カフェオレと珈琲牛乳

坂岡ユウ

カフェオレと珈琲牛乳

 マフラーとココアが手放せない季節は過ぎて、少しずつ春の訪れを感じられるようになってきた。今、僕はガールフレンドとの待ち合わせに遅れてしまい、焦っている。いつも愛読している雑誌『ポパイ』の特集「ミスターシティボーイ」には「シティボーイはギリギリボーイではない。常に5分前行動を心がけている」と書かれているのに、田舎から出たばかりの“見習いシティボーイ”は既に5分も遅刻。彼女から、「走れ!」というスタンプが送られてきた。


「やっべえ、楓、怒ってんじゃん!」


 たまに、通りすがりの人と衝突しそうになりながら、人混みの中を邁進していく。せっかく整理した鞄の中のものを外にぶち撒くという最悪の事態だけは阻止しつつ、なんとか駅まで辿り着けた。楓は、頬を膨らませながら、僕を怒ったような瞳で出迎えた。


「琳門(りもん)くん、どうせ、また道に迷ってたんでしょ?」

「違うよ。」

「正直に言ってごらん。」

「ごめんなさい、寝坊してました!!」


 楓は琳門の腕時計を鷲掴みにしながら、アラームモードにして言った。


「やっぱ、そうだと思った。」


「とりあえず、行こうか。」

「美味しい珈琲牛乳が飲める店に連れて行ってくれるんだよね。」

「カフェオレ!」

「珈琲牛乳だってば!!」

「(二人揃って)どうでもいい!!!」

「あっ...」


 頬を赤くした二人は、逃げるように群衆たちの視線から消えた。この街は海からの風があって、気持ち良い。はぁ、故郷って感じがするなぁ。楓のちょっとしたつぶやきさえも、今の琳門には天使の囁きのように聞こえてしまう。これが恋なのか。そんなことを思ってるんだろうな。ちなみに、これはあくまでも楓の妄想である。


 Twitterでよく言われる「リア充」とはこういうことなんだな。琳門はようやくこの言葉を理解した。大して顔も格好良くないし、運動も勉強もそこまで出来る方じゃない。中条あやみにちょっとだけ雰囲気が似てる楓は、何故僕なんかと遊びに行く気になったのだろうか。青春って気まぐれだなぁ。街を歩いている時に彼が考えることはこればかり。薄々勘づいていた楓は、青空が反射するもう片方の手で苦笑いする顔を隠した。


「カフェオレ、いや、珈琲牛乳が美味しい店に着いたよ!」

「ここ?やけに小さいけど...」

「都会の隠れ家的な雰囲気が最高だよ。」

「そうなんだ。」


 二人は、少し古ぼけた階段を登っていく。謎のやり取りがしばらく続いた後、お店のあるフロアに辿り着いた。呼び鈴を鳴らし、店内に入ったとき、『準備中』だった外の看板は『営業中』に変わった。


「マスター、僕のカノジョ、連れてきましたよ。」

「これまた、べっぴんな彼女さんですなぁ。」

「そんなことないですよ。」

「琳門くん、そんなこと言わない!」

「はい。」


 マスターは楓をなだめるような口調で言った。


「琳門さんは何にされますか?カノジョさんも...」

「僕はブラックコーヒーで。こっちは、珈琲牛乳。」

「珈琲牛乳の比率は『3:7』と『2:8』と『1:9』がありますが?」

「じゃあ、『2:8』をお願いします。」

「かしこまりました。今日はギタリストを呼ぶ日なので、もし良ければ、演奏を聴いていってくださいね。」

「ここって、そんなのがあるの?」

「うん。ピアニストとか、いろいろ来る。マスターが音楽好きだから。」


 こじんまりとした場所だけど、設備は整っていて悪くない。59年製のギブソン・レスポールと型番も分からないような古いマーチンがさりげなく飾られていたことは楓も気付いていたけど。そういえば、琳門は某名門高校の音楽科だったな。彼女はすっかり忘れていた。


「わたし、『蕾』って言います。普段は東京で活動してる大学生です。」


 早速、ギターの音色が店中に響き始めた。五線譜を駆け回る音符たちが、非常に心地良い。ギブソンのアコギは鋭角的な音がする。セットリストは『藤原さくら』とか『片平里菜』みたいな有名な人から、『コレサワ』や『梨帆』のような、あまり世間的には知られてないけど、実力あるシンガーソングライターまで、いろいろ。その間に挟まれるオリジナルがまた素晴らしくて。


「ちょっと、ここのマスターはゆっくりだね。」

「いつも結構待たされる。」

「そうなんだ。」


 楓は珈琲牛乳のことで心がいっぱい。そんな彼女の心を察した蕾は、演奏を止めた。


「そろそろ、コーヒーの準備が出来た頃かなぁ。」

「マスター、どうですか?」

「もうすぐ出来ますから、あと少しだけ待ってください。」


 僕は蕾と音楽の話を始めた。それを見た楓は嫉妬の目線を送るが、僕はあえて気づかないふりをした。楓は寂しそうな眼で柱時計を見つめる。


「琳門さんのカノジョさま、お先にあなたからどうぞ。お待たせしました。」

「ありがとうございます。」

「琳門さんも、出来ましたよ。」

「待ってました!」

「今日はいつもより更に拘った豆を使ってますので。蕾さんも、良かったら。」

「マスター、ありがとうございます!」


 見たことないくらいに綺麗な珈琲牛乳の色。黒と白が混ざり合う、絶妙なコントラスト。ここのマスターはわかってるな。楓は確信した。小綺麗な店だけど、窓は少ない。その窓から外を眺めると、ビル街の向こうのオーシャンビューに彼女は心を奪われてしまった。


「楓、ここの珈琲牛乳、どう?」


 楓は眼に涙を溜めていた。僕は楓の気持ちが痛いほどわかる。


「うん、美味しい。」

「街中で飲むコーヒーは、どこか趣きがある。スタバやタリーズとかではなく、こういった小さな店で飲むからこそ、価値があるのだ。最近本屋でパラパラ読んだ雑誌にこんなことが書いてあった。その通りだなって思うんだ。」

「私も同感です。ここのマスターを40年近くしていますが、最初の頃の想いを未だに忘れてない。これを忘れない限り、この店は開け続けようと思ってます。」


 最早、楓は言葉を喋ることが出来ないほど感動していた。蕾はそっとポケットからハンカチを差し出した。頷きながら、ジュークボックスから流れるジャズにまた心を奪われてしまう。僕は楓を見ながら、そっと微笑んだ。


「琳門くん、見ないで。私の涙なんか、見たくないでしょ。」

「良いんだ。そういう顔も、君には必要だから。」

「琳門くんも、楓さんも、すっかり良い関係じゃない。


 蕾はニコッとしながら言った。琳門は顔を真っ赤にして返す。


「違うってば!」


 しばらく、時間を忘れるくらいに愉しんだ。こういうお店のやり方もアリだな。心の中で、楓はそんなことを思っていた。しばらく時が過ぎて...


「そろそろ、皆さんお帰りになられる時間では?」



 琳門と楓は、顔を合わせて頷いた。


「僕たち、帰ります。」

「珈琲牛乳がもうめっちゃ美味しくて。ありがとうございました。」


 お会計を済ませて、二人は店を出た。楓は、結局この店の名前を最後まで知ることが出来なかった。どんなに見回しても、一切そんな情報はない。また、来た道を戻り始めた。長居しすぎて、楓は予定していた服探しは時間不足で出来なかったが、彼女はこれで満足している。


「楓、今日の店、良かった?」

「うん、大満足。」

「ホッとした。」

「そっか。」



 すっかり夕陽が映える時間帯になってしまった。オレンジ色の光が眼に入って眩しい。楓はソワソワしていた。このまま琳門くんに想いを伝えることが出来ないまま、帰らなきゃいけないんじゃないかなって。今日を逃すと、また1年くらい逢えなくなる。そんなの、待てないよ。さっきの店では「恋人」と言ったけど、実際は自然に出来ただけのボーイフレンド。琳門くんも勘違いしてるかもしれないけど、本当はこれが正しい。『まだ付き合ってすらいない』というのが。


「琳門くん、最後に言いたいことがあるんだ。」

「どうしたの?」

「ちょっと、こっちに来て欲しい。」


 普段の二倍くらいの強い力で、琳門を引っ張った。


「さっきさ、琳門くんは私のことを彼女だって言ったじゃん。」

「そうだけど。」

「ホントはまだ違うよね。」

「うん。でも、多分マスターはそう言わないと納得しないから。」

「今日一日中、ずっと考えてたの。これからも、あなたの傍にいてもいいのかなって。」


 楓は、すべての力を振り絞った。


「私はあなたのことが好きです。もし良ければ、付き合ってください。」

「僕で良ければ。」

「琳門くん...本当にありがとう。いつも話を盛り上げてくれる姿が良いなって思ってたの。ずっと、その話が聞きたい。ずっと、聞いていたい。」

「照れるから、止めろよ。」

「ちょっとそこに立ってて。」


 二人は、街中で抱き合った。誰かに見られてもいい。恥ずかしいという感情なんて、もう何処にもない。これが青春なんだ。実は初めての恋愛である楓も、誰がどう見ても初恋の琳門も、同じように感じた。沈みかけの夕陽が、恋の始まりを祝福する。また明日からは繋いだ手を離して、それぞれの道を歩き始める。だけど、例え『遠距離恋愛』だとしても、青春の形は全く変わらない。そんなこんなで、二人は駅に辿り着いた。


「私、10分後の電車で帰らなきゃいけないから。」

「今日は本当に楽しかった。ありがとう。」

「お礼を言わなきゃいけないのは私の方。今度は、神戸にも遊びに来てよ。」

「うん。」

「いいレコード屋さんがあるの。紹介してあげる。」

「松本隆さんとすれ違ったりしないかなぁ...」

「琳門くん、浮かれすぎ!」


 楓は、スマホを開いて時間を確認した。


「あっ、ヤバイ!」

「またギリギリだ。」

「また、逢おうね。約束だよ。じゃあね。」



 頭の中で流れていたのは欅坂46の『手を繋いで帰ろうか』だった。あの曲のような青春が始まると思えば、ワクワクが止まらない。今日は、実質的には楓との初デートだったけど、結局、“見習いシティボーイ"として粋なデートを演出することは出来なかった。だけど、あれでいいじゃないか。次、頑張ればいい。シティボーイはクヨクヨしない。さあ、明日からも頑張るぞ。


 家に帰ると、楓からLINEが届いていた。


「琳門くん、次はいつ逢う?どんなデートにしたい??早く教えてよ!」

「考えてないよ...」


 困惑しながら返信した。すべては、あの珈琲牛乳が繋いでくれた初恋。湯船の中で、いろんな想いを膨らませながら今日のことを振り返る。間違いなく、今の僕は人生で一番幸せだ。楓と、もっと多くの時間を過ごしたい。もっと、もっと素晴らしい時間を。

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