職場


「あ……あ……あ……」


 ヘレナは言葉を失った。来てる。悪魔が、職場に来ている。彼女は、すぐさま、抱きしめてくるブサイクを雑に払いのけ、座って仕事を再開する。


 殺される……仕事をしないと、殺される。


「へ、ヘレナ? 知り合い?」

「……」


 マンブーが戸惑いながら尋ねるが、無視。もう、こんなクズに構っている場合じゃない。一方で、ヘーゼンは爽やかな笑顔を浮かべて好青年を演じる。


「ちょっとごめんなさい、僕は義母かあさんと話があるので」

「……っ」


 頼むから、母と呼ぶな。


「は、母? ヘレナと君が?」

「ええ」

「……っ」


 ヘレナは即座に立ち上がり、ヘーゼンを連れて廊下へと去る。そして、開いた扉からソーッと中を見て見ると、やはり、渦中の人となっていた。


「はぁ……」


 当然か。そもそも、情緒不安定になって業務中に泣き出し、クソデブが抱きしめてきていたのだ。それだけでも十分事件なのに、果ては16歳くらいの青年が突然『母』と呼んできたのだから。


「何をボーッとしているの?」

「は、はい! ごめんなさい!」

「……ねぇ、義母かあさん」


 ヘーゼンは顔を近づけて、おどけた表情で来た。


「もっと家族みたいにしてよ。血縁者という既成事実を作ってるんだからさ」

「……っ」


 ギラリ。


 悪魔の眼光が鋭く光った。


「で、でも! 無理があるんじゃないですか? ほら、最初に出会った時に、あれだけ暴れ回ってましたし」


 忘れもしない。ここで、出会った時に思いきりビンタされ、泣かされた。思えば……その時その瞬間が、地獄の始まりだった。


「思春期の息子ってことで問題ないだろう。ほら、職場をサプライズで訪ねたら義母かあさんに知らんフリされたから拗ねちゃってとか。適当に」

「……っ」


 適当過ぎる。あんな衝撃的な出来事を、そんな言い訳で乗り切れるとでも思っているのか。


「と言うか、僕はそんなことを考える暇はないから、聞かれたら、義母かあさんが考えなよ」

「い、いい理由が思い浮かびません!」

「知らないよ。バレたらバレたで、義母かあさんの責任として処分するだけだし」

「……っ」


 鬼畜過ぎる。


「だいたい心配のし過ぎだよ。人は案外、他人には興味のないものだ。興味があるのは、他人の面白不幸話だけだ」

「……」


 な、なんて性格が薄汚れた男だろうか。


「……」

「……」


            ・・・


「……思い浮かばないのかい?」

「す、すいません」

「はぁ……仕方ないな。じゃ、前の設定でいいから。実は13歳の時に乱行してて息子を出産。さらに、再婚していて、それを頑なに隠していた。これでいいだろ? 身近な人からしたら、格好のスキャンダルだ」

「……っ」


 嫌過ぎる。そんな影口を叩かれながら、職場で過ごさなくてはいけないなんて。


「人は信じたい情報を信じるものだ。義母かあみたいないけ好かないクソ女なんて、どうせ嫌われてるだろうから、皆さん諸手を挙げて歓迎してくれるよ」


 だ、誰がいけすかないクソ女だ。


「……」


 瞬間、ヘーゼンが髪をガンづかみして、コッソリと凄む。


義母かあさんしかいないだろ、ダントツで」

「はぐっ……痛い痛い……は、離してっぇ!?」


 頼むから心をよまな読まないで欲しい、とヘレナは切に願った。


「で、でもでもでも!? さ、流石に現実味が無さ過ぎじゃないですか? 設定がメチャクチャで……」

「ラブストーリー劇の観過ぎだよ、義母かあさんは」

「……っ」


 観てるけど。なんなら、週4で観に行っていたけども。


「仮に義母かあさんが、物語に出てくる悲劇のヒロインだったらクソ台本かもしれないが、脇役中の脇役中の脇役の嫌味な女だったら、正直お似合いだよ?」

「くっ……でも、義母という設定は?」

「僕はニュアンスで『義母かあさん』と呼んでるだけだ。血が繋がってると自認するのは、恥ずかしいからね。周囲からは『かあさん』でも通るから問題ない」

「……っ」


 どうしよう。


「で、でも。周囲の人が心配してくれて突っ込まれたら? さすがに、私は、さすがにだと思いますけど」

義母かあさんみたいなクソ女に、そんな人いないよ。絶対とは言わないが、99%保証する」

「くっ……」


 胸糞悪い、保証だった。


「とにかく、早く職場に戻って。さすがに席を外し過ぎたら怪しまれるだろう?」

「そ、そこはしょっちゅうなので問題ないですけど」

「……そう言うところだと思うけど、まあいいや。僕はしばらく掲示されてる依頼を見てるから」

「わかりました」


 ヘレナはあきらめて仕事場に戻った。


 その間、周囲でヒソヒソと話していたが、やがて、代表で1人野次馬が突撃して来た。仕方なく、ヘレナは先ほどの説明をする。


 こんなの、誰も信じるわけがないのに。























 結果として、全員が信じた。

 

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