奴隷


 ギルド本部を出て、ヘーゼンは大きくため息をついた。魔杖まじょうという法具が、なんの反応も示さなかったのは完全に計算外だった。魔力の放出方法から違うのであれば、今までの経験はまったく役に立たないということだ。


 この地で使われている魔法は、かつて使っていた魔法とは理が異なるようだ。肉弾的な戦闘能力がほぼ皆無なヘーゼンにとって、その誤算は致命的だった。


「失敗した……かな」


 ついつい、かつての魔法を封印してしまった。さながら、語学留学時に、母国語を封印する留学生のようなテンションで。

 新たな魔法を求めるために、過去の一切を封印した。自身が納得するまでは、かつての魔法は使えないよう自らを追い込むために。


 そして、完璧主義者であるヘーゼンの納得と言うのは、この帝国で最強クラスの魔法使いになることである。

 しかし、今の自分は一般人以下の力しかない。この先の苦難を想像して、黒髪の男は歪んだ笑みを浮かべる。


「……ふっ、だからこそ、ここに来た甲斐があったというものだが」


 その時、ぐぅーと腹の音が鳴った。しかし、お金はおろか、財布すら持っていない。遥か昔は、全て周囲が差し出してきた。少し昔は戦地へと赴き、適当に奪えばよかった。

 無論、今はそんなことは許されない。


 ヘーゼンは、露店に並べられている食べ物を眺めた。そこには串刺しにされた、分厚い肉が焼かれている。この国特有の調味料だろうか。香辛料をふんだんに使用し、彼の食欲がさらに刺激される。


「ううっ……いかん、いかんぞヘーゼン」


 さすがに食い逃げなどは、己の矜持が許さなかった。自尊心が死んでも高い彼にとって、盗みなどはもってのほか。物乞いなどは、論外。

 一刻も早く、この状況を打開しなくてはと思考しながら歩くヘーゼン。

 そんな彼の肩を、見知らぬ大男が叩いた。


「おい、兄ちゃん。腹減ってるのか?」

「……減ってない」


 ヘーゼンは反射的に強がって、煩わしそうに相手の手を払いのける。初対面の印象が常に最悪なこの男は、馴れ合いを好まない。人に弱みなどは見せないし、助力も請わない。

 声をかけてきた男は、そのぞんざいな扱われ方にしばし呆然といたが、やがて大きく笑う。


「おいおい、強がるなよ。あれだけジーっと屋台の肉刺し見てれば、誰だってわかるって」

「くっ……アレは、単に珍しいから見ていただけだ」

「南方猫(ナクビナ)の肉刺しが? どこでもあるだろう」

「……少なくとも、私の生きていた国ではなかった」

「はぁー。そんな国聞いたことがないが。よっぽど田舎に住んでたんだな。いい飯屋があるんだ。ついて来いよ」

「……なにが目的だ?」


 先導して歩く大男に、尋ねる。疑り深いヘーゼンは、容易に人を信じない。そもそも、声をかけられている理由がよくわからない。見ず知らずのものに声をかけてくるのは、物乞いか詐欺師と相場が決まっているものだ。


「……なんとなくの気まぐれだ。ただ、飯を奢るだけだよ。大したことじゃない。まあ、嫌なら無理についてこないとは言わないよ」


 振り返りもせずに大男は答える。数秒ほど考えて、ヘーゼンは彼の後をついていく。決して信用をしているわけではないが、これからどうしようというアテもない。


 何より胃に穴が空くほどお腹が減っていた。


 路地裏へと歩き、奥へ奥へと突き進む。繁華街の活気とはどんどんかけ離れていき、やがて寂れた建物しか見えなくなった。ヘーゼンはどんどん突き進んでいく大男に向かって尋ねる。


「おい、こんな所に本当に店があるのか?」

「……ああ。着いたぞ」


 待ち構えていたのは、数人の男と先ほど揉めた受付の女だった。彼女は歪んだような高笑いを浮かべる。屈辱を晴らすために、職権を濫用し、ギルド配属を志望している男たちまで従えて。


「このままで済ます訳はないでしょう? あんたを奴隷ギルドに売り飛ばしてやる!」

「……なるほど。わかった」


 ヘーゼンは笑い、頷く。



















「では、僕が勝てば、お前を奴隷にしていいと言うことだな」



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