国王派と元老院派(2)

 翌日、アロー家を訪れたのは招かれざる客ともいえる二人だった。

 ロベルトは階下の騒がしさに視線を下にする。広間には騎士が二人がいて、着用している軍服の色が白であれば、皆が動揺しているのも自然だろう。しかし、ロベルトにもわからない。なぜ、白騎士団がすぐに動き出したのか。

 数日前に持病の腰痛が悪化した執事長の姿はそこにはなく、対応に当たっているのは庭師だった。ロベルトにいつも笑顔を見せるこの庭師はアロー家の者たちの信頼が厚いようで、何かあったときには皆が頼りにしている。庭師の仕事はそれが趣味のひとつだと以前にきいた。それから、元は貴族の出であることも。

 たしかに、庭師の立ち居振る舞いはただの使用人のものではなかったと、ロベルトは思う。

 その庭師は目顔でロベルトを呼んでいた。三人が応接室に入って行き、それにロベルトもつづく。ロベルトは昨夜の晩餐会を知る一人だ。つまりは重要参考人として招かれたらしい。とはいえ、この庭師はなかなか老獪な人物であるから、ただ立会人としてロベルトを同席させただけかもしれないが。

 カウチに腰を沈めた騎士は庭師の出方を窺っている。侍女がお茶と焼き菓子を用意しても一瞥もせずに、実に騎士らしい相好をするものだから、ロベルトは失笑しそうになった。 

 騎士は一組の男女だった。女は男の騎士の従卒というわけでもなさそうで、挙止も騎士のそれだ。撫子色の髪は男のように短く、瑠璃色の双眸は感情のひとつものぞかせない鋭さが見える。薄い唇は乾燥しているし雀斑も目立つ。上流貴族の娘とは思えない容貌だが、女はそれを必要ないとでも思っているのだろう。なにしろ、彼らは白騎士団だ。ロベルトやそこらの騎士とはちがう。

「申し遅れました。私は白騎士団のカタリナ・ローズ。そして、こちらがフランツ・エルマン。フランツは白騎士団副団長を務めております」

 どこかで耳にした名前であると、ロベルトは眉を寄せる。いや、ロベルトでなくとも王都でこの名を知らぬ者がいるとすれば、旅行者か何かだ。ただ、わざわざ名乗ったからにはなんらかの思惑があるはずで、カタリナは一挙手一投足まで見逃さないよう、庭師に視線を注いでいる。庭師は人好きのする笑みを絶やさぬまま、相槌を打った。

「さっそくですが、お伺いしたいことがいくつかあります」

 そう切り出したカタリナはまず、アロー伯爵の居場所について問うた。ここには戻っていないことを知っていながらの質問で、つまりはどこに逃げたのかをきいているのだ。これに庭師は大仰に目を瞬かせて見せた。なかなか演技がうまい。そもそも、昨晩の一件が初耳なのだと突き通すらしい。したたかな老人だ。ロベルトは庭師を侮っていたようだ。

 庭師は事の次第をすべて知っていた。

 昨晩のフレデリカの様子からそれをすぐに悟ったようで、ロベルトは外套を脱ぐよりも先に庭師に捕まった。そうして、洗いざらい吐かされる覚悟でいたが庭師はじっとロベルトを見つめるだけ、ロベルトは何ひとつ喋ってはいない。ただ、ロベルトの目は嘘を吐いてはいなかったから、庭師はそれだけで何もかもを読み取ったのかもしれない。あるいは、こうなることを予測していたのか。

 のらりくらりと受け流す庭師に対してカタリナは苛立ちはじめていた。物言いは詰問に近く、声色にしても強い。庭師が演者であると見破っているようだ。しかし、男の方は何も言わずにただ同席しているだけだった。ロベルトはそれとなく視線を送っていたもの、目は一度も合わなかった。やがて、失望の嘆息がおりる。

「わかりました。私どもに協力頂けないのならば致し方ありません。……ところで、アロー伯爵は奥方様に先立たれたと伺っておりますが、ご息女がいらっしゃるとか?」

「お嬢様は気分が優れないようで休まれております。昨夜の雨の影響でしょう」

「ならば、回復されるまで待たせて頂きます」

 協力と言えばきこえはいいが、ほとんどが強制だ。相手が白騎士団である以上は拒否はできない。とはいえ、庭師は別に偽ってはおらず、フレデリカは部屋に籠もっている。憔悴しきっている彼女をここに同席させるなど不可能だ。そこから小一時間ほど空白の時が過ぎたものの、見限ったのは男の騎士の方だった。女の騎士はなかなかに弁の立つ人間のようでも、このしたたかな老爺では相手が悪いのだ。辛抱強く時を待つなど時間の無駄だろう。白騎士団はそこまで暇ではない。

 フランツと呼ばれた騎士にうながされて、やっとカタリナも退出する気になったようだ。

 白騎士団の背中がアロー邸の門扉から遠ざかって行く。それをしばらく見送っていたロベルトは急に彼らを追った。

「ちょっと待ってくれ。あんたたちは最初にここを訪れたみたいだが、おれも問いたい。昨夜、アドリアンは白騎士団を名乗る一人と会っている。先にそいつの証言を知りたい」

「証言? 何の話ですか?」

 声には明らかに嫌悪の色が混じっていた。ロベルトはそれに動じない。しかし、それを遮ったのはフランツだ。

「晩餐会に白騎士団の者は同席してはいない。だが、念のためにきこう。その者の名は?」

 答えられなかった。ロベルトの知っている白騎士団といえば、のっぽのマルクスだけだ。とはいえ、奴の名を出すわけにはいかないし、なによりもこっちがそれを問いたいくらいだ。質問を質問で返されてしまえば、次の言葉は出てこなくなる。彼らはそのまま行ってしまった。

 そして、入れ違いに帰ってきたのはブレイヴだった。

 一睡もしていないのか目の下には隈ができているし、殴られた頬は青痣になっている。ひどい顔だな。ロベルトは苦笑し、彼もちょっと笑う。彼は自分のことより先にロベルトが知りたいことだけを話す。クルタ伯は大事には至らなかったがそれ以上はわからず、しかしアロー伯爵も無事であり、アドリアンが傍にいるから問題はないという。ただ、この混乱が収まるまでは身を隠しているとも。

 アロー邸の者たちにも同様に説明するべきだろう。はたして、伯爵令嬢がそれで納得するかどうか。

 他の騎士たちが集まってくる前に、彼を部屋に追いやった。今は、ともかく休息が必要だ。医者は要らないと言うから、侍女に頼んで薬だけを貰った。ロベルトのへたくそな治療に彼はすこし痛がった。しかし、次には急に真顔になる。

「ロベルトは、フレデリカ嬢の騎士になるのか?」

 他意のない声だったと思う。けれども、今のロベルトには一番ききたくなかった言葉だ。

「さびしい人なんだよ。あのひとは」

 返事を待たずにロベルトは扉を閉めた。

 なりたくとも、彼女の騎士にはなれない。この先、フレデリカを危険や不安から守れるような勇気もなければ覚悟もない。そうして、その力もロベルトにはない。ないものだらけだと、ロベルトは笑う。

 踵を返したロベルトの足はすぐに止まる。彼女が、そこにいたからだ。

 先の会話はきかれてしまっただろうか。いや、そうじゃない。フレデリカがロベルトの目をまっすぐ見ようとしないのは別の理由だ。

「すこし、いいかしら? 話したいことがあるの」

 伯爵令嬢の部屋に招かれても、そこに侍女の姿はなかった。となると、他にはきかせたくないような話なのだろう。そういうときに、彼女はロベルトと目を合わせない。

「お父さまは、無事なのね」

 雨は昨日の晩からずっとつづいている。大判の肩掛けは寒さを遮るためのものだ。けれども、どこか拒絶のようにロベルトは感じた。

「話しておきたいことがあります」

 ロベルトはもうすこし耳をそばだてる。もっと彼女に近づけばいいだけなのに、それができなかった。

「今回のこと……。いいえ。それ以前のことも全部、あたくしが原因なのです」

 彼女の目線はずっと下を向いたままで、あの日とおなじ悔恨をきいているみたいだ。実際、そうなのかもしれない。フレデリカが話したいのは隠していた過去だ。

「前にお話ししたとおり、お父さまとクルタのおじ様さまはとても仲がいいお二人でした。あたくしもよくクルタ家にお邪魔して、おなじ歳のマリアと遊んでいたの。クルタ家のマリアは身体の弱い子だったから薬が手放せなくて、だからクルタ家にはいつも薬師が出入りしていたわ。あるとき、いつもの薬師が亡くなって、その弟子を名乗る人が来るようになったの。それが、最初」

 もの悲しく響くのはなぜだろう。彼女は今、微笑んでいるというのに。

「はじめはね、すこしお話をするだけだったの。お父さまは心臓に病気があって、だからそれに効く良い薬を教えてもらって。ただ、それだけ。それだけのことよ。それなのに、あたしは……」

 けれど、彼女は知ってしまった。上流貴族の令嬢であれば、きっと一生見ることのなかったせかいを。ことばを。こころを。あいを。

「お父さまは今もずっと怒っていらっしゃるの。彼のこと、あたしのこと、そのきっかけをつくったマリアのこと、だからクルタ家を許せずにいるの。全部、あたしのせいなのよ」

 泣いてしまえばいいのに。心が、そこまで弱っているのならば頼ってくれて構わない。

 それなのに、フレデリカは前みたいに涙を零さなかった。今、二人のあいだにある距離は、見えている一歩よりも、ずっと遠い。だから、ロベルトは騎士のままでいる。触れることはもう叶わないのだ。二人の邪魔をしているのは雨の音ではなくて、彼女が後悔をしているからだ。

「でも、それでも……、あたくしはお父さまの傍にいたかったのです。お父さまはきっと、なにか取り返しのつかないような、そんな危険なところに足を踏み入れてしまっている。そう、思えてならないの」

 フレデリカがあれほどまでに婚約を拒んでいたのは、何も自身の過去を引き摺っていただけではない。彼女は誰よりも父親を愛していた。

「でも、もう遅いのかもしれないわ。きっとこの婚約も破談になるでしょう。お父さまも、アロー家も、どうなるかわからないわ。なにもかも、おしまいね」

「そんなことはありません」

 フレデリカの視線が上に向く。あまく、惑わせるような、そういう囁きだけでいい。

「大丈夫です、フレデリカさま。なにも、心配することはありません」

 この日ロベルトは、はじめて彼女に嘘を吐いた。

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