第21話 瀬をはやみ

「怪我をしたと聞いて飛んできました。でも、大事なさそうですね」

「華蔵、お主こそ具合が悪いと聞いておったが、大丈夫なのか」

「ええ、二日ほど寝てたら治りました。今ではこの通り、山形にまで来れるほどに」

「それは良いが、華蔵。お主は度々、臥せることがあるからな。体を愛えよ」

「お言葉、もったいのうございます」

 華蔵が指鍋村からやってきて、某を見舞った。某の怪我は軽傷であったと分かり、安堵の表情を浮かべていた。華蔵の具合もよくなったようだ。華蔵とのやりとりでそれを感じた。

 華蔵は一旦引っ込んで、夕餉を運んできた。茶碗に湯も入れてくれた。

 ――そういえば華蔵の料理は何日ぶりだろう――

 いつも長五郎への飯を作っていたせいか、どのような食材でも何かを作る華蔵には料理の才能があると思っている。今日は、単純に芋粥のようだが、村でいつも嗅いでいる懐かしい匂いが鼻腔をついた。

「でも、俺がいればよかった。山犬なんか、俺の弓で簡単に射殺せたのに」

「確かにな。指鍋村での山犬退治よりも骨が折れた」

「俺の有難みがわかりましたか」

「痛いほどにな。この傷ほどだが」

 そういうと、華蔵が傷口を叩いた。すぐには言葉が出ないほど、痛かった。見ると、華蔵は右側の口角が上がる笑みを浮かべている。華蔵がふざける場合に現れる癖だ。痛みを某も笑顔に押し込んだ。

「そうよのう。其方あっての某だ。礼を言う」

「何です。そう素直だと、何だか気味が悪いなあ」

「飯が出されるまでは、其方の機嫌を取らねばならぬゆえな」

 華蔵がよそった飯に箸をつけた。久しぶりに食べる指鍋村の芋粥はうまかった。

「主従揃うと何だか楽しそうじゃのう、結構結構」

 割鐘のような笑い声が長屋の入口で聞こえた。某も華蔵も、声の主が瞬時に分かった。

「悪次郎様、お越しでございますか」

 華蔵が立って、戸を開けた。見ると、戸の上段に頭を打ち付けんばかりの背丈の盛周が、立っていた。

「お久しゅうございます」

「おう、やはり華蔵であったか」

 盛周は、片手を上げて華蔵に挨拶をしていた。しかし、盛周はすぐに中に入らず、外に向かって誰かに手招きしている。

 やがて、大柄な盛周の脇から小さな女童が入ってきた。彩だった。

「彩殿ではないか、なぜ」

 某は驚いた。彩は某の顔を認めると、笑顔を浮かべた。

「お主が探していたのは、この人かな」

 盛周の問いに、元気よく首肯して、彩は中に入ってきた。。

「姉様から文を渡したらすぐ帰るようにと言付かりました」

 彩は懐から大事そうに文を差し出した。某は彩からその文を押し頂いた。彩は、にっこりと笑いかけ、すぐに出て行った。某がそのまま戸惑っていると、彩が急ぎ足で引き返してきて告げた。

「忘れてました。また三日後、返事を貰いに来ます」

 息を弾ませながら残る要件を伝えた彩は、丁寧にお辞儀をして、再び某の前を辞去した。

「何だか面白そうだな」

「勘兵衛様、で、誰からの文なんですか」

 二人の追及に、某は不承不承、手紙の主である花輪の話をした。

 山寺参詣の折、山犬を追い払った話から始まり、市で迷子になった彩の親を探していたら、花輪に再会できたこと。正直に今までの武功を話して、さらに話が聞きたいとして別れた経緯。本当に話を聞きたいと、今、彩が花輪からの文を持ってきた意味。

 某の話を聞き終わると、盛周は膝を叩いて喜んだ。

「できた。これで、嫁は決まりじゃ。めでたいのう。さあ、飲もう」

 盛周は、一人ごちして、持参した徳利を目の前に差し出した。某は、眉間に一筋、皺を寄せて盛周の手から徳利を奪った。

「悪次郎様、早すぎるのではありませんか」

「確かにそうだな。酒はもう少し暮れてからにしようか」

「いえ、そうではなく。確かに嬉しゅうございますが、某は陪臣。花輪殿は北ノ方様の侍女。身分が違うのではありませぬか」

 某は暴走しかねない盛周と華蔵に対して、花輪への慕情を自制しようとした。しかし、盛周は止まらない。

「勘兵衛。侍女など、男の許に嫁ぐが流れ。其方であれば、充分に釣り合いがとれよう。いや、山犬退治の一件で、勘兵衛争奪戦が始まっておるやも知れぬ。さしづめ、この文は開戦を告げる鏑矢じゃ」

 盛周は興奮して、ただでさえ大きい声がさらに大きくなった。某は何とか盛周の濁声を制しようとした。

「まあとにかく、手紙を読んでみましょう。勘兵衛様」

 華蔵が冷静に言い、盛周も「そうだな」と頷いた。二人はその後、黙ったまま、視線を某の手許に送っていた。なぜ、盛周の目の前で読まねばならないのか、納得できていないが、それを許さぬ勢いが盛周にあった。

 心と裏腹に、少々がさつに文を開けた。

『崇徳院 花輪』

 文の中には、こう書かれているだけであった。

 ――何のことだろう――

意味が分からなかった。三日後に、彩が返事を取りに来るというが、意味が分からねば返事の書きようもない。某が頭を抱えて悩んでいると、盛周が大音声で笑い出した。

「悪次郎様、少々声を落としてくだされ」

 堪りかねた華蔵が窘める。「すまぬ」と呟き盛周は口を押さえた。だが、笑みまでは抑えきれないようだった。

「よかったな、勘兵衛殿。お互いの想いは、通じておるようじゃな」

 盛周が痛いほどの強さで、びしばし左肩を叩いた。傷に響く痛みを堪えつつ、意味を考えたが、一向にわからなかった。

 そのうち、とうとう華蔵までもが「分かった」と叫んだ。


「なんだ、肝心の想い人に伝わらぬのでは、花輪殿も浮かばれまい」

「分からぬものは分かりませぬ。某は教養なき田舎者ゆえ」

 盛周の指摘に、某は声を荒げ、臍を曲げた。

「怒るな。冷静になれば、簡単よ。百人一首じゃ」

 見かねた華蔵が、助け船を出す。

「崇徳院の歌は『瀬をはやみ 岩に割かるる 滝川の 割れても末に 会わんとぞ思ふ』でございましたね」

 ――ん、ということは――

 某にもようやく筋が見えてきた。同時に

 ――まさか――という信じられぬ想いが湧き上がってきた。

「わかったか、勘兵衛殿。確かにお主の思うように、侍女と陪臣、難しい立場じゃ。それでも、其方に会いたいとの花輪殿の気持ちが」

 盛周の言葉の後半を、某は気分が高揚して覚えていない。

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