ライブハウス・オーバーチュアは、隣町の繁華街の中にある。僕らの街から、電車で四十分。車で行けば三十分程度で着く。

 バンドコンテストは、土曜の夜五時半会場、六時に開演。すでに十一月にもなれば、五時を過ぎれば十分に暗い。ライブハウスを取り囲む飲み屋街は、徐々に明かりを灯し始めていた。

 僕らの順番は三番目だった。『時速60マイル』、『コミュ力欠乏症候群』に続く三番目。そのあとには、『サージェント・チェリー』、『サフラゲット・シティ』と続く。それから、審査員による結果発表となる。

 正直、僕も姉さんも、円さんや保志さんも結果は気にしていなかった。優勝賞金は十万円というが、僕らはそこまでお金がほしいわけではない。名声もほしくはない。ただ姉さんは、演奏する場がほしかっただけなのだと思う。僕たち、シスターズ・ルームとして。


 六時。ほぼ満員の観客を前に、新人バンドコンテストは開演した。

 オーバーチュア店内は熱気に包まれている。ステージと客席との距離感は、ほぼゼロに近かった。それぐらい狭いハコモノだ。でも、それでも何十人という人の顔が並んでいた。

 僕は司会進行がアナウンスをするなか、舞台裏からその様子を見ていた。赤、青、黄色……色とりどりのスポットライトが瞬く中で、人の顔が照らされて、一瞬一瞬に表情を変えている。

 僕はその顔の海のなかから、自然と南奏純の姿を探していた。白い肌に、切れ長の黒い瞳。長いまつげと、切りそろえられた黒髪。美人だから、すぐに見つかると思った。でも、この人混みの中では見つけられそうになかった。

「どうしたの、雄貴」

 舞台裏で姉さんが支度をしながら言った。肩からさげたエピフォン・カジノ。そのチューニングをしながら、姉さんは僕を見た。

 それとちょうど時を同じくして、トップバッターの『時速60マイル』がステージに飛び出していった。すさまじい歓声が舞台袖からでも聞こえてくる。耳をつんざくような叫声と、割れんばかりの拍手。バー・セヴンの比ではない。

 僕は期待と不安に駆られた。手が震える。声がうまく出ない。

「大丈夫だって。雄貴はいつも通りに歌えばいいんだから。わたしのギターに合わせて、いつも通りに。ね? クラスメートの子も来てるんでしょ? だったら、めいっぱい声だして、届けないと」

「そうだけど……まあ、そうだね……」

 カーテンの向こうから演奏が聞こえ始めた。『時速60マイル』。彼らのシンセサイザーの音が響き、それからギターが甲高い産声を上げた。

 僕らの出番は、これからおよそ一時間後だ。


 『コミュ力欠乏症候群』が甲高い雄叫びとともにジミー・ペイジを真似たギターパフォーマンスをして、いったん幕は閉じた。幕、といっても照明が落ちただけなんだけど。

 それで一度ステージが暗くなると、今度はスポットライトが壇上左端に降り注がれる。そこには司会進行の男性が立っていて、彼は次に出演するバンドの紹介をしていた。つまり僕らの紹介だ。

「続きましては、なんと今年結成したばかりの出来立てホヤホヤ。ギタリストの泉舞結と、ボーカルの泉雄貴は実の姉弟だとか」

 彼がそう言ったところで、舞台袖に『コミュ力欠乏症候群』の面々が戻ってきた。それと入れ替わりに、スタッフが僕らを呼んだ。

「つぎお願いします!」

 僕はまだ緊張で心臓がはちきれそうだった。でも、やるしかなかった。

 姉さんが僕の肩を叩いた。振り向くと、肩からギターをさげた姉さん。ベースを構える円さん、そしてスティックをつかんだ保志さんがいた。

「ほら、出番だよ、雄貴」

「……わかってる……わかってるよ」

「大丈夫。わたしの弟なら、最高のライブにできるって」

 ――わたしの弟なら……?

「続いての登場は、『シスターズ・ルーム』だぁ!」

 司会が叫んで、その雄叫びがハウリング。金切り声のような音がスピーカーを介して会場じゅうに轟いた。僕らは、その音とともにステージへ飛び出した。

 刹那、真っ暗だったステージへスポットライトが照らし出された。暗黒の宇宙の中に、突然空間がボッと現れたみたいに。僕はその光に一瞬だけ目をつむってしまった。でも、そのおかげで観客の顔が目に入らなくて済んだ。

 ――そうだ。幕が上がったんだ。

 僕は中央のスタンドマイクの前に立った。棒立ちだった。姉さんたちが配置につくなかで、きっと僕は一人不格好にも目をしばたたきながら、呆然と立ち尽くしていたのだろう。

 それから姉さんにワイヤレスマイクが渡された。MC用のものだった。

「どうも初めまして、シスターズ・ルームです。早速ですが、まずはオアシスからこの曲を」

 姉さんは軽く挨拶を済ませて、マイクをスタッフに返した。それから、僕に目配せした。

 そうだ。この曲は、僕の歌から始まるのだ。

『アイム・アウタ・タイム』

 僕は、そのメロディを頭のなかで反芻し、それに言葉をつけた。もはや客席のなかに南さんを探している余裕なんてなかった。ぜんぶ無我夢中だった。

「ラララララー、ラララララー……」

 それから、姉さんのギターが合わさってくる。保志さんのドラム、円さんのベース。

 もうなにもかも、無我夢中だった。


 スポットライトで視界が塞がれていた。強烈な光が僕の目を焼き焦がし、客席へ向けようとする視線を阻害した。でも、それでよかった。おかげで僕は音に集中することができたのだから。余計な心配をする必要がなかったから。

 僕はただ、姉さんたちが奏でる音に声を合わせる。それだけだった。

 一曲歌い終えると、もう南さんのことなどすっかり忘れていた。ただ見えるのは、光と熱。そこには一人一人の表情というものは見えず、ただ狂喜乱舞する群衆だけがあった。

 『アイム・アウタ・タイム』が終わったところで、姉さんがまたマイクをとった。僕は一歩下がって、姉さんに前を譲ろうとした。でも、姉さんは僕の後ろに立ったまま動かなかった。

「こんばんは、はじめまして。わたしたちは、シスターズ・ルームって言います」

 姉さんはそう言って、僕らのほうを見返した。

 僕らの格好と言えば、姉さんたっての希望で学生服だった。姉さんと円さんは、去年まで着ていた高校の制服。保志さんは、僕から借りたワイシャツにスラックス。そして僕はしっかりとブレザーを着込んでいる。暑いので前のボタンは外していたけれど、それでも異様な光景だったと思う。ともすれば女子高生にも見える二人と、現役男子高校生。そしてちょっとヤンチャに見える男子がステージにいるのだから。その光景は、まるで『スクール・オブ・ロック』だったろう。もしかしたら姉さんは、それにヒントを得たのかもしれない。むかし、姉さんが映画にハマったとき一緒に見たのを覚えている。

 客席から姉さんに向けて声が飛んできた。女子高生がどうだとか。かわいいとか何とか。僕はちょっとイヤな気分になったけど、でも姉さんの制服姿は確かに似合っていた。胸元のリボンは赤く映え、紺色のブレザーとサンバーストカラーのギターが良いコントラストになっていた。

「えへへ、こう見えてもう大学生なんですけどね、わたし。昨年までは華の女子高生だったんですけど……。えっと、それではこれからは、わたしたちのオリジナル曲を二曲続けて聴いていただきます。『イカロス』そして『シスターズ・ルーム』です」


     ♪


 熱狂の渦が会場中を席巻した。姉さんの学生服案が功を奏したのかもしれない。制服姿の姉さんが飛び跳ねながらギターを振り回す姿は、やはり魅力的だった。

 それは『イカロス』の間奏に入った時だった。

 二番を歌い終えると、間奏は姉さんのギターソロに入った。完全にアドリブだったと思う。姉さんは会場の熱気に飲まれたみたいで、額にたっぷりの汗をかきながら、ギターをかき鳴らした。飛んだり跳ねたり、ステージに滑り込んだりして。そのとき観客が盛り上がっていたのは、姉さんのギターソロがよかったのか。それとも、膝丈もないスカートから下着が見えそうだったのか……正直、後者ではあって欲しくなかった。

 そうしてライブハウスのボルテージは最高潮まで達した。姉さんはソロを終える直前、僕にいつものように目配せをした。膝立ちの状態で、振り向くように。しかしその流し目は、いつもの姉さんの顔ではなかった。でも、姉さんの瞳は言っていた。

――はいってきて

 だから、僕はマイクを口に当てて、その熱狂のなかへと飛び込んだ。

「キミが弾いて、僕が聞いて。キミが弾いて、僕が歌って」

 言葉通り、姉さんがギターをかき鳴らし、僕がそれに合わせて歌った。お互いの距離が、限りなくゼロになった。

「キミはそこに、ボクのそばにいて。キミは弾くだけでいい。ボクはキミのために歌うから《You just play. And I'll sing for you.》」


     ♪


 『イカロス』が終わり、続けて『シスターズ・ルーム』も終わった。観客の熱狂は冷めることを知らず、僕らは拍手と歓声のうちに舞台袖にはけていった。バー・セヴンのときとは明らかに違う。一体感といい、この没入感は、まったく異質なものだった。ロックシンガーという役を演じているのに、しかしその役が自分のうちから自然と出て行くような、そんな感覚だった。自分に酔っているとでもいうのだろうか。

 しかし、僕は舞台から降りてようやく悟った。僕らは、まだ甘いほうだったんだと。


 ステージを降りて客席のほうへ戻ってくると、もう最後のグループが演奏を始めるところだった。『サフラゲット・シティ』というバンドだ。リーダーはキーボーディストのようで、彼がメロディとコーラスを兼任。メインボーカルはギタリストで、ほかにドラマーとベーシストという布陣だった。

 さすがにトリを与えられただけはあったのだろう。僕は、彼らの演奏に度肝を抜かれた。ギターを食ってかかるようなキーボードの荒々しさ。シンセサイザーが三つも四つも並んでいたのだが、男はそのすべてを使い分けて演奏していた。とてつもない速弾きは観客を熱狂させ、ソロパートに至っては爆発寸前のようだった。僕らが壇上にいたときとは、あきらかに違う。もっと上を行くエンターテイナーをかいま見た。そんな気がした。

 そうしてすべての演奏が終わり。ほどなくして結果発表が始まった。でも、僕は結果を見る気にはなれなかった。どうにも優勝者は次のライブに出演できる権利と、賞金を獲得できるらしい。でも、僕らシスターズ・ルームは賞金が目当てでも、出演が目当てでもない。ただ人前に出て、自分たちの演奏ができればそれでよかった。きっと、姉さんも同じ気持ちのはずだ。

 司会役の男性が紙切れをもって登壇したとき、客席は『サフラゲット・シティ』コールで埋め尽くされていた。

 僕は、はやくこの場を去りたかった。


 本当はそのまま帰ってもよかったんだと思う。だけど、僕は帰らずにいた。姉さんたちがライブハウスに残っていたからだ。だから結果発表も最後まで聞いていたし、そのあともしばらく残っていた。僕ら、シスターズ・ルームの四人で。

 結局、『サフラゲット・シティ』が大差で勝利。賞金も出演権も彼らが手に入れ、コンテストは予測済みのうちに終わった。

 だけど、そのあとに予想外のことが起きた。


 ライブコンテストが終わったあとは、この『サフラゲット・シティ』のアンコール。それからライブハウス常連のバンドの演奏と続いた。姉さんは、客席でそれを遠目に見つめたままだった。一歩も動かずに。円さんや保志さんも感心するようにステージを観ていた。

 でも僕は違った。僕は急いでいた。一刻も早くこの場から去りたかった。

「姉さん、はやく家に戻ろう。母さんが心配する」

 そんなはずないのに、僕はそう言った。

 姉さんも、その言葉にはうなずいてくれた。だけどその直後、ある人が姉さんに声をかけたのだ。

 その人は人混みをかき分けて、客席の一番うしろにいた僕らのとこまでやってきた。見かけ五十代ぐらいの男性だった。白のシャツに紺のジャケットという綺麗めの格好をしていて、顔にはたっぷりヒゲをたくわえていた。まるで熊のようなヒゲは、どこか貫禄があった。

「泉舞結さんですよね。シスターズ・ルームの」

 彼はそう言って、姉さんを呼び止めた。

 姉さんは立ち止まって、僕らもみんな立ち止まった。

「ええ、そうですけど……あの、どこかお会いしましたっけ?」

「ええ、会いましたよ。バー・セヴンで。半田です。先日お電話させていただいた」

「あー、半田さん! その節はどうも」

 姉さんはそう言って一礼。僕は、はじめその人が誰かよくわからなかった。でも、見覚えはあった。たしか、バーでの初ライブで。

「いえいえ。セヴンで見かけたとき、これはウケる! と思いましてね。いやはや、あなたがたに声をかけて本当によかった。ステージは大盛り上がりでしたよ」

「本当ですか? いやぁ、でも優勝した方々に比べたら……」

「『サフラゲット・シティ』の織田さんはセミプロとしてもご活躍ですからね。無理もありませんよ。……ですが、シスターズ・ルームには、あなたたちなりの魅力がありました。よろしければ、すこし相談があるのですが……いまからお時間はよろしいですか?」

「ええ、わたしは大丈夫ですが――」

 姉さんが言いかけた、そのときだ。

 姉さんは、真っ先に円さんや保志さんではなく、僕を見たのだ。そして僕の瞳を見て、小声で言った。

「先に帰っていていいよ」と。

 姉さんは、確かにそう言ったのだ。

 残ってもよかった。

 帰ってもよかった。

 でも、僕は帰るほうを選んだんだ。

 姉さんたち三人は、半田さんと一緒にライブハウスの奥へ行ってしまった。いっぽう僕は三人とは逆の方向、出入り口に向かって歩き出した。

 店内では、スピーカーからザ・フーの『キッズ・アー・オーライト』が流れていた。ここへ来る途中、車のなかでも聴いた曲だった。


 ライブハウス・オーバーチュアは半地下に入り口がある。防音のためか、地下と地上一階をくり抜いたような施設だった。

 僕は雑多にシールや落書きの施された扉を開けると、階段を上がって大通りに出た。時刻は十時ちょっと前。高校生が出歩いている時間ではないが、終電はまだあったはずだ。

 空はすっかり暗くなって、空気は冷え込んでいた。階段を一歩上がるたびに熱気が失せていき、代わりに街の冷え切った空気が流れ込んできた。

 僕はその冷気を肺に取り込みながら、地上階に出た。

 ――駅へはどっちに行けばよかっただろう。

 そう思って、首を左右に振った。

 そのとき、僕の視界に飛び込んできた。一人の少女が。

 黒い髪。白い肌。長いまつげ。切りそろえられた前髪。長い後ろ髪には、青いエクステが付けてあった。耳のあたりからすーっと青い線が伸びている。

「やっぱり、泉君だ」

 僕はハッとした。

 南奏純。彼女が、ちょうど地上に上がった先で待ち伏せていたのだ。やはり彼女は、このライブに来ていたのだ。

 僕は、「人違いです」と言ってやり過ごそうとした。でも、もう手遅れだった。

「意外だね。クラスじゃあんな大人しくって、どっちかって言えば陰キャラなのに。学校の外じゃこんなロックなことやってんだ」

 言って、彼女は雑居ビルの壁に預けていた背を戻した。上着の黒いパーカーが静かに揺れる。

 彼女は、Tシャツの上にパーカーを羽織っていた。黒地のTシャツには、舌を出した笑顔のマークがある。でもそのマークは目がバツ印になっていて、気絶しているようにも見えた。下は赤と黒のストライプのミニスカートで、首には『b』とマークの刻まれたヘッドフォンをかけていた。制服以外の彼女を見たのは、これが初めてだった。

「……わるい?」と僕。

「悪くないよ。むしろカッコよかった。シスターズ・ルームだっけ? いいじゃん。ウチんとこの軽音部なんかよりよっぽどカッコよかったよ。アイツら、モテるためにバンド始めたヤツばっかりだからね。しかも、他人の曲で女を口説こうとしてやんの。その点、泉君はよかったよ」

「……そう」

 僕は必要以上に答えられず、漏らすように応じた。

 駅へ向かう信号が点滅しはじめた。車道の信号が黄色に変わり、赤へと変わる。そして、歩道も赤に変わった。

「なに、ステージではあんな声張り上げてたクセに、降りたらこれ? もしかしてステージに立つと性格変わるとかそういうやつ?」

「いや、そういうんじゃ……」

「なによ?」

「だから……」

 すると、南さんが一歩僕に近づいた。

 冷気のなか彼女の吐息だけが暖かい。顔に触れる。暖かい吐息。

 それから彼女は深く嘆息して、僕に言った。

「まあいいや。次の電車来るの四十分後だからさ、ちょっと付き合ってよ」

「……え?」

 僕は思わず聞き返した。

 ――ちょっと付き合ってよ。

 姉さんが口にしてくれなかった言葉。長らく聞いてなかった台詞。それが、姉さんじゃない人の口から飛び出た。いや、それぐらい至ってふつうの言葉なんだとわかっている。だけどその語り口が、声のトーンがまるで姉のようだったから、僕は思わず聞き返してしまった。

「だから、ヒマつぶしに付き合ってって言ってんの。どうせアンタも帰る方向は一緒でしょ?」

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