"火炎弓" アカネ・セキ


「クソッ!」


 ダン、と拳が地面を叩く。あの日の敗北が、彼を焦らせていた。


 浅井弘信――いや、ヒロノブ・アサイは"勇者"である。


 "聖剣使い"に呆気なく敗北して暫く、彼はひたすらに鍛錬を続けていた。しかし、一向にレベルの上昇が見られない。俗にいう、上級者への壁――中レベルと高レベルのボーダーラインにあたる、要求経験値の多いレベル帯だ。

 経験値増量のかかっている身ですら牛歩程度にしか数字が増えないのに、それ無しに高レベルへと至った人達は一体どのような戦いを繰り広げてきたのか。そして、そんな彼らがいても討伐に至らない魔王とは何者なのか。恐ろしい限りである。


 考えてみれば、チートチートと言えども、"勇者"はあくまで全般的なブーストスキルに過ぎない。特異な何かができる訳ではなく、高いレベル差を前にすれば無力だ。

 あの小太りの男の言う通り、チートが自分だけのものだと驕っていたのだろう。


「焦っても仕方ないよ。はい、水」


 そう言って水筒を手渡してきたのは、パーティを組むことになった相方だ。同郷の者らしいが、こちらに来たのは相方の方が早い。レベルも"勇者"スキルの経験値増量によって猛追してきたが、まだ一歩先を行かれている。

 ……仲間にも経験値増量は適用されるので、追いつくのはまだまだ先だろう。


「でも、僕は……勇者は、魔王を倒さなくちゃならないんだ」


 それは或いは、ただの英雄願望かもしれない。そこに正義はないのかもしれない。だが、それでも魔王を倒さねばという意志は消えなかった。

 それを聞き、呆れ半分に溜息を吐いた彼女は、手を伸ばしてこう言った。


「それじゃ、もっと強い敵を倒さなくっちゃね」





◇◆◇◆◇





 関朱音は、気が付いたらこの世界にいた。

 与えられたのは最低限の常識と、この身体、そして"火炎弓"だけだった。


「朱音だからって、真っ赤にしなくたっていいのに」


 赤い髪、赤い瞳、服装も概ね赤い。屋敷もあったらさぞ赤いことだったろうと思わされる赤尽くめ。与えられたチートスキルも炎、つまり赤だ。


 "火炎弓"。

 開いてみたGUI……らしきものによれば、炎の弓を形作り炎の矢を放つことができる能力。

 使えるのか使えないのか、些か判断に困る。武器の調達が不要なのはいいが、それ以上は特に無い気がする。魔法に頼らず焚き木ができるくらいか。



 最寄の街がレインセル――セリマージュ王国南部の交易都市――であったのは幸運だった。

 周辺は比較的魔物が少なく、護衛依頼が多い都市であるため、新人冒険者の資金調達には丁度良い。反面、依頼の単価は若干安く、実力を上げるのにはあまり役に立たないので、小遣いや路銀稼ぎといった側面が強い。


 何も持ち物のない朱音は、一年ほどレインセルを拠点にして過ごし、準備が整ったところでこの街を出ることにした。


「アカネちゃん、これを」


「わ、きれい……えっと、これは?」


 お世話になった宿屋の主人が渡してきたのは、青い宝石のようなものだ。独特の吸い込まれるような模様があり、銀の縁に嵌め込まれている。


「リネンの秘石っつってな。セリマージュ式のお守りみたいなもんだ。お前さんに渡してほしいって頼まれたんでね」


「え、誰に」


「うーん、それが名前を聞けなかったんだよなぁ……緑髪の女の子ってくらいしか」


 緑髪の女の子……と言われても、特に知り合いの覚えはない。知らない人間からの贈り物ほど身の毛のよだつものはないのだが……


「心当たりがないんですけど……大丈夫ですか、それ」


「一応見ておいたが、なにかおかしな仕掛けがしてあるってことはなかったぞ。ただのリネンの秘石だ。心配はいらんだろうが……持ってかないか?」


「うーん……まあ、何もないならいい、のかなぁ……?」


「多分、どっかで知り合った人の娘さんかなんかだろ。持ってて悪いもんでもない」


 緑髪の知人自体に心当たりがないのだが、隔世遺伝かなにかでも起こったのだろうか。そういうことが無いともいえない。


「じゃあ、頂いておきましょうか」


 そう言って秘石を受け取ると、別れの挨拶も程々に宿を出た。





◇◆◇◆◇





「えっと……」


 一人の少年が……倒れているというか、伸びていた。装備から推測するに、アカネより多少レベルが低いくらいだろうか。


「大丈夫、ですか?」


 状況がよくわからないが、彼がボロボロなのは確かだ。事件か事故か、なにかあったことは間違いないだろう。


 レインセルから旅に出て三ヶ月ほど、ここはサレスト公国。西の前線と呼ばれる地域の小国の一つだ。小国と言っても、サレスト公爵家はリーフェンの血族である為、その影響力は決して小さいものではない。


 で、そんな国の広場で、この少年は何があればこんな状態になるのか。前線に近い方であるとはいえ、平和な街中である。裏路地でもないので、カツアゲされたという訳でもないだろう。


「……す、すみません、大丈夫……じゃ、ないかも……痛っ!」


 なんとか上体を起こした彼だが、左足が上手く動いていない。恐らく、骨が折れているのだろう。


「宿……じゃない、ギルドはどこに所属してますか? そこまで肩を貸すので」


 北の前線であるセリマージュであれば、冒険者は宿に所属しそこで依頼を受けるものである。中小規模の宿も多く、生活に根差した家庭的な環境が築かれる。

 一方で、西の前線ではギルドという大きな組織で仕事を凱旋してもらうのが一般的だ。せいぜい酒場があるくらいで、住まいを提供していることは少ない。その代わり、商店としての機能や治療師が所属しているなど、特化したサポートが備わっている。宿であれば、そういった事は店主か、近所の専門家・専門店が行うことで成立していた。


「あ、ありがとうごさいます……ハハハ、すみません、情けないところを……」


 乾いた笑いを上げているが、その額にはじわりと汗が浮かんでいる。強がってるが、かなり痛いはずだ。

 しゃがんで彼の肩を支え持ち上げれば、ゆっくりではあるものの、なんとか歩くことはできた。





 ギルドに連れて来て、治療師の治癒魔法を受けさせる。その間に自己紹介と、何があったのか話を聞くことができた。


 名前はヒロノブ・アサイ。単独で活動する冒険者。ぼちぼち実力を付けてきたところで、ポロウド・マーデナーという貴族を懲らしめようとしたら返討ちに遭った、とのことだ。


「来たばっかりの頃から危なっかしいとは思ってたけども、まさかあのポロウドに喧嘩売りに行くとはなぁ……聞いたことないのか? 冒険者の頃は結構な武勇があったんだぞ、あれで」


「あはは……はい、実感しました」


 治療師の言葉に、項垂れるヒロノブ。悔しさか、それとも同年代の異性であるアカネに見られた情けなさか、或いはその両方か。


 しかし、彼の目に諦めはなかった。


 ……名前からして同郷であろう彼ならば、恐らくは、例に漏れず特殊なスキルを持っているはずだろう。


 治療が終わり、治療師に礼を言って立ち上がる。アカネに向き直り、それに対して椅子に座っていたアカネも立ち上がる。そうすれば、彼は頭を下げて言った。


「今回は、助けていただきありがとうございました」


 そこで、アカネはふと思い至ったのだった。


「ねえ、ヒロノブ君」


 上がってきた肩に、アカネは左手を乗せた。


「えっと、なんでしょう……」


 突然『君』ってなんだろう、ということは口に出さないが、どうにも妙な笑みでこちらを見るアカネに、若干気圧されながら反応するヒロノブ。

 戸惑い、また中途半端な角度で止められた為に見上げる形で、様子を伺う目をする彼に、彼女は言った。




「パーティ、組んでみない?」

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