第12話「決着」

 灯里が祝詞をあげ、簡易的ながら吉岡を対象に口寄せを行った。海塚のおかげで繋がっていたことと、二人が同調していたことでやり易かったのは確かだが、それでも難度の高い他者への口寄せは裕哉にはできない。


「ほらあかり、水だ」

「ありがとう、ございます兄様」


 玉のような汗を額に浮かべた灯里は立っていられず、裕哉に支えられる形で水を飲んでいた。これ以上負担をかければ、灯里は数日間寝込むことになってしまうかもしれない。不気味に漂いながら沈黙している飛縁魔の靄を見て、裕哉はそうならないよう願った。


 奴はもう詰みだ。核を抜かれ、飛縁魔として存在しているのがやっとの状況で、根を掴むのに手いっぱい。三嶋を惑わす力も、精力を吸いきる力もない。命綱となっている根と安藤美夏との繋がりの間で綱引きをしているようなものだった。


「安藤美夏だな。今の状況はわかるか?」

「私、私は安藤美夏。そう、そうだ。ここはどこ……あなたたちは?」


「ここは星祭の会場だ。俺たちのことは気にしなくて良い。何があったか、覚えてるか?」

「おい裕哉。そんな詰問みたいなこと言うなよ」


「いいや、はっきりさせることが重要なんだ。三嶋、お前は死にかけたんだし休んでろ」

「死にかけたぁ? ……そういえば顔と、なんか腹がいてぇな」

「そこは関係ない」


「雨が、止んでる――」

 吉岡、安藤美夏は空を見上げ、そうぽつりとだけ呟いた。そして少し間をおいて、その頬を涙が一筋、流れていった。裕哉と三嶋はその様子を見て、静かに続く言葉を待った。


「私は、彼を呼び出した。初デートはどうしても夏祭りが良くて。子供の頃から思い出深かったこのお祭りを、彼との日々にしたかったから。すごく楽しみだった。でも、雨が降った。お祭りは中止になって。それでも、諦めきれなくて。そんな事すら思い出にしたくて、彼を呼び出した。工事現場に。地固めは終わったって聞いたし、少し雨に濡れるくらい何でもないって思った。それから、彼が来て。優しくはにかんでくれて」


 一旦言葉を切った安藤美夏は、手にしていたハンカチで頬の涙を拭った。三嶋の血がついていたハンカチは、頬に赤い跡を残したが、誰も何も言わなかった。


「話に夢中になってたの。ほんとは、どこでだって良かったんだと思う。私も彼も。ただ特別感が欲しかっただけで。だから、固めてあったはずの側面から土砂が崩れて来た時、私は気付けなかった。彼が私をかばって土砂に半分。私のせいで彼は」


「ミカさんのせいじゃねぇだろ。少なくとも何年間も自分を責め続けるほどの理由じゃねぇ」

「何年間……?」


「ミカさん、そのあとのことは覚えてるか?」

「ああ、そうだ。私、彼を助けなきゃ。助けを呼ばなきゃいけないの。呼ばなきゃ呼ばなきゃ」


 唐突に、安藤美夏の瞳は生気を失い、一つのことだけを繰り返し始める。裕哉の耳は、同調の音色が高まっていくのがわかった。


「それがあなたの心残りよ安藤美夏さん」

 無線で呼ばれていたのか、海塚が白弓を鳴らしながら現れた。合わせて大神田も出て来ており、三嶋と何やらやり取りをし始める。


「34年前の今日、あなたは助けを呼びに行く途中、二度目の土砂崩れに巻き込まれて生き埋めとなった。そんなあなたの無念を利用し、まやかしの願望を餌にした荒魂たちがいる。私は、それらを祓う。この地域を任された守護者として」


 赤と白の巫女姿で現れた海塚は、弓の弦を鳴らし、リズムを一定に歩む。一歩、一歩と進む度、安藤美夏とつながっていた黒い靄が打ち震え悶えるように揺れていた。

 邪を祓う守護者の法により高まる、同調の響き。そしてそれが最高潮に達した時、裕哉が海塚にライトを点滅させて合図を出した。


「彼は無事よ」

 その一言に、海塚は言霊を込めて安藤美夏へと放つ。


「無事、なの? ……ああ、良かった。彼は。三嶋君は無事なんだ」

 安藤美夏は顔を覆い、その場にしゃがみ込んでしまった。そして、視える人間には吉岡から半透明の人影が浮かびあがってくるのがわかった。


「ええ、三嶋祐輔は助けられ、無事に今を過ごしています」

「三嶋、ゆうすけ……? って親父かよ」


 しかし、その三嶋の茫然とした呟きは激しい流れによって打ち消された。今まさに、未練を解かれた安藤美夏が、吉岡から分離して浮上しようという時、それを狙ったかのように黒い靄が動いたのだ。

 黒い靄が最後の抵抗とばかりに、激しい動きで浮かび上がっていた人影、安藤美夏へとまとわりついていた。その奔流は先ほどまで沈黙していたのが嘘のように激しく、周囲の場を乱していた。


「根を捨てて安藤美夏を!? そうか、そんなに一人だけ去られるのが嫌か。醜い嫉妬だな飛縁魔」


「櫛見君、わかってると思うけど。今なら、三嶋君に影響なく飛縁魔を討伐できるチャンスよ。安藤さんはもう亡くなっている、そのことは忘れないで」


「いいや、やらせない。そうだろう? 裕哉。それに守護者なら、領民は霊体まで守ってみせよ。少なくとも我が契約者はそのつもりだ」


 いつの間にか、灯里は光里へと変わっていた。光里はそのまま不敵な笑みで前へと出る。もう準備は出来ていると、これからやることをわかっていると言わんばかりに。


「ああ、その通りだ光里。やれるな?」

「応とも」


 裕哉は己の術を起動した。いつでもできるよう、護符として吉岡に仕込んでいたものを起点に発動させる。解呪と封印式が裕哉の得意分野であった。それは過去に光里を解き放つため、何年もかけて習得したもの。


 纏わりつく飛縁魔を呪いとみて発動した解呪。未練を解かれ、核として成立しなくなった安藤美夏は、もう飛縁魔の一部ではない。今はただの浮遊霊が、呪いに憑かれているだけだ。


 もちろん厳密には違うため、一度剥がすのが精いっぱいではあったが、一瞬だけでも剥がせればそれで良かった。


「今だ光里!」

 解呪の蒼い光が放たれた一瞬、裕哉の声を待たずして光里は跳んでいた。白い長髪をたなびかせ、目にもとまらぬ速さを持って。解呪によって安藤美夏から離された黒き靄を、根こそぎ殴り飛ばしていた。


 こうして――、今回の騒動は一応の決着を見せた。

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