、くすくすと笑い声が聞こえてくる。

 「お姉ちゃん、ごめんなさい」

 とびらを開けながらそう叫ぶと、姉はきょとんとした顔をしている。

 「どうしたの大声を出して」

 そう言い終わるころには、姉は穏やかな表情になっていた。

 勝手に人を家に入れたことを怒っているようにはとても思えない。

 「あの……勝手に知らない人を家に入れてごめんなさい」

 「ああ…、いいのよ」

 やっぱり姉は怒っていない。それどころか喜んでいるみたい。

 台所に行って、飲み物を注ぐ。

 「あ、これ。ヤギのミルクとカシス。おいしいよ」

 「まあ、ピト。えらいじゃない」

 やっぱし、姉は上機嫌だ。

 短い間に何があったんだろう。

 いろいろ考えてる間にもう男の人はごはんを食べ終えていた。

 鋤を軽々とかついで、外に出て行く。

 家の前にある畑をどんどん大きくしていく。

 姉がその合間合間に種まきをしている。

 わたしはすることがなくなっちゃった。

 「ねえ、わたしはどうしてればいいー?」

 「そうねぇ。木の実を集めていてくれる? 天人花ミルテの実がほしいの」

 「うん、わかった」

 天人花ミルテの木はここより少し高いところに沢山生えていたはず。

 ………………。

 そろそろ日がかたむきはじめている。

 暗くなる前に行かなくちゃ。

 道をいそぎながらふと気付く。

 こっちの険しい道から進んだ方が早く行けるかな。

 うー、でも……あぶないかも……。

 ……………………。

 なんとなく、いままでと違う道を行ってみたい。

 行ってみよう。

 ほら、なんとか行けそう。

 ……。ここからはどこに足をかけようかな。

 あっ……。

 いたたたた。

 すりむいてしまった。

 ちょっと足から血が出てしまっているけど……見た目ほど痛くない。

 これくらい平気だもん。

 行こう……。

 結局いつも使っている道を使ってしまった。

 これなら最初からこっちにしといても一緒だったなぁ……。

 ささっと天人花ミルテを採って帰ってしまおう。

 丘の頂に着くと、そこら中に天人花ミルテの実が成っている。

 ちょっと前までは、あんまり熟れてなかったのに……。

 もう季節なんだね。思ってたより沢山取れそう。

 お姉ちゃんも喜んでくれるかな。

 辺りが黄色く染まる。

 そろそろ日が暮れちゃう……。

 でも……もう少しだけ採っておきたいな。

 ふと、辺りが急に暗くなる。

 振り返ると、空からの青黒い光がそこら中に満ちている。

 早く帰らないと危ないのに……なんだかその景色を見ていたい気持ちで、じっとしてしまう……。

 この影はなんだろう……。

 上を見上げても何もない。

 なにもモノがないのに大きな影が出来ている。

 顔を見上げると、さっきとは木の場所が変わっている気がした。

 左を右が入れ替わっている。そんなふうに感じる。

 こわい。かえろう。

 …………。

 「遅いわよ。もう日が落ちてるじゃない。帰れなくなったらどうするつもりだったの」

 やっぱり怒られる。

 「ごめんなさ。でも、こんなに沢山採ってきたよ」

 苦笑いでそう答える。

 姉は一瞬普通の表情をしたけど、

 「そんなことより自分の身を考えなさい」

 と、にらみ顔で付け加えた。

 「おじさん今日はどの部屋で寝るの?」

 「奥の部屋だよ。セレナさんがそこのベッドを使って良いって言ってくれて」

 奥の部屋……。昔おとうさんがいたところだ。

 「あそこ、ちょっとほこりっぽいかもね……ちょっと掃除してくるね」

 と言って、返事も待たずにふきんを持って駆け出す。

 早速床からふきはじめてみると、あんまりほこりが無い。

 ひょっとして姉が掃除したんじゃ……。

 普段自分の部屋もあんまりしないのに。

 「いいよいいよ。掃除なら自分でするから」

 と言って男の人が付いてきた。

 「もう終わっていたみたい。掃除」

 「本当かい? ありがとう」

 「お姉ちゃんに言って」

 なんだろう……。

 知らない人を勝手に家に入れたから怒られるかと思ってたけど、

 むしろ喜んでるみたい。

 変なの。

 ひょっとしたらコ……えーと……。なんだっけ……。

 コスマス……そう。

 ひょっとしたらコスマスさんはすごい人なのかも。

 居間に向かいながら、今日のごはんが自分の当番だということに気付く。

 まえのかみなりの日に作らなかったから。その代わり。

 あれ……台所に姉がいる。

 「あれ、どうしたの? お姉ちゃん」

 「どうしたって?」

 「今日はわたしが料理を作る日だよ。ほら、あのかみなりの晩に」

 「あぁそんなことあったわね。でもいいわ。今日は私が作るから」

 「ほんと?」

 「ええほんとよ」

 姉が当番を忘れるなんて珍しい。

 やっぱり今日はちょっと変。

 「コスマスさんオディンピアから来たんだって」

 「そーなのよ。今晩琴の演奏をしてくれるらしいわ」

 「だからうれしそうなんだ」

 そうは言ったものの、何かほかに理由があるような気がしてならなかった。

 足がぴりぴりする……。

 そういえば怪我していたんだった。

 誰も気付いてくれない。

 じぶんから言い出す気にもなれないし……黙っておこう。

 「ピト、こっちへ来なさい。コスマスさんが面白いことしてくれるわよ」

 面白いこと……なんだろう?

 コスマスさんが袋から取り出したのは木で出来たゆがんだ形。

 これはもしかして……?

 「それはなに……?」

 「これは楽器さ。リュラと言ってね」

 それは、村で使われているものよりずっと複雑に見えた。

 張られている糸の数がずっと多い。

 1本、2本、3本、4本、5、6、7……。

 「ははっ。ピトちゃん。ずいぶんこの楽器に興味があるようだねぇ。

  良かったら後でじっくりとさわってみると良い。弾かせてあげるよ」

 「ほんと?」

 弾いてみたい。

 「ダメよ。あなた壊すでしょ」

 姉がたしなめる。

 「はは。壊されちゃあかなわないな」

 むー……。こわさないのに。

 「じゃあ弾くよ、今から弾くのはアイソフォスが吟じた詩に旋律を付けたものだ。旅人が熊に会う話さ」

 「知ってる死んだふりするお話でしょ?」

 「そうとも。この辺では有名だろう?」

 「うん、知ってるよ。昔お母さんがよく聞かせてくれたもの」

 「それは良い。君にも親しみがあるだろうね」

 お母さんは今どこにいるの? と、コスマスさんが聞いてくるかもと思ったけれど、聞いてこない。

 聞いてこずに……そのまま楽器に手をかける。

 そこから鳴らされた音は、わたしの肌を震わせる、するどくて響きのある音だった。

 きれいな音……。それに音がたくさんある。

 ただの糸からこんなにたくさんの音が出るなんて。

 すごいなぁ……。

 低く鳴る糸はおおきくふるえ、高く鳴る糸はちいさくふるえてる。

 ふと姉の方を見ると、目線は楽器には向いていなくて……その少し上、コスマスさんの顔に向いている。

 なにかあるのかなと思って、わたしもコスマスさんの顔を見てみるけど、特にへんなところはなかった。

 どうしたんだろう……。



 次の日、起きてみると、男の人はまだいた。

 コスマスさん。

 「やあ。少しの間、この部屋に泊まらせてもらおうと思ってるんだけど、駄目かな?」

 目を合わせた途端そんなことを言ってきたので少し驚いた。

 「うーん。お姉さんに聞いてみないと」

 こんなことを口走ってしまったけど、姉がどう考えているかはもう知ってる。

 だって、隣に居るのに、何も言ってこないから。

 「お姉さんの許可はもう得てあるんだ。悪いね。少しの間迷惑かけるよ」

 この間、姉はこちらを一瞥しただけで口を開かない。

 ふと見ると姉が編み物をしていることに気付く。

 ここのところあまりしていなかったのに。

 「編み物するんだ」

 「そうよ。コスマスさんもお金を入れてくれるっていうし、お礼をしなくちゃね」

 普段しないのに。

 と付け加えようとしたけど、なんとなく、怒られそうだからやめた。

 編み物をしている姉は真剣そうに見え、顔にはいつもより光沢が乗っている。

 「畑のことは、コスマスさんが暫くやってくれるみたいだから、ピトはやらなくて良いわよ」

 それならわたしは何をしよう。

 「それならわたしは何をする?」

 「……そうね。木の実を採って来て頂戴。後、今日の食事もよろしくね」

 「うん、わかった」

 昨日は遅く帰って怒られちゃったから……。

 「今日は黄色くなる前に帰るよ」

 振り返りながらそう言ってみる。

 「黄色く? 何が?」

 姉はいぶかしげ。

 「全部だよ。木の色、葉っぱの色、空の色、わたしの色」

 「日が暮れる前ってことね」

 姉はため息を付きながらそう言う。

 「はは、ピトちゃんは面白い言い方をするね。 」

 一方、コスマスさんはにこにこしている。

 「面白い? 面白いのかなー」

 でも、面白いと言われて悪い気はしなかった。

 外に出てみたものの、いったいどれくらい木の実を集めてくれば良いのか聞いてなかった。

 いつもと同じくらい、だったらすぐ終わっちゃうね。

 もう少しこの辺の山を回ってみようかな……。

 痛っ……。

 昨日できた傷のところに小枝がひっかかる。

 傷のことなんて忘れてたのにな……。

 後ろを振り返って、すこしこぼしてしまった木の実を拾う。

 拾い終わって、立ち上がると、遠くに見える木の影がやけに大きく見える。

 まるで……、後ろに何か隠れているみたいに……。

 じっと見てると、その影はぼんやりと薄れていって消えてしまった。

 今のはなんだろう……。

 もしかしたら山の魔物サテュロスかもしれない。

 ……帰ろう。

 家に戻る途中、外から姉とコスマスさんが寄り添っているような姿が、扉のすきまからうっすらと見える。

 なにをしているんだろう……。

 びっくりして足を止める。そのまま家に入ろうにもどうも足が動かない。

 頭の中身がぐるぐると回り始めて、へんなきもち。

 世界がゆらゆらゆらゆらゆらめく。

 立てているのが不思議な感じ。

 地面はどっちだろう。


 ……どれくらいの時間ぼーっとしていたのかわからない。

 少しの間かもしれないし、ずっと長い時間かもしれないけど、ようやく足が動くようになった。

 扉を手で強く叩いて大きな音を立ててから扉をあけて入る。

 姉とコスマスさんは離れていた。

 でもすぐ近くに居たから、たぶん……。

 わたしはどんな顔をすれば良いのかわからないからとりあえず

 「ただいま」

 とだけ言う。

 「おかえり」

 と、声だけ返ってきた。

 その声にどんな気持ちがこもっていたのかは読み取れない……。

 ごはんを作ろう。

 調理場からみえる外の景色は灰色。

 またあれがやってきそうで……。

(………!!)

 突然大きな音が鳴り響く。

 雨が降るまでは大丈夫だと思っていたのに……。

 急いで調理場を飛びだすと……。

 「いつまでもこわがってんじゃないの!」

 (…………!?)

 いつもは怒らないのに……。

 姉がしかめっ面をしている。

 不快感をむき出しにした顔。

 かと思うと、姉は突然、何かに気付いたような顔をして、

 「……ごめんね。いきなり怒鳴ったりして」

 謝る。

 わたしは、まだ目を見開いて姉を見つめたまま。

 心臓の響く音が全身に伝わってくる。

 姉は、ばつのわるそうな顔をして、

 「ごめんなさい。ちょっと疲れていたみたい」

 と言って、椅子にいきおいよく座った。

 顔を手でおさえていたのでどんな顔をしているのかはよく見えない。

 (……!)

 再び頭に大きな石が落ちるかのような音が聞こえて、窓のほうへと視線をずらす。

 ……そういえば、かみなりが怖かったのも忘れてしまっていた。

 さっきのわたしはどんな顔をしていたんだろう。

 やっぱり、姉は昔と違っている……。

 いつからだろう……そう……。



 大祭の時期がやってきた。

 この日は朝早くから起きて、デルフォイの神殿に向かわないといけない。

 神殿まで、日が出始めてから歩き出しても、戻ってくる頃には日が空の真ん中に来てしまう。

 それくらい遠いけど、神殿に向かう途中で登る峰の高いところから見下ろすとデルフォイの街が望める。

 歩くとあんなに遠いのに、ここから見える街は手に包めてしまうほどの大きさに見える。

 そのことを姉に話したことがあったっけ。

 「ほら、こうすると手の中におさまっちゃうけど、あんなに遠いんだね」

 「あんな大きな町が手に包めてしまうんだから、そりゃあ遠いわよ」

 「でも、手の平に包めちゃうんだよ? こんなにちっちゃい手に。手なんて、一歩あるいたらもう飛び越しちゃうよ」

 その後、姉がなんて言ったかは覚えていない。

 でも、確か納得はしてくれなかったような。

 今、姉はわたしのそばにはいない。

 姉はコスマスさんと楽しそうに話してた。

 ひょっとしたら、わたしが離れても気付かないんじゃないかっていうくらい夢中に。

 わたしは試しのつもりでそっと離れてみる。

 姉は少し離れても、わたしに気付かない。

 その調子でだんだん、遠くにいってしまって……。

 ほんとに姉とはぐれてしまった。

 ………。

 でも、周りの人についていけば神殿にはいけるし、大丈夫。

 神殿に着くともうたくさんの人だかり。着くのが少し遅かったみたい。

 人ごみをするするとすり抜けて前の方に行く。

 わたしはどうしてか、こういう隙間を見つけるのがうまい、と思う。

 少し時間を置いて巫女さんが出てくる。

 でも、なんだか前より元気がなさそう。

 どこを見ているのかよくわからない感じで、まばたきしなさそうな目をしている。ほんとはしてるけど。

 言葉はやっぱりしゃべれないみたいで、代わりにお付の神官がつらつらとことばを述べる。

 巫女さんの声がもう聞けないのは残念。

 もうすぐ巫女さんの代が変わっちゃうんじゃないかって……、そんな気がする。

 そうなると、今の巫女さんは神さまの国に行ってしまう。

 神の国ってどんなところだろう。


 拍手が鳴って、神官のお話が終わったんだということに気付く。

 変なことを考えてたら聞き逃してしまった。

 慌ててわたしも拍手する。

 巫女さんのお話は聞いていたのに。

 神官の話はいつも聞き流してしまう。

 みんなはどうなんだろう。聞いてみたい。

 ……気になったけど、空気がぴりぴりしていて聞いたら怒られそうな気がしたのでやめる。

 前に同じようなことを言って怒られたことがあるような……。なんて言ったかは覚えてないけど。

 例祭の終わりが近づく。

 巫女さんに月桂冠がかぶせられる。

 座ったままの巫女さんはずっと目をつぶったままだったけど、それがかえって神秘的に見えた。

 祭りの終わりを告げる歓声が響く。


 ぞろぞろと帰り道。

 あ……。

 姉の姿が見える。

 とんとんと人差し指でわき腹を突く。

 「お姉ちゃ」

 「……ピトどこ行ってたの勝手にいなくなっちゃ駄目でしょ」

 (……!)

 姉は怒ってる。

 どうして……。

 わたしのことなんか気にしてなかったくせに。

 男の人と話すのに夢中で、こっちを全然見てくれてなかったくせに。

 目の奥がじわりと……熱く……。

 「お姉ちゃんのばか!」

 そういい終わる前にわたしは走り出していた。

 「どこ行くの!?」

 後ろで声が聞こえた。

 (はぁ……、はぁ……)

 少し走ったところで、疲れて止まる。

 走ったってどこも行くところなんて無いのに。

 立ち止まって、景色をじいっと見ていると、道脇に、蜂さんが動かずに横たわっている。

 蜂さんはちょっとしたら動き出すんじゃないかと思って、じいっと見つめてみるけど……いつまでたっても動き出さない。

 どうしちゃったんだろう……。


 昔、これと同じような、時間の無い光景を見た気がする。

 わたしがもっとちっちゃい時、山で小鳥さんが動かなくなってるのを見かけて、家に持って帰ったんだっけ。

 そしたらお姉ちゃんは、元の場所に戻してきなさいって、そう怒ってた。

 その小鳥さんはもう動くことは無いんだって。

 だから、もとの場所にかえしてきなさいって。

 もとの場所に連れて行った後……、最初の日か次の日くらいまではその様子をちらちら見に行っていたけど、小鳥さんはもういなくなっていた。

 小鳥さんは動かないはずじゃなかったの?

 でもどこかへ行ってしまった。

 どこへ行ったのかな?

 ひょっとして……神さまの国なのかな?

 巫女さんがいずれ行くと言われている神さまの国。

 小鳥さんも神さまの国へ行ってしまったの……?


 ふと、さっきの蜂さんのところへ戻ってみる。

 蜂さんはまだそこにいる。

 ずうっと変わらずに。

 いつ神さまの国に行くんだろう。

 じぃーっと眺めてみよう。

 …………………………。

 ……………………。

 …………。

 日が暮れそう。

 夕日はわたしの影をどんどん大きくして、蜂さんを隠してしまう。

 帰らないと怒られちゃうよね。

 また、あしたも蜂さんはいるだろうか?

 丘の上からいつも寝てるはずの家が見える。

 なんだか、よその家みたい。

 帰ったらなんて言えば良いんだろう……。

 誰にも会わずに寝てしまいたい。

 家の前、戸の木の模様をじっと見てると、がちゃりと扉が開く。

 わたしは動けずにただじっと立っている。

 「ピト……。良かった、戻ってきていたのね。いきなり走りだしたからびっくりしたわよ」

 「うん」

 わたしは一言そうつぶやく。

 姉はもう怒っていない。

 もっと何か言いたいこと、聞きたいことがあるはずなのに、言葉は喉の奥に閉じこまったままだった。

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