マノンの魔力検査

「あの事件からリュシアンは変わったな」


 初夏の昼下がり、珍しく屋敷にいたオービニュ家の当主エヴァリストは、紅茶を片手に窓の外へ目を向けた。そこではまだ幼い少年が二人、剣を打ち合っていた。

 ロドルクとリュシアンである。


「ええ、嘘のように活発になって、いろいろなことに積極的に取り組んでいるようですわ」


 二人の兄弟の身長差はすでに頭一つ分くらい違うが、ロドルクがうまく合わせているのか、そこそこ形になっているように見える。打ち合いをやめて反復練習に入ったところで、エヴァリストはテーブルへと戻り空のカップを置いて腰を掛ける。アナスタジアは、ポットを傾け夫のカップを満たした。

 

「最近では錬金術に夢中のようだな」

「ええ、私の薬草園に入ってもいいかと尋ねてきたので、作業場も解放することにしました。どうかしら、先生も雇ってあげたほうがいいでしょうか?」

「そうだな、今はいろいろやってみたい時期なのだろう。ただ、あまり詰め込みすぎるとまた身体を壊すといけないしな、しばらくはアニアのわかる範囲で教えてやればよかろう」


 最近でこそ、明るくなって部屋に閉じこもることもなくなったものの、末の息子はついこの間までは季節が変わるたびに寝込んだりしていたのだ。急に張り切って倒れてしまわないかと心配になるのも無理はない。

 なぜいきなり快活になり、このように意欲的に物事に取り組むようになったのか、エヴァリストは嬉しい反面なんだか不思議でならなかった。


「そうですわね。リュクは魔法が使えないことを気にしているのかもしれません。それを補うために錬金術を勉強しているのでしょうか」

「どちらにしろ興味を持てることがあるのは悪いことではないがな」


「魔法といえば」と、アナスタジアは思い出したように口を開いた。


「延び延びになっていたままのマノンの魔力検査ですが」

「ああ、リュクのことで忘れていたな。教会には頼んであるから、今週中にも連絡がくるだろう」


 子供が三才から五才くらいになると魔力量や属性などを調べるのが一般的になっていた。とくに貴族の場合は、その後の教育方針に影響するため検査を受けるのが当たり前だった。

 また能力発掘のため平民の検査も推奨されている。

 とはいえ、もともと魔法や剣術などで功績を上げたものが貴族になることが多かったので、魔力を持つものは貴族の方が多い。剣術方面で出世した家でさえ、魔力で肉体強化をできるものが有利であるのは変わりないので、やはり魔力が多いものが多いのだ。

 よって魔法を使えるものは貴族が多く、基本的に平民から魔法使いが出ることは稀だった。


※※※



 オービュニ一家唯一の女の子、マノンは今年四才。本来ならとうに魔力測定は行わているはずであった。家督に関係のない女の子ということもあったが、彼女は人見知りが激しく家族以外との接触をひどく恐れる一面があった。

 去年はいざ検査の日、というときにマノンがグズり結局お流れとなった。

 知らない人間が自分を取り囲む状況にパニックを起こしたのだ。

 もともと敏感なところのある子ではあるが、兄であるリュシアンなどは自分が命を狙われていることで、いたずらに他人に恐怖を感じるようになったのではないかと申し訳なく思っていた。


 ともかくそんなマノンの魔力検査が、ようやく本日行われることになった。

 教会側も気を使ったのか、今年は二名でやってきた。

 優しそうな女性と、まだ幼い手伝いの少年。これも威圧感を与えない為に、こちらが特にと頼んだのだろう。

 女性は教会の教師か職員、少年はおそらく奴隷か平民で教会の下働きだと思われる。リュシアンより少し年上といったところか、まだ物慣れない様子できょろきょろしていた。


 庭に面した広い客間に、彼女たちと向かい合わせで座った。

 こちらは本人を挟んで母とリュシアンが座っている。先ほどからマノンはリュシアンの手をぎゅうっと握りしめていた。

 今朝から緊張するマノンを慰めていたのだが、どうやら時間になって緊張がピークに達したのか、母が呼びに来ても離れようとはしなかったのだ。

 仕方がないのでこのように一緒に並んでいるという訳である。

 

「大丈夫だよ」


 リュシアンが声をかけると、マノンは硬い表情で頷くが、手のひらは汗ばんでいた。

 にこにこと優し気に微笑む女性が、マノンの緊張をほぐすように自己紹介から始めた。


「教会から派遣されたエマ・ユーグです。こちらはお手伝いをしてくれるピエール」


 紹介された少年はぺこりと頭を下げた。それにつられるように、マノンもちょこんと頭を下げる。


「では、とりあえず魔力量の測定をして、それから属性検査をしますね」


 エマはカバンから一枚の紙を取り出した。

 異世界では紙は貴重なのではないかと思ったが、案外そんなことはなかった。

 植物から繊維を取り出して紙を作る製法は、錬金術が盛んなこの世界では珍しくもないようである。ただ需要と供給が釣り合っていないので、少し高価なものであることは変わりがない。

 丸めてあるそれを広げると、ワックスを塗ったようなつるっとした表面に、複雑な魔法陣のようなものが書いてあった。


「さあ、マノン様。こちらに手を置いてください」


 恐る恐る差しだした手を、紙へと伸ばす。

 瞬間、ぽうっとオレンジ色の光が浮かび、魔法陣の端から文字をなぞるように光が走っていった。


「きゃっ…!」


 ただでさえビクついていたマノンは、その変化に驚いて手をひっこめた。

 その反応は、なんら普通の変化だったのだが、何分初めてのマノンにはびっくりするに十分だったのだ。

 紙はマノンの手のひらに引きずられ、手前に滑り落ちた。


「驚かせてしまったようですね、申し訳ありません」

「いえ、こちらも娘に説明しておくべきでしたわ」


 慌てた女性職員が紙を拾おうと立ち上がったのを、アナスタジアは手で制した。


「母様、僕が拾います」

「あら、ありがとう」


 母親が拾おうとした紙を、リュシアンはしがみついている妹をそのままに片手で拾い上げた。

 紙をテーブルに戻し、表を向けて広げようとした瞬間。

 

 リュシアンの指が触れた魔法陣がいきなりカッと眩しく瞬いた。目がくらんで顔を背けたリュシアンが、次にテーブルを見た時にはそこに何もなかった。

 

 「え……?」


 どうやら跡形もなく燃え尽きてしまったようである。

 呆然としたリュシアンは、答えを求めるように教会の職員の顔を見たが、彼女もまた唖然とした顔をしていて言葉もない。

 思わず母親の顔を見たが、これまた同じである。

 唯一、妹だけが純粋にびっくりした顔をしていた。


(な、なにコレ?)

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