らうりえの花

みづはし

第1話 日々の安寧

 崖の下にある大きな町。

 大きな神殿。

 そのまわりにたくさんの人たちが集まってる。わたしも。姉も。

 背が低いのでなかなか神殿の様子は見えないけれど、巫女さんが姿を現す瞬間ときには、辺りのざわめきが大きくなるのですぐわかる。

 まわりの町びとがゆっくりとひざをつきはじめた。

 これで神殿の様子が見える。

 「すわりなさい!」

 姉が頭をわたしの押さえ付けながら言う。

 「はい……」

 しかられちゃった。

 座ってても神殿は見られるもんね。

 上を見上げると巫女さんのすがたがみえる。

 とても白い肌。太陽の光をはねかえしそうなくらい。

 薄い服の上から透けて見える白は、肌の白。

 (……!!)

 目はこちらを向いていないのに、どうしてか、笑顔がわたしに向けられている気がして、どきりとする。

 巫女さんは、にこにこしながら手の平を住民に向かってかざしている。

 口は閉ざされたまま開く様子はない。

 むかしはこうじゃなかった。

 巫女さんが町びとの前にすがたをあらわす時は、神さまの預言を伝えるのがつねだったのに、ここ半年くらいは、めっきり口を開かない。

 「神の言葉を聞き続けていると、巫女は人間の言葉を忘れてしまうのだ」

 そういえば、ずっと前、お父さんがこんなことを言っていた気がする。

 「こういうことは、当代の巫女に限ったことではなく、何十年も前からそうなんだ」

 とも言っていた。ような。

 こうなった時には、代わりに神官のおじいさんが、神さまのたくせんを町びとに伝える。

 おじいさんの口調は、巫女さんのようにきよらかな感じはしない。

 きびしくて、地響きのように体の中を揺らす声。

 街の人たちは神官さんに対してはあまり歓声を上げない。

 けれど、人気が無いわけじゃあないと思う。

 神官さんも慕われているけれど、巫女さんの人気とはなにか種類が違う感じがする。

 巫女さんには、こう……わーっと群がっていくけれど……。

 神官さんには、みんながゆっくりついていく。そんな感じ。

 巫女さんはまるで人じゃないみたいにきれいで……だからこそ、とても遠く感じる。

 かすかに鼻に付くにおいを感じた。

 長くかいでいると、体にわるそうなにおい。

 体の中にすーっと染み込んで、動きをのっとってしまいそうなにおい。

 「いやなにおいがするね」

 とつぶやいてみたものの、辺りの人々は、

 「におい?」といぶかしむばかりで、相手にしない。

 一年前の時も感じた。

 その時は、「へんなにおいがするね」なんて言ってみたけれど、じぶん以外誰も気づけないようなので、気のせいかな、と思っていた。

 でも……、あの時と同じにおい。

 このにおいはなんだろう……。

 

 

 ちょうちょ。

 いままでに見たことがない。

 みぎへひだりへ、くろ、あお、きいろ。

 どっちに行くんだろ……。

 目で追っていると、クワが地面に落ちる音がひびいて、あることを思い出す。

 そういえばこないだも、めずらしい鳥を追いかけるのに夢中で、畑仕事をほっぽりだして姉に怒られたばかり。

 反省していると、近所にすんでいるレダとその取り巻き二人が声をかけてきた。

 この三人はいつも一緒にいる。

 後の二人の名前は……えーと……。

 「あらピト、今日も畑仕事お忙しそうね」

 と、レダが微笑を浮かべながら言うと、取り巻きの二人もクスクスと笑った。

 わたしもつられてクスリと笑ってみる。

 「えへへ」

 「皮肉が通じないなんておめでたいわね」

 レダは眉をひそめて、取り巻きの二人と二言三言交わした上でどこかへ行ってしまう。

 どうしたんだろう……。

 笑ってすぐ後に、不愉快そうな顔をするなんて忙しい人……。

 畑仕事にもどろう。

 わたしの家は、みんなが町に降りる時に通路として使っている坂道から一番離れた場所にある。今はそこに暮らしているのはわたしと姉の二人。

 お母さんはわたしがまだ木も登れなかった頃に死んじゃった。

 お父さんは、出稼ぎに行ったきり帰ってこない。もう何年も前の話。

 家のそばにある段差をちょっと登ったところに、ふたつの月桂樹らうりえの若木が支えあうようにして、立っている。

 村の人たちの間では、姉とわたしの名前からとって「セレナとピト」と呼ばれているらしく、それがちょっぴり微笑ましい。

 けれども、ふたつの月桂樹らうりえの内のどっちがわたしなのか、わかりづらい。

 ふたつの月桂樹らうりえの内の片方は背が高いけれども、折れそうな感じがして弱々しい。

 もう片方は、太くがっしりしているけど背は低い。

 背が高くて、根本がしっかりしていたら姉なんだろうけれど。

 自分じゃあわからなくて、一度どっちがわたしなのか姉にたずねたことがあった。

 その時、姉は「どっちだって良いでしょ」と嫌そうに言った。

 どっちか決められるのがそんなに嫌なんだろうか……。

 結局わたしは今でもどっちがわたしなのかわからずじまい。

 ……。

 畑仕事を終えると次は、水汲みにいく。

 最初はいろいろな仕事を任せられたけど、今はこの仕事と、水を汲みにいくこと。

 わたしはあまりむずかしい仕事は出来ないので、むずかしいのは姉にまかせっきり。

 畑もわたし一人ですすめられるのは小さい。

 ほかの人と一緒に仕事すると、わたしの進むのが遅くてほかの人から置いてけぼりになる。

 そうなると、頭の中に湧き水が溜まったようになって、何も出来なくなったり、同じところをずっとたがやしつづけたりする。

 だからわたしの仕事はいつもひとり。

 こういった仕事はそれほど長く時間がかからないので、たいていは姉より早くかえって家でごはんをつくる。

 火を使う時には、必ずかまどの神さまヘスティアにお祈りをささげる。

 そうしないと病にさらされてしまうことがあるから。

 「ただいま」

 準備が出来たところで姉が帰宅する。

 「おかえり。今ごはん出すね」

 そういって床に食べ物を並べる。

 姉はいつも淡々とごはんを食べる。

 でもそれがうれしい。

 わたしが当たり前にごはんをつくれるようになったってことだから。

 むかしは作る時によく怒られた。

 なんでこれくらいのことができないのかって。

 新しい料理の仕方をしようとする時も必ず怒られた。

 それ以来、同じものしか作らなくて良いと言われ、そのとおりにしている。

 「アエラが町の商家に嫁ぐらしいよ」

 姉は疲れた顔をしながらそう言う。

 「アエラさんが?」

 「田舎娘が背伸びしたって良いことないと思うけど」

 姉はどこか不満げな表情でそう呟いたけど、そのことを指摘するといっそう不機嫌になるのでわたしは何も言わない。

 「まあ、わたしは男なんかいなくたって良いんだけどね」

 と、姉は関係あるのかよくわかんないことを付け加える。

 でも、姉だってもてないわけじゃあない。

 いつかだって、井戸の近くに住んでいる毛がぼーぼーの人に言い寄られていた。

 名前は……なんだっけ。

 その時、姉はいやがっていて……。

 お父さんの許しが無いと結婚は出来ないって言ってた気がする。

 そしたら相手の男の人が……お父さんはもう戻ってこないんだって……。

 そんなことを言っていたような。

 「ごちそうさま」

 わたしが考えあぐねている間に姉はもうごはんを食べ終えていた。

 話ながらいつの間にか食べてる。

 こんなことじぶんにはできない。はなしてるとたべるのを止めてしまうし……。

 わたしもいそいでたべよう……。

 ふと目を向けると姉がくすくす笑ってる。

 「お姉ちゃん、散歩みたいに笑うんだね」

 「散歩?」

 姉が不思議そうな顔をしている。わたしはあわてて付け加える。

 「うん、散歩。特に理由がなくても笑ってるところが。散歩だって、する時に何か特に理由があるわけじゃあないんだし」

 「相変わらず変なたとえをするわね」

 「うーん、変なの?」

 「少なくとも普通じゃあないわ」

 姉は笑いながら言う。

 「どういうことばが普通なのかよくわかんないよ」

 「ほかの人と同じようにしゃべっていれば良いのよ」

 そう、姉は言うけれど…………。

 どうすれば良いのか、よくわかんない。

 


 次の日。

 わたしはいつものように畑仕事をしていたけれども、お日様の光が真上から降ってくるようになってつかれてしまったので、休みを取ることにした。

 ごはんをたべながらゆっくり休みたい、カスタリアの泉まで行こう。

 家からは少し離れているけど、風が運んでくる泉の冷気がここちよくてついつい足を運んでしまう。

 泉のまわりにはじぶんひとりだと思っていたけれど、どうやら先客がいる。

 エフィだ。

 彼女はせんたくをしているらしい。

 じぶんよりいくつか年下なのに一生懸命働いててえらい。

 ごはんを少し分けてあげよう。

 「こんにちは。エフィちゃん」

 「わ? ……あ、ピトさんか……」

 「どうしたのそんなにびっくりして」

 「お母さんが来たのかと思って……」

 「…………?」

 「あの、わたしがここに来たこと言わないでね」

 「ん……? 言わないよ。どーして?」

 「神聖な泉で洗濯なんかしてるってバレたら怒られちゃうもん」

 「そーなの?」

 「そーだよ。この泉に近づく人だって少ないんだから。近くまで来るのはピトさんくらいだよ」

 「エフィちゃんもいるよ」

 「わたしはたまにしかこないもん」

 会話の途中でわたしは、昨日姉に言われたことを思い出した。

 「わたしはたまにしかこないもん」

 「たまにしかこないの?」

 「たまにしかこないの?」

 「まねしないでよ」

 エフィちゃんと同じことを言ってたら、エフィちゃんは怒った。

 「真似しろって言われたんだもん」

 「だれに?」

 「お姉ちゃんに」

 「どおして?」

 「んー、言葉をちゃんと覚えるためだって」

 「へー、変なの」

 「変なのかな?」

 「変だよ」

 「そっかー」

 ………言葉が止まる。

 足元を見ると、まるい石がころころと横たわってる。

 ひょいと持ち上げてみると、下側がぬれている。

 この石は、地面よりも泉の中に入りたそう。

 そんな気がしたので、すっと泉の中に、ふたつ、みっつの石ころを続けて投げる。

 その数だけ、水面にまるいかたちが出来る。

 ひとつ、ふたつ、みっつ……、よっついつつむっつななつ……たくさん。

 あれ……? こんなに投げてないのに。

 …………冷たい。

 雨だ。

 でも、じわじわしたのは一滴目だけ。

 二滴目からは体が雨に慣れてしまう。

 しまった……。

 きっとわたしが石を泉に投げたから……。

 空のお水たちも、泉に入りたくなっちゃったんだ……。

 「雨……。帰らなきゃ」

 エフィちゃんは一言だけ言うと、洗濯ものをかき集めて林の中へ走り去っていく。

 「ごめんねエフィちゃん!」

 大きな声で言ったつもりだけど、もう遠くに行っちゃってて、聞こえたかどうかはわかんない。

 ごめんね……。

 雨が降ったのはきっとわたしのせい。

 わたしが石を泉に投げちゃったから……。

 ぼーっとしてると雨はどんどん強くなる。

 石を泉に投げたら雨が降ったってことは、

 泉の石を地面に戻したら雨は止むのかもしれない。

 泉に入ると濡れちゃうけど……これだけ濡れちゃったら、泉に浸かってもバレないんじゃないかな。

 なんだか泉に入ってみたくなる。

 石ころや雨つぶみたいに、わたしも泉に呼び込まれてる。

 泉の水はとても冷たい。ひんやりして気持ち良い。

 頭をつけて中にもぐる……でも石ころは見当たらないし、意外と底が深くて、苦しい。

 はぁ……はぁ……。

 やっぱし、地面にあがろう。

 ここで溺れたら泉の精カスタリアになっちゃうよ。

 この泉にわたしの名前が付いちゃうかも。

 ……それはそれで楽しいかも。

 雨はまだざーざー降ってる。

 これだけ濡れちゃったら、もう雨なんて関係ないもんね。

 泉から出てみると、思ったより体が重い。

 こんなに服が水を吸い込むなんて……。

 これだけびしょびしょだとお姉ちゃんに怒られちゃうかも。

 家に向かってゆっくり歩く。

 いそがなくてもいい。

 これだけ濡れちゃったらもう関係無いもん。

 (……!!)

 うなるような音が聞こえた。低く、小さく、だけどはっきりと。

 急ごう。

 かみなりだけはだめ。

 みんなわたしのことを笑うけれども。

 だめなものはだめなのだ。

 頭の中に直に響いてくるあの音を聞くと、まともでいられなくなる。

 みんなどうして平気でいられるんだろう。

 一目散に駆け出しながら、毛布にくるまって耳をふさいでいるじぶんを想像する。

 想像すると、早くその状況に近づきそうな気がしたから。

 やっと家に着いた。

 急いでふとんにくるまろうと思って走ると、

 「そんな濡れた体でどうする気?」

 姉が怒る。

 「でもかみなり」

 「いいから服をまず脱ぎなさい」

 と言ってわたしの服を脱がす。

 ついでにわたしの体も拭き始める。

 「それくらいじぶんでやるよ」

 いそいそと拭き始めるも、おなかとせなかを吹き終わったところで、ごろごろと、かみなりの低いうなり声が聞こえる。

 足の方を拭きながら寝室の方へ向かう。

 「……」

 姉が何か言っていたけど、聞き取れなかった。

 そんなに怒っている調子ではなかったし、それよりかみなりがこわいので、ベッドにそのまま向かうことにする。

 (…………!!)

 まただ。

 急いでふとんの中に潜る。

 ふとんの中で耳を塞いでいればあまり聞こえない。

 しばらくかみなりがやむまでこのままでいよう……。



 ざーざー。

 わたしは鳥になって、雨の中を泳いでる。

 水を吸った羽は重くて、思うように動かない。

 時々、後ろからの強い光が視界を覆う。

 その光に撃たれるんじゃないかって……気が気じゃなくて……。

 ここなら安全かな……。

 慌てて入った洞窟の中。

 けれども、かみなりの光は壁に跳ね返って洞窟の中まで入ってくる。

 ここは危ない。もっと中に飛んで行かないと……。

 突然洞窟の形が変わって雨がやんだ。

 外に出てみるとみずみずしいくるみの実が、そこらじゅうに浮かんでいる。

 くるみは黒い服に包まれていてとってもかたい。

 大きな口を開けて食べようとするのだけれども、

 くるみに張り付いた雨粒が、涙のように見えてしまって、食べるのをためらった。

 そう思ったその時、わたしよりももっと大きな鳥がやってきて、くるみをついばんで去ってしまう。

 あーぁ……。



 「起きなさい!」

 ふとんをはがされた。

 「なんて格好で寝てるの」

 寒い。

 そうだった。

 服を着ずにふとんに潜っていたことを思い出した。

 「服着てごはん食べなさいね」

 そういえば今日はわたしがごはんを作る番だったのに、忘れていた。

 「ごめんなさい。今日はわたしが作る番だったのに」

 「良いのよ。別に」

 姉は不思議と穏やかだった。

 「その代わり、明日はあんたが作ってね」

 「はーい」

 …………。

 「そういえば今日、お姉ちゃんの言ったとおりにね、エフィちゃんの言葉を真似したら、変だねって言われちゃった」

 「真似?」

 「エフィちゃんが言うことと同じことを言ったの」

 「あぁ、言葉を勉強しなさいっていうのは真似しなさいってことじゃなくてね」

 「そうなの?」

 「ほかの人が使う言葉を別の場所で使えば良いのよ」

 「別の場所で? そんなに覚えていられるかなぁ?」

 「そこはもう少しがんばりなさいよ」

 「はーい」

 姉は少し疲れた顔をしていた。

 ずず。

 晩御飯に豆のスープをすすっていると鼻水が垂れてきた。

 服を着ずに寝たから風邪を引いたのかも。

 くしゅん。

 暖を取って、体をあっためながら寝よう。

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