とある夏の終わり

海月∞

海と私

ふと、海に泳ぎに行った。


特に意味は無い。本当にふと、泳ぎたくなったから。ただ、あの無限にも思える海水に漂いたかった。


子供の頃から泳ぐことは好きだった。

体育でも走ることはとことん苦手なのに、水泳の時間だけは少し、優越感に浸れた。誰に言われたかは覚えていないけれど、幼い頃に生まれてくる場所を間違えたんじゃない、と言われた。当時は上手いこというな、と感心したものだ。

それ以来、自分でも体育の時間で走ることになると、それを毎回のように言い訳に使っている。

「私は生まれる場所を間違えた」

それをまともに受け取る人はいないし、毎回笑い話で過ぎていく。

でも、たまに起こるこの衝動の度にあながち間違ってないんじゃないかと思う。


最近は無くなってきていたこの衝動は、極度の面倒くさがり屋な私をも突き動かす。この感覚も、かなり久しぶりだった。

こんな田舎には、海と山しかない。でも私にはそれで十分だった。


歩いて五分もかからない所にある海水浴場には、誰もいなかった。夏休みだというのに、人っ子一人いなかった。いるとしたら、監視員の近所のおじさんくらいだ。


「おお、春ちゃんやないか」

「お久しぶりです。……今日は、人が少ないんですね」

「今日は隣の海水浴場が海開きで宝探しやらスイカ割りをしとるらしいで。皆そっちに流れたんやろうなぁ」


ふたことみこと他愛もない話をして、最後にあまり遠いとこまで行くなと注意を受けてその場を離れた。


軽く体をほぐし、裸足のまま海にはいる。


──冷たい。


沖縄程ではないが、それなりに綺麗な海には多くの魚がいる。一つ段が下がったところまで行っても海底まで見えるし、多くの岩も視界に入る。浅瀬にも魚はいるし、今でも私の足元を小魚がクルクルと泳ぎ回ってどこかへ行ってしまった。


私は、そのままザブザブと海を歩いて足が届かかないくらいまで行くと、そのまま深くまで潜った。手を伸ばして、砂を握って、そのまま浮力に任せて海面へ向かう。小さい頃は、どこまで潜れるか砂をとってよく試したものだ。



もっと沖まで行こう。

もっと、遠くまで。



海岸から離れる。どんどん泳いでいく。



すると、いつもと違うなにかがふと身体中を包み込んだ。


……怖い……?


それを自覚した瞬間、ゾクリとしたものが体の底から湧き出てきた。


もう海底は見えない。深い緑と青を混ぜたような海水に射す光がみえるだけ。顔を海水から上げ、砂浜をみる。


そんなに、遠くない。


小学生の頃は、もっと遠くまで泳いでも怖いものなんてなかった。何も怖くなかったんだ。海水浴場が区切られてさえいなければ、どこまででもいける。そう思ってたのに。


どうしてこんなに怖いんだろう。


海の底から、何かが這い出てきそうな、そんな錯覚を感じた。そんなもの、実際にはないのに怖いことばかりを想像して一人で怖くなっている。


戻ろう。

もう、私はここにはいられない。


きっと、理由なんて無いのだろう。

私は、子供じゃなくなった。

あるのはその事実だけだ。



無駄に遠く感じた砂浜までの距離を泳ぎながら私は子供の時が過ぎ去ったのを、ぼんやり感じていた。

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とある夏の終わり 海月∞ @kasokura_0

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