第1話 夢幻転移(灯和)

「昨日のグラント砦戦はやばかったな。大門を突破された時は、さすがにもう終わりだとすら思ったね」


 職場の同僚、日ノ本大和ひのもとやまとは、どこか楽しげな口調でタバコをふかしていた。


「そうだったっけ? それはダイタル城での出来事じゃなかった? グラント砦は、昨日……いや一昨日の出来事だった気がするんだけど。よくわからないや、夢の話だし」

「そうだっけか? まあ、一晩で七日分ほどの出来事を体験してりゃ記憶も曖昧になるわな。なんせ夢の話だし」


 僕は食べかけのBLTサンドをかじり、砂糖とミルクの混ぜられたコーヒーを流し込んだ。


 施設長は、今回の豆は奮発したんだと意気込んでいたけれど、味の違いはよくわからなかった。


 ほどよい酸味とマイルドな苦味が、ほのかな甘みを演出していると力説していたが、ミルクと砂糖でコーティングされていて、本来の味は消えてしまっていた。


「夢の話だからね」

「夢とはいえ、俺たちにとってはもう一つの現実と言っても差し支えないだろうに。勇者である久遠灯和くえんとうわ様は、随分とドライだな」


 皮肉げに口元を歪め、ブラックのドリップコーヒーをすすっていた。


 なんだか僕よりも大人な雰囲気を感じるのは、ブラックコーヒーを飲めることと、タバコを吸っていることのせいだろうか。


「夢の話だからね」


 今まで何万と繰り返した事実を、再び確かめるように繰り返した。


 そう、すべて夢の中の話なのだ。


 ただ、すぐに内容を思い出せなくなってしまうような、泡沫の夢と呼ぶには、できすぎているのだけれど。


 二年前、未だに原因は判然としないが、確かに世界が揺らいだ。


 僕らには見えない、知覚すら出来ない境界が揺らいだ結果として、人類の一部は異世界と繋がった。


 移動するための条件としては、とても簡単で、限定的だ。


 夜に眠ればいい。


 ただそれだけのことだ。


 ふとした瞬間に目覚めた時、僕を含めた一部の人類は、ここではないどこか異世界で暮らしていた。


 一晩だけの奇跡であれば、奇妙な夢だったと笑ってしまえるような出来事なのだが、毎晩繰り返される夢の中の冒険は、現実の世界と同様、連続性があった。


 現実世界で、今日が来たら明日が来るように、夢の中でさえも、今日があって明日もあるのだ。


 違うところとしては、現実世界の一日は、夢の世界では約一週間ほどの体験をする、という点だ。


 これは僕だけの経験ではなく、世界中の人がランダムに、この不思議な体験を訴えている。


 ロマンチックな物言いが話題の専門家が言うには、なんらかの原因で、世界が辿る可能性のあった別世界と、ふとした衝撃で繋がったのではないか、と表現していた。


 世界が、境界が曖昧になる、夢を見るという行為が鍵なのだと言う。


 夢幻転移むげんてんい


 そう呼ばれていた。


 個々人で繋がる世界は一つだけだが、繋がっている世界は様々だった。


 荒野が続く荒廃した大地だったり、空の上に文明を築いた空中都市であったりと、多岐にわたった体験談がネット上にあがっている。


 僕と大和はたまたま同じ世界に繋がり、異世界で新たな生を受けた。


 プリルームと呼ばれる人類と魔族がつばぜり合う、そんな世界で僕たちは成長し、勇者と魔法使いという役割を受け、プリルームを救う使命を背負わされたのだった。


 現実世界では、児童養護施設の職員として同僚の大和と働き、プリルームでは、人類を勝利へと導く勇者と魔法使い。トウワとヤマトとして、時折冒険を共にしている。


「まあ夢でもなんでもいいさ。大学卒業してから三年も働いてるってのに、日々頭つかって、気もつかって働く現実は辛えよ。それに比べたら、活躍も賞賛も得られ放題だしな」


 大和は熱を帯びた口調で言いながら、両手を伸ばして背中をしならせた。そろそろお昼休憩が終わるため、ストレッチをして体をほぐしているようだ。


「まあでも、この世界にいる時はこの世界が現実だよ。こうして夢の話を忘れないように話しているけど、意識しなかったら簡単に忘れちゃうんだし。こっちもあっちも、両方とも大事にすべきだ」


 腰を回して、体をほぐす作業に移行した。


 さて、午後には瑠璃るりちゃんに勉強を教えなければならない。


 勉強嫌いで、遊ぶことが大好きな瑠璃ちゃんは、何かの遊びに付き合ってあげないと、勉強机に向かってくれないのだ。


「色んな意味で現実主義だねえ。俺はプリルームで栄誉を手に入れてみせるさ。せっかく偶然にも同じ世界に行けるんだから、協力していこうぜ」


 遠くを思う時のギラついた表情は、異世界で活躍する魔法使いヤマトとしての自分を、思い描いているのだろう。


「うん、これからもよろしく……って瑠璃ちゃん」


 すでに背後への侵入を終えていたのは、瑠璃ちゃんだった。


 昼休み終了五分前。すでに臨戦態勢を整えた瑠璃ちゃんは、算数の教科書ではなく、両手に収まるくらいのゴムボールを持っていた。


 十一歳らしい、無垢さを全面に売り出している笑顔は、残りわずかな休憩時間すら奪おうとしていた。


「灯和、遊びましょ」

「灯和先生、だろ」


 何度言っても直らない呼び捨てを注意しても、瑠璃ちゃんは舌をだして笑うのだった。


 悔しいが、それだけで許してしまう甘い心をなんとかしたいものだ。


 参ったな、と耳の裏をかく仕草をする時、瑠璃ちゃんはなぜか不思議そうに僕を凝視するのだった。


 さて、仕事しよ。

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