国王派と元老院派(3)

 それから五日後にアロー伯爵は戻ってきた。

 邸宅の者たちもやっと安心しただろう。しかし、下された処罰は厳重注意という名分とはほど遠いくらいに厳しい罰だった。

 謹慎を申し付けられたその意味はわかる。晩餐会や祝賀会など華やかな場所から遠ざかり、また白の王宮への出入りも禁じられた。それだけではなく、大聖堂へと赴くことも許されなかった。敬虔なヴァルハルワ教徒にとって、信仰を妨げられたのとおなじだ。伯爵は憔悴しきっている。

 さすがに気の毒だと、ロベルトは思う。

 だが、それだけではない。晩餐会の夜に、アロー伯爵はクルタ伯爵を刺してしまった。二人の伯爵からやや離れた場所にいたロベルトも、その現場をはっきりと目にしていた。どうあっても言い逃れなどできないが、アロー伯爵が問われたのは暴行の罪などではなく、あくまで貴人らしからぬ行為のためだ。アロー伯爵はクルタ家に多額の賠償金を支払い、そうして両者のあいだで和解が成立したのだった。

 けっきょく、金の力が動いているのか。

 後味の悪い話だ。だが、事が収まったならばこれほど安い話はない。そう誰もが思っていたその矢先、白の王宮からの使者はとある要人からの封書を届けてきた。

 アロー伯爵の代理として対応した執事長は封書を捲るなり眩暈を起こし、同席していたアドリアンも、全身に広がる怒りを面へと出さないようにしていたようだ。そうして、問うた声は一蹴される。疑うなど畏れ多い。これは、白の王宮の総意であるのだ、と。

 アロー邸の人々に隠すことは逆効果だと、アドリアンはそう判断した。ロベルトも絶句する。アロー伯爵はマイア郊外にも領地が持っていて、しかし実にその三分の二を没収されてしまった。たちまち収入に困るだろう。

 廊下の隅では侍女たちが集まっている。泣き出している侍女もいて、解雇されるのをおそれているようだ。侍女たちを叱りつけているのは侍女頭で、若い侍女とちがって動じてはいなかったが、横顔は疲れているようにも見えた。

 無理もないことだと、ロベルトは彼女たちに同情する。アロー伯爵は憔悴していて、ほとんど部屋に籠もりきりになってしまった。そして、クルタ伯爵にも同様に。

 クルタ家が借金を抱えているというのは、貴人たちのなかでも有名な話だった。クルタ家のマリアは身体が弱く、毎月の薬代はけっして安いものではなかったが、娘のためにクルタ伯爵は金など惜しまなかったという。アロー家ほどではなくともクルタ家もやはり領地を没収となり、自分は被害者だと訴えるクルタ伯爵の声は棄却された。

 没落、と。その言葉をロベルトは飲み込んだ。

 下流貴族の子に生まれたロベルトには、無縁の言葉ではなかった。けれども、上流社会に生きてきた者からすれば、それはなによりも耐え難いものだろう。まず財産を失い、次に土地と家を、そうして人が離れてゆき、地位も名誉も何もかもをなくしてしまえば、何が残るというのか。

 憐れに思ってはならない。明日は我が身だ。それなのに、アロー伯爵は一度だけ昔の友人を気遣う声をした。それは告解であったのかもしれないし、あるいは本心であったのか。ロベルトにはわからない。今さら、過ちを悔いたところで遅いのだ。

 フレデリカはずっと父親の傍にいる。

 庭師に土の手入れを習い、好きだった本や詩集を読んできかせたりと日中はそうやって過ごして、夜の食事は二品が減った。春が来るまでにと、あれほど忙しかった父娘おやこは、二人だけの時間をたのしんでいる。フレデリカの婚約も破談となった。

 所在なくしていたロベルトは、アロー邸の門扉を抜ける彼を呼び止めた。これから白の王宮に向かうというのだ。眉間に皺を刻んだロベルトには彼は微笑する。

「アナクレオン陛下にお会いしてくる。陛下は、昔なじみだから」

 彼に命じたのはアドリアンだ。今回の件に国王を関わらせるつもりらしい。

「ああ、そうだ。アドリアンがロベルトを捜していた。きみにも何か頼みたいことがあるって」

「わかった。すぐに行く」

 ロベルトは胃の底が重くなった。こういうのはアドリアンのやり方ではなかった。アドリアンの部屋には先客がいて、その二人もまた別の用事で呼ばれていた。このところのアドリアンは前にも増して動き回っていて、一日のほとんどを外出しているかと思えば自室に籠もりきりの日もある。いったい、いつ眠っているのか。アドリアンが封蝋を押すまでの時間をじっと待ち、そうして二人はロベルトよりも先に出て行った。ロベルトもアドリアンの唇が動くまで待機する。侍女が用意したお茶もすっかり冷めているのだろう。

 やがて、アドリアンは肩で大きく呼吸をした。ロベルトの存在にもやっと気がついたのか、眉間を揉みほぐすとまたすぐ真顔に戻った。

 ロベルトが頼まれたのはそう難しいものではなかった。二、三日はアロー邸から離れることとなり、しかしロベルトはフレデリカに何も告げずに発った。嘘を吐いてから、ロベルトは伯爵令嬢とちゃんと話をしていない。避けられているようなそれも、きっと考え過ぎだ。

 王都マイアから外へと抜ける門は東西南北にいくつも存在し、そこには当然衛士が立っている。とはいえ、身分証明は要らないので他国の人間でもなければ誰何されずに、自由に行き来できる場所だ。しかし、これ以外にも抜け道となるところはある。アドリアンが命じたのは、そのうちのどれが使えるかどうか。それから主要な街道のすべてを、他の道や外れまで、すなわち地図には載っていなくとも通れる道のすべてをロベルトはその目で見てきた。

 まるで、夜逃げに備えているみたいだ。

 ロベルトはアドリアンを疑わない。それなのに、どうしてこんな嫌な気持ちになるのだろう。

 夜も遅い時間でも、ロベルトを待っていたのは彼だった。いつもみたいに台所で蜂蜜酒を分けてもらって、二人だけで乾杯をする。

「会えなかった?」

 彼は唇に人差し指を立てる。白の王宮ではほとんど門前払いだったらしい。

「今の白騎士団団長が、ああいう人だとはきいてはいたけれど……」

 彼はお手上げだと言わんばかりに肩を竦めて見せた。話の通じない相手なのは白騎士団の団長が元老院派であるからだ。自分たちに都合の悪いものはすべて排除するつもりなのだろう。

「でも、おまえ……」

 ロベルトはそこで声を飲み込んだ。彼はきっと、自分の身分を明らかにしていたはずで、それでも無意味だったということだ。ブレイヴは微笑していた。

 彼が知らせた情報はもうひとつある。むしろ、こちらの方がよりロベルトを驚かせた。アドリアンは晩餐会をくわしく調べさせていて、しかし白騎士団の目を掻い潜るのはなかなか困難だった。関わった使用人たちは口を割らないように固く言いつけられていたものの、洗濯女に金貨二枚を握らせてやっと吐かせたという。あの日、用意されていた酒には興奮作用のある薬が入っていたのだ。

「誰が、そんなことを。なんのために……」

 ロベルトのつぶやきに声は返ってこない。さすがにアドリアンもそこまでは調べ尽くせなかったのかもしれない。あの白騎士団ならば、あるいは。しかし、ロベルトもブレイヴもそこで黙り込んでしまった。裏で糸を引いているものが見えてきたような気がする。それならば、どんなに真相を求めたところでおそらくは無駄だ。ロベルトは鳥肌が立っていた。

 翌日、台所の女たちが集まっていた。

 女たちの話はこうだ。野菜売りの商人が突然値上げを言い出して、実にその額がこれまでの三倍だった。北との戦争が逼迫したときであってもそこまではなかったのに、あまりの理不尽さに驚きよりも皆は怒りを露わにする。他のなじみの商家たちもどこかよそよそしく、これではまるで犯罪者の扱いのそれとおなじだ。あの一件では誰もが同情的な声をしてくれていた。この変わりようは何があったというのか。

 ただの嫌がらせの類いならばいずれ収まる。けれども野菜売りだけではなく、商人たちはまともな値段で物を売ってはくれなくなった。女たちの愚痴は止まらずに、ロベルトは相槌を打つのも大変だった。

 こういったこともアドリアンには届けるべきだろうか。

 いや、やめておこう。気苦労を増やすだけだ。それに、ロベルトはアドリアンに話す機会を逃してしまう。ちょうどこのとき、アドリアンはとある事件について頭を悩ませていた。アロー家の一件がささいな問題に過ぎないくらいに、王都内では混乱が広がっている。騒動と言った方が正しいのか。ともかくその中心にいるのが若い貴族たちで、他にも多数の騎士が関わっているようだ。

 アロー家は国王を、クルタ家は元老院を。彼らが落とした派閥争いの火種は消えるどころかますます大きくなっている。あの日の晩餐会から貴人たちの夜会は控えるようにと達しが出ていたが、集まりのすべてを取り締まれるわけではない。白騎士団はそこまで暇ではないのだ。しかし、ちょっとした口論から騒動へと、それが事件になってしまえば連行された者も増えてゆく。国王を支持する者も元老院も支持する者も、自らの正当性を訴える。矜持を傷つけられたことへの怒りを見せる。それは、ある種の信仰心にも似ていた。

 そうしたなかで、一人の客人がアドリアンを訪れる。今度は本当に白騎士団を名乗っていて、フランツ・エルマンの署名が入った封書を届けに来たのだった。

 さすがに国王アナレオンの耳にも届いていて、王は早期の解決を求めている。白騎士団はどういうわけかアドリアンの力を借りたいらしく、それらが蜂起する前に協力を仰ぎたいのだ。随分と都合のいい話だ。ロベルトはずっと不機嫌だった。アドリアンは苦笑し、それからロベルトとブレイヴには予想を裏切るような発言をする。二人はおなじ声を返したが、アドリアンは笑んだままだ。

「私も舐められたものだ。まだ成人もしていないような子ども二人に、これほど心配されるとはな」

 そうではない。けれども、それはあまりに無謀で、アドリアンらしくないやり方だった。

 今宵、若い貴人たちの集まりがある。

 国王派と元老院派と、それぞれが潜んでいる場所は押さえてある。ただし、これを抑圧するにはそれこそ逆効果で、彼らをもっと煽るだろう。国王派と思われる者のところへは白騎士団が行く。王の声を直接伝えることで思い留まってくれるならば、これほど平和的解決は他にはない。そして、元老院派のところへはアドリアンが。

 アドリアン自身はどちらでもないと公言をしていたが、アロー家の騎士には変わりない。それだけで元老院派の者たち刺激しかねないのに、どう説得に導くというのか。

「どうしても行くというのでしたら、私も連れて行ってください」

 ブレイヴの申し出にもアドリアンは首を縦に振らなかった。ロベルトが訴えても結果はおなじだ。嫌な予感がしてならない。

「教官は、おれたちのことを信用していないんですか?」

 言葉を選ばすにそのままを言った。アドリアンは嘆息する。

「その逆だよ、ロベルト。君たちは私の信頼できる騎士となった。だからこそ、ここはこらえてほしい」

 矛盾している。ロベルトはそう思った。アドリアンのなかで、おれもブレイヴもいつまで経っても子どものままだ。

「それに、私はもう教官ではない。何度言ってもわかってくれないようだ。私は君たちと友でありたい。受け入れてはくれないか?」

「それは……」

 ロベルトは唇を閉じる。

 アドリアンはもうとっくにロベルトの友だった。けれどもロベルトもブレイヴも、アドリアンのことを、この先も一度だって友とは呼べなかった。

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