突然ですが、声を売る仕事というとどんなものを思い浮かべますか?

冬野ゆな

第1話

 あるところに、声売りの男がいた。


 男は決して自分から声を発することはなかったが、どんな声でも陳列していた。胡散臭い商売をする男を、人々は遠巻きに眺めた。


 ある時、ひとりの少女が声売りのもとを訪れた。あまりに声が小さくて聞きとれなかったが、潰れたヒキガエルのような声をしていた。

 男は小さな瓶に入ったバラ色の飲み物を勧めた。

 少女がそれを飲むと、たちまちにバラのごとく優美な声となり、少女は晴れやかに生を謳歌した。


 それは瞬く間に人々の知れるところとなり、あの声売りはなんだか知らないが本物らしいと噂が立った。

 胡散臭くはなくなったものの、魔法のように声を売る男を、人々は悪魔だと噂した。それでも声を求める者は絶えなかった。



 ◆



 ところで、あるところに盗賊の頭領がいた。

 盗賊は宝の隠し場所を、魔法の門に任せていた。


「こいつは俺様の声でしか開かないのさ」


 それを聞いていた若者は、あるときこっそりと声売りのもとを訪れた。

 若者は声売りに言った。


「わたしの声を一旦売りたいのだが、代わりにこれこれこういう声はあるだろうか」


 ダミ声を望んだ若者にも、男は黙ってどす黒い飲み物を勧めた。

 若者は今度はこっそりと盗賊たちの隠れ家へと向かった。魔法の門へと向かって言う。


「やい、俺様が帰ってきたぞ。扉を開けろ」


 魔法の門はいつものように扉を開けて、若者はまんまと宝を盗み取った。

 若者は再び声売りのもとを訪れ、自分の声を買い戻したいと申し出た。


 若者がまんまと宝をせしめたのを知った別の若者は、同じように声売りのところに行って、代わりにこれこれこういう声はあるだろうかと言った。別の若者は宝の隠し場所へ行き、やい俺様が帰って来たぞ、扉を開けろと言い切った。

 扉はあっけなく開き、別の若者はほくそ笑んだ。


「これはいいぞ!」


 別の若者はすっかり夢中になってしまった。盗賊の頭領が戻ってくるころには、宝はすっかりなくなっていた。頭領はわけがわからず怒り狂って、魔法の門を罵った。


「でも親方、あんたは何度も何度もやってきたじゃあないか! あんたと同じ声だったもんで、おれは扉を開けたんだ」


 頭領も馬鹿ではなかった。ははあとことの次第を了解すると、その日もしめしめとやってきた別の若者の姿をじっと物陰から見ていた。そうしてとうとうトッ捕まえて、さて別の若者がそのあとどうなったのかわからない。



 ◆



 さて、また別のある時、ひとりの男が声売りのもとを訪れた。これこれこういう声はあるだろうか。声売りは黙ってフラスコに入った紫の飲み物を勧めた。男は飲み物を飲み干すと、意中の女のもとへと向かった。トントンと扉を叩き、こう言った。


「おおい開けてくれ、お前の主人が帰ってきたぞ」


 男は女に惚れてはいたが、女はその心を知らぬまま別の男と結婚していたのだ。女は疑問を持たずに扉を開くとびっくり仰天。何しろ旦那とまったく同じ声の見知らぬ男が立っている。

 男は呆気にとられる女に襲いかかって自分のものにしようとしたが、すぐに本当の亭主が帰ってきた。


 亭主は同じ声の男に驚きながらも、立てかけてあったホウキでぶちのめし、すぐさまに叩きだした。男は懲りずに再びのこのこと女のもとへと現れたが、女は言った。


「おあいにくさま、亭主も声を変えたのよ」


 今度こそ男は逃げていったということだ。



 ◆



 さて、またある時、ひとりの老いた紳士が声売りのもとを訪れた。紳士はまじまじと声売りを見つめたあとにこう言った。


「若い時分のおのれの声はあるだろうか」


 声売りは黙って、黄昏色の小瓶を差し出した。老人はそれを飲んで家に帰った。


 家には老女が一人おり、わけのわからぬことを喚き続けていた。髪を振り乱し、糞尿をまき散らして徘徊するさまは、誰が見ても狂っているとしか言いようがなかった。紳士は狂女の前に腰を下ろすと、若くなった声で語りかけた。


 若き日の声で、若き日の思い出を静かに語りかけると、狂女はとたんに静かになって、その目に僅かな光が灯った。


「結婚してくれないか」


 あの日と同じ声で言う。

 やがて狂女となった妻の瞳に少女のような煌めきが戻り、「はい」と答えた。


 数日後に老女の葬儀が行われ、安らかな表情で老女を送りだす紳士の姿に、遠くからやってきた息子夫婦は口にした。

 だいぶ頭のほうがやられていたから、逝ってくれてほっとしたのだろう。

 だが紳士の心の内を真に理解する者は一人とていなかった。



 ◆



 さて声売りの噂が広まったころ、今度は一人の少年がやってきた。少年は黙ったままだった。声売りもまた、じっと少年を見ていた。二人は長い時間をそうして過ごした。

 どちらとも何も言わぬまま、時間だけが過ぎていく。


 二人の無言の語らいのあと、声売りは少年に声を売ることにした。それは今までのようにはいかず、長い長い時間が必要だった。

 冬から春に季節が変わるころ、別れの日に大量の紙を餞別にくれてやった。


 声売りから教えられた文字と身振り手振りは、少年の声となった。

 少年はやがて詩人となって、彼の詩はさまざまな歌姫の声を借りて歌われた。


 その頃になると、声売りは急に店を畳み、いずこかへと去っていった。

 声を求めて来た人々はがっくりと肩を落としたが、今でもどこかで声売りの噂を聞くことがある。


 人伝てに声から声へと渡る噂のみが、今も声売りの存在を伝えているのである。




 おしまい。

 ご清聴ありがとうございました。

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突然ですが、声を売る仕事というとどんなものを思い浮かべますか? 冬野ゆな @unknown_winter

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