連れてかれちゃうよ

粟国翼

連れてかれちゃうよ


 自分の六つ下の妹は霊が見える。


 らしい。



 と言うのも、自分には霊感などの類が全くないので『そこにいるよ』と言われても見えもしないのだからどうしょうもない。


 だから、適当に話を合わせて遊んでやるのが日々の務めとなっていた。


 あれは、まだ妹が3歳だった頃。


 丁度、我が家に弟が生まれた。


 妹にとっては初めて下の兄弟が生まれたとあって最初は楽しみにしていたが、徐々に小さな弟にばかり家族の注目が集まる事にすっかりへそを曲げてしまった。



 その所為だろうか。


 妹は、いつにも増して見えざる何かがそこいるといい父や母を困らせるものだからたまらない。


 その為、小さな弟の世話に追われる母は妹の面倒を自分に丸投げしたのは無理からぬことだったのだろう。



 「怖いよう! 怖いよう!」



 妹が喚く。


 

 ああ、またか。



 「なんだ? 今度はどうした?」


 

 リビングで漫画を読んでいた頭上に今にも泣き出しそうな顔をした妹が、パンツ一丁で立っている。


 「お風呂はどうした? お風呂は?」


 「お風呂場ね、怖いの!」


 妹は、風呂場の方を指さす。


 「ああ……」


 自分は、面倒くさいと思いながらもいつものように妹に付き合ってやる事にした。


 「どうした? 何かいるのか?」


 「いるよ!」


 「どんなのが?」


 「お風呂場の洗濯機の上に、怖い顔の『おばあちゃん』が座ってるの!」



 妹は言う。


 我が家では、風呂場へ向かうには脱衣所にある洗濯機の前を横切らねばならない。


 その洗濯機の上に『怖い顔のおばあちゃん』が座っているのでは確かに怖い。


 つか、見えなくてもそんなの聞いたら風呂に入りずらい。



 「よし! 任せとけ! そんなのすぐに追っ払てやる!」



 自分は、読んでた漫画をソファーに置いて母が取り込んだ洗濯物中からスポーツタオルを取り出してキッチンの蛇口から水をだして濡らして絞る。



 「うし! こんなもんか」



 一体何が始まるだろうと首をカクンとさせる妹しり目に、自分はずかずかと風呂場へ進みパーンとジャバラの戸を開けて飛び込だ!



 「うるぁあ! どこのババァだテメェ! 不法侵入だクソが!!」



 ベチン!


 バチン!


 ベチン!


 バチン!


 自分は、無実の罪を着せられた哀れな洗濯機目がけて濡れたスポーツタオルをついさっき漫画で見たパンツをかぶると変態的に強くなる主人公の母親のSM嬢の鞭のように縦横無尽振り下ろす。



 それこそ、はた目から見たら別の病院に連れて行かれそうな程に罵詈雑言を並べ立てながら。



 「はぁ、はぁ、こ、これでどうだ……!」


 

 小一時間それを施したところで、自分は背後でソレを見守っていた妹に聞く。



 「うん、もう、いなくなったよ!」


 

 妹はそう言うと、気が済んだのか意気揚々と風呂に入った。



 あーめんどい。


 ほんと、弟が生まれてからこればっかりだ。


 けど、自分も経験がある。


 一人っ子からいきなり兄弟が増えて、家族の視線が自分だけのもので無くなった時とても寂しかった。


 だから、妹がこんな事をする気持ちがなんとなくわかる。


 自分の時は、ずっと怒られてばかりだっから妹にはせめて自分くらいは相手になってあげようとそう思っていた。


 けれど、妹よ。


 たまにやるおままごとで見えないお友達に紹介をされても姉ちゃん挨拶出来ねぇからな。 



 そんなある日の事だった。



 それは、夏休みに入ってすぐの物凄く蒸し暑い日の事。



 「どうしよう! どうしよう!」


 

 また、いつものようにリビングで漫画を読んでいると妹がボロボロ泣きながら自分の所にかけてきた。



 「どうした?」


 「どうしよう! どうしよう!!」


 聞いても妹は『どうしよう!』を繰り返すばかりで要領を得ない。


 おかしい。


 明らかにいつもの様子とは違う。



 「なんだ? どうした? 怒らねぇからちゃんと言ってみ?」


 何か物でも壊したのかと思い聞く自分に妹は首を振る。



 「どうしよう! 直哉が連れてかれる!」


 「は?」



 直哉とは、生まれて間もない弟の名前だ。



 「どうしよう! 連れてかれる!」


 「は? 誰に?」


 「髪の長い女の人が、赤ちゃんをいれるやつ覗いてる! 連れてかれる!」


 「……ぇ?」



 自分は、漫画を放り出してベビーベッドの置かれている畳間の方へ妹と駆けだす!


 よりによって、母はちょっとそこまで買い物に出ていて今はこの家には自分と妹と赤ちゃんの弟しかいない。


 真っ先に頭に過ったのは、泥棒などの不審者だ。


 親の不在に忍び込んだ不審者が赤ちゃんの弟を連れ去ろうとしていると言うのか?



 自分は、畳間の襖をなぎ倒さん勢いでこじ開けた!



 「直哉!」


 が、誰もいない。


 いや、ベビーベッドに弟はいる。


 

 なんだ……脅かしやがって!



 自分は、弟の様子を見ようと足を踏み出そうとした。



 ぎゅ。


 背中のシャツの裾を妹が掴んで離さない。



 「なんだよ? 放せって!」


 「……! ……!」



 ぶんぶん首をふる妹。



 「ダメ! 怖い! こっち見てる!!」



 明らかに怯える妹。


 ああ、またか。


 「どうしよう! どうしよう!」


 妹は怯える。



 「連れてかれちゃう! 早く追い払って!」


 妹の怯えぶりと来たら普段よりも酷い。


 顔面は蒼白で、目の黒い所をガクガクさせて瞬きも忘れたみたいに目を見開いてボロボロ泣く。



 「追い払って! 早く!」



 怖い。


 妹のその状態も怖いが、妹の指さす先の弟の眠るベビーベッドもなんだか怖い。



 自分の目には何も見えないけれど、そんな風にされると何かが本当にいるような気がいてうかつに近寄れない。



 「早くったら! 早く!!」


 「ぇ、あ、ちょっとまてってば!」



 近寄りたくない。


 しかし、何とかしなければ。


 

 自分は、あたりを見回した。


 畳間には、母が午前中に干していた布団と取り込んだシーツが無造作に置かれその付近にちょこんと扇風機が鎮座しカタカタと首座り悪く涼しいクーラーの冷気をかき混ぜている。



 自分は、畳間に踏み込み弟の眠るベビーベッドからギリギリまで距離を取りながら扇風機まで到達するとその首振りを解除し弟の方へ向けて『最弱』にセットされていた風圧を『最強』へ変更した!



 「立ち去れ! この人攫いがぁああああ!!」



 取りあえず、なんかいろんな事を怒鳴りながら自分は弟に向けて十分間ほど扇風機を当て続けた。



 そして、帰ってきた母にどつかれた。



 妹が言うには、その弟を攫おうとした髪の長い女はいつの間にかいなくなっていたらしい。


 何とも人騒がせな話だが、そんなこんなで月日は流れてあんなに何かに怯えていた妹も5歳になり滅多な事では騒がなくなり赤ちゃんだった弟も2歳。


 幼児用おむつはいたお尻をふりふりさせながら歩く姿が、なんとも可愛いさかりとなった。


 「けほ、けほ」


 「ん? どうした?」



 弟が咳をした。



 当初は、只の風邪だから大したことはないと子育てになれていた母は放置していたが咳は日を追うごとに酷くなり様子がおかしいと思い病院に駆け込んだ時には既に『肺炎』にまで悪化してしまっていた。


 その場で即入院を言い渡された弟は、その日の晩から高熱を出した。


 それから一週間。


 あんなに肉まんみたいにふくふくしていた弟はみるみるやせ細り、健康的な小麦色だった肌はまるで雪の様に白くなってしまった。


 当然、食事なんて喉を通らなくて点滴が刺され息も苦しいのか鼻に何か管が刺しこまれて痛々しい。


 見舞いに行った時に見た祖父に抱かれた弟は、まえるでこの世のものでは無いような消えてしまいそうなそんな気がして見ているだけで心臓が締め付けられるような鈍い痛みがはしる。



 「直哉」


 帰り際に名前を呼ぶと、笑って手を振ったがこっちを見ている筈の目がやはり何処かおかしかった。





 その日の晩は眠れるはずもなく、布団から抜け出た自分は水を飲もうとキッチンへ行った。



 「あ、お父さん」


 

 リビングで父が一人ビールを飲んでいる。


 酒癖の悪い父。


 こんな風に出くわすと、二時間はよく意味の分からない説教を喰らうのだが今日の父の様子がどこかおかしい。


 俯いたまま火着いたバタコを見つめ動かないのだ。



 「お父さん?」


 「あぁ、お前か」


 父は、何度目かの呼びかけでようやく気が付いたように顔を上げる。



 「どうしたの?」


 「……」


 きっと、弟の事が心配なんだ。


 子供だったけれど自分はそう理解した。


 無理もない。


 自分だって眠れないくらい心配なのだから、仕事でなかなか見舞いに行けていない父が心配しない筈はない。



 「直哉は元気だったか?」



 押し黙っていた父にそう聞かれて心臓が跳ねる。



 元気じゃなかったとは言えないが、元気ではないから言葉に詰まってしまう。



 「そうか……もう寝ろ。 明日、学校だろ」



 そう言われて、自分はすぐに畳間に戻って頭から布団をかぶった。


 

 次の日。


 その日は土曜日。


 その当時は、まだ週休二日制が導入される前だったので土曜にも学校があった。


 と言っても、土曜の授業は午前中だけ。


 給食も出ないから早く学校は終わる。



 自分は、弟の事が心配で学校から直接弟のいる病院へと急いだ。


 母には自分一人で病院へは来ない様に言われていたが、そんな事はどうでもよかった。


 小走りに病院へとついた自分は、待合所を突っ切って外来の順番の表示されるモニターを横切ってエレベーターに飛び乗って弟のいる6階のボタンを押す。


 弟の入院していた病院はここいらでも一番大きい病院で、つまりそこに入院するって事はそれなりに重症だともいえる。


 ……。


 自分は大きく頭を振った。


 それは無い。


 そんな事にはならない。


 昨日見た弟の細く真っ白な手足とぼんやりとした黒い瞳に背筋がぞっとする。

 

 

 早く弟に会いたい。


 自分は、6階に到着したエレベーターのゆっくり開くドアに体をねじ込むみたいに飛び出して廊下を走って弟の病室のスライドドアを力任せに開けた。



 そこに弟はいた。


 ベッドの上でその細い手に点滴の針を二か所もさされて、鼻に管も刺されていたけど息はしている。


 寝ているのか目は閉じていて顔色は白い。


 

 「よかった……」



 死んでない。



 それから、30分くらいまるで人形みたいに動かない弟を眺めてから自分は家に帰る事にした。


 病院へ一人で勝手に来たことを母に知られると怒られると思ったからだ。

 

 「じゃ、明日じいちゃんと来るからな」



 自分は眠る弟にそう言って、病室から出ようとドアの方を向いた。



 「あれ?」



 スライド式のドアが少し開いている。


 閉めたつもりだったのに乱暴にした所為なのか、そのドアは15㎝ほど隙間が空いていた。



 家族の誰か来たのか?


 そう思った自分は、そのドアを開ける。



 「なんだお前か」



 開けたドアの前に立っていたのは妹だった。


 押し黙ったままの妹は、強張った顔でじっと自分を見上げる。



 「お母さんときたのか?」


 そう聞くと妹はコクンと頷く。


 様子がおかしい。


 「お母さんは売店か?」


 妹は頷く。


 うん。


 これは母に見られたなと悟った自分は、怒られる覚悟をした。



 「じゃ、先に帰ってるってお母さんに___」



 取りあえず先に帰っておこうとした自分の手を妹がぎゅっと掴む。



 「なんだ? どうした?」


 そう聞いても妹は自分の手を握って放してくれない。



 そうこうしている内に、妹はボロボロと涙を流し始めた。



 「え? 何で泣く??」



 突然の事に本当に困ったが、とりあえず泣きやませようと自分は妹を抱き上げぽんぽんと背中を叩きながらあやす。


 「なに? なに? どーした? いってみ?」


 妹は、自分の首に抱き付いてぐずぐずと鼻をすする。


 「お"、お"母さ"ん"、み"、み"、た"い"に"怒らな"い"?」


 「怒る? なんで?」


 「お"母さ"ん、に"もい"っだのっ、でぼっ、そのんなのいないって、も、言っちゃダメって」


 「はぁ? 何が? 今、お母さんいないから言ってみ?」



 自分は、妹を下ろして目線を合わせる。



 「連れてかれちゃうよぉ……」


 

 妹は言う。



 「誰が?」


 「前の奴だよぉ……ずっと、ずっと、見てたの……」


 妹は、『連れて行かれる、連れて行かれる』と繰り返す。



 「髪の長い……女……?」


 

 ぼぞりと呟いた自分の言葉に妹がぱっと顔を上げる。


 

 「追っ払って! 直哉が、直哉が、連れてかれちゃう!」



 妹は、廊下の先を指さす。



 けれど、妹が必死に指さす先にはガランとした廊下が続くだけでその先にはもちろん誰もいない。


 こんなの馬鹿げてる。


 母が妹を叱ったのも無理はない。


 けれど。


 自分は、怯える妹を弟の病室に入れてから誰もいないガランとした空間と対峙する。



 目を閉じて深く一回深呼吸。



 「殺す」



 目を見開いて睨む。



 「殺すぞ! 霊だか何だか知らないが、弟に何かしてみろ! どんな手段を使ってでも必ず俺がお前を殺す! コレは脅しじゃない! 生きている人間を舐めるな! 必ずだ! 必ず殺してやるからな!!」  


 ほとんど絶叫に近い。


 今思えば、セリフなんて漫画で読み齧ったものを繋いだ支離滅裂なものだったけど兎に必死でまくし立てたのを覚えている。



 その後。


 売店から戻った母に妹と並んでしこたま怒られた。



 それから四日後、弟は無事退院して延期になってた2歳の誕生日会で大好物のUFOの焼きそばを満足げに食べている。


 みんな我が家の長男の退院と健康を祝ってどんちゃん騒ぎ。


 落ち込んでいた父もいつものように酒癖悪く自分を捕まえてやっぱりいまいち役に立つとは思えない教訓だのを説教する……いい加減足が痺れてきたので早い所終わりにしてほしい。


 それは、父が自分の子供の頃の功績を自慢するために自分の映ったアルバムを使ってちくいち説明している時だった。



 「あれ? これ、直哉??」



 そこに映り込む『弟』の姿に思わず自分は指さした。



 「ああ、これは俺の弟だ」


 父は言う。


 「お父さんの弟?」


 それは、本当に弟にそっくりな男の子なのだけれど……おかしい。


 父の兄弟は兄である叔父と妹である叔母がいるだけでこの『弟』なる人物とは会ったことがない。


 「コイツは2歳の時に突然死したんだ」



 父は言った。


 恐らく病気だと思うが当時はそれに気づけず、朝起きた時には目や鼻から血を噴いて動かなくなってしまっていたそうだ。



 だから、弟が入院したときその姿が亡くなる前日の自分の『弟』と重なって怖くて見舞いに行けなかったと父は言った。


 同じ2歳と言う年に死に迫った弟と顔のそっくりな『小さな叔父』。



 いや、いくら何でも関係ないと思っても『連れてかれちゃうよぉ!』と泣いた妹の声が耳によみがえる。



 自分は、小さな二人の奇妙な共通点に背筋がぞっとするのを感じた。

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連れてかれちゃうよ 粟国翼 @enpitsudou

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