第20話 花輪と彩

 花輪に手を引かれて歩く彩であったが、後ろから見ていても何度も転びそうになっているのがわかった。

 ――眠そうじゃな。きっと気疲れと安堵のゆえであろう――

 某は走って二人の前に回ると、かがんで背中を彩に向けた。

「彩殿。眠そうじゃな。某が背負おう。さ、乗りなさい」

 彩は遠慮も抵抗もなく某の背に身を預けると、そのまま寝息を立てた。

「勘兵衛様、ありがとうございます」

「何の、造作もなき事。気遣い無用に願いますぞ」

 某は彩を背負い、花輪と並んで歩き始めた。某の背が心地よいのか、彩は深く寝入っているようだった。

「この先の小さな寺の住持は知り合いです。そこで、彩を休ませましょう」

 そういう花輪自身も、疲れているのだろうと感じ、花輪の申し出に同意した。


 花輪の訪いを、住持は笑顔で迎えてくれた。本堂に上がるように言うと、住持は小僧を呼び、布団の用意を命じた。。

 敷かれた布団に某はゆっくりと彩を横たえた。住持が、小僧を伴い本堂に回ってきた。小僧は二人の分の茶と菓子を運んできた。小僧は茶と菓子を置くとすぐに下がり、住持も花輪と一言二言世間話をすると、勤めがあるゆえと言い残し、奥に下がっていった。某は、出された茶を一口含み喉を潤した。


「其方を探して疲れたのであろうな。よう眠っておる」

「ほんとうに……」

 花輪が彩に向ける微笑は、慈愛に満ちているように思えた。花輪に従う女童という範疇を超えた絆を感じる。

「彩殿は、花輪殿の縁者でござるか」

 某の言葉に花輪は頭を横に振った。

「いいえ。でも、姉妹のようなものなのやも知れませぬ。私と彩は、真室川の源右衛門様のところに身を寄せていた時に、知り合ったのでございます」

「身寄りのない子を引き取っておる顔役殿だな。某も一度会うたことがある。徳を供えた立派な御仁じゃった」

「真に……。源右衛門様は我が父のようなお方です。彩の父は、彩が生まれてすぐに死んだそうにございます。家では残った兄が、彩を可愛がっていたようですが、湯沢城の戦いの折、兄は城方として籠り、帰ってこなかったと聞きました。彩は、その後、継父に売られる途中で源右衛門様に引き取られたのです」

 ――某が、彩の兄を討っておるのやも知れぬ――

 戦の影響で一生を狂わされる子もいる。そのような話はさして珍しい話でもない。だが、彩は仇かも知れぬ某の背に何の疑いもなくもたれ掛かって寝息を立てていたのだ。奇妙な縁に複雑な想いを抱き、胸中が乱れた。

「斯く申しております私も、お察しの通り戦で父を失い、源右衛門様に育てられましてございます。後から来た彩と境遇が似ておりますゆえ、彩の面倒を見ているうちに情も湧きました。彩も、私によく懐いております」

「真室川から、いかなる縁で北ノ方様の侍女に」

「はい、ある時、北ノ方様付けの侍女が、嫁ぐために相次いで辞めたのでございます。その後任を探していたところ私が認められ、推薦されましてございます」

「彩も共にか」

 花輪は頷いた。女童は身の回りの世話に重宝するし、長じれば侍女としての素養も備わる。彩もゆくゆくは花輪のように、北ノ方様の侍女として活躍するだろう。花輪がその教育もするのであれば、間違いないように思える。

「左様にございます。離れるが偲びなく、彩を連れて行くを条件として、お城に上がりました」

 思い出したのだろう。花輪は彩に優しい目を向けた。

 

「勘兵衛様は、湯沢城の戦いに参戦されたのですか」

「なぜわかる」

「彩の顔を見る目が、先ほどお辛そうでございましたので」

 ――聡い女子だ――

 某は頷いて花輪への応えとした。

「戦の習いだが、某が、彩の兄の仇なのかも知れぬと思うと、つい顔にでてしまったようだ」

 すると花輪はいきなり某の手を握ってきた。驚いていると、花輪は目を閉じて囁きかけてきた。

「温かい掌でございます。この手が、仇の手とだとしても、彩は決して恨みますまい。敵味方に分かれるは、兵家の常。お気になさいますな」

「優しき言葉、忝い。少し心が晴れた」

 某ももうためらいはない。花輪の手を握り返した。

「勘兵衛様は、変わってますね。大抵の方々は、彩の如き女童の境遇に同情などしないでしょうに。でも、勘兵衛様は違います。斯様なお方がいらっしゃると知れば、戦の悲劇を見た私のような者も侍を信じられるような気がいたします」

「それは買いかぶりと申す者。某よりももっと立派な武士はたくさんおりまする」

「左様でございましょうか。殿や北ノ方様の傍で仕えておりますと、己の武功を吹聴する者の何と多いことかと呆れまする。殿方は女子の前では大風呂敷を広げようとする方々ばかりだといささか幻滅しているところでございました」

 ――まあ、そんな奴もいるだろう――

 某の脳裏にも何人かの顔を浮かんだ。

「左様な者も確かにいよう。されど、それが全てではあるまい。第一、武功は主君に認めてもらえば足りるもの。某にしてみれば越前守様に認めて頂ければ、それで足りる。あえて、自分から吹聴するものではないと心得ておる」

「では、勘兵衛様は武功の話は盛らないのでございますか」

「左様じゃ。偽るは討ち取った相手に無礼。話を膨らまさずに申すのみじゃ」

「では、教えてくだされ。勘兵衛様の武功の話を。殿方の武功話は、女子にとっても気になるものでございます」

 花輪に問われるまま、某は初陣の話をした。花輪には隠さずに貰い首の件を伝えた。花輪は正直さに呆れて、笑い出したようだった。

「初陣の武功は、話を割り引いて考えるのが常道と心得ておりましたが、そこまで正直にお話してくださるならばいささかの間違いはないように思えまする」

「申したであろう。話は膨らまさぬと」

 花輪は口元を押さえていた。笑っているのだろうか。話を隠すべきであったかと後悔する心と、隠すべきではないという心とが胸に混在している。

「城中でどのように話がされているのか存じ上げませぬが、鳥海勘兵衛とは斯様な腰抜けの武士なのでございます」

 いささか自嘲気味に話すと、花輪は口元を隠していた袖を下ろした。微笑を浮かべているが、花輪は某に真剣な目を向けてきている。

「でも、腰抜け武士ではございませぬ。山犬相手の身のこなしは、歴戦の方々に劣らぬものでした。何が勘兵衛様を変えたのですか」

「それは湯沢城で素晴らしきにお方に出会うたからなのやも知れぬ」

 花輪は、興味深げに耳を傾けている。某が話の先を続けようと思った矢先に彩が魘された。次いで悲鳴を上げ、布団から跳ね起きた。

「どうしたのだ、彩殿。怖い夢でも見たのか」

「彩、私も勘兵衛様もおります。安心して」

 某に抱きついた彩の背中を花輪が優しく撫でていた。

「兄が死ぬ夢を見ました……」

 彩は、花輪に呟いた。しばし某の胸で泣いていたが、落ち着きを取り戻しすと、某から離れて座った。


「彩、遅くなりますゆえお城に帰りましょう。私は、住持様に礼を述べて参ります」

 そう言って、花輪は住持がいる奥に向かっていった。

 ――もう少し話したかったが……な――

 武功の話に水を向けたのは時を潰す方便だったのかも知れない。ただ、某の話を聞く花輪には単に時を過ごすためだけではない雰囲気が感じられた。彩にはもう少し眠っていてほしかったというのが本音であった。

 ――いや、会えただけでも幸運だったのだ。その上、ゆるりと話もできたと喜ばねばならぬ――

 某は自分の心に言い聞かせるが、どうしても惜しさを振りきれなかった。。

 彩は黙って、荷物の整理を始めていた。時折、視線を送ってくるが、某が視線を返すと、彩は外してしまう。照れなのか、それとも先ほどの花輪との話を聞いていて某に複雑な感情を抱いたのか。彩の態度の判別はできなかった。

 花輪が戻ってきたのを機に、三人で玄関に移動し、寺を後にした。城に戻る二人とは方向が逆になる。

「花輪殿、彩殿、もうお迷いにはならないでくだされ」

「心配はご無用にございます。それより勘兵衛様、お話をまたお聞かせください。楽しみにしております」

「承知いたした。望むのであれば、またお話いたす」

――だが、機会は訪れないであろうな――

 城に戻るため別れた花輪の背中を某はしばらく見詰め続けた。

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