棲む人々のお話

@ten-0610

第1話 棲む人々

幼いころ、鏡から人が出てきたと言って大人に怒られた。

ハンガーにぶら下がっている父のスーツの袖から、何かが覗いているといって、

笑われた。

だが、ふすまに写る影は勝手に動いていたし、廊下からはいつも誰かの足音していた。

古く大きな家に借家住まいをしていた時の話だ。

その家には、大きくて気持ちの悪い無花果の木と、空気の淀んだ離れと、臭い井戸があった。

遊びに来た友達は、なんか怖いねと、みな困った顔をした。

引っ越した初日には、見たこともない大きな百足が障子に張り付いていた。


いま、思えば、その土地自体おかしかったのかも知れない。

都内ではあるが都心から離れ、戦時中、元防空壕や死体置き場があった土地だった。


その家の近くには祖父母が所有するマンションあった。

父が痛くその家を気に入ったせいもあったが、家族で住む決め手になったのは、

実家のそばだったからだ。

実際、私は母が働いている間中、祖父母の持つマンションに預けられていた。

マンションの隣には、近所の人が首を吊った雑木林がそのまま残っていた。


さて、話が多くありすぎて、何を話せばいいのやら。

何せ幼いころの記憶だし、あやふやなところもいくつかある。

だから、話半分に聞いてほしい。

それに、当時はあまり怖くなかった。

家の事情があり、そのことばかりに気が向いていたのもあったと思うが、

幼い子特有の無敵感もあったとも思う。

前置きが長くなってしまい申し訳ない。

では、そろそろ始めようか。


ー棲む人々の話ー


まずはマンションの話から、いちばん長い時間を過ごしたのだから、そこから始めよう。

集合住宅、人が一つの建物に部屋を持ち、それぞれの生活をしている。

壁一枚、隔てた先には、自分と全く違う人間がいる。

その人の暮らしを察することはできても、おそらく完全に知りうることはないだろう。

私は今でも、その感じに馴染めない。

すぐ近くに私と全く違う何かがいる。


夏のある日、祖父母の部屋で何の気なしに、お経を唱えてみた。

何でだったかは覚えてない。

すると、祖父母と一緒に住んでいた叔父が慌てて飛んできた。


「やめろ、何でお経なんか」

「やめなさい」

「何でそんな」


何でだったろうか。わからない。

だがあまりにも狼狽した叔父を見て、

何でそんなにだめなのか、

と問うた。

祖父だって毎朝唱えているじゃないか。


叔父は少し躊躇したのち、語り始めた。

叔父は立場上、人には言えなかったが、本当は誰かに話したかったのだろう。

不思議な話がすぐに飛び出てきた。


「隣の部屋の人が凍死した」


真夏の暑い日だった。


亡くなった方は、少し変わった方だったらしい。

人付き合いが苦手そうな人だと聞いた。

すると祖父が、いつ帰ってきたのだろうか、私のそばにやってきて、

頭を指でさし、くるくる円を描いた後、手で花火が打ちあがるようなそんな動作をした。

ああ、なるほどな。


でもこんなに暑いのに何故、凍死なのか。

警察にもわからないそうだ。

祖父はエアコンはついていたと釈明していた。

ただエアコンはほこりが降り積もり、中も使った形跡がなかったと。


また、不思議な点は他にもあった。

死体のそばに、ぼろぼろのカップラーメンがあったそうだ。

まるで外装からかじりついたような、カップラーメン。

乾麺のかすと、ぼろぼろの外装、

もちろんお湯の入った形跡はない。

だが、箸のビニールはきれいに開いていた。


ビニールはわからないが、カップラーメンは死後、

ネズミでも来てかじったんじゃないか。

「あんな大きいネズミがいてたまるか」と祖父が吐き捨てた。

叔父は以前にも誰も住んでいない部屋で、そういう形跡があったと話した。

今回と同じように、箸はきれいに開いていたが、

ぼろぼろのカップラーメンがあったそうだ。

入居者のいない部屋のカギは大家しか持たず、窓も閉まっている。


この不法侵入は、上の階の部屋で頻発してるらしい。

今回、亡くなった部屋も最上階である。

どうやって入るかは分からないが、

もし誰も住んでいない部屋に不法侵入して、過ごす輩がもしいるのだとして、

それはまだありえない話じゃない。

空き巣のプロのような人がいるのかも。

だが、私にはどうしても人とは思えなかった。

食べ方も人間離れしているが、その謎の生物は今回はカップラーメンを死体を目の前にして食べたのだろうか。

人間にそんなことする奴がいるんだろうか?

箸の開け方は知ってるけど、食べれるだけの知識がないとか?

それより、真夏にできた凍死体を前にして、カップラーメンを外装からかじった?

そもそも死体だったのだろうか。

凍死体にしたのもそいつじゃないか?

そいつは温かいものが食べれないんじゃないか?

だから、カップラーメンもそのまま食べてるんじゃないか?

その謎の生物が、暖かいものを嫌って生きた人を殺したんじゃないか?

窓もドアも開けた形跡がないんだったら、人の形をしてないんじゃないか?

そいつは、上層階に棲み、ここを巣にしてるんじゃいか?


どんどん私に考えが生まれてきてしまった。

そのまま口に出していると、叔父が渋い顔をして言った。


「楽しむなよ」

「ひとが死んだんだ」

「さっきお経を唱えたのも、面白半分だろう」


そこから長いお説教が始まった。

でも私の頭の中は、想像の生物で頭がいっぱいだった。


祖父母のマンションは古く、戦後その土地の開拓が始まった時から建設されている。

その為、電気系統も古く蛍光管の明かりで照らされ夜になっても薄暗い雰囲気だった。

しかも、一棟だけではなかったので、蛍光管の取り換えが追い付かず、

いつもどこかで階段や通路がチカチカと点滅していた。

夜、母が仕事終わりに迎えに来て、マンションの横の坂を登っていく。

坂は、あの雑木林とも面していた。

夏のぬるい風で、林がさわさわと揺れる。


仕事で疲れた母の顔はいつも暗い。

私はあの後、お説教で泣かされてしまった。

私は、考えがあるといつもまとめずに口からたらたらと零れてしまう。

話さずにはいられない。

叔父も祖父もそんな私を嫌がった。

「こんな子は、うちではあずかれない」

そう言われると、母に迷惑がかかると思い、ぽろぽろと涙が出てしまった。

その事を母には言えなかった。


お説教のおかげかどうかはわからないが、

その後、私は一度も凍死の話題には触れなかった。

だが、何故、あの時お経を唱えたのだろう。

今も当時もわからないが、

あそこには、何かが棲んでいるとただ思うばかりだ。

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