俺は彼女にメスにされたい

宮崎笑子

本編

チューリップの約束

 小さな頃、幼馴染とベタに結婚の約束をしてそれぞれが摘んできた花を交換したことがある。

 そのとき俺は道端に咲いていたシロツメクサを差し出したのに対して、彼女のほうは花壇から無断で摘んできた鮮やかな赤い色のチューリップだった。

 そのときすでに、差はついていたのかもしれない。彼女はのちに、幼稚園の園長が育てていたチューリップを摘んだという理由で先生に断罪されたが、俺のことを一切引き合いに出すことはなかった。ひとりで、罰を受けた。


「ちとせ、パスパス!」


 体育の授業、ほんとうは面倒くさかったからさぼろうかと思っていたのだが、保健室に向かいかけた俺の背中に向けて教師が、「武本たけもと~、おまえこれ以上体育出なかったら単位出ないからね~」とかのんきな声色でとんでもないことを言うものだから。しかたなく。

 出りゃいいんだろ、出りゃ。という気持ちで、バスケの授業中俺はさぼり仲間のトシとずっとコートの枠外の隅で適当なパス練習をしながらだべっていた。


「あ、そういやあさ、俺のカノジョの友達が、なんか彰吾しょうごのこと気に入ったらしくて、会いたいとか言ってっけど」

「マジ? 巨乳?」

「ん~、そこそこ」


 しょうもない猥談に花を咲かせていると、そんな俺たちの会話を切り裂くようにコートのほうから凛とした声が響いた。


愛理あいりナイシュ!」

「やった~!」


 思わずそちらに目をやると、背の高い女子がシュートを決めた女子を褒めちぎってわしゃわしゃしているところだった。

 すっきりとしたボブの黒髪を揺らし、コート内を縦横無尽に駆け抜けている背の高い彼女は、俺の幼馴染だ。大坂千寿おおさかちとせ、そこらへんにいる男よりもよっぽど女子にモテるタイプのサバサバ系。実際、湿っぽい感情を持ち合わせていないんじゃないかってくらいからっとしていて、太陽みたいな底なしの明るさを持っている。

 たかが体育の授業に真剣になって、コート内を汗水垂らして駆け回り、相手のチームの守備をごぼう抜きして華麗なるレイアップシュートを決める。


「彰吾。顔がメスになってる」

「……やばい抱かれたい」

「あほ」


 自分で自分を抱きしめて恋する乙女みたいになってしまうくらい、大坂千寿はかっこいいのだ……。

 と、騒いでいる俺たちに不意に大坂千寿がこちらを見た。


「……あほ」


 トシがほんとうにあきれたような声を絞り出す。俺が、誰がどう見てもあからさまに身体ごと視線を逸らしたからだ。

 俺は大坂千寿と目を合わせられない。

 小さい頃に結婚の約束をしたのも今は昔。運動神経抜群の才女にしてすっきりとしてそれでいてあでやかな顔立ちの大坂千寿は、俺にとってもはやそれこそ太陽のように遠い存在になってしまった。だって、対する俺は成績はいつも下から数えたほうが早いし、女にだらしないし。

 ベタな展開は好きじゃない。それは、自分がそのベタに当てはまるような人間じゃないからだ。自力では到底ベタな展開を成就させることができない愚か者だからだ。


「……俺に女紹介してもらってる場合じゃないだろ」

「……分かってるよ」


 唇を尖らせる。分かってる、分かってるんだそんなことは。

 でも、じゃあ俺にどうしろって言うんだ。あまりにも遠すぎる大坂千寿に今更好きだなんて言えないし、言ったところでいい反応が返ってくるはずがないのは分かり切っているんだから。

 小さい頃に交わした約束をいまだに覚えているのなんて俺だけで。

 まぶしすぎて目も合わせられないのも俺だけで。

 こんなに好きなのも、俺だけで。


 ◆

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