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 その記憶のすぐあとの記憶だ。

 今でも喘息は治らないままであるが、その時の私は退院が許されるまでに体調が回復して、どうにか家へと戻ってくることができた。


 医者が言うには機能障害一切残らずに済んだのは、奇跡とまで言われた。



 ……おそらく熱のせいであろうか?――本当は言語や生活風習以外の記憶がほぼなくなっていたのは今だからこそ言える。


 なんとなくこの人が母親で、ここが私の家なんだな……ということでしか理解していなかった。


 実際に、当初これから住む家が全く暮らしたことのない家だと気づかないほどに事実上記憶を失っていたがそれを話すことをしなかった。


 実は、この日入院するまでは母の祖父母に預けられていた自分が、父の祖父母の家へ暮らし始めたのはこの時が初めて、だとも気づかずにいたぐらいなのだから。


 理由として、私の両親共働きで、父母両方とも定年を先に迎えた母の祖父母が、私たち子供の面倒をみていたからのことだった。


 病気のこともあり本家へと戻された、というのが事実であるが。



 とにかく、その認識も間逃れないまま、新しい生活を何も違和感なく過ごしたことになる。




 そして、小学生になった頃、異変は起き始めた。

 私は知りもしない死について、なぜか恐ろしいほどに知っていた。


 俗にそれは≪物心≫というのかも知れないが、それが怖くて、幼稚園を卒業した年齢でありながら何度も夜泣きをし繰り返していた。


 人は死んだらいなくなる。

 そのあたり前が、とても恐ろしい現実を心のどこかで知ってしまったのだ。



 誰かに会えなくなるとか、真っ暗闇の中で自分が一人で残されていく。


 夢の中では真夜中に赤い提燈が照らし出す橋が想像もつかないぐらい赤く染まる長い橋に佇んでいた。


 幾人もがその道を歩いては置いて行かれ、私はいつも逆の道を歩かされる。 

 そして、いつもひとりなのだ。


 なぜ、そのような執着が生まれたのか定かではないが、そのことで二つ年下の弟に心配をかけてしまった。


 母親は何度も私が学校で虐められているのではないかと勘違いをした。


 でも、その夜泣きの理由を聞かれても、なんて説明すれば良いか分かるはずもない。



 この歳で≪死≫や≪存在≫について考えるなんて、子供の自分でも理解できるくらい不思議な体験だった。


 中学校に入学して保健体育の授業でその行為が≪自我の目覚め≫や≪物心≫という経験の一つと聞かされたが、違和感を消すことができずにいた。




 その始まりを改めて考えるきっかけは、高校へと入学した時だった。

 

 ひょんなことから、自身の住民票を確認した時に、そのズレに頭が真っ白にされた。


 住民票に記載された≪三男≫という文字……。

 ということは、私の上には姉の他にもう一人、兄妹がいたということになる。


 それについて母に問いただすと、迷いながらもある事実を説明をしてくれた。




 古びたアルバムから見せられた写真には赤ん坊、黒白写真で生まれてすぐに父親が撮った写真だという。


 その容姿は出産直後だというのに明らかに産声のない、残酷なまでも落ち着いた雰囲気を醸し出していた。

 

 それがどんなにオカしいことか、高校生にまでなると理解できる。 



 赤ん坊が女の子で、生まれて何日か、既に決められた残り僅かな余命をこの父の実家で過ごした。


 だが、一週間もしないすぐだった。

 ある心臓病で集中治療室へと送られて、その後何日もせず、救命措置ができる病院へと救急車で盥回しに遭い、とある東京の病院で死に至った。


 そこは、私たちが生まれた病院直属の大学病院。

 彼女はその心臓病という病によって、生きることは許されなかった。



 そして、私はある日の不可解な記憶を思い出す。

 東京の御茶ノ水の聖橋の途中、母親が急に泣き始めたことがあった。


 そこはなんともない橋の途中のはずで、なぜ母が泣いているかなんて知る余地もない。


 だが、今ではそれが理解できる。

 ココには、大きな大学病院が幾つも建立されていて、その一つが私たちが生まれた病院直属の大学病院だというのは疑いようのない事実だ。



 そしてもう一つ。


 この橋の途中で母は、

「あなたも……大変だったのよ」

 と話を繋げたのを、朧げに覚えていた。


 

 そこで母がワケもなく始めた話が、自身が喘息で死にかけた日のことだった。


 またその日が、少女の夢――いわゆる私の記憶の始まりの日、だということはすぐに理解した。



 だが、同時に疑問が出てくる。

 そうなると、少女は誰だったのだろうか。



 そのことを母には説明はしなかった。


 だって、彼女自身そのことを説明することなく存在し、この夢の病棟に現れたのだから、この事を伝えるのは癪だろうと考えたからだ。



 でも……、実際に夢に見たあの病棟はなんだったのであろうか、記憶の少ない頃の自身の記憶にあの風景はあまりに不具合とも言える。


 だとしても、今は知らない兄弟が自身を助けてくれたのでは? という憶測だけで十分だと、それ以上調べ上げることはなかった。




((その少女がいたのは、この病院ができる前の別棟にあった外れにある産婦人科、彼女が生まれた赤ん坊として生まれた場所だった……というのは、まだこの時は知る余地もない。


 それを知ったきっかけは、彼が廃墟となった建物とは違う……ということを語り、そのことを調べたときだ。

 今は看護学校の一部として使われているある場所が、彼が見たと思われるあの風景と一致をしたからだった。))




越谷の病院  END

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越谷奇譚~埼玉県越谷市にある病院の話 はやしばら @hayashibara

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