第8話 笠置陥落

 楠木決起。

 とは、幕府側では呼ばなかったようだ。

 悪党楠木が帝の挙兵に便乗し蜂起した。

 当初そう思われたのかも知れない。

 似たような悪党の小蜂起が畿内ではいくつも起きている。

 正成の言う「悪党の知略」である。

 今、六波羅はその主力軍を笠置に向けている。

 守備力の手薄なうちに暴れようというのが大方の悪党の魂胆であると言えた。

 正成はこの考え方に大義名分を与え、あわよくば南北六波羅探題のどちらかだけでも落としてしまえたらと考えていたのである。

 笠置が落ちる前にそれが出来るようなら、どれだけ鎌倉に痛手を与えられる事か。

 もっとも正成は事、成るを期待してはいない。

 さて、六波羅の放免が河内赤坂をよくよく探ってみれば、楠木の城に流れる水に菊をあしらった錦の御旗が翩翻へんぽんひるがえっている。

 慌てて逃げ戻って行く放免をやぐらの上でぼんやりと眺めていた正成の所に、正季が上がってきた。


「水分の館を焼き払うとは、随分思い切った事をしますな」


「将としての覚悟だ。ところで、石は集まったか」


「集めましたとも。苦労しましたよ。昨年、兄様が金剛山近辺の石をことごとく何処いずこかにお隠しなされておりましたので、かなり遠くまで取りに行きましたからな」


 石だけではない。三年分はあったと思われる食料の蓄えも、どこへ消えたものやら赤坂城に運び込まれたのは一月分でしかなかったのである。


「戦略とは、常に二手先程は見ておかなければいけないものだ」


「俺も考えてますよ。兵をこう動かせば、相手は必ずこう来る。というのをね」


「戦闘の駆け引きを考えるのは戦術と言う。正季のはまさにその戦術だが、わしの考えておるのは戦略だ」


「同じではないのですか」


「少々違う。戦術は合戦に勝つ為の思案だ。戦略では敗け方も思案する」


「この戦、初めから敗けるつもりですか」


「赤坂城は六波羅の目を気にしながらの築城だったからな」


「なんと気弱な。兵に知れたら士気にかかわりますぞ」


「城に籠った兵は皆知っておる。外に残した兵もな」


 と、これは正季にとって意外な返事だった。


「俺だけが知らなかったのですか……あ」


 正季は思わず声を上げる。


「いつぞやの暗示ですね」


 そう言われて正成は済まなそうに笑うと、珍しく弱気な声で語りかけてきた。


「我が楠木党では、正季の軍略がやはり群を抜いておったのでな。心苦しくはあったがお前を仮の敵大将に見立てて策を練っておったのだ」


「お人の悪い」


 と、口では言ってみたが、彼は兄正成の戦略の雄大さの一端を垣間見ただけで酔い痴れたような気になった。


「城は何の為に築くのか……なるほど。いきなり目的の場所に目的の城を築く訳にはいきませんな」


 正季は豪快に笑い、兄正成の前にひざまずいた。


「兄様。この楠木七郎正季、本日より一介の侍大将として総大将多聞兵衛正成様にお仕え致します。お気遣いなくおさし下さいますよう」


 正成以下五百の兵が籠った赤坂城には、しばらくの間幕府軍は来なかった。

 六波羅では同じくきんを掲げているとはいえ、千に満たない人数で籠る悪党より帝のおわす笠置にこそ功名ありとしたのだろう。

 その笠置はおおいに健闘していた。

 要害の地である事に相違ないが、官軍わずか三千に満たない所に六波羅が招集した西国武士の軍勢七、八万騎が攻め寄せてきたのだ。

 武力において彼我ひがの差は明らかだったが、守将足助重範は笠置唯一の攻め口を正成言う処の知略をもって守り通す。

 足助党自体の軍勢はおよそ五、六百といったところだっただろう。

 その程度の人数ではいくら何でも心許ない。

 助勢のあったことは確かだ。

 しかし、攻め口が一ヶ所であったとしても守備兵力を一ヶ所に集中させる訳にはいかない。

 官軍総勢三千の内、重範の守る一の木戸にはどれだけの兵を割いてくれたか。

 半分まで預けてくれたなどとは到底考えられない。

 正中の変以前からの宮方武将重範は、一千もいたかどうか知れない軍を指揮してよくこれを防ぎ、初戦の猛攻を凌ぎ切った。

 この勝敗はその後の戦術におおいに影響を及ぼす。

 甚大な被害を被った幕府軍は、兵糧攻めという消極的な戦術をとらざるを得なくなる。

 功名による恩賞を望む御家人衆にとって、歯噛みする思いだったに違いない。

 実際、持久戦を嫌い抜け駆けを企てた例も見られたが、初戦に大軍を擁しての力攻めをさえ防ぎ切った一の木戸がそう容易たやすく落ちよう訳もなかった。

 すると敵は官軍の内より生まれてくる。

 実際の兵力ではない。

 もともと戦を知らない公家たちである。

 緒戦での予想外の善戦に気を良くしたものか、気が緩み出したようだ。

 常に最前線で生死の狭間を生きる足助党以外は、日々の警護もおろそかになりはじめていた。

 そんな膠着状態に不安を覚えた大塔宮が、笠置の山を下山したのは数日前。

 今後の対策を協議する為に信頼のおける宮方の武将、正成を頼って赤坂城についた時には不安は的中していた。

 既に鎌倉表よりの軍勢が、二十万騎と号して笠置を目指して移動していた。

 幕府御家人は「一所懸命いっしょけんめい」の言葉が示す通り、功を立て、名を上げてこその奉公である。

 先祖伝来の土地を守り、功名を立てる事で新たな領地を得る事を第一としていた。

 西国武将たちとてそれは同じである。

 何もせず無為むいに日を過ごしていては、東国武者どもに手柄だけを取られてしまう。

 寄せ手のうちやま藤三とうぞう義高よしたからは、決死の郎党を募って絶壁を登る決意をした。

 まさに「懸命」の決心である。

 これは正成の言う知略とは違う気もするが、作戦としては図に当たった。

 官軍が足助党の活躍で気を緩め、絶壁という天然の要害を最大の守りとたのんでいた場所で見張りをおろそかにしていた。

 その絶壁を、吹きつける風雨の中夜陰に紛れて誰一人欠ける事なく登り切った決死の一隊が突破する。

 砦の中に侵入した彼らは、当たり構わず火を掛けた。

 奇襲の成功要因としては典型例のようなものだ。

 笠置陥落はまことにあっけなかった。

 木戸口でよくこれを凌いで来た足助党の奮戦も虚しく、寄せ集めの官軍は散り散りに逃げ去り後醍醐天皇以下公家衆も裸足はだしかちちで逃げている。

 さて、わずかに万里小路藤房、季房すえふさという二人を従えるのみで山中をさまよう帝は、落ち行く先を思案していた。

 都に在りし折から、頼りとしていたのは「南都北嶺」であったが、危険を冒して北嶺比叡山へ向かうにはあまりに遠い。

 かといって南都に戻って再起出来ようかという不安がある。

 思案の末にふと思い起こされたのが、正成の自信に満ちた口上であった。

 その後、大塔宮からも「笠置が落ちた際は、赤坂城の正成をお頼り下さるよう」と言われていたぞ。

 と思い出されると、赤坂城へ向かうご決意をなされた。

 しかし、慣れぬ山中を行き先も決まらないままさまよっていた為に道にお迷いなされたようで、無念にも有王山ありおうざんの麓で追手に捕えられてしまった。

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