やけくそフラッシュモブ

ロッキン神経痛

やけくそフラッシュモブ

「ああそうだ、今度結婚するってさ、あの子」


 サイゼリヤの片隅、ワンコインのグラスワインを飲みながら、腐れ縁の幼なじみである富沢は言う。はねた髪を手ぐしで直しながら、会話の繋ぎ程度に出した話題なのだろう。すぐに卓上のメニューを開いて次の注文をしようとしている。あの子というのは、今ふと話題に上がった高校の頃の一個上の先輩、畑山栞はたけやま しおりの事だ。


「へえ、そうなんだ。まあ、いい歳だもんな。女ってこれくらいの時期になると、皆必死になるよな」


 反射的にそんな言葉が出たけれど、俺の心は内心穏やかではない。血の気が引くといった表現があるけれど、まさに文字通り血液が頭の上からスウッと音を立てながら腰辺りまで、瞬く間に引いていくのが分かった。心臓はどこかへいってしまった血液を探すように、必死に鼓動を早くしている。自律神経が乱れ、呼吸の仕方を一瞬忘れる。


「だよな、まあ俺達もうアラサーだもんな……あ、お前ポテト食べる?」

「食べる。あとちょっとトイレ行ってくる」

「いってらー」


 気づけば無意識に胸の辺りを抑えていた。どうやら心も時に交通事故に遭うらしい。脇見運転でやってきた大型トラックに撥ねられた俺は、運転手が人を撥ねた事にも気づかずに山盛りポテトフライを頼んでいるのを尻目に、早歩きで両面開きのドアをくぐると個室に入った。一種の習慣的にスマホを開き、何でもないニュースを読むでもなしに眺める。ばらつく焦点は、勢力を増すテロ組織によって世界の文化遺産が破壊されたという記事をかろうじて認めた。テロ組織はSNSで世界中から同志と呼ぶ仲間を集め、中東を拠点に人数を増やし続けているらしい。ああそうだ、これに入ろう。これに入って一緒に世界遺産を壊してまわれば、きっと何もかも吹っ切れるのかもしれない。人類が積み上げた文化という過去を壊すように、自分の中にこびりつく過去だって壊してしまう事が出来るに違いない。本気でそんな事を考えて、またさっき突っ込んできたトラックの事を思い出して我に返る。


「クソかっこわりぃな、俺……」


 便座に腰掛け、頭を抱えながら長いため息を吐く。


 畑山 栞は、高校時代の同じ文芸部の先輩だった。一つ年上で、いかにも薄幸な美少女という姿をした彼女が、皆の話の輪の外で、そっと微笑んでいる姿が好きだった。それを見たいが為、時に大げさに話を盛って、時に想像力を膨らませては突飛な話に持って行き、部室で披露する日々が俺の青春だった。


 沢山の笑い声の片隅で、彼女がおかしそうに口を押さえているのが好きだった。結局その蓄積が今に繋がり、最近では独特の言い回しで注目を集めるライターとして、何とか人並みの生活が出来る程度には稼げている。本人に言った事はないが、今の自分があるのは彼女のおかげと言っても良かった。


 俺は、そんな彼女に一度告白した事があった。


 学年が上である彼女は先に卒業してこの学校から居なくなる。その事実は、俺を早くから動揺させていた。これから先、彼女を見る機会はなくなるだろう。部活動の集まりなんて、学校という単位がなければあっという間に霧散する。


 良くて4、5年毎に集まっては、「そういえばこんな事もあったね」なんて過去の楽しかった日々を思いだし、きっと居酒屋で生ビールでも飲みながら俺は、再び皆と会えた貴重な瞬間を盛り上げる為だけに、また道化を演じるのだろう。


 いや、もしかすると、その場にすら彼女は居ないかもしれない。そう考えると、胸の辺りがズキズキと痛んだ。そして小さな傷口は化膿し、やがて骨まで至った。


 卒業式の日、俺は友人達に囲まれる彼女の元に駆け寄って、二人で話がしたいと告げた。周りに冷やかされながらも、彼女は頷いた。今思えばどこまでも自分勝手で迷惑な行動だったと思う。


「ずっとずっと、好きでした」


 最初、彼女はそれをいつもの冗談だと思って笑いながら聞いていたけれど、俺が泣き出しそうな顔をしているものだから、困ったような顔をして「考えさせて」とだけ言った。


 完膚なきまでに振られたのは、それからしばらく経ってからだ。

 風呂上がりに髪を乾かしていると、スーパーマリオの着メロが鳴って、メールが届いた。慌てて二つ折りの携帯を開くと、短い一文が目に入った。


『ごめんなさい、人と付き合う自分の姿が想像出来ない』


 少し目を瞑って、もう一度俺は風呂に入り直した。

それは、明らかにNOを表す拒絶の言葉ではあったが、一見個人を否定した訳ではないと取る事も出来る、文芸部らしい秀逸な文章だった。


 きっと彼女なりの遠回しな配慮だったのかもしれない。それをあえて真に受けた俺は、自分だけが否定された訳ではないのだと、自身に呪文のように言い聞かせた。事実この一文には、その後も相当の間救われていた。


 ある意味覚悟していた心の怪我を負った俺は、その怪我を治療する為に中学からの友人でサッカー部だった富沢を誘って海を見に行った。青臭いガキだった俺は、海を見ればそれで自分の心が落ち着くと思っていたけれど、肌にまとわりつく生暖かい日本海の空気は、失恋で打ちのめされた心には何の足しにもならなかった。


 その時「あ、このまま死ねたらいいな」と思って、不意に制服のまま海に飛び込んだけれど、昔スイミングクラブに通っていたせいか、身体が反射的にクロールを泳いでしまい死ねなかった。富沢もそれを見てげらげら笑いながら、海に飛び込んだ。


 結局俺は、畑山栞を好きだった事も、失恋の傷を癒やすためにここに来た事も何も、最後まで富沢には話さなかった。運動神経の良い癖にカナヅチだった彼は、直後に溺れてライフセーバーに助けられた。これがきっかけで、それ以降海には近づけないらしい。ちょっとだけ悪い事をしたな、と思う。


 その後全身砂だらけのまま、電車に乗って家に帰った。母親にこっぴどく怒られたけど逆ギレかまして部屋に閉じこもった。夕飯には好物のカレーが出た。親は何でもお見通しだと思った。





 サイゼリヤで久々に富沢と会ってからしばらくして、自宅に結婚式の招待状が届いた。どうやら文芸部員全員を呼んでいるらしく、彼女の達筆な文字で久しぶりに皆に会いたいといった旨が書かれていた。俺は欠席の上にペンの先を置いた後、思い直して出席に力強く丸を付けた。その後、彼女の結婚式の幹事である、一個上の文芸部の先輩と連絡を取った。


 そうして式場で見た彼女は、幸せそうな顔をして、顔を大きく綻ばせながら笑っていた。そこには文芸部のほこり臭い部室で見た、薄幸の美少女の面影は無かった。あんな風な笑い方が出来る人だったなんて、今まで知らなかった。きっと俺は、彼女のほんの一部分しか見ていなかったのだろう。


 彼女の横には、彼女と同い歳の、当時の文芸部部長が座っていた。ぼさぼさだった髪を短くして、随分と爽やかな印象になっていた。何でも高2の頃から付き合っていたらしい。社会人になって一度別れたけれど、ヨリを戻して結婚する事になったそうだ。そう、自分は本当に何も知らない道化だった。


 当時彼女に恋心を抱いていた俺は、その微笑みの中に庇護すべきか弱い女性を見ていた。それは結果的に彼女とは別の何かに分裂し、自分の中で育っていたのだろう。当時の俺は、高校という保育器から出た脆い彼女が社会によって壊されてしまうのではないか。そうして二度と会えない所に行ってしまうのではないかと本気で思い込んでいたのだ。


 きっと当時、彼氏が居るという事情も知らないで言い寄ってくる後輩に、迷惑した事だろうと思う。


 沢山の笑顔に包まれた式の終盤、突然マイケルジャクソンが流れ出した。最近じゃ結婚式の定番になったフラッシュモブだ。誰もが一度驚きの表情を作りながら、予定調和的な出し物を待つ。それに答えるように俺は、台本通り席の上に立ち上がった。頭の上に、用意されていたスポットライトが当たった。


「ネイキッドハッピーマリッジダァァァンス!!!!」


 その場で思いつきの奇声を発しながら、俺は一心不乱に踊り出す。ビートイットのリズムに乗せて服を一枚ずつ脱ぎ捨てていった俺は、裸に前張り姿になると同時、式場スタッフからお盆をひったくり、式場を練り歩いた。


 Aメロが終わった頃には、式場の扉が突然開いて、富沢を含む悪友たちも同様に、裸にお盆姿で雪崩込んで来る。俺一人が始めた奇行に、最初周りは引き笑いだったけれど、それが十人、二十人になって一糸まとわず一糸乱れぬダンスを踊りだせば面白くない訳がない。酒の力も手伝って、俺達の余興に式場は大爆笑に包まれた。


 盛りに盛った話や力業の芸は、天丼を繰り返してついに人の笑いのツボを深くえぐる。これも文芸部で俺が見つけた法則だった。


 最後に新郎新婦の脇に並び、ふざけたポーズを決めてみせる。ずっと作り笑いを浮かべていた俺は、気づけば自然に笑えていた。


 その時、ふと彼女と目が合った。綺麗に着飾った美しい彼女は、一瞬あの頃のような静かな微笑みを、俺だけに分かるよう向けてくれた。そこでやっと、あの頃からずっと、分かって合わせてくれていたんだなと気づいた。

 

 きっと、世の中の女は皆強い。例外なく強く優しい生き物なのだ。時には涙すらも武器に変え、世の中と対等に渡り合っていく力を持っている。


 それに比べれば男はアリよりも弱い。めそめそと過去を引きずり続けながら、胸を反らして虚勢を張っている。一人で生きていけるような顔をしている癖、その実いつだって誰かの庇護を求めている。女々しいなんて差別的な言葉があるけれど、男程に女々しい生き物は他に存在するのかしらん。


 ……いいや、いい加減、主語を変えて誤魔化すのはやめよう。弱いのは、変化を恐れてずっと自分の中だけで感情をかき回し続けていた俺というちっぽけな男だ。自分を構成する材料が、少しでも他人に見つかる事を恐れて、勝手にびくびく悩んで、勝手に傷ついていた女々しい俺という存在だ。彼女は、そんな歪に歪んだ面倒な俺の正体も、全てお見通しで笑ってくれていたのだろう。本当に、叶わないなと思った。


「心の底から好きでした、どうか女々しい男の女々しさを笑ってやって下さい」


 そんな白ける言葉は、口からは出さなかった。代わりに俺は合図をして、友人達に身体を持ち上げられながら、さながら涅槃を迎える仏のようなポーズになり、爆笑と拍手に包まれながら退場した。


 そうして外でおずおずとスーツを着直していると、余興に協力してくれた友人達が、何故か俺の肩をやたらに叩き、口々に励ましてくれた。首を傾げながら窓の外を見ると、そこに啓示のように雲一つない晴天が広がっていて、最初から何も隠せてなんかいなかったんだと知った俺は、泣きながら笑った。

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