【掌編】正体みたり

朝笙 玖一

正体みたり

 私は薄暗い大学の一室で歓喜の声を上げた。


「やったぞっ!」


 全人類共通の夢【透明人間薬】を秘密裏に開発することに成功――、いや、まだ人間に使用していないので成功と呼べるかは微妙だがな。

 先ず、なぜ秘密裏に開発したかと言うと、もちろん皆をあっ、と驚かせたかったからだ。

 私は、自他共に認めるほどのイタズラ好きで、こんな面白いネタを他人にバラすほどお人好しではないし、大学の教授でありながらも超一流企業からヘッドハンティングがくる程の頭脳明晰な天才科学者でもある。

 薬は既に動物実験でネズミ、猫、犬、猿、キジに至るまですべてにおいて成功している。

 あとは、人間なのだ。

 ううむ、やはり自分で服用してみなければならないか。他人に使って悪用されては今までの苦労が水泡に帰してしまう。

 では、こうして裸になったいま早速飲んでみることにしよう。


『ゴクリ!』


味は私の好きなヨーグルト味だ。

 ヨーグルト特有の粘性で喉が少々いがらっぽくなったがなかなかイケる。この味付けは料理人にもなれるセンスだ。


「!?」


 おっほぉ、みるみる内に私の身体は足元から薄れ、リノリウム製の床が鮮明になっていく。つまり透明になっているということだ。

 身体の異常は感じられない。喉が少々いがらっぽいがそれ以外は、むしろ高揚感で心地よいくらいだ。



 さて、鏡の前に立ってみる。足、胴体はすでに消えてしまった。そして、首、アゴ、口、鼻……。

 やった! 消えていく。どんどん消えていくぞ。やはり、薬は成功だ。

 身震いするような喜びに浸っていると、目から下はすっかり消えていた。そして、目まで来たその瞬間――。


《パッ!》


 闇夜に停電が起きたときの様に、私の視界はすっかり真っ暗になって目が見えない。

 な、なんだこれは、一体これはどういう事なんだ?

 私は、激しくうろたえた。

 しかし教授でありながらも優秀な科学者である頭脳明晰な私の脳は、光よりも速くある仮説を導き出していた。

 他人から見えなくなるという事は、同時に自分の目でも“見る事が出来なくなる”という事ではないだろうか。

 なんたる大誤算! だが私はもう一つ重大なミスを犯していた。

 助けを呼ぼうと大声を出してみたが、どう叫んでも声が出ない。しゅーしゅーと息の漏れる音しか出せないのだ。

 さっきから喉がいがらっぽかったのは、きっと声帯にも薬が作用して喉を侵食したせいなのだ。

 その時、運良く教え子の学生が私の研究室のドアをノックした。


「教授、失礼してもよろしいでしょうか?」


「し、しゅーしゅしゅしゅ、しゅしゅしゅしゅしゅしゅ!(お、おい君、助けてくれぇ!)」


「あれ? 返事がない。おかしいな、入室中の札が出てるのに」


学生は不思議がってもっと声をかける。


「どうかしたんですか? 教授!」


「しゅしゅしゅしゅしゅしゅーっ!(助けてくれ!)」


「もしかして、事故でも起きたとか……」


 学生は勢いよくドアを開け放ち、研究室の中へ押し入ってきた。


「失礼します。えっ!? 教授、何処にいらっしゃるんですか?」


 そのとき私は、何も見えないままでドアのほうへ歩み寄ったものだから、学生と思いきり頭をぶつけてしまった。


「痛っ〜、なんにぶつかったんだ? また、教授のイタズラですか。勘弁してくださいよー」


 学生は完全に、私が仕掛けたイタズラだと思っている。

 しかし頭をぶつけたせいで脳震とうが起きてふらふらしている私は、大袈裟に実験器材に突っ込んでしまった。

 学生側からすれば、突然、器材が倒れだし、薬剤が撒き散らされ、ガラスが飛び散る。認識できない、透明ななにかが暴れ回る。それを見て驚かない者はいない。


「えーっ、なにこれ、なにこれ! 教授ーっ、イタズラにしてはほどが過ぎますってー」


 そのとき学生が何かを見つけて叫ぶ。


「あーっ! 教授が大事にしてるエンジェルちゃんが死んでるぅ……」


 私は自他共に認める淡水魚マニアだ。それは、この学生もよく知っている。エンジェルちゃんとは、私がこの研究室の水槽で大事に飼っているエンゼルフィッシュのことなのだ。


「まてよ、大事にしている淡水魚を殺してまで教授がイタズラをするワケがない。と、言うことは……、これは純粋なポルターガイスト現象じゃん!」


 目は見えない、声は出せない、それに加え私の大事なエンジェルちゃんが逝ってしまったショックとで、私は声にならない叫び声を上げた。


「しゅーしゅしゅー!」


 それがいけなかった。学生はわたしが起き上がった真横に居たらしく、私の口から射出された荒息は、まともに学生の顔に浴びせ掛けられる。


「えっ、あっ、臭っ! な、なんだこりゃー。うわー! ギャアーお化け~! 助けてぇ~!」


 しこたま驚いた学生は私を跳ね飛ばし、一目散に研究室から逃げ去ってしまった。私は体当たりされた勢いで伸びてしまい、気を失った。そう、この日を境に私の"身体"は、この大学の研究室から姿を消した。そのうえ研究室に幽霊が出るという噂が流れて私の研究室は瞬く間に閉鎖されてしまったのだ。





――それから数ヶ月後。

 私は世間の晒し者にだけはなりたくないと必死に逃げのびて、今はひっそりと学食の片隅で暮らしている。

 結局、逃げている間も周りの反応を考えてみると姿も声も元には戻っていない。

 ふと、昔読んだ歴史書や伝記が頭をよぎった。

 たまに起こったという、有名な学者、科学者、偉人、宗教家や権力者が忽然と姿を消したという、そのような一文。失踪や誘拐、神隠しの類いがそれにあたるのだろう。

 だが私はもっとおそろしいことを考えている。

 本当は昔から『透明人間になれる薬』は存在していて、そして、その、幽霊の、正体というのは、実は、その……。

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