入学


 テナ学院には、貴族と平民の差が存在しない唯一の教育機関である。それは、『人は誰しも平等である』という生易しい理想論でなく、弱肉強食。『優れた者のみを欲する』という学院長の強烈な理念によるものだ。


「……お母様、早く早くー」


 足取りが軽く、黒髪の青年が両手を振る。その笑顔は1ミリの屈託もない。

 一方で。足取りが重く、やつれきった表情の女性が、寂れた笑顔を浮かべた。実際には他の親よりも若い年齢なのだが、どちらかと言うと年老いた方の部類に見える。


 そんな彼女の様子をひとしきり眺めた後。黒髪の青年――ヘーゼン=ダリは、母親の方に駆け寄って、爽やかな笑顔で耳打ちをする。


「おい、お前もう少し真面目にやれ」

「……っ、申し訳ありません」

「母親がそんな風に頭を下げるか?」

「はっ……くっ……」

「未成年における2歳差は、かなり大きい。多少、オーバーに演技して、気取られる可能性を限りなくゼロにする。僕の完璧なプランを台無しにするお前は……敵か?」


 ギラリ。鋭い眼光で放つ、圧倒的キチガイ感。世の中で一番嫌いな男を、全力で溺愛する息子扱いする母親(偽物)。


「……あらぁ、可愛い可愛いヘーゼンちゃーん。あなた、ちょっとハシャぎ過ぎなんじゃないかしら?」

「ごめーん! だーって、こんなに大きい建物初めてだから」

「そうね。田舎のデ・アルゴにはないわねぇ」

「……お母様、ディ・アルゴだよぉ? まったく、おっちょこちょいだなぁ。故郷の呼び方ぐらいは、正確にお願いね?」

「あ、あらぁ。ごめーん。私ったらおっちょこちょーい!」

「アハハハッ―――」

「フフフ……」


「見て見て、何あれ」

「おっかしい」


 側の貴族だろうか。2人のやり取りを見ながら、微笑ましく笑っている。そんな様子を流しまで見つめながら、ヘーゼンは邪悪な微笑みを浮かべる。


 今の立ち位置だと、田舎のバカ親子ぐらいが丁度いい。結局、魔杖で魔法を放つことはできなかった。天才を自負するヘーゼンだったが、これにらかなり凹んだ。しかし、同時に一つの仮説を立てた。


 かつての魔法の放出経路に慣れすぎて、今の魔法の放出経路には決して辿りつかないのだ。それは、考えてみれば当たり前で、前世から数えれば200年以上もの魔法が染みついている。恐らく、他のどの魔法使いよりも、こちらの大陸の魔法は使えないのだろう。


 そして、それを放つためには、前の魔法を完全に断つこと。それには、ひたすらの反復練習しかない。こういうものは、理論ではないのだ。身体の内部に覚えこませることによって、放出できるものだと判断した……だと思う……だといいな。


 実際、当のヘーゼンも半信半疑である。最悪、こちらの大陸の魔法を習得できずに、前の魔法も使えなくなるという事態すらもあり得る。

 しかし、17歳の身体で得られる成長は爆発的だ。


 この期間を逃せば、頂には辿り着けないだろう。強さとは、賭けであるとヘーゼンは信じる。いくら、才能があっても、いくら、努力をしたとしても、己の全てを投げ捨てて身を晒さねば、飛躍的な成長は止まる。


 若いと、誰もが永遠に成長できると勘違いする。成長曲線が著しく上がるのは個人差を除けば、16歳〜20歳前半までだろう。それほどまでの爆発的成長がなければ勝てない。ヘーゼンが認識する唯一の強敵は、そういう魔法使いである。


「まったく……難儀だな」


 黒髪の青年は、遠くの空を見て笑った。



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