それから僕らは、駅前の公園に腰を落ち着けた。中心街は居酒屋をハシゴする酔っぱらいだらけで、どうにも居心地が悪かった。だから静かな駅前公園までやってきたのだった。

 公園は明るく、静かだった。園内にいるのは犬の散歩にきたおばさんか、夜のジョギングにきたおじさんか、それぐらいなもの。あとはちらほらカップルがベンチを占領していて、少し気まずい気分にもなったりした。

 僕らはベンチを避け、公園奥のブランコに腰を下ろした。水飲み場の近くにある古ぼけたブランコで、鉄骨はペンキが剥げかけていた。どうやらあまり人気のない遊具らしい。

「泉君がロックバンドのボーカルをやってるなんて考えもしなかったなぁ。しかも、オーバーチュアであれだけ観客をわかせるなんてさ」

 キィッと音を立ててブランコを漕ぐ。風は冷たかったけど、南さんはかまうことなく漕ぎつづけた。

「そんなに意外?」

 僕はブランコを漕がずに、ただ足を地面からはなしてブラブラさせた。

「だって、クラスじゃ目立たないし、誰かと話してるとこもあんまり見ないし。本読んでるか、ノートとってるかじゃない? そんな人がロックバンドでボーカルやってるように思える? なわけないじゃん。バンドのメインボーカルってさ、もっとこう、あの軽音部の菊池とかみたいに、自己主張激しそうなヤツがやってるイメージない? エゴの塊ってか、ナルシストの権化みたいなの」

「僕はそうじゃないって?」

「もしかしたらそうかもしれないけど、少なくとも学校じゃそうは見えないかな。だから驚いてんの」

 南さんの声が前へ、後ろへ揺れる。黒いサラサラの髪と青のエクステがその後を追うように揺れ動いた。まるでテールランプの残光ように。

「でもさ、なんでバンドなんて始めようと思ったの? やっぱり泉君って、そういうのやりそうな人には見えないよ」

「偶然そうなったんだ。僕は姉さんがやろうって言ったから、やっただけなんだ」

 そう言って、僕はシスターズ・ルーム結成の顛末を話した。春休みに姉さんがギターを始めたこと。それに合わせて僕が歌い始めたこと。円さんが加わって、保志さんが加わって……そして、今にいたるということ。

「へぇー。それでシスターズ・ルームって名前なんだ」

「そういうこと。それに、『イカロス』の歌詞も僕が書いたんだけど、あれも結成までのことを言ってるし」

「あの歌詞って泉君が書いたんだ」南さんは驚いたように言った。「じゃあ、曲は? その楽器屋の娘とかって言う――」

「作曲は姉さんだよ。舞結姉さん。僕は姉さんの作った曲に言葉を合わせてただけだよ」

「ふうん。じゃあさ、聞いてもいい作詞家さん?」

「そんなたいそうな呼び方しないでよ」

「いいじゃん。でさ、『イカロス』の歌詞。あのサビんとこの『キミが弾いて、ボクが歌って』とか『キミを見つめ、言葉ができて』ってやつ。キミっていうのはお姉さんのこと? で、ボクは泉君?」

 ブランコが止まる。南さんはローファーのかかとを砂利に押し当てて、砂埃を上げながら急停止した。前後していた声が止まり、彼女の顔がすぐ隣になった。

「……深い意味は無いよ。なにも考えてない」

「でも、歌詞はバンド結成までの話だって言ったじゃん。だったら、サビの部分にも意味があるんでしょ? 『キミはそばに、ボクのそばにいて』だっけ?」

「……バカにしてる?」

「してないよ。誉めてんの」

 再びブランコを漕ぎ出した。砂場に写る彼女の影は大きくなったり、小さくなったり。その本来の形を写さなかった。

「アタシ、好きだよ。『イカロス』も『シスターズ・ルーム』も。そりゃ、アタシの音楽の趣味とはちょっとズレるけど。でも、カッコいいよ。だからよけい気になるの。あのキミは、お姉さんのこと?」

 声が前後する。隣に来たり、遠くへ行ってしまったり。

 僕は自分の考えを言葉にするのを渋った。正直、口にしていいものかと思った。でも……いったい、なにが僕をそうさせたのだろう。僕は、南さんの姿に姉と同じモノを見たのだろうか。

 僕は地面を蹴り上げ、南さんとまったく同じタイミングでブランコを漕ぎ出した。座席を支えるチェーンが軋んで音を立てる。でも、かまわなかった。

「そうだよ。たぶん、姉さんのことを言ってたんだと思う。こう言ったらアレだけど、僕はお姉さん子だったから。バンドを始めたのも、なにもかもぜんぶ姉さんのおかげだった。だから……姉さんが遠くに行ってしまうのがイヤだったんだと思う。むかしみたいに一緒に、二人だけで遊んでたかったんだと思う。それが言葉になったんだよ、きっとね」

「はーん、やっぱり。泉君はシスコンね」

「違うよ」

「反論したってムダじゃない? 重度のお姉さん子だもんね。なんたって、シスターズ・ルームのメインボーカルだし!」

 言って、南さんは地面を勢いよく蹴った。さっきよりも一段と勢いをもってブランコは揺れる。だから、僕も負けじと地面を蹴った。彼女を追いかけるみたいに。

 彼女の言葉は、不思議と意地の悪さが無かった。自然と、心のままに言葉が出てるみたいで、裏表のない素直な言葉だった。あざけるような言葉でも、悪意が無いみたいだった。だから、僕も自然と笑っていた。


 気がつくと、もう三十分近く過ぎていた。誰かとおしゃべりをして、こんなにも時間の流れを早く感じたのは初めてのことだった。

 僕はスマホで時間を確認すると、ブランコを足で止めた。

「もう電車が来るよ。駅まで戻ろう」

 そう言ったが、しかし南さんは漕ぐのをやめなかった。

「やだ。もう少しここにいる」

「でも、電車に間に合わなくなるよ。いいの?」

「大丈夫だって。そのまた四十分後の電車に乗ればいいことだし。終電はまだあるし。だからさ、それまで付き合ってよ」

「えぇ……」

「ノリ悪いなぁ。それでもロックシンガーなわけ?」

「僕はロックシンガーじゃない」

「じゃあロックシンガーのたまごね」

「たまごでもない」

 僕はそう必死に否定した。

 でも、南さんは相変わらずあざけるように笑った。

「なんで? 泉君、きっと才能あるよ。将来はどっかのレコード会社と契約してさ、ガッポガッポ儲けられるようになるかもよ」

「さっきも言ったけど、僕はそういうことがやりたくて始めたんじゃないんだって」

「お姉さんに巻き込まれただけだって?」

 意地悪そうに言ったところで、南さんはブランコから手を離した。

 勢いそのまま、彼女は砂場のほうへ向かって飛んだ。日中子供たちが作ったであろう砂のお城を崩して、彼女は着地。体操選手のように両手を上にあげて見せた。

「あーあ、靴に砂入っちゃったよ」

 ぼやきながら、右足のローファーを脱ぐ。それから、僕のほうを振り向いた。

「別にこれからどうしようが泉君の勝手だけどさ。もったいないと思わない? アタシが泉君の立場だったら、ぜったいバンド続けて、登るとこまで登りつめると思う。ていっても、アタシはずっと受け手側だったからよくわかんないけど」

「南さんは何か楽器とかやってみようと思わなかったの?」

「ギターなら中学のとき買ってもらったよ。一時期はスッゴいハマってた。まあ、すぐ飽きちゃったけどね」

「それ、ウチの姉さんと一緒だな。姉さんも、熱中するとスゴいけど、すぐに飽きてやめてばっかり。……だから、今のバンド活動っていうのは、ちょっと何か違うんだ」

「いつものお姉さんなら、こんなことになる前に飽きてたってこと?」

「そう。てっきり僕は、三ヶ月もすれば飽きると思ってたんだ。でも、いまやバンドを組んで、ああして舞台に立ってまでいる。お客さんに向かって演奏までしている。……僕には、ちょっとそれが信じられないんだ。夢を見てるような気分さえする」

「ふーん。でもさ、それってお姉さんが成長したってことなんじゃない? あるいは、やっと本気でハマれるものを見つけたとか」

「まさか。姉さんは今までたくさんの趣味にハマっては、すぐに飽きてきたんだ」

「だからって、いまの状況が例外じゃないって理由にはならないでしょ?」

 そのとき、風が吹いた。電灯の光が風に揺らめく蝋燭のように消えかかって、集まっていた羽虫たちがよろめいた。すぐに光は戻ったけれど、でもその一瞬は確かにあった。虚構の光は一瞬だけ消えて、真実の闇を照らし出したのだ。

「……そうかもね。姉さんは、本当はこういうことがやりたかったのかもしれない。こういうことに向いてたのかもしれない。……紆余曲折の果てにようやく見つけたのかもしれない、自分が本当に好きなことを……」

「でしょ? だとしたら、泉君はどうなの? アンタは、ただお姉さんに巻き込まれるだけでよかったんだ?」

「それは……」

 言葉が詰まった。

 いつもは、こういう気持ちを詞にして表していた。言葉にして表していた。でも、このときの僕は考えることができなくなって、あらゆる語彙が真っ白に消し飛んだみたいだった。

「僕は……そうだな、僕は……」

 言いかけて、僕はあえて目線を南さんからそらした。彼女の顔を直視できなかった。

 結果、僕の視界には時計台が飛び込んできた。もう列車が出る時間だった。もう四十分はこうして暇をつぶす必要が出てきてしまった。

 しばらくのあいだ、僕は目線をそらしたまま黙りを決めこんでいた。僕にはそれが何分にも感じられたけれど、公園の時計台は正確な時間を示していた。秒針が一目盛り動くのに、僕は五秒も要しているような気さえした。

「……あーあ、辛気くさくなっちゃった。やめやめ。ステージでの煌めきはどこに行っちゃったんだか」

 南さんはパーカーのポケットに手を突っ込んで、砂場から戻ってきた。でも、ブランコに腰は下ろさずに、僕の前に立ち尽くした。仁王立ち。彼女の影が、僕の顔に投げ落とされる。

「歌ってよ。これからどうなるにせよ、いまの泉君はシスターズ・ルームのボーカルでしょ?」

「歌ってよって、ここで?」

「そう、ここで。何が歌える? やっぱりオアシス? ってか、泉君の音楽の趣味ってどんななの?」

「僕はそこまで音楽は聴かないっていうか……というか、本当にここで歌うの?」

「うん。歌ってよ。いちおう今は、ボーカリストでしょ?」

 南さんは、パーカーのポケットからウォークマンを取り出した。メタリックブラックのそれは、ヘッドフォンにつなげられていた。しかしジャックを外せば、スピーカー出力で音楽を再生し始めた。

「アタシ、オアシスはベスト盤と『モーニング・グローリー』しか持ってないから。これならいいでしょ?」

「これならって……ここで?」

「つべこべウルサいわねぇ。それでも男なの? ロックシンガーなの?」

 ジョギングに来ていた男性がちょうど僕らの前を通過した。僕と南さんのやりとりに、男性は一瞥をくれた。でもすぐに視線を戻して、走り去ってしまった。

 その次の瞬間だった。

 南さんの指先が、ウォークマンの再生ボタンを押した。

 小さなスピーカーを介して曲が流れ始める。オアシスの『ドント・ルック・バック・イン・アンガー』。姉さんの部屋で何度も聴いた曲だった。

 スピーカーの向こうでノエル・ギャラガーが歌い始めた。僕はそれに合わせることなく、口をつぐんでいた。

「ほら、早く歌ってよ。シスターズ・ルームのボーカルでしょ?」

 南さんはそう言ったけれど、僕は口をへの字にして渋った。でも、最終的には彼女の要求に応えてしまった。まるで、姉さんの誘いに応えるみたいに。

「……わかったよ……『革命はベッド脇から始まるんだ《ソー・アイル・スタート・レヴォリューション・フロム・マイ・ベッド》』

 小さなスピーカーの音量をかき消すように。ここまで来れば、僕も意地だった。僕だって、一応アマチュアだがロックバンドのボーカルなのだ。音楽再生端末の小型スピーカーごときに負けてたまるかと思った。

 そうしてサビに差し掛かったとき、遠くから怒声が聞こえてきた。

「おいこら、うるせえぞ!」

 公園近くのマンションのベランダから、たばこをふかした男性が叫んでいた。どう考えても僕の声より、彼の怒鳴り声のほうがうるさかった。

 僕は大人しく彼の指示に従った。正直、僕は救われたと思っていた。

「……だってさ」と僕。

「ツレないオヤジだこと。やっぱり泉君、才能あるよ」

「そうかな?」

「そうだよ。才能をムダにするなんてもったいない。ていうか、アタシが恨むね」

 南さんはそう言って、ブランコに戻ってきた。そしてまた彼女は地面を蹴りつけ、前後へと揺れ始めた。砂場を蹴る彼女の足は、なにかへの当てつけみたいだった。


 結局、僕らは終電で帰ることになった。電車が駅を出たのは十一時半すぎ。最寄り駅についたころには、もう十二時を回っていた。

 さすがにこの時間になると、駅前にも活気がない。もともと田舎の駅に活気なんてないようなものだけれど、しかしこのときは死んだように静かだった。駅前のラーメン屋は廃墟のようにひっそりとしていたし、雑誌とマンガと時代小説ぐらいしか置いてない駅前書店も市立図書館のような静けさだった。

 改札の駅員さんに切符を渡して駅舎を出る。そのとき駅前ロータリーの時計は、十二をわずかに過ぎたところだった。

「なんか、ずいぶん話し込んじゃった」

 駅舎を出たところで南さんは言って、僕のほうに振り向いた。

「楽しかったよ。まさか泉君がこんな人だとは思わなかった」

「……そう、かな?」

「そうだよ。誰も泉君がロックバンドのボーカルだなんて思わないって。すごいギャップだもん。楽しかったよ。……ねえ、泉君はさ、今週の土曜の午後とか空いてる?」

「今週の土曜?」

「そう。まだ話し足りない気がして。もっと聞きたいの、シスターズ・ルームの話。ほら、アタシって好きなバンドにはとことん入れ込むタイプだからさ。だから、もし空いてるならちょっと付き合ってよ。ほかに用事もあるし」

 ――ちょっと付き合ってよ……。

 脳裏で、南さんではないほかの誰かが同じ台詞を復唱した。それは姉さんの声みたいだったけど、しかしそうではなかった。姉さんの言葉は、もはや上書きされつつあるような気がした。ほんの一ヶ月ちょっともないことなのに。どうして、姉さんは……。

 僕はやりきれなさを覚えた。そして、決断したのだと思う。……姉さんを裏切ろうとしたんだと思う。

「いいよ。土曜なら、授業のあとなら空いてると思うから」

「じゃあ決まりね。土曜の午後、学校終わりに」

 彼女はそう言うと、スカートをはためかせてクルリとターン。小さく手を振って帰路へとついた。

 僕は、そんな彼女の背中を見ながら、駅舎の前に呆然と立ち尽くしていた。しばらく南さんのことを考えながら。

 しかし、すぐに違う人のことが思い浮かんだ。姉さんのことが。


 そうこうして、家に着いたのは十二時半ごろだった。下手をすれば補導されかねない時間だ。学生服を来ていたので、僕は巡回に出ているお巡りさんに注意しながら自宅に戻った。

 当然と言えば当然だけど、玄関の鍵は閉まっていた。しかたなく僕は財布から合い鍵を取り出すと、暗闇のなかしどろもどろしながら開けた。

 家の中は静かだった。駅前のように、死んだように。

 一階の寝室からは、母さんのいびきが聞こえた。仕事で疲れて寝てしまったのだろう。僕のことは気にせずに。

 僕は廊下の明かりもつけず、物音も立てないようにして二階へあがった。姉さんの部屋からは、寝息も何も聞こえなかった。

 ――もしかして、姉さんもまだ帰ってないのか?

 一瞬そんな不安がよぎった。でもそれは違った。

 一階のトイレから水の流れる音がして、それからパジャマ姿の姉さんが出てきた。いつもの薄桃色の寝間着姿。姉さんの目はしっかりと開かれていて、とても寝ぼけているようには見えない。意識ははっきりしているようだった。

 このとき、僕はいったい何を期待していたのだろう。遅くまで外で遊んでいたことを、姉さんが怒ってくれるとでも思ったのだろうか。姉さんにかまってもらいたかったのだろうか。それとも、やきもちを焼いてほしかったのだろうか。

 でも姉さんは、僕の思いに反して、ひどく落ち着いていた。

「おかえり、雄貴。遅かったね」

「うん……」

「お母さん起こさないようにしてね」

「うん」

「それから、次のライブ決まったよ。年末にまた同じライブハウスで。『サフラゲット・シティ』の前座を頼まれたから。今週の日曜にまた練習あるからね」

「うん、わかった」

「じゃあ、それだけ」

 ――それだけ。

 姉さんはそれだけ言って、僕の脇を通って自室に戻っていった。それだけ、だった。

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