その28-1 蒼き狼と黒き毒蛇


 数分前。

 サヤマ邸中庭―

 

 邸内のあちこちで連続で巻き起こった大爆発と、閃光、そして大轟音。

 はたしてそれが仲間の奏でた魔曲の暴発が原因であることを、露程も知らない東山さんは、みるみるうちに炎に包まれていく屋敷を見上げ、眉を顰めた。

 一体何が起こっているのだろうか――と。


「火事……?」


 に、しては不自然過ぎる。

 少女の呟きを受けて、同じく燃える屋敷を見つめていたサクライは無言で首を振る。


 何かの襲撃をうけているようにも取れる火の広がり方だ。

 それに先刻木霊したあの音は、大砲の砲撃にも聞き取れた。

 やはりただの火事とは考えにくいが。

 

「ナミカワ君が心配だ」

「はい……」


 あの睫毛の立派な少年は平気だろうか。

 昨夜の出来事を思い出し、心配そうに拳を握る東山さんの横で、サクライは周囲を窺った。

 何はともあれもう一度中を探してみるしかない。

 サクライは前回同様に火の手が回っていなそうな裏手に向かって移動を開始しようとした。

 と――

 

 聞き覚えのある鳴き声が聞こえ、王ははっとしながら鳴き声がした方向を振り返る。

 そして芝生をぴょんぴょん跳ねながらこちらへと駆け寄ってくる『親友』の姿を発見し、彼は嬉しそうに微笑んだ。

 

「無事だったのか」


 一際高くぴょんと跳ね、自分の胸に飛び込んできたオオハシ君の頭をサクライは優しく撫でる。

 オオハシ君は、二カッと満面の笑みを浮かべてその問いにコクコク、と頭を上下に振った。

 傍らでその光景を見ていた東山さんも、よかった、と安堵の表情を浮かべる。 

 と、やにわにオオハシ君は大きな目をまん丸く見広げ、何かを思い出したように甲高い鳴き声をあげつつ、サクライの胸倉を掴んで揺さぶり始めた。


「なにかあったのかい?」


 親友のこの慌てようは流石に様子がおかしい。

 もしかしてこの屋敷で起こっている異変と関係しているのだろうか。

 長年の付き合いで彼が何かを伝えようとしていることを悟り、サクライは笑顔を引っ込めると首を傾げながら尋ねた。

 はたしてその問いを受け、オオハシ君は再びコクコクと頷くと、王の肩の上に飛び乗って、少し離れたサヤマ邸の二階を指差してみせる。


 相棒、あれを見てみろよ!――まるでそう言いたげに。

 

 リスザルの長い指先を辿るようにして、サクライは屋敷の二階へと目を凝らした。

 そして窓越しに廊下を全力で走ってゆく女性と、それを追う黒ずくめの執事の姿を視界に捉え――


 まさか?いやしかし……ああ、なるほど、と彼は一瞬で悟り、ついでに絶句する。

 

 なんて速さだ、もうここまで辿り着いてしまったというわけか。

 そして彼女がやったというなら、この火の手があがった屋敷の有様にも納得ができる。

 我ながら出来のいい妹を持ってしまった――

 天を仰ぐようにして顔を抑え、サクライは大げさにかぶりを振る。


 だが様子がおかしい。

 単身執事から逃げていくマーヤを目で追い、彼女が窮地に陥っていることに気づくと、サクライは途端に眉を顰めた。

 

「今見えたの、もしかしてマーヤ女王じゃないですか?」


 何故彼女がここに――

 オオハシ君の指先を辿って、同じく廊下を横切る女王の姿に気づいた東山さんは、狐につままれたような表情で尋ねる。

 その通りといわんばかりに、オオハシ君はしきりに少女へ頷いてみせた。

 なかなか自分を追ってこないマーヤを心配になり、この賢いリスザルは一度来た道を戻っていたのだ。

 だがそこで発見した、襲い掛かろうとする執事と逃げるマーヤを見るや否や、彼は咄嗟の判断ですぐ近くにいるであろう相棒サクライに助けを求めるため、一人中庭に飛び出していたのである。

 そして今に至るというわけだが――

 

「出来のいい妹を持つと本当に苦労する……」


 東山さんの疑問に、やれやれ――と、だが嬉しそうに答え、サクライは周囲を一瞥した。

 一階は既に炎に包まれている。もはや侵入できる場所を探している猶予はなさそうだ。

 再び二階に目を向け、そして壁に追い込まれるマーヤの姿を目の当たりにしたサクライは、意を決したように東山さんを振り返る。


「エミちゃん、頼みがある……」


 切羽詰まった真剣な眼差しで見つめられ、東山さんは何だろうと僅かに首を傾げた。



「僕を思いっきり蹴ってくれないか?」


 次の瞬間、大真面目にそう言い放った蒼き騎士王に対して。

 東山さんは顔に縦線を浮かべ、変態を見るような軽蔑の眼差しを向けたのだった。

 

 

♪♪♪♪

 

 

 サヤマ邸、一階玄関ホール

 

「くっそ……」


 先頭を切って足を踏み入れたカッシーは、ホールのその惨状を一瞥して悔しそうに呟く。

 二階は既に炎に包まれ、ホールを囲むように建てつけられていた手摺は、杏色に燃え盛りまるでコンロのようにホールを熱し続けていた。

 吹き抜けの天井は真っ黒な煙が充満し、まるで雷雲のようにカッシー達を見下ろしている。

 肩を貸しつつ、カッシーの後に続いてホールに入って来た日笠さん達も、その光景を見て憂虞に顔を曇らせた。

 

 ここもそう遠くない未来に火に包まれるのは目に見えていた。

 もはや一刻の猶予もない。


 幸いにもあの後誰も罠を操作しなかったようで、床には数か所落とし穴が開きっぱなしだった。

 まあ、あの騒ぎを考えれば無理もないが。

 とにかく僥倖だった――と、カッシーは滑り込むようにしてその穴の中を覗き込む。

 

「委員長いるか?!」


 遥か奥底まで続く暗闇に少年の大声を木霊させ、だが穴は依然として沈黙を守る。

 

「恵美、聞こえる? いたら返事をして!」

「おーい、王様ーいるかー?」


 日笠さんやこーへいも近くの穴に身を乗り出し、奥底に向けてあらん限りの声を振り絞って少女と蒼き騎士王の返事を求めた。

 だがやはり返事はない。

 困ったように顔を上げ、一同はお互いを見合う。

 

「かのー、お前ちょっと飛び降りて、下の様子見て来いよ」

「ドゥッフ!? いきなりナニいうディスカこのバカッシー!」

「大丈夫、お前なら死なないだろ」

 

 こんな底も見えない穴を命綱もなしに飛び降りたら、どうなるかわかったものではない。

 死にはしないかもしれないが、彼だって痛いものは痛いのだ。

 さあギャグ体質の出番だぞ――

 と、大真面目で穴を指差すカッシーを見て、かのーは珍しく顔に縦線を描きながら首を振る。


「ドゥッフ、無理だって! そんなに言うなら自分でやればいいデショー!」

「いいからいけっつの! たまには役に立って見せろこのボケッ!」

「ムキー、いーやーディースー!」


 首を絞めて無理矢理穴に突き落とそうとするカッシーの鼻に、指を突っ込んで必死に抵抗するかのー。

 こんな時まで何やってるんだと、日笠さんはやれやれと溜息をついた。


 刹那。

 

 ホールの一画が大きな音を立てて崩落を開始する。

 その身を炎に包んだ天井の梁が大理石の床に落下したかと思うと。

 中心で真っ二つに割れたそれは、覆うようにして出口に衝突し、炎上へと誘ったのだ。

  

 大きな音に思わず身を竦ませていた少年少女は、閉ざされてしまった脱出口を、目を丸くしながら呆然と見つめていた。

 ダメ押しとばかりに、立て続けに大きな振動と瓦解音が彼等の背後で轟く。


 勘弁してくれ、なんで俺らこんなについてないんだ?――

 我儘少年は想像できる最悪の事態を、備える様に頭に思い浮かべ。

 そして振り返ったその先に見えた『最悪の事態のさらに斜め上』を行く光景に、がっくりと肩を落とす。


 自分達がついさっき通過したばかりホールに続く廊下の入口…。

 まさにそこを塞ぐようにして、二階ホールの廊下が手摺ごと落下してしまっていたのだ。

 

「閉じ込められた……」

「おーい……こりゃ流石にやばくね?」 


 真っ青な顔で口を覆って悲鳴を堪える日笠さんの横で、こーへいが灯したばかりの煙草から紫煙をぷかりと浮かべ、眉尻を下げる。

 くそっ、このままじゃまずい――

 カッシーは口をへの字に曲げながら未だ返事のない奈落を見下ろした。

 

「ムフン、じゃカッシー、あとヨロシクディスヨー」

「へ?」


 と、穴に手をかけ、まさに飛び降りる寸前だったかのーに気づき、そうはさせるかとカッシーはバカ少年の首をヘッドロックする。

 途端に穴に宙づりとなり、かのーは苦しそうにジタバタともがき始めた。

 

「ケプッ?! ちょ……くるしっ何するディスカ! 飛び降りろつったのそっちデショ?!」

「てめー、一人だけ逃げる気だろこのバカノー!」

「はーなーしーてー! これなら穴の底のほーがマシディース!」

「きたねーぞ、自分だけ死なないからって! そうはさせるかっつの!」

 

 こうなりゃてめーも最後まで道連れだ!――

 額に三つほど青筋を浮かべ、八重歯を見せつつ、ぐぎぎとかのーの首を締めながらカッシーは怒鳴り声をあげる。 


 こんな絶体絶命のピンチなのに、なんでうちらってこんな緊張感がないのだろう。

 もはやフラフラで、お互い背中を寄せ合う様に蹲っていたなっちゃんと浪川は、ツッコミを入れる気力もなく、ただただぼんやりと二人の少年が醜くいがみ合う光景を見つめていたのだった。


 


♪♪♪♪



 再び戻り。

 サヤマ邸、中庭屋敷南側付近―

 

「準備はいいですか王様?」

「いつでもいい、頼んだエミちゃん」


 背後から聞こえてきた、凛と際立つ少女の声に返答し、サクライは身を屈めて構えた。

 目の前の蒼き騎士王が構えるのを見届けると、東山さんはすう、と息を吸い全身を竜巻の如く捻らせる。


「てえりゃあああっ!!」


 そして反動を利用してくるりとその場で大きく一回転すると――

 やにわに少女は気合の入った掛け声を放ち、まるでボレーシュートを決めるように、サクライに向かって蹴りを放った。

 

「ふっ!――」

 

 空を切って少女の脚が迫るのを肌で感じとり、サクライはふわりと地を蹴ると、身を屈ませた状態で宙に躍り出る。

 刹那、彼は東山さんの脚にその身を着地させ、彼女の蹴りの勢いに合わせてさらに跳躍したのだ。

 

 思いっきり自分を蹴ってくれ――

 真顔でそう言い放ったサクライに、痴漢だけじゃなくマゾだったのこの王様?と東山さんはドン引きしていた。

 違う、そうではない――と、呆れながら彼が説明した作戦が、今まさに目の前で披露された空中芸だ。


 空軍アルメ・ド・レール……じゃなかった。

 さしずめ、管弦楽団王様オーケスト・ロワシュート。

 といっても、東山さんの常人を超えたパワーと、サクライの常軌を逸した『英雄』としての身体能力がなければ到底成功しない作戦ではあるが。


 とにかく作戦は無事成功。

 距離も方向もどんぴしゃり。

 音高最強の風紀委員長が放った蹴りの勢いに乗り、サクライは決して臆することなく弾丸の如く宙を舞っていく。

 目指すは二階廊下。

 

 見えた――

 炎に包まれた廊下に倒れるマーヤに向け、今にも短剣を振り下ろそうとしている執事の姿を視界に捉えると。

 サクライは怒りに顔を歪め腰の剣に手をかけた。

 胸ポケットからひょっこりと顔を出したオオハシ君が、強気にニカっと笑って執事を指差す。

 


 やったれリューイチロー!――と。


 

 刹那、外開きの両窓を内へと押しこじ開け、窓ガラスを派手に四散させながらサクライはその身を廊下へと躍り込ませる。

 着地の衝撃を膝で緩和し、滑るようにして執事とマーヤの間に割って入ると、『蒼き狼』と化した彼は、執事めがけて躊躇なく腰の剣を抜き放った。

 

 何故貴様が?――

 突如鳴り響いたガラスの割れる音に、驚きつつ振り返った執事は、視界に迫るサクライに気づくとその瞳に感情を灯した。

 即ち、『驚愕』と『焦り』。

 それが咄嗟に短剣を引き戻して防御の態勢をとろうとした彼の動作を僅かに鈍くする。


 一閃。

 蒼き狼の牙は黒き毒蛇の牙よりも早く、下から上へと勢いよく薙ぎ払われた。

 甲高い音と共に『蜷局を巻く蛇の紋章』は、その刃ごと宙を舞い、そして回転しながら執事の背後に落下する。


 やにわに執事は呻き声をあげ、無念そうに左肩を抑えると、二歩三歩と後ろへよろめいた。

 マーヤを庇うようにその前に立ち、サクライは油断なく剣を戻すとその切っ先を執事へと向ける。


「まったく……兄も妹も揃ってしぶとい」


 その生きようとする強き意志と運命を左右する強運…それもまた『大器』故なのか――

 辟易するようにそう言い放った執事の口端から血が零れ落ちた。

 蒼き騎士王の放った剣閃は執事のその短剣だけでなく、右脇腹から左肩上まで逆袈裟斬りに薙いでいたのだ。

 

「……だが蛇はしつこい生き物だ……いつか必ずお前の喉元に食らいつくだろう」


 努々、油断するなかれ――

 不敵な笑みと共に、その瞳に無念の感情を灯し。

 執事は『光の砲弾』によって生まれた穴へとその身を投げ入れた。

 鈍い落下音が僅かに聞こえ、穴から一際大きな焔が大蛇のように吹き出すと、杏色の細い炎がまるで舌のようにチロチロと天井を焦がす。


 吹きあがったその炎を険しい表情で見つめつつ、サクライは静かに鞘へと剣を収めた。

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