「小娘。俺といっしょに来い」

 いきなり必死の形相でドアから飛びこんできたやつがいた。暁三四郎だ。やはり、巣豪杉太刀には敵わないと見て、魔子を連れ出しに来たらしい。

「うおっ?」

 部屋の中を見て愕然とする。

 なにせ、麝香院は倒れ、魔子の足輪は外されているのだから。

「小僧、てめえ」

 暁が斧を持った右手を振り上げる。

「風太!」

 つららは叫ぶだけで、まだろくに動けそうにない。位置も遠かった。

 風太には魔子がしがみついていた。かわせない。

 絶体絶命。

 風太は打ち下ろされた斧の柄を、反射的に掴んだ。

「しゃらくせえ!」

 力と体重を斧に込める暁。斧の刃はぐんぐんと風太の目の前に迫ってくる。

「風太!」

 つららが気力をふりしぼり、向かってきたが、いつもの力はないらしい。暁の蹴りで吹き飛ばされる。

「死ねぇええ、小僧っ!」

 や、やられる。

 どっごおおおおおおん!

 暴力的な破壊音とともに、コンクリートの破片が風太の頭上に降りそそぐ。

 なぜか暁の斧は風太の顔面に食い込みはしなかった。それどころか斧は上に引っぱられ、いきなりのことだったので柄を離してしまった。

 な、なにが起こった?

 風太は恐る恐る上を見た。

 天井から腕が生えていた。それもどう見てもゴリラの腕ほどの大きさとたくましさを兼ね備えた剛直なものが。ただし剛毛は生えておらず、あくまでも人間の腕。

 それがむんずと暁の頭を掴んでいる。

「あがっ、あがががが」

 暁はわけのわからない声を発し、暴れている。両足は宙に浮いていた。

 めちゃくちゃに振りまわしている斧が丸太のような剛腕に当たったが、切れない。血すら出ない。

 たしかにあの状態では、力も体重もかけらないないから最大限の威力はとても出せないだろうが、刃がついてる上に斧自体の重さがある。ふつうなら、たとえ傷が骨まで達しなくても、肉には食い込むはず。しかし現実には皮膚すら切れていないのだ。

 妖怪かっ!

「わはははははは。無駄じゃ、無駄じゃ。わしが筋肉を硬直させたときは、刃物も通らん。なにせただの馬鹿力ではなく、中国拳法を究めてるけんのぉおおおおおお」

「お父様っ!」

 魔子の声で、風太にもようやく事態が飲み込めた。

 おそらく奥さまから電話で連絡を受けたのだろう。出先からかけつけた親父がやってきたのだ。一見、天井から腕が生えているように見えるのは、いうまでもなく上の階から床をぶち破って、そのまま暁を捕まえたからに決まっている。

 なぜ見えないのに、上の階から正確に暁を捉えられたかというと……、知るか、そんなことっ!

 ま、はっきりいって、超人ならではの勘のようなもんだろう。でなきゃ、床越しに『気』でも感じたかだ。そんなの凡人の俺にわかるわけねえ。

 暁の体が浮き上がっていく。というか、上にいる親父が暁を引っ張り上げているのだが、どうも天井から生えた腕が、そのまま掴んだ相手を引きずりこんでいくように錯覚する。

 ホラー映画かよっ!

「わははははは。魔子をいじめるやつはぜったいに許さんけんのぉおおおおおお」

 コンクリートの床越しに、高笑いが響く。

「すんげえ、親父」

 つららは完全に呆気にとられていた。あの親父を初めて見るつららにはまさに衝撃的だろう。

 って、いやあ、そんなの関係ねえ。こんなの、あの親父を何度見てたって驚くに決まってるだろうがっ!

 ついに暁の頭部が天井のコンクリートに入りこんだ。まるで首から下が天井から生えているようなシュールな光景。あれだけ暴れていた手足もだらんとなっている。

「ふははははは。まあ、これくらいで許してやるか。これでも無駄な殺生は嫌いじゃけんのぉおおおお」

 ほんとかよっ!

 っていうか、生きてんのか? そいつ、まだ。

 親父さん、手を離したらしく、暁は天井から落ちた。

 完全に白目を剥いていたが、胸がかすかに上下しているところを見ると、生きてはいるようだ。

 さらに天井から、今度は親父の首が突き出た。

「むっ、風太くんよ。魔子を押し倒してんのか、貴様ぁあああああ!」

 風太は自分が魔子に覆いかぶさったままになっているのに気づいた。

「え? いや、ちがう。あいつからかばおうとして……」

「そ、そうよ、お父様。風太センセは盾になろうとしてくれたのよ」

 風太は魔子から飛び退き、魔子も顔を真っ赤にして慌てた。

「ほんとかのぉおおおお?」

「ほんとだって。……いや、ほんとです。信じて」

「もう、お父様ったら、あたしのいうことも信じないのっ!」

「まあ、魔子がそういうんじゃ、しょうがないのお。ただ、帰ったら、いろいろいきさつを詳しく聞かんとしょうがないのぉおおおお」

 やべっ。俺生きて家に帰れるんだろうか?

 今まで殺し屋みたいな連中と戦ってたのに、味方のほうがよっぽど怖いってのはどうよ?

「それより、奥さんを助けにいったほうが……」

「わははは。心配ない。わしの奥さんがあんなひょろすけに負けるはずがないけんのぉおおおおおお」

 まあ、そうかもしれんが、魔子を助け出した以上長居は無用だ。いつまでもこの中にいてもしょうがない。

「いや、最後の敵を倒してとっとと逃げましょう。百人の援軍が来るとかいってたし」

「マジかよ、風太。じゃ、いそごうぜ」

 というわけで、つららが立ち上がろうとしたが、ふらついた。

「肩かしてやる」

 問答無用でつららの腕を掴むと、引き起こした。

「よせ、馬鹿。ひとりでだいじょうだ」

 つららはまるでこの世の終わりとばかりに拒否しようとしやがる。

「無理すんな、馬鹿」

「ま、しょうがないわ」

 魔子がそれを見て、ちょっと口をとがらした。風太は反対側の手で魔子の手を引き、部屋を出る。

「あ、こら待て。わしが行くまで動くな」

 天井から生えた顔がなんかいってたが、無視した。

 廊下に出てみると、奥さまとジュベールはかなり離れたところで戦っていた。倒れたバイクのライトが生きているからかろうじて見える。

 あれ? なんかやばくね?

 刀はいつの間にか手放したらしく、素手で横たわる奥さまの上にジュベールが馬乗りになっていた。それどころか上から首を絞めてる?

「お母様っ!」

 魔子の沈痛な声で叫ぶと、そっちに向かって突進した。

「待て」

 風太は魔子を捕まえようと手を伸ばすが、ほんのすこし届かず魔子は走っていく。風太は追った。

 いきなり前を走っていた魔子が消えた。

「え?」

 風太にはなにが起こったのか理解できず、立ち止まりきょろきょろとあたりを見まわした。

「心配ない、心配ない」

「え?」

 声のほうを見ると、ちょうど階段のところで、着流し姿の関羽みたいな親父が魔子を抱き上げていた。

「お父様、お母様がっ」

「だからいったろう。おまえの母があんなひょろすけに負けるはずがないって」

「でも……」

「ぎゃあああああ」

 闇を切り裂く声に驚いてそっちを向くと、叫んでいたのはジュベールだった。

 見ると奥さまの両人差し指が、左右からジュベールの喉に食い込んでいる。

「格闘技の感覚でわしの奥さんに勝てるはずがないのにのお」

 いや、馬乗りになって、上から直接首を絞めるのは、格闘技じゃ危険すぎて反則ですがっ。

「わしの奥さんは指先で、瓦を割らずに穴だけ穿つ。いってみれば常にナイフを持ってるようなもんだ。そんな人を相手に寝技とは相当馬鹿じゃの、あの外人さんは」

 ジュベールは手で血の滴る首を押さえながら逃げる。こっちに向かって必死の形相で。

 奥さまははね起きるとジュベールを追った。床に落ちていた二本の刀を拾い、それをふりかざしながら。しかも顔は人形のように無表情。

 こ、怖えええ!。どう見てもスプラッタムービー。

「風太君、邪魔だ」

 風太は親父に、廊下から階段に引っぱりこまれた。さらに廊下に足を出す。

「ぎゃっ」

 ジュベールは足に躓いて、すっころんだ。

 それを追う奥さま。まさに振り上げた刀がジュベールに振り下ろされようとしたとき、親父は奥さまの首根っこをつかんだ。

「ほれ。もうそのくらいにしとけ。魔子は無事だ」

「あ、あなたっ?」

 殺人機械と化していた奥さまの顔に人間らしい表情が戻る。

「魔子」

 さらに魔子を見つけると、大きな目に涙を浮かべ、子供みたいに泣きだした。

「あああん。よかったぁ。ああああん」

「あんなの殺すまでもない。ほっとけ」

 親父の言葉に奥さまは日本刀を床に落とした。

「馬鹿め。その甘い気持ちが命取りだ。たった今、自爆装置を押した。あちこちにセットした爆弾がすぐに爆発するぞ」

 ジュベールがなんかリモコンみたいなのを突き出しながら叫ぶ。

「なに? せっかくわしが助けてやったのに。おまえとおまえの仲間も死ぬぞ。今ならすぐ治療すれば死ぬこともあるまい」

「うるせい。道連れだ。みんな死ぬんだ!」

 その顔は狂気に満ちている。

「バイクだ」

 風太の叫びで、みな一丸となって、倒れているバイクのところに走った。

 奥さまがバイクを起こす。だが全員は乗れない。

「魔子は後ろに、おまえらは後ろの両サイドに掴まれ」

 親父にいいつけに従い、風太とつららはリアシートの両側で足をマフラーにかけながら、バイクにつかまった。魔子はリアシートに座り、奥さまの背中にしがみつく。

「つかまったわね?」

 奥さまは返事を待たずにアクセルを吹かした。

「お父様は?」

「心配ない。あの人ひとりならなんとでもするから」

 まあ、たしかに核爆弾でも使うならともかく、ちょっとくらいのダイナマイトとかであの人が死ぬ姿は想像できない。

 バイクが廊下を疾走し、階段を駆け上がる。振り向くと、すぐ後ろを関羽親父がついてくる。長い髭と着流しをたなびかせながら。

 この親父、走るのも速ええっ!

 階段を折り返し、地下一階に上がったとき、両サイドから爆音とともに炎が向かってくる。

「うわあああっ!」

「きゃあああああっ!」

 ごおおおっと左右からバイクを炎が包もうとした寸前、バイクは階段を駆け上がる。炎は追ってきた。

 爆発は階段でも起こった。今まさに駆け上がろうとした階段がふっとび道がない。

「ど、どうすんだよっ!」

「しっかりつかまってんのよ」

 奥さまはアクセルを吹かし、ジャンプした。かろうじて残った手すりの上に飛びのり、そのまま突っ走る。

「うわっ、ちょ、ちょっと待てええ!」

 風太は叫んだ。そうなると横につかまってる風太は上の階段の床にぶち当たる。

「任せて」

 風太がまさに激突せんとした瞬間、奥さまは横に飛んだ。そのまま横方向に一回転、反対側の壁をバイクのタイヤで蹴り、一階の床まで飛ぶ。その瞬間、階段室全体に真っ赤な火柱が上がった。煙突現象とかいうやつだ。

 バイクはそのまま一階の出口に向かう。

 ずず~ん、とか、どど~ん、とか物騒な音があちこちから響き、上からはコンクリートの破片が降りそそぐ。奥さまはバイクをジグザグに運転し、それをことごとくかわした。

 進行方向の床に赤い亀裂。そのまま床がふくれあがったかと思うと、炎を吹きながらコンクリートの破片を吹き飛ばす。

 止まれるスピードじゃない。

 むしろ奥さまはさらにスピードを上げると火の中に飛びこんだ。もちろん、ジャンプしつつ。

 猛スピードで飛ぶことで、火の柱の中にトンネルができる。

 それは信じがたい光景だった。上下左右いずれも真っ赤な炎。その中を道を切り開き進むバイク。十五メートルも飛んだのだろうか? ついに炎の壁を突っ切る。

 がつんと下にコンクリートの感触。二、三回、はね跳びながらばく進。そのまま入り口ホールまでたどり着いた。

 そこはすでに火の海にして瓦礫の山だった。ところどころから鉄筋をにょきにょき生やしたコンクリートが、いかついバリケードを形成し、溶けた床材の塩化ビニールが炎と有毒ガスをまき散らしている。

「ガス吸いたくなかったら、息止めてんのよ」

 バイクは馬のようにはねた。前輪を上げたまま、ぴょんぴょんと後輪で炎のないところを選びながら。

 奥さまの背中につかまっている魔子はともかく、風太は振り落とされないようにするので必死だった。

 悲鳴を上げそうになったとき、ようやく暴れ馬のロデオは終わる。建物の外に脱出したのだ。

 外に飛び出て五メートルも走ったころ、両方のタイヤがいかれた。熱とがたがたの足場に耐えられなかったらしい。

 ふり返ると、建物のあちこちから爆音がとどろき、窓から炎が噴き出す。

 いったい、どんだけ爆弾仕掛けたんだよっ!

 そんなことを思ってるうちに、建物が歪みだした。そうなると、あとは早い。

 アメリカあたりでよくやる、爆薬による建物解体のように、あたり一面に煙をまき散らしながら、轟音とともに一気に崩れ去った。

「お父様っ!」

 魔子が叫ぶ。そういえばまだ親父は脱出してきていない。

 あのいかにも不死身そうな超人親父といえど、さすがにこれじゃあなあ。

 ついさっき建物があった場所にあるのはたんなる瓦礫の山でしかなかった。

「だいじょうぶよ。きっと脱出してるから」

 そう慰める奥さまの言葉もむなしい。

「ん? なんか、囲まれたみたいね」

 いきなり奥さまがいった。

「ざっと百人?」

 それを受けたのがつらら。そういえば、敵の援軍のことをすっかり忘れていた。

 風太がふり返ると、たしかになにものかがぐるりと取り囲んでいる。暗くてよくわからないが、バイクや車に乗った連中だ。気づかれたことを悟ったらしい。一斉にライトを点ける。

 案の定、バイク、サイドカー、車は改造車にトラック。トラックの荷台には刀やバットを持った男たち。極めつけはライフルや拳銃持った男たちまでいる。

「まあ、たちの悪い暴走族ってところね」

 奥さまはなにげなく言うが、日本に銃器武装した暴走族はいねえっ!

 もっとも服装はみな、いかにもそれっぽい特攻服だ。

 逃げようにもこっちのバイクはタイヤがパンク。奥さまの日本刀は瓦礫の中に埋まってる。

 ピンチ。今度こそ最大のピンチ。

「貴様らぁあ。よくも仲間を」

 軍団のリーダー格らしい、リーゼント男が叫ぶ。

 いや、自爆したのはジュベールだろっ! 恨むならジュベールを恨めよ。

「こいつら皆殺しにしろ」

 その号令でライフル隊がこっちに狙いを定めた。

 その瞬間、なにかが空を飛んだ。

 それはライフル隊にぶち当たる。それで一気にライフル隊全滅。

 当たったのはコンクリートの瓦礫だった。

 瓦礫はさらに飛ぶ。ライフルのつぎは拳銃部隊がそれにやられた。

 いったいなにごとかと、風太は後ろを振り向く。

 瓦礫の山から鬼が上半身だけ露わにし、まわりの瓦礫をぶん投げてる。と思ったら、よくみたら巣豪杉馬栖留、魔子の親父だった。

「ふははははは。楽しいのお」

 ほんとに楽しそうにまわりの瓦礫をつぎつぎにぶん投げる。それにともなって埋もれていた下半身が露わになってきた。

 ようは自分を生き埋めにしていたコンクリートの瓦礫をぶん投げて、脱出をはかってるわけだが、そのついでにその瓦礫で敵を攻撃。あっという間に、敵は半分に減った。

「ば、化け物っ。トラックでひき殺せ」

 リーダーの号令とともにトラックが突進。

「ふははははは。楽しいのぉおおおおおおお!」

 親父は近くにあった三メートルくらいの柱の破片を掴むと、向かってきたトラックめがけてバットのように振った。

 車体がひしゃげ、ごろごろと数十メートル転がっていくトラック。

 野球かよっ!

 そして親父はコンクリートの柱を金棒のようにかつぐと、ついにずぼずぼと瓦礫を押しのけ、立ち上がった。

「ふははははは。悪い子はいねがぁあああ」

 なまはげかよっ!

「まあ、あとはうちの人に任せておきましょ。ああなったら、とことん暴れないと気がすまないから。しょうがないわねぇ。いい大人のくせに喧嘩好きで」

 あんたがいうか? あんたがっ!

「お父様、かっこいい!」

 魔子、おまえも変だろ?

「いつか、あの親父に勝てるようになりたいな」

 つらら。おまえ正気か?

「ふははははは。なんじゃ逃げるのか? つまらんのお。ほんと、つまらんのぉおおお!」

 おそらく数トンはあると思われるコンクリートの柱を振りまわしながら、のっしのっしと歩く様は怪獣映画。

 ぶんと柱をひとふりすれば、すくなくとも十名はすっ飛んでいく。

 ぶん。「ぎゃああああ」

 ぶん。「ひえええええ」

 つぎつぎとバイクがふっとび、改造車の上に雨のように降りそそぐ。

 もはや敵はかんぜんに戦意を失い、蜘蛛の子をちらすように逃げ去った。

 まわりからパトカーの音。まあ、建物が爆破されたんだから、呼ばなくたって来るよな、そりゃ。

「わははははははははは」

 夜空に豪快な笑い声がこだました。

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