勘兵衛の恋~北の関ケ原異聞~

@kuromusya

第1話 出羽湯沢城攻め

――ここで死ぬならそれまでの男だったということだ――

某(鳥海勘兵衛信道)は、二ノ丸から下ろされた縄を手にとった。内通の手引をしたのは、数日前知り合った華蔵という男である。華蔵にとって、某を助けてくれる程の恩義はないはずだ。にも関わらず、某のために湯沢城の仲間を口説き落としてくれたという。この労に報いるには信を置くほかはない。覚悟は決まった。

 大手門からは、総攻撃を告げる乱れ太鼓が聞こえてくる。攻めかかる最上勢と守る小野寺勢の喚声が、谷を揺さぶる。最上軍先陣は鮭延越前守秀綱。某の主君である秀綱の奮闘ぶりが想像できた

 湯沢城大手門までは、七曲とも呼ばれる九十九折りの道であった。小野寺勢から弓鉄砲で狙われやすい上、大手門の正面で道は急激に狭くなる。少数で多勢に抗するのに誠に適している。

 この堅城湯沢城二ノ丸の部隊を内応させたのは、猟師の長五郎と華蔵親子だった。秀綱は、某が紹介した二人を信じ、二ノ丸攻略の任と兵五〇を某に託した。秀綱は内応前提で城に攻めかかっているはずだ。意地でも二ノ丸を落とさねばならぬ。決心して縄を登った。

 城兵の意識は大手門に集まっている。三丈はあろうかという城壁を上りきり、櫓に手を掛けた時、某を引き上げようとする手が伸びてきた。

「湯沢城、一番乗りの武功でござるな」

 二ノ丸を守る由利衆が出迎えてくれた。由利衆は、下で待つ華蔵に手を振って応えている。

『爺様も来たのか』と長五郎に挨拶をする者もいた。

「某は鮭延越前守が麾下、鳥海勘兵衛と申す。由利衆の方々、挨拶は後じゃ。急ぎ、武器庫へ案内下され」

 由利衆組頭は、湯地五郎佐と名乗った。背こそ高くないが、がっしりした体躯で、話し方は誠実であった。五郎佐を先導に、某は手兵三人を率いて武器庫に向かった。五郎佐は二ノ丸で知られた顔のようで、従う勘兵衛たちを不審に思う者はなかった。

 二ノ丸の二階、武器庫の引き戸を開けると、よく手入れされた弓が四〇ばかり、綺麗に並べられていた。同じ武士として道具の手入れを怠らない姿勢に敬意を感じながら、弓弦を切るように命じた。心得た風で、五郎佐たちは弦を切っていった。

 さらに、二人の兵に火薬を一箱持たせ、二ノ丸櫓に戻らせた。騒ぎが起きたら、火薬に火を付ける命を下していた。

「湯地殿、二ノ丸の将は、誰でござろうか」

「久米安房守と飯詰七郎の二人でござる」

 守将の名を聞くや、某は二ノ丸全域を振るわせる声で叫んだ。

「謀反じゃ。飯詰七郎殿、御謀反。二ノ丸に火を放ったぞ」

謀反の声を合図に、火薬に火が付けられた。二ノ丸櫓が爆発し、二の丸全体に白い煙が立ち込めた。視界はほとんどない。声と気配と影だけで、混乱に対応せねばならない城兵たちの不安は高まり、恐怖が生じた。

「飯詰七郎が寝返ったぞ」

「裏切り者は斬り捨てよ」

 華蔵たちも口々に騒ぎ立て、城兵の恐怖に拍車をかける。恐怖が極限に達し、小野寺勢の間で同士討ちまで始まった。飯詰七郎が、事態を収拾すべく同士討ちの始まった場に駈けつけた。だが、一旦、大きく混乱した兵を収めるのは至難の業だ。七郎の声は空しく響くばかりであった。

「落ち着け。七郎じゃ。流言に惑わされるでない」

 気配しか感じられぬ煙の中、七郎の声が、某の脇から聞こえてきた。

――正しく、天恵――

 某は隣の気配に向け、十文字槍を突き立てた。確かな手応えだ。槍を引き抜くとドッカと影が倒れた。煙の薄い足元に見慣れぬ龍の前立兜が見えた。

「鮭延越前守が家臣、鳥海勘兵衛推参。飯詰七郎殿、お覚悟」

某は七郎を組み落とし、鎧通で喉を突いた。一言二言、息をついて、七郎は動かなくなった。

「鳥海勘兵衛、敵将・飯詰七郎殿、討ち取ったり」

某の功名の名乗りによって、手勢と由利衆は喚声を上げた。

 この混乱の中で、久米安房守康久も、討死を遂げていた。小野寺勢は二ノ丸を捨て、本丸へ敗走していった。


「いざ、大手門の敵を蹴散らせ。越前守様を二ノ丸へ引き入れるぞ」

由利衆を率いて、某は大手門を守る小野寺勢へ斬り込んだ。

地の利で鮭延勢を食い止めていた小野寺勢も、腹背ともに攻撃を受けては堪らない。進退窮まり、自暴自棄な突進を敢行する小野寺勢に対し、秀綱は槍隊を隙間なく配置した。小野寺勢は待ち受ける槍衾の前に空しく骸を晒すだけであった。

二刻ほどで、秀綱は湯沢城の大手門と二ノ丸を制した。某たちは、二ノ丸に姿を現した秀綱を膝を突いて迎えた。火を付けた二ノ丸は、半分を焼失。あちこちに瓦礫を残していた。

「ちと、やり過ぎました」

「戦に野営は、つきものよ。庇や屋根があるだけでもありがたいわ」

頭を下げて詫びると、秀綱は、某の頭を軽く叩いて、笑った。

「御大将様、よう仰った。熊猟なら、何日も山で過ごすなど普通だ」

華蔵は秀綱に臆することなく話した。大抵の土民や猟師は、将を畏れて話しかけない。だが、華蔵は違った。親父の長五郎も、咎めない。親子ともなかなかの度胸だと感心した。

「華蔵。お主、最上の猛将と名高い殿が、怖くないか」

「怖くねえ。冬籠り前の熊のほうが、よっぽど怖え」

「お主ら、いくらなんでも畜生と比べられては儂の立つ瀬がないぞ。わはははは」

 華蔵の言を秀綱は笑い飛ばした。二ノ丸は笑いに包まれた。序盤の成果に、早くも戦勝気分が鮭延勢を強く覆っていた。

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