第44話 大谷隊壊滅

 その頃、大谷隊は千五百有余の兵を有して、この戦いに望んでおり、松尾山の小早川を監視牽制する役目も負っていた。吉継は小早川秀秋の行動に不審を抱いており、今も戦が佳境を迎えようとしているのに、一向に戦に参加しないのを疑問に思っていた。もしや裏切りがあるのではないかという思いが強くなっていた。


「一隊を松尾山に備えて待機させよ」

「はっ」


 吉継は自ら兵六百とともに、松尾山を上に眺める形で布陣した。柵は前面に対してではなく、松尾山に対して設けさせていた。吉継は練衣の二ツ小袖をつけ、上には白布に群蝶を、墨で書いた鎧直衣を被り、朱の佩楯に朱の頬楯して冑を冠らず、浅葱の絹の袋に顔を差し入れ、頬楯の下で緒を結び四方取放した乗り物にのり、母衣衆40人ほどに守られていた。


 藤堂隊、京極隊の攻撃を数時間にわたってしのいでいる戦いに、一兵でも多く最前線に送りたいのはやまやまだったが、裏切りの不安があれば、そちらに備えておかねば、急襲されれば、たちまち大谷隊は崩壊してしまう。それは三成にとっても大きな誤算であろうし、この戦の勝敗はついてしまうだろうと考えていた。先頭の戦線の状況は厳しい報告が寄せられてくる。


やはり、考えていた通りの事が発生した。

「殿、小早川殿謀反でございます」

「わかった。小早川の動きを封ぜよ」

「はっ」


 小早川隊に備えた隊は精鋭がそろっており、戦の疲労もまだない。

「鉄砲隊前へ」

 小早川の雑兵がわれ先にと山を駆け下り攻め入ってくる。

「放てっ!」

ダ、ダーン!

「かかれっ!」


 両軍入り乱れての死闘となり、その勢いに小早川の軍勢は圧倒され、一時は押し戻される。しかし、小早川は二〇倍以上の兵にものをいわせて、次から次へと新手が押し寄せる。 大谷隊と沿う形で布陣している平塚隊、戸田隊も前と横から殺到する徳川勢と小早川勢と死闘を演じており、死傷者も増えており、疲労困憊に達していた。まさに死にもの狂いであった。特に平塚為広、戸田重政は獅子奮迅の働きを遂げて、討死にして果てたが、一時は秀秋の軍勢を押し戻したほどの武勇を遂げたのである。


そんな折、新たな衝撃が起った。


「脇坂殿、朽木殿、小川殿、赤座殿が寝返ってござる!」

「何としたことぞ!殿、周りは皆裏切ってござる。このままでは全員討死は必定!」

「脇坂の兵がもう本陣に迫っております。もうもちこたえれません」


 平塚為広殿、戸田重政殿相次いで討死の声が届く。奮戦むなしきかな、我が戦い終わりたりと、吉継は天を仰いだ。


 周りを警護する兵卒もその数は数えられるばかりに減っている。


「殿、ここは落ち延びて治部殿とともに再起を図るが肝要かと」

「わしはもう永くは生きられぬ。これが最後の戦と思うて望んだのじゃ」


 吉継は病の様子も芳しくなく、迅速に動くことはもはやかなわず、この戦いにのぞんで精神を奮い立たせて何とか部隊の指揮をとっていたのだった。ここ数日の戦闘で、疲労困憊しており、体の自由も効かなくなっていた。


「わしが首、敵に渡すのは是非に忍びない。わからぬよういずこに埋めよ」

「殿、しかし」

「構わぬ。首を埋めた後は、治部にこの書状を渡してくれ」


 吉継は、書状を懐より出して、伊助に手渡した。そして、懐剣を抜くと脇腹に突き立てた。木元五兵衛が刀を抜き、吉継の首をはねて、血のしたたるその首を布に包むと脇に抱えて、伊助とともに脱兎のごとく走り出した。もう本陣には小早川や脇坂・朽木の旗印が入り乱れようとしていた。二人は、遮二無二その場を離れ、木立の中に姿を消すと、吉継の首を埋葬して、その場をさっていった。伊助が石田の陣中にたどりついたときには、もはや石田の陣も総崩れとなっており、三成の姿はみえず、吉継が託した書状は渡ることはなかった。


「殿!」

 伊助は涙をこらえながら、その書状を懐に入れると、山中に姿を消していた。


 父吉継が危ういと耳にした前方で奮闘していた子の吉勝と頼継は、本隊に駆けつけようとしたが、乱戦で其の場を動けずにいたところ、続いて自刃したとの報せを受けた。ここに至りては、父に従い切腹しようとしたが、橋本久八郎が諌めた。

「お味方敗軍すれど、秀頼公の御大事は今日に限るべからず。お歎きの余り粗忽に討死をとげらるるはかえって不忠というもの。すぐさまここを退かれよ。天下の御為を謀りお父上の御弔い合戦をこころがかるべし」

と両兄弟諌められ、とくと納得して虚しく越前方面へと逃亡していった。


「大谷吉継殿、ご自害!」

 の報せは、となりで奮戦している小西行長の陣にももたらされた。小西隊は動揺した。大谷隊が壊滅敗走したとすると、側面から攻撃され、いっきに崩されるのは必定だった。態勢を立てなおさなければならなかったが、予備の兵も底をついており、行長自身もう戦いを継続する気持が消えていた。


「殿、なにもかも小早川殿の裏切りで万事休す」

「そうか。ここで頑張っても犬死にだ」

 と行長は従兵とともに戦場を離脱してしまった。小西隊は統率がなくなり、皆一斉に戦場から逃走を始めた。もはや雪崩現象で、西軍崩壊はいっきに進みはじめた。


 互角の戦いを続けていた西軍は、小早川等の裏切りにより一気に崩壊をはじめ、大谷隊、小西隊と壊滅し、その影響は西軍最大の兵力を有する宇喜多隊にも及び始めていた。そして、その崩壊は瞬く間に訪れた。


「殿!小早川が東軍に寝返りいたしました」

「何と?秀秋め何故裏切りおったか。馬を曳けぃ!只今より秀秋を誅伐せん」

「大谷殿自刃」

「小西隊崩れ申した!」

悲報ばかりが宇喜多の陣営にもたらされる。

「全登、何か策はないか」

「こうなってはもはやわが西軍に勝ち目はございませぬ。一度起った動揺は鎮めようにもそう簡単には収まりません。ここは、大坂に行き再起を図るのが肝要かと」

「秀秋を討たずに落ちのびよと申すか」

「御意。秀秋殿を討つのは容易くありますまい。ここは逃れるのが一番かと。ここは、わしが食い止めますので、是非とも無事に落ちのびくだされ」

「全登よ、命をかけてわしを守るか」

「そう容易く討死にする全登ではござりません。ご安心あれ。また何処でお会いできましょう」

「よう、わかった。あとは首尾よく頼む」


 秀家は近習に守られて、伊吹山中へと消えていった。全登は首尾よく戦線を保ち続けたのち、まんまと行方をくらまし同じように伊吹山中へと消えていった。


 本陣石田三成の陣営は、獅子奮迅の戦いぶりを発揮して善戦していたが、大谷隊、小西隊と壊滅し、はたまた頼みとする宇喜多隊まで崩壊を始めたとあっては、もちこたえるのも時間の問題だった。東軍の攻めは一手に石田隊に及んでくる。ましてや、一番頼みとしていた島左近が討死し、左近の嫡子信勝も藤堂高虎の山本平三郎に刺され討死した。蒲生衆も相次いで討死を遂げて行く。そして、もう一人の蒲生郷舎が踏ん張っていたが、三成はこの戦の潮時を感じとっていた。


 郷舎は織田有楽らの手勢と戦い、槍衾により突き刺され壮烈な最期を遂げていた。

「郷舎殿討死!」

 の声を聞き及んで、三成は決心がついた。一刻もここを離れ、佐和山城へ帰り一族とともに籠城せねばと思った。


「わしは佐和山に行く。助左、後は頼む」

「殿!敵はここから先は一歩もやりませぬ。どうかご無事で」

「うん」


 三成は磯野平三郎、渡辺甚平、塩野清助三人の家臣を伴い、伊吹山山中に脱出していった。当然、主を失った集団はたちまち離脱逃亡を始め、右往左往する姿が現出していた。

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