第2話 偽りの武功

「勘兵衛様は、本当にお強いですな」

 長五郎と華蔵親子は、芋粥を啜りながら奮戦を称賛してくれた。大手門、二ノ丸を制したので、本陣からの補給路が確保できた。数日ぶりの温かい食べ物に、秀綱の軍の士気はさらに上がっている。温かい食事は口を滑らかにする。華蔵も一息つき、親しく話しかけてきた。

「侍は、なんで顔色一つ変えずに首を獲ったりできるんだ」

 華蔵は素直に問うてきた。某は苦笑いを浮かべて否定した。

「顔色を変えずに首を獲れるものか。敵の狂気の眼は、某でも怖い。でも、やらねば、やられる。その恐怖感に迫られて動くだけだ」

「でも、体が動くのがすごい」

「そうは言うても某は初陣では動けなかった。怖くて小便を漏らしたものだ」

 信じないで笑った華蔵に、某は初陣の際の話をした。


「某の初陣は、今から四年前。小野寺勢の真室川侵攻を食い止めた戦であった。此度の湯沢城攻めの総大将でもある楯岡豊前守様が越前守様に後詰(援軍)を要請された際、某は、越前守様に従って院内に進んだ」

「で、初陣で武功を挙げたんだろ。さっき仲間に聞いたよ」

「確かに、武功には……なっている。某は家督を継いだばかり。槍の才も軍略にも長け、指鍋村の期待だった。戦でも活躍できると思っていた。だが、それは思い上がりであった。戦は、話で聞くものとは全く違ったのだ」

 恥ずかしい過去である。急に喉も渇いてきた。某は喉の渇きを湯で潤し、がらつきの残る声で続きを語り始めた。

「乱れ太鼓が響き、某は槍を振るいながら、敵に撃ちかかっていくはずだったのがな……。実際には怖くて動けなかった。己に向かって鉄砲や矢が飛んでくる。槍や長刀が向かってくる。怖いが道理。敵が全員、某を狙っているような気がしてきてのう。怖じ気づき動けなくなった某の脇を味方が何人も何人も通り抜けた。そうして気付けば、戦は終わりだ」

「何だかわかるような気がする。さっきだって俺も本当は怖かったからな」

 華蔵は、戦の恐怖に得心した風であった。長五郎は眼を瞑り、聞いているのか寝ているのかわからない。耳を傾けてくれる華蔵にむけて続きを話した。

「動けぬ某に、越前守様が馬を寄せ、『初陣が勝ち戦とは果報よな、勘兵衛』と声を懸けて下さり、一人の武者の首を投げ渡した。『初陣の武功として、軍忠状に記させよ』との仰せであった。某は、情けなくも従った。此れが某の初陣の顛末よ」

 某は、椀を手に取った。空だった。気付いた華蔵が、湯を注ぐ。礼を言って口を湿らし、再びあの日に意識を戻した。

「軍忠状を記す老兵に、首の主を誰何されたが、当然わからぬ。黙って首を横に振ったら、詳しい者が名乗り出た。白鳥右兵衛という者らしかった。『鳥海勘兵衛が白鳥右兵衛を組伏せて首を獲る』と記された」

「辛いな」

 華蔵の慰めに苦笑いして頷くしかなかった。

「ああ、辛かっら。初陣だけで目立つのに、兜首を挙げたのだ。皆が賞してくれる。ゆえに、陣内に居場所がなくてな。偽りの武功とともに、早々に領内に戻った。誰にも話せぬ。人知れず泣いたものよ」

誰しも下手を打つことはある。下手を打って、成長する。成長とともに、信頼や称賛が付いてくる。しかし、根拠のない賞賛は悲劇だ。

 それまで黙って聞いていた長五郎が問うた。

「でも、黙っておるのは、狡いのではないですかな」

 某は黙って頷き、長五郎の批難を受け止めた。反論はしない。ただ、話を先に進めて、批難への答とするつもりであった。

「戦の終わった直後、某は、指鍋村から連れてきた清五の死を知った。村に帰る前、親許へ形見にと清五の髪を切った。村に帰ると、既に某の武功を知らされていた。舘では、一族郎党の宴が催された」

「うへっ、追い討ちだ」

「まさしく。早々に杯を重ね、酔い潰れた。下戸なのが幸いした」

「飲めそうだけど、意外だねえ」

「よく言われる。だが、飲めぬのだ。仕方がない。翌日は、もっと辛い。清五の家に向かわねばならなくてな。清五は、村の顔役である良吉とお茂の末っ子でな。良吉に先立たれたお茂が、家をしきっておる。某は、お茂に清五の死を告げ、遺髪と報奨金を渡した」

「領主って、そんなこともするのか。誰かに任せれば……」

「某の命で、戦場に連れて行ったのだ。討死を伝えるのも某でなければ納得するまい。お茂は頭を下げ、遺髪を受取り、仏壇に供えた。お茂は、戦で全ての息子を失った」

「全員……」

「お茂は五〇を越えた婆に近い歳だが、女傑でのう。豪快に笑うのが常の明るい者。だが、この日は淡々としておってな。悲しさを抑えつけておったのじゃ。言葉が出なかった」

「そうじゃろう。逆さ仏は、余りにも悲しすぎる」

長五郎の言葉が胸に刺さる。清五とお茂への罪悪感を改めて感じた。

「しばしの沈黙のあと、お茂から『お父上を凌ぐお方に、きっとなれるで』と賞された。某は何も言えず、頭を垂れるばかりであった」

 一声一声を絞り出す某の話を、頷きながら話を聞いてくれる華蔵がありがたい。最後まで話す勇気が出てくる。

「『腹が減ったと泣き、虫に刺されたと喚いていた子が、ここまで立派な若武者におなりになって』と、某の手を両の手で包んだ。温かい掌であった。冷えた胸の奥まで届く温かさであった」

「お茂さん、許してくれたのかのう」

「いや、運命と諦めただけであろう」

 華蔵を窘めた長五郎の言葉は、子を亡くした実感を帯びている。

――華蔵以外に、亡くした子がおるのかも知れぬ――

 長五郎の来し方に、某は思いを馳せた。長五郎が抱くのは、話せる悲しみか、秘する哀惜なのかわかならい。敢えて傷を抉るつもりもなかった。

「お茂は、清五の最期を聞きたがった。当然だ。某は答える義務がある。某は必死で、ありもしない武功話をした。清五の働きがあって、白鳥右兵衛を討ち取ったと伝えた……」

「嘘をついたわけだな」

「嘘といえば、確かに嘘になる」

――だが、お茂が求めたものは真実であっただろうか――

「真実を打ち明け、わからぬと伝えたほうが良かったのか。どちらが正しいのか、今でも分からぬのだ」

視線は真っ直ぐに長五郎に向けられていた。答を出してくれるような気がした。だが、長五郎は先ほどと同じく、瞑目したままであった。

「だが、これだけは言える。某のために死んだ清五にも、母のお茂にも、亡くなった理由が必要なのだ。某のために死んだ者には、相応しき理由がなければならぬ。理由とは某の武功ではなかろうか。武功こそが、死んだ者の戒名。死んだ者を思い出す縁。その武功が恥では悲しいではないか。以来、某は真の武功を求めて戦に臨んでいるのやも知れぬ」

 死なぬよう戦をし、見事に引き上げるのが理想。しかし、理想通りにいかぬのが戦の現実だ。もう一つの現実もある。土地と領民を支配する力は、領民を守る義務の裏打ちが必須だ。領民は我が土地を守るため、領主に命懸けで協力する。守れぬ領主は領民にも愛想を尽かされる。武功は、領民からの信を得るためのわかりやすい看板になる。

「鳥海家は、祖父の戦嫌いの臆病さゆえに、領民に愛想を尽かされた。祖父を恥じた父が、命懸けで挽回し、今の領地を手にしたのだ」

 失った信を取り戻すまでに父は、辛酸を味わったはずであった。斯かる苦労の上に今の鳥海家があると理解している。

「一族も領民も、強き領主を望む。同じ戦に出るならば、強き領主のために働くことが望みだ。某は強き領主であらねばならぬのだ」

「勘兵衛様、何だか悲しいや。名を遂げて、褒美がほしいからっていうほうがよっぱどわかりやすい。まあ、そんな侍なんて碌なもんじゃねえけどな」

華蔵の言葉は、正鵠を射ているように思えた。傍目八目というが、華蔵は某よりももっと某のことをわかっているのかも知れない。

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