その27-2 いー・やー・だ!


数十分前。

サヤマ邸、二階廊下―

 

「あの爺も役には立ったがここまでのようだな」


 何の感情も映し出さない瞳で、火に巻かれつつある廊下を一瞥し執事は呟いた。

 己の欲望ためにぎらつかせる執念は目を見張るものがあったが、所詮は小物。

 大事を成す器ではなかったということか――

 一応は『主』であった老人の野望を完膚なきまでに打ち砕いた、目の前の『大器』へゆっくりと目を移し、彼は値踏みするようにマーヤを眺める。


「まさか城下町まで潜り込んでいたなんてね」


 執事が逆手に構える短剣を飾る『蜷局を巻いた蛇』紋章。

 それが何を意味するかを一目見て理解すると、マーヤは感心するように執事に言った。


「忘れたか? 我らは『神出鬼没』の盗賊団コル・レーニョだ。蛇はどこだって潜り込む」

「いつからあのタヌキジジーと手を組んでたの?」

「手は組んでいない。利用していただけだ」


 勘違いをするな――

 そう言いたげに執事は目を細め、マーヤの問いに答える。

 だがその視線を真っ向から受け、女王はなおもって不快そうに形の良い眉を潜めた。


「用が済んだらもあの爺も始末するつもりだった」

「用……?」

「我等の目的は女王の暗殺」

「……」

「貴女は些かやり過ぎた……我等もやりにくくてね」


 今の女王は聡明すぎる。

 国の長は『暗愚』に限るのだ。さればこそ我等も活動しやすくなるというもの。

 無能な貴族達の政権復帰は大歓迎だった。

 だからサヤマを利用し、クーデターを煽ったのである。

 そしてあわよくば、女王を亡き者にする。

 それが頭領の命令――


「その命、もらい受ける」

 

 弄ぶようにクルクルと回していた短剣の切っ先をマーヤへと向け、執事は初めて殺気を露にする。

 獲物を捉えた蛇の双眸がギラリと光ったのに気づき、女王は咄嗟に床を蹴って後方へ逃れた。

 一瞬の後に彼女が立っていた空間を鋭い刃が横薙ぎに通過し、空を切り裂く音が周囲に広がる。

 

 執事の攻撃の手は緩まない。カツンと音を立てて着地した彼の足は、続けざまに床を蹴りマーヤに迫った。

 横薙ぎ、袈裟斬り、刺突…息をつかせぬ連続攻撃が彼女の急所を正確に狙って放たれる。

 鈍く光る蛇の牙を油断なく目で追い、マーヤはその追撃を間一髪の所で見切ると、最後の突きを搔い潜り、執事の脇をすり抜けて彼の背後へ離脱した。

  

「流石は『英雄』、見事な身のこなしだ」


 女王にしておくには勿体ない。度胸も判断力もそして身体能力もだ。

 だが。

 武器もなしに、いつまでかわし続けることができる?――

 執事は逆手に短剣を持ち替えると、感情を灯さぬ冷酷な瞳で女王に問いかけた。

 

 だが執事のその問いかけに対し、意外にも女王は笑って見せたのだ。

 何とも明るく、この状況を楽しむように。


 それは『女王』ではなく、見紛う事なき『冒険者』としての笑顔。

 かつてのヴィオラ村の少女を彷彿とさせる、明朗快活な笑顔を浮かべるや否や。

 マーヤは履いていたハイヒールをぽいぽいっと脱ぎ捨てると、踵を返し一目散に逃げ出したのだった。

 彼女のその迷いなき逃げっぷりに、執事は僅かに瞳に『感服』の感情を灯したが、すぐにそれを消すと彼女を追って駆けだした。

 


♪♪♪♪



 慣れ親しんだ裸足が感じる床の冷たさも、徐々に廊下を支配しつつある炎と煙も。

 そして背後から自分を狙って迫りくる殺気すらも。

 楽しい。胸が高鳴る。心が躍る。

 こんな窮地なのに何故だろう。

 すごい久々のこの高揚感――


 マーヤはアドレナリン全開で廊下を駆け抜ける。

 

 刹那。

 背後から一足飛びに差し迫った殺気に対し、マーヤは真横に飛び退いてそれをかわした。

 直角に飛び退いたマーヤを執事は冷静な殺意と共に追従し、返す刃を女王の眉間へと繰り出す。

 小さく息を吸い、身を屈ませて紙一重でその凶刃をかわすと、マーヤは伸びきった執事の小手を掴み、身を翻して反撃を試みた。

 小手返しの要領で放たれた『いなし』を、執事は素早く自らの身を捻って受けきると、ふわりと床に着地する。

 

 はらりとアップにしてまとめていたマーヤの髪が解け、絹糸のように淑やかで立派な長髪が広がりながら背中に降りていった。

 どうやら完全には避けきれなかったようだ。

 弾む息を整えながらマーヤはちらりと背中を見た後、再び執事へと油断なく視線を向ける。

 そして踵を返し、再び逃走を試みた。

 だが蛇の狙いすました一撃がそれを許さない。

 

 再び刃が女王の白い背中に迫る。

 冒険で養った勘から、肌でそれを感じとった彼女は、タイミングを合わせて半身をずらし、鋭い突きを紙一重でかわした。

 そして流れるように身を屈ませ、マーヤはなおも床を蹴って離脱の態勢をとる。

 

 しかし――

 鞭のようにしなって伸ばされた執事のもう一つの手が、女王の黒く美しい髪を拿捕した。

 髪をひっぱられ、苦痛の悲鳴をあげたマーヤをなおも強引に手繰り寄せ、執事は逆手に持った短剣を振り上げる。

 咄嗟にマーヤは身を捻って振り返ると、迫った凶刃をかぶりを振って避け、そして両手で執事の腕を受け止めた。


 ピクリと眉を動かし、だが変わらぬ表情のまま執事はマーヤの身体をその腕ごと押して壁に迫る。

 ドン、と後頭部を乱暴に壁に打ち付けられ、女王は口の中で悶え声をあげた。

 だが短剣を持つ執事の手に力が籠められ、徐々に自らの喉元に迫ってくるのを感じ取った彼女は、負けじと両手でそれを押し返す。


「逃がさんよ……その命頂戴する」


 じわりじわりと迫る毒牙のその後ろから、冷酷な声が響き、マーヤは息を呑んだ。


 もう一押し。それで終わる――

 蛇の毒牙は彼女の白い喉元に食らいつき、そして女王は血を吹き出しながら命を落とすことになるだろう。

 絶望の瞳を見せる彼女を期待し、執事は手にした短剣をグググと喉元に突きつけ、首を傾げた。


 だがしかし――

 執事のその瞳を受けなお、マーヤは笑ってみせたのだ。



「いー・やー・だ! 誰があなたなんかにやるもんですか!」



 忘れてた。こんなに楽しかったことをだ。

 ずっと我慢していたから。

 見た事もない世界を求めて冒険に出ることを。

 

 今日一日、いやたった半日。

 陰謀劇を未然に防ぐため、大博打に打って出て。

 そして今凶刃を避け、逃げるだけでもこんなにドキドキしているのだ。


 また旅に出れるその日が来たら、私は鼻血吹いて失神しちゃうんじゃないだろうか。

 嗚呼、だからこそ――


 決意新たに何とも嬉しそうな『満面の笑み』を浮かべ、『女王』…いや『ヴィオラ村のマーヤ』は。

 自らに突きつけられた凶刃を恐れることなく、挑戦的にべっと舌を出して見せる。

 そして大きく口を開けると、がぶり!――と短剣を持つ執事の腕に噛み付いた。

 

「ぐっ?!」


 手に伝わる痛みに執事は顔を歪め、短剣に籠められた力が一瞬抜ける。

 その隙をつき、マーヤは力いっぱい執事を突き飛ばすと反動をつけて壁から離脱した。

 

「おのれっ!」

「まだまだっ――」


 殺気の籠った執事の怒声を背に、マーヤは駆け出そうと紅い絨毯を蹴る。


 だが――

  

 再びの轟音、それも今度は一つではなく複数同時にだった。

 地震と見紛う大きな揺れが屋敷を覆い、彼女は思わずよろめいた。


 と、マーヤのすぐ前の床がひしゃげ、やにわに飛び出した『光の砲弾』が爆風と共に天井を穿つ。

 途端に爆風がその身を吹き飛ばし、マーヤは勢いよく床に叩きつけられた。

 直後、光の砲弾によって破壊された天井が火の粉と共に崩落し、彼女の退路を遮る。


「うっ……」

 

 したたかに身体を打ち付け、背中を走る鈍痛を堪えながらマーヤはその身を起こそうとした。


 カツン――


 踏み出された黒い革靴が高い音をあげ、彼女の眼前に現れる。

 彼女は動きを止めてゆっくりと顔を上げた。

 巻き起こった炎に照らされた冷酷な『蛇の瞳』が彼女を見下ろしている。


「終わりにしよう女王」


 全身から噴き出した殺意を女王へと向け、執事は逆手に持った短剣を天へと振り上げた。

 毒牙は再び彼女に迫る。


 煤に汚れた白い顔を歪め、それでも生きること諦めず、マーヤは意志強き瞳で執事を睨み返した。


 約束したのだ。

 いつかまた、みんなで冒険の旅に出るために。

 私はまだこんな所で死ねない。死ぬもんか!――



 覚えているだろうか。

 これは『運命』から生まれた物語。


 そして――

 『運命』とは自分で変えていくもの。

 『運命』とは切り拓くもの。

 


 生きようとする強い意志は、時として『運命』を塗り替える。

 



 刹那。

 


 

 中庭に通じる窓ガラスが盛大な破壊音と共に、粉々に飛び散った。

 炎の揺らめきを反射させる破片と共に飛び込んできた『蒼き狼』は――


 執事と女王の間に割って入るようにして廊下に舞い降りると、その牙を容赦なく蛇へと突き立てた。

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