第9話 悪党の戦

 笠置の山は、長く保てない。

 とは、正成の早くからの見通しだった。

 しかし笠置は、足助重範の奮闘もあり、彼の想定以上に耐え続けた。

 ために、帝をお移しする機を失ってしまった。

 笠置から見ると申し訳程度に思える包囲をくぐり抜けもたらされた「笠置陥落」「帝捕わる」の報は、正成にそう思わせた。

 今後の策を立てる為、先に入城していた大塔宮の衝撃は、計り知れないものだった。

 九分九厘「この策で」と決めかけていた作戦を、一から練り直さなければいけない。

 それ以上に、父なる帝のご消息が気になる様子だった。


「大塔宮様。戦は始まったばかりでございます。帝以下六十に上る親王、公卿の捕縛の中、難を逃れ得たあなた様が、ただお嘆きあるだけでは北条は倒せません」


「主上が鎌倉方に捕えられた今、俺に出来る事があるというのか」


「あります」


 正成は、その言葉に力を込めた。


「帝の代わりとなるのです」


「なに、帝の代わり」


「はい、帝に代わって『北条を討て』と、檄を飛ばすのです。りょうを発するのです」


「そうか、それで主上を六波羅からお救いしようというのだな」


 正成は我が子を諭すように、穏やかで辛抱強い物言いをする。


「はて、大塔宮様はまだ、幕府の武力を過小に見ておられるようだ」


「過小に見ておるつもりはない」


「では、笠置に籠っていてさえ防ぎ切れなかった六波羅勢と、近江を越えて今まさにこの赤坂に向かって来ようとしている坂東軍相手に、帝を奪回出来ると思うておられるを過小評価と見る正成は、誤りですか」


 大塔宮は唸るだけで、二の句が継げなかった。

 実際、笠置に拠ってさえ三千と集まらなかった宮方勢である。

 平場で無類の威力を発揮する坂東軍にどのように当たればよいのか、思案もつかない。


「大塔宮様。今は野にあって刻を待つ時です。先例を踏まえれば、おそらく帝はおんでしょう。流された先であれば、お救いする思案もつくというもの。その時の為に、今は拠って起つ地をお探し下さい」


「拠って起つ地」


「はい。錦の御旗を立てる地でございます。宮様自らが、反北条の象徴となるのです」


「笠置の時は、旗を立てても集まってこなかったぞ」


 帝が囚われた事が起因しているのだろうが、大塔宮はいつになく弱気であった。

 やはり、彼もまた親王の一人であったという事なのだろうか。

 ともすれば泣き崩れてしまいそうなところを、必死で堪えているようでもあった。


「笠置の折りは、やむなくの挙兵でございました。戦う気でのお旗揚ではございせんでした。宮様、勝つ為に兵を挙げるのです。自ら先頭に立って戦うのです。帝には出来ませんが、大塔おおとうのみや護良もりよし親王しんのうというお方なら出来る事です。北条を倒し、帝をお救い出来るのはあなた様だけでございます。不肖この正成も、全力を持ってお力添え致します。どうか、ご決断を」


 長い間があった。

 親王として、理想を追い求める一箇の人として、彼は人生において最大の岐路に立っていたといっても過言ではない。

 正成は、ただ黙って決断の刻を待った。

 強制では時勢は動かない。

 時勢を動かせる人物が、自ら動かなければ時勢を動かす奔流は生まれない。

 正成はそう考えている。

 それは、彼の得意とする商いの極意とも通じていた。


「よし、その方に従おう」


 決断後の大塔宮は、往時の豪毅さを取り戻したようである。

 坂東の軍勢が赤坂城を囲む前に姿をくらますと、拠るべき地を求めて大和を目指し、比叡から付き従ってきたわずかの共を伴って行った。


 近江おうみを越えた東国武将の一団は、既に笠置の落ちた事を知り、河内赤坂へと進路を変えていた。

 その赤坂城は、見張り程度な六波羅勢に対してさえ、城に籠ったままであるという。

 どれ程堅固な城かと期待をかけて出向いてみると、形ばかりの小城であった。

 武を誇る坂東の武者どもは「これでも城か」とせせら笑い、一息に攻め立てたが、そこはその知謀で後に「日本の諸葛亮」とも称される希代の知将楠木正成が、手ぐすね引いて待ち構えていた城である。

 笠置同様、力押しで落ちるような城ではなかった。

 赤坂を選んだ時より、すでに寡兵をもって大軍に当たる事を計算に入れていたに違いない。

 孫子言う処の「衆寡の用を識る者は勝つ」というやつだ。

 小さな城である。

 鎌倉全軍が一度に突撃する事は出来ない。

 一斉突撃はやがて、城への道を兵たちの渋滞で埋め尽くした。

 赤坂城からは、頃合いを見計らって大木やら巨石を投げ落としてきた。

 不謹慎な話ではあるが、隙間なく攻め寄せていた寄せ手の兵は、面白いようにバタバタと倒れ、押し潰されて、たちまちのうちに数千の死傷者を生み出した。

 赤坂を埋め尽くす幕軍の中からは「卑怯千万、正々堂々と勝負せよ」などと喚く輩もいたようだが、正成にしてみればそのような勝負こそ「卑怯千万な事甚だしい」と、思っている。

 なにしろ、城に籠る楠木党はわずかに五百。

 対する幕軍は、その百倍以上の大軍勢で押し寄せて来ているのだ。

 これで正々堂々などとは、よくも言えたものである。

 精兵せいへい揃いの坂東武士に対抗するには、悪党中の悪党として、知略の限り戦うしか他にないと決めている正成なのだ。

 そう言った挑発には、糞尿などの汚物をかけ、嘲笑して見せる事で返礼とした。

 美々しく華々しき合戦こそ武士の本懐とする坂東の武者どもが、これ程の恥辱に堪えておられよう筈もない。

 烈火の如く怒り狂った連中は、兵の損失に構う事なく、遮二無二突撃を繰り返しては、いたずらに屍をさらす結果を招いたのは言うまでもない。

 正成としては、してやったりだ。

 糞尿攻撃は、計算以上の効果を発揮したといってもよい。

 しかし、木石とて無尽蔵にある訳ではない。

 幕軍に投じられる木石は、着実にその数を減らし、大きさも小さくなっていくのが見て取れた。

 「ここが勝負所」と坂東武者が、多少の犠牲もかえりみずに突撃した時には、もう飛礫ほどの石も降ってこなかった。

 これで勝ったと勢いに乗った寄せ手は、一番乗りの功を競って塀によじ登ろうとする。

 と、寄せ手の兵で鈴生りとなった塀が突然倒れて、堀の底まで崩れて落ちて行く。

 生き残った兵が見上げる赤坂城には、崩れた筈の塀がある。

 いや、崩れた塀の奥からもうひとの塀が姿を現したようだ。

 外周の塀を支えていたのであろう、太い綱が風に揺れてもいる。

 一連の攻防で万余に及ぶ兵を損じてしまった幕軍は、さすがに力押しの無益さを悟り、持久戦略をとる事にした。

 挙兵以来、一度も攻めに出てこない楠木軍を侮ってか、全軍が鎧兜も脱いで休息したというのだから、正成の戦略を褒めるよりも、彼らの油断に呆れる思いだ。

 機を逃すほど楠木軍は無能ではない。

 七郎正季は、実に三百もの兵を率いて急襲し、幕軍を散々に蹴散らした。

 度重なる戦闘で、三十万騎の軍勢を十万騎にまで減らしたと「太平記」には記されているが、戦国末期でもそんな大動員はなかなかない。

 実際には七、八万騎の軍勢の二割も討ち減らしていれば十分に思える。

 その後、数日にわたる睨み合いの末、赤坂城は突如として落ちた。

 なんの前触れもなく、突然城内から火の手があがったので幕軍では、訳も判らないまま勝鬨を挙げる事になる。

 戦後処理に場内に入ると、ひょうろうぐらには一粒の米もなく、自害したらしい数十体が焼け焦げていた。

 生き残っていた数名を調べると、糧米が底を尽き、正成以下一族こぞって自刃したと言う。

 焼け残った死体を確認させると「これは恩地の左近殿、これなるは七郎正季様。ああ、正成様」と、遺体を抱きしめ泣いている。

 余談ではあるが、この赤坂城攻略には、歴史を担う足利、新田の軍勢もあった。

 もっとも落城の頃には、すでに新田軍は大将義貞の病を理由に陣払いをしていたようである。

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