第11話 愛する遺児

 「それからだ」と、声に力を込める。

「私は全力を尽くしてその息子の行方を追った。高校時代の知り合い全員と連絡を取り、保の事件について詳しく知らないか訊ねた。センセーショナルな事件だったので誰もが憶えてはいたが、息子がどうなったかまでは知らない者がほとんどだった。聞けば、事件が事件なだけに――相手が暴力団であるだけに関わりたくないということで、誰も引き取りたがらなかったのだという。保とその妻の親族もだ。皆、施設に預けられたと聞いた、という不確かな情報で終わった」

 そんなことで保の遺児を捨てた人々を憎悪すると同時に、感謝もした。千載一遇の機会だと、聡一は確信した。

「血眼になって方々の児童養護施設を当たった。県内も、隣県も、ありとあらゆる。どこもかしこも、知らないし、知っていたとしても個人情報だから教えられない、と答えた。どうすればもっと情報を得られるのか、私は必死で考えた。考えついた先が、私自身が養子を欲しがっているということにすればいい、ということだった。里子を探している、と。実際佳也子は何歳まで生きられるか分からない体だ。健康な跡取りが欲しいというのは、不自然なことではなかった。自分が子供を欲しがっていることにすれば、里親を求めている児童と面会できるのではないか。そうして向かったのが、児童養護施設としては比較的規律の緩い、あるキリスト教教会附属の孤児院だった」

 園庭で幼子たちと遊ぶ少年の姿を見つけた時、一目で分かった。

「驚いた。保が生きてそこにいるのかと思うほどよく似た子がいた。切れ長の目元も、意志の強そうな瞳も、硬そうな黒髪や少し薄めの唇も、何もかもすべて、保とよく似た子が。保が中学生だった頃はきっとこんな子だったのだと確信できるほどよく似た子が」

「――……まさか――」

「園長であるという神父を呼び、すぐに確認した。その子の名前は塚本祐。背中には、確かに、銃痕と思われる丸い疵がある、と」

 施設を訪れる人々には、神父は包み隠さず祐の出自を話すようにしていた。その上で、祐を引き取る覚悟を里親に求めていた。しかし、誰もが答えた。いくら英雄の息子と言えども、暴力団から狙われるおそれのある子供は御免だ。そんな理由で、祐は十四歳になっても施設で暮らさざるを得なかった。

「祐自身には、両親は事故で死んだと言い聞かせてある、と言っていた。背中の疵も、ちょうど祐自身には見えないことを利用して、事故の時の疵だと嘘を教えてある、と。知ったらショックを受けるかもしれないと、今後の人生を不安に思うかもしれないと、神父はそう判断したのだそうだ。祐も、二歳の時の話で、両親のことも、両親が目の前で撃たれて死んだことや自分自身も撃たれて生死の境を彷徨ったことなど憶えていないようだ」

 そんな祐の不幸が、自分にとっての幸福に転じるとは、思ってもみなかった。

 ちょうどその時、偶然にも連れてきていた佳也子も祐を見ていた。

 佳也子は聡一に対して迷わず告げた。

 あの子が欲しい。

 佳也子が、祐を欲しがったのだ。他ならぬ佳也子が、祐を受け入れると言っているのだ。

 こういうさだめだったのだと、聡一は思った。

「神父は、十四歳になっても施設を出られなかった祐が裕福な我が家に引き取られることになるということを単純に喜んだ。教会に善意の寄付をと言われた時、私は迷わず駅前の土地を売って売上をすべて神父に渡した。神父はまさかそこまでの大金を受け取ることになるとは思わなかったらしく動揺していたが、私は晴れやかな気持ちで強引に押し付けた。祐の十年と少しがそんなはした金で贖えるのであれば――祐のこの先の未来が手に入るのであれば、安いくらいだと思っている。今でも」

 そうして、祐は野秋家にやって来た。

「祐が次の秋で十七歳になる……」

 それは、初めて抱いた時の、保と同じ年だ。

「祐は寮から帰ってくるたびに保に似てくる。時々はっとさせられるほどだ。年々、強く逞しく、美しくなっていく――青春時代を思い出してどきまぎするほどに。こんな年になってまで、一人の少年の一挙手一投足に困惑する日がふたたび巡ってくるとは、思ってもみなかった……」

 あの日々の温もりを、思い出してしまう。

「いつの日か、私は祐を私と保の子なのだと思うようになっていた。保が、私のために、祐を遺してくれたのだ、と。祐は、保と私の間にいる子で、私にとっても大事な一人息子なのだと――そう思えば思うほど、祐が愛しい。あの子が可愛くて可愛くて仕方がない」

 「佳也子よりもずっと」と、聡一は断言した。

「もしも今回のことで祐に万が一のことがあったら、私は佳也子を絞め殺していただろう」

 聡一は、そこで笑った。

「祐の一挙手一投足を気にしているのは私だけではない。佳也子も、祐に入れ込んでいるようだ。佳也子は今頃己れのしたことの大きさに震えている」

 「業だ」と、聡一は断言した。

「父と娘の二代にわたって、塚本親子に振り回されている……。私たちは逃れられぬ業の中にいる。私たちの世界は、祐を中心に回っている。何の因果か、祐には惹かれずにいられないさだめを負っているのだ……」

 聡一はそこで言葉を切った。

 そして、薫に問うた。

「私を、愚かだと思うか」

 薫は即答した。

「はい」

 顔を上げると、薫は冷たい目で、唇だけを動かしていた。

「愚かで、無様で、滑稽で、失笑ものです」

「そうか」

「そんな、よく分からないさだめとやらに、祐を巻き込まないでください。祐は貴方の――貴方たちの人形ではありません」

「そうだな」

「貴方たちはいつか報いを受けると思います」

「そうだろう。因果応報だ」

「祐には、一個の人格がある。人間なのだから」

「そう」

 聡一が、両手で顔を覆った。

「そういう、祐のありのままを、愛してやりたかった。長い間親のなかった祐の父親でありたいと思った。祐には私が与えられるすべてのものを与えてやるつもりだ。しかし――」

 その先の言葉が、続かなかった。

 しばらくの間、沈黙が場を支配した。

 ややしてから、薫から、口を開いた。

「僕が知っている、祐という人間は、」

 聡一が、顔を上げた。

「そんな、御大層な奴ではありません。上級生でも殴りかかって取っ組み合うかと思えば、些細なことで気を揉んではあれやこれやと口を出してくる、うるさい奴です。喧嘩をした挙句に相手を追い掛けて二階から飛び降りるような無茶をする奴です」

「祐が?」

「気の弱いクラスメートが理不尽な目に遭えば代わりに怒鳴り込み、誰かに喜ばしいことがあったら全力で一緒に喜ぶ。喜怒哀楽の激しい、何事にも馬鹿正直で、素直で、まっすぐな――とても、情に厚い奴です」

 聡一の肩から、力が抜けた。

「あの、祐が……」

「クラス中の誰もが、そんな祐を、心から慕っています。少なくとも学校では、祐は、孤独ではないと思います。祐が家庭でこんな目にあっていると知ったら、黙ってはいられないクラスメートばかりだと、僕は確信しています。僕はその代表格に過ぎません。全員が全員、祐のために大なり小なり何かをしようと思うはずです」

 薫の声だけが、廊下に響く。

「本来の祐は、そういう奴です。僕らが好きな祐は、そういう奴ですよ。……親なのに、ご存知なかったんですね」

 聡一が、力なく声を出して笑った。

「中身は、保とは、あまり、似ていないんだな」

「そういう祐の個性を、貴方は認めてこなかったんですね。祐の父親の幻想を、祐に押し付けるばかりで」

 最後に、薫は吐き捨てた。

「貴方を軽蔑します」

「祐に君のような友人がいて良かった」

「反吐が出ます」

 それだけを言い捨て、薫は踵を返した。聡一は項垂れて、もはやそれ以上何も言わなかった。

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