四頁:覚醒

 一人残されたエリカは、手の中のマッチ箱を見やりながら嘆息たんそくを漏らした。

 部室に詰め込まれた本の山。

 炎に関係する能力であるのに、火種を渡してくる無神経さ。

 エリカは、自宅にコンロどころかオーブントースターすら置いていない。

 火にまつわるものが怖くて仕方がなかったからだ。


「火事になったら、どうすんのよ」


 エリカは、長机の上にあるポットの給湯口の下にマッチ箱を置いた。

 万が一の時は、お湯でもないよりマシだろう。

 ひとまず安心を得た所でエリカは、部室の本棚を見回した。


「私の能力。ちゃんと自分を知って制御出来れば、もうあんな事は」


 特別な力があるなら制御する義務があるのは間違いない。

 まして何十人もの命を奪ってきた人間なら尚更だ。

 二度と誰かを傷付けず、誰かを守れるために使えたら、これほど得難い幸福もない。


「ならそれが使命なのかな」


 そのためにもまずは自分を探す事。

 この中にエリカのグリムハンズがあるという正太郎の言葉の意味をエリカは、素直に捉えていた。

 大量の本の中からエリカの中にあるグリムハンズが原点に導いてくれる。

 恐らくはそういう事。


 目を瞑り、ひたすら体内に問い続ける。

 あなたは、どこに?

 あなたは、誰?

 自身の底の底。普段意識すらしない領域への問い掛け。

 今まで目を背けてきた。背を向け続けた。だからだろう。エリカの声がグリムハンズの意志に届く気配はない。


 拗ねているのだろうか?

 それともエリカに呆れているのか。

 あれほどうとんでいたのに共に在りたいなんて身勝手な願いだ。

 エリカがグリムハンズであったならワガママな主に辟易とさせられるだろう。


 ――だけど知りたい。貴方の事を。


 闇雲に本棚を探してもきっと貴方は教えてくれない。

 だから時間を掛けて己が内を捜し歩き、見つけるしかないのだ。

 エリカは、瞼を閉じてう。

 今更伸ばしたこの手をどうか取ってくれませんか?


 問い続けて――。


 問い続けて――。


 問い続けて――。


 時間が経過する感覚が薄らいでいく。

 今自分が立っているのか、座っているのかさえ分からない。

 起きているのか眠っているのかも定かではなかった。


 しかしエリカは、今自分が訪れているのが一切の色を持たない虚無である事を理解していた。

 長い年月をかけて穿うがたれた心の内の闇は、果てしなく続く膨大な空洞だ。

 ここをいくら歩き回っても、探し物には辿り着けないだろう。


 エリカは、捜し歩く事を止め、両手を伸ばして、待つ事にした。

 ワガママな主が身勝手のために探しても応えてくれない。

 乞うべきは許し。

 忌むべきは己でも力でもない。




 ――私は、これからも悩むかもしれない。




 この手を取ってほしい。




 ――だけど約束するよ。もう二度と貴方を責めたりしない。




 この腕で抱き締めさせてほしい。




 ――約束するよ。もう二度と貴方を一人にしない。




 二人で一緒に歩くために。




 ――約束するよ。貴方と一緒に戦うって。




 エリカの差し出す掌に、しんしんと白い粒が降り注いだ。


 ――雪?


 冷たくはない。むしろ温かだ。


 ――そうか、これは。あの時、私に積もった灰だ。


 掌に伝わる重みは増していく。

 積もった灰は燻り、煙を上げて火の粉を零した。

 エリカは、目を背けなかった。

 手の内に広がる火の手は次第に膨らみ、炎と化してエリカを抱くように飲み込んだ。


――あったかい。


燃え盛る炎はエリカを安息へと誘い、エリカは心地の良い微睡みに身を任せた。







 エリカが瞼を開けると、紅の光が虹彩を痛め付ける。

 しかしそれは炎ではなく、童話研究会の部室の窓から微かに差し込む夕日であった。エリカの顔を狙い澄ましたように日差しが当たっている。

 眩さに顔をしかめながらエリカは、ふと自身の両腕が薄い物を抱きしめている事に気付いた。

 見やるとそれは、一冊の古びた絵本だ。


「シンデレラ?」


 手にしていたのは、童話シンデレラの絵本。

 誰もが内容を知っている有名な童話の一つだ。

 表紙に描かれた金髪碧眼のお姫様は、部室に差す夕日で紅に染まっている。


「懐かしい。そう言えば昔、お母さんがよく――」


 女の子なら誰だって読んだ事のある童話。

 しかしエリカにとっては、なるべく思い出さないようにしてきた記憶だった。

 両親を焼き殺してしまう直前、母の膝の上で読んでいた絵本がこれだったのだ。


「おひめさま!」


 幼い時分のエリカは、天井辺りを漂う『それ』を指差した記憶がある。

 青いドレス姿の女の子。

 ああなれたら素敵だなと、少女なら誰もが願うそんな可憐なお姫様。

 しかし両親には見えていないらしく、いくら訴えても絵本の事であると勘違いをしていた。


「お姫様だね」

「シンデレラか。懐かしいな」

「あなた。タバコ」

「ああ。悪い」


 両親には見えない彼女は、しかしエリカを見つけると微笑んで手を伸ばしてきた。

 そしてエリカがその手を取ろうとした瞬間、視界が炎に飲み込まれ、気付いた時には全てが灰と化していたのだ。


「あの時……あれはなんだったの?」


 幼かった自分が火事のショックと相まって作り上げた紛い物の記憶だとエリカは思ってきた。

 あの場にお姫様なんかいない。

 今までの常識なら、それで済むはずだった。


「まさかあれがワード?」


 そう考えれば色々と辻褄も合う。

 正太郎は、ワードとの遭遇がエリカのグリムハンズが暴走した原因だと言っていた。

 この推理を考慮こうりょするならエリカは、火事の時見ているのだ。宙を漂うお姫様を。


「あの時、私は何をした?」


 ワードと出会い、エリカの取った行動。


「どうして私は、シンデレラを?」


 グリムハンズに語りかけながら目を開けた時、抱き締めていたシンデレラの絵本。

 最初の火事の時にも読んでいたとは、都合が良すぎないだろうか?

 偶然とするには、出来過ぎていないだろうか?


「私のグリムハンズは、シンデレラ?」


 そして恐らくは――。


「じゃあ。あのお姫様も……シンデレラのワード?」


 同じ根源を持つ者同士が惹かれ合い起きた惨劇とすれば、これまでの点が線で繋がってくる。

 あのお姫様は、エリカを殺すためにやってきて、エリカのグリムハンズが主を襲う凶行を食い止めようとしたのだ。

 だが疑問は、まだまだ残っている。

 エリカのグリムハンズがシンデレラであるとして、どのような能力であるかだ。


「炎? そんな場面あったっけ?」


 エリカのグリムハンズの力は、今までの状況から推測するに炎と関係する能力だ。

 しかしシンデレラに炎を象徴するような場面があっただろうか?


「マッチ箱」


 これも不思議だ。

 正太郎は、意図してこれを置いていった。

 意味があるはずだが、シンデレラにマッチを象徴する場面があるだろうか?


 エリカは、本棚からシンデレラの本を手に取り、片っ端から読んでいく。

 ここには、シンデレラの各年代の翻訳が揃っているらしく、いかにも絵本風な物からまるで時代劇でも読んでいるかのように古風な言い回しのされた訳文もある。

 けれどそれらしい記述は見つからない。


「先生は、私の力について知ってる。多分どういう力なのか理解している」


 このマッチ箱には、重大なヒントが隠されている。

 もしかしてマッチ売りの少女か?

 マッチをヒントに連想されるもっともベターな解答。


 試しにマッチ売りの少女を探してみる。

 部屋の乱雑さとは異なり本棚の本は、英題はアルファベットや日本語題ならアイウエオ順に並べられており、探すのに苦労はなかった。

 マッチ売りの少女の絵本を手に取り、シンデレラと見比べてみる。

 エリカ自身驚くほど、二冊から受ける印象には差があった。


 マッチ売りの少女からは、何も感じるものや惹かれるがものがない。無味乾燥である。

 対してシンデレラは違う。

 まるで母が傍に居てくれるような安らぎ。

 父が傍に居てくれるような安堵。

 友と居るような力強さが全身を駆け巡る。

 ならば疑いようがない。疑いようがなくシンデレラなのだ。

 グリムハンズの正体を突き止め、次なる疑問の解消にエリカは乗り出した。


「先生は、タバコを吸わないはず。だってお父さんと違う。服からタバコの匂いがしない」


 父が喫煙者であったから、たばこ特有の香りをよく覚えている。

 正太郎の身体や服から煙の臭いはしない。普段タバコを吸わないはずだ。


「じゃあなんでマッチ箱が? そもそもなんで今時ライターじゃないの?」


 マッチという道具。

 ライターではいけない理由。

 同じ火を付けるための道具なのに、わざわざマッチであるならば、マッチである事に意味がある。


「グリムハンズには、自分で気付かないと意味がない。認識・認知・心理。自分で気付かせるための私へのヒント」


 ヒントが指し示す物。

 正太郎が気付かせようとしてくれている答え。


「炎を操る能力?」


 違う。単純すぎる。

 そういう事ではないはずだと、エリカの直感が訴える。

 直感を後押しするのは、グリムハンズの意志であろうか。


「シンデレラから連想される能力のはず。でもマッチは、炎である事の証明だよね」


 シンデレラと炎。この二つを結び付けうる要素。


「炎。あの時の炎を思い出すんだ。もっとはっきり」


 もっと忌避してきた記憶に答えはある。

 大切な人達の肉が溶けて、崩れていく。

 人間が焼かれる異臭は、鼻腔が覚えている。

 今でも時折こらえがたく吐き気を煽る事がある。


 父と母を焼き殺した時には同情されたが、二度目の伯母夫婦の時には疑惑に変わり、三度目の保護施設は周囲の目に確信が籠っていた。

 こいつは、化け物なのだと。

 だから今まで向き合う事なく逃げ続けてきた。戦う事を放棄してきた。

 でも、全てを失ったあの瞬間、炎が踊る直前、そこに答えはきっとある。

 もう逃げたくないし、逃げてはいけない。


「あの時は……炎の前にあったのは……」


 込み上げてくる涙と自己嫌悪を噛み殺し、エリカは記憶を掘り起こしていく。

 炎の直前、エリカが見た物。燃え上がる寸前、火に関係する何か。


「火?」


 最初の時、父はタバコを吸っていた。


「そうか」


 以後の二回は、いずれも誕生日のケーキのろうそくがエリカの傍にあった。


「私が火事を起こした時、常に火が近くにあった」


 そして正太郎の渡してきたこのマッチ。

 考えられる結論は一つしかない。


「火種が必要なんだ。能力の発動には火種が。じゃあ火種の火を増幅する? そんなシーンあったっけ?」


 エリカは、手にした絵本を棚に戻して、代わりにハードカバーのシンデレラの訳本を手に取った。

 これには様々な作家によって描かれたシンデレラが一通り掲載されているらしく、絵本にはなかった印象的な一節がいくつも見られる。


 〇シンデレラが家庭教師にそそのかされて、二人目の継母の首を折って殺すパターンがある。家庭教師が三人目の継母にして、映画やアニメの題材になる有名な継母。


 〇雑用を押し付けられ、いつも髪と服が汚れていたため灰被りと呼ばれる。


 〇魔法使い、あるいは動物達の力によってドレスを貰い、舞踏会で王子様と出会う。


 〇ガラスの靴、あるいは金の靴を落とした事がきっかけで王子と再会し、結ばれる。


 〇意地悪な義理の姉妹は、シンデレラと王子の結婚式の時、鳥に両目を抉り取られる。


 印象的な要素は、このあたりであろう。

 しかし原典に近いものの中にも、炎に関する記述は見られない。


「炎なんてどこにも――」


 結論付けようとした寸前、エリカは思い至った。

 確かに直接的に炎の描写はない。


「ある……炎はある」


 しかし間接的にであれば、炎は確かに登場している。

 主人公の名前灰被り=シンデレラこそが炎と関連しているのだ。


灰かぶりシンデレラ……灰は、炎がなくちゃ出来ない」


 灰と炎の関係。

 そして手渡されたマッチ。

 火種がある事によって引き起こされた今までの火事。

 火種が必要ならば何かを燃やすのだ。

 その燃やす何かを生成するのがエリカのグリムハンズ。


 瞬間、エリカの脳裏に浮かんだのは、灰に塗れた自身の姿。

 真っ白な無の大地に立ちつくし、同じ色のワンピースをふわりと纏っている。

 右手の人差し指から血が流れて地面に落ちる寸前、灰に変じて周囲に漂っていった。


 最初、両親を殺めてしまった時の記憶と受け取っていたエリカであったが、あの時の記憶とは異なっている部分が多い。

 身体つきは、幼い時分じぶんでなく今の状態であり、自分の姿を第三者の目線で眺めている。


 あの時は白いワンピースなんて着ていなかったし、エリカが居た場所はマンションの部屋の焼け跡であり、無と灰にしか存在しない大地ではなかった。

 きっとこれは、沙月エリカの幼少の記憶ではない。

 エリカの体内に溶け込んでいるグリムハンズが見せている風景。

 核心に近付いた事でグリムハンズがより正確な答えに導いてくれているのだ。


 如月流というグリムハンズの起動法を知った後で、血が灰に変じている。

 ならば灰だ。

 燃え盛った後、灰が残るからではない。

 灰によって炎が起きるのだ。

 灰、つまりは粉末を燃やす。そんな現象には覚えがある。


「粉塵爆発?」


 正解かどうかを確かめる術は一つしかない。

 エリカは、マッチ箱を掴んで野良猫との密会場所である校舎に裏手に走った。

 ここなら人目に付かないし、既に日は沈みかけているから生徒は殆ど下校したはず。

 何より炎に関連する能力を紙に溢れた部室で試すのは、まずい。


 能力の起動に必要なのは、血と痛み。

 今までを考えると、そうしなくてもグリムハンズを使う事は出来る。

 しかしエリカのこれまでの経験が痛みもなく強大な力を振るう事を許さなかった。


 正太郎がしたように、右手の人差し指の付け根に犬歯を立て、噛み千切る。

 切り傷とは違う鈍い痛みが流れ出る血と共に広がっていく。

 けれどこれでいい。

 この程度の痛みを躊躇ちゅうちょするなら、グリムハンズを使う資格はないはずだから。


「私のグリムハンズは、灰かぶり《シンデレラ》。可燃性の灰を出す能力」


 呟くと流れる血は、白い灰へと変じて、サラサラと地面に落ちていった。

 エリカはマッチを取り出すと一本に火を点け、地面に積もった灰の上に落とした。

 火と灰が触れ合う瞬間、小さなマッチの火と白い灰は、エリカの身の丈よりも高い爆炎の渦となり、校舎裏を赤く照らす。


 想定以上の爆発にまずエリカの気がかりとなったのは、類焼るいしょうの可能性だ。

 校舎の外壁は難燃素材だし、火の手が届いた様子もないが、万が一という事もある。

 エリカが周囲を見回すと、校舎や地面に火のくすぶっているような様子はない。

 安心を得た所で、エリカの後頭部をちりちりとした気配が射抜いた。


 ――誰かが見てる。


 今の場面を何の事情も知らない人間に見とがめられたら、確実に放火の疑いをかけられる。

 折角理解者が現れたのに、ここに居られなくなってしまうかもしれない。

 振り返れず、次に取るべき行動も分からず、困惑のまま硬直していると、


「辿り着いたか」

「如月先生!?」


 振り返ると、誇らしげな表情で正太郎が立っていた。


「じゃあ行くぞ」

「どこへ?」


 エリカが首を傾げながら尋ねると、


「本当の化け物退治だ」


 正太郎の笑みに、仄暗ほのぐらい影が差し込んでいた。

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