2030年 本当にあるかもしれない私達の未来。

シキ

第1話 わたしの将来

 目の前の幾つかの空欄は、いくら考えても真っ白なままで、わたしはそこになんて書いたらいいのか、全く想像がつかなかった。


「あら、それまだ出してなかったのですか?」


 いつの間にか帰りのホームルームは終わっていたらしい。鞄を手に話しかけてきたのは大宮さんだった。


「なかなか自分の将来って想像つかなくて」

「あら、梨穂子さんには夢とかはないの? わたしは札幌にいるより東京の大学に行くのがオススメしますけど」

「東京かー……」


 札幌の大学も片手で数えるほどしかなくなった今、東京へと考えたことは何回かあった。でも、その度に両親の働いている姿が浮かぶ。


「そうそう、札幌も大学がだいぶ少なくなりましたし、より高度な知識を求めるならば東京が一番ですよ」


 大宮さんの言いたいことはわかる。わかるけど、大企業の御令嬢である大宮さんと、一般家庭の一人娘では、立場も目指すところも違うのだ……はっきりとは言わないけれど。


「そういえば、大宮さんは、ここなんて書いたの?」


 わたしは、眼の前の真っ白なプリント、その一番下の質問に指さした。そこには、『将来の夢』というなんとも陳腐な質問が載っていて、まさか高校の進路相談にこんな質問が載るとは夢にも思っていなかった。


「総理大臣です」

「えっ?」

「総理大臣」


 私の呆けた返事に、大宮さんは自信たっぷりに言い直してくれた。


「過去に日本にも二人、女性総理大臣が生まれましたが、それでも今の日本にはまだまだ改善の余地があると思うのです。梨穂子さんはなにが問題だと思います?」


 最初は冗談かとも思ったけど、どうやら大宮さんは、決してふざけて言っているわけではないらしい。


「えっと……高齢化の問題とか?」


 とりあえず、今朝テレビでやっていた内容を答えてみた。


「そう、高齢化! 日本を低迷に落とさせている大きな問題ですね。今や三人に一人が七十歳以上。増え続ける社会保障費、そしてますます少なくなる若い人たち……これから先の日本が国際社会で戦っていけるとは到底思えませんの」


 それはまるで今にも選挙に乗り出す勢いで、私はそのパワーに圧倒された。


「それなのに政府は今も与党と野党で喧嘩ばかり……私も国会答弁をなるべく見るようにしていますが、まったく無駄が多すぎて反吐が出ます」

「へ、へぇ……」

「……失礼、少し熱くなってしまったかしら」


 わたしが若干引いてしまったのが伝わったのか、大宮さんはその熱気を少し収めてくれた。引くまでではないけど、そんな大きな野望があったことには驚いた。


「とにかく、自分の将来を決める問題ですもの。ゆっくりと悩むことも大切だと思います」

「……ありがとう」

「そういえば、今日は一緒に帰れますか? 少しだけ時間が余っていて」


 わたしはそれを了承して、プリントを鞄の中に入れる。書くのはやっぱり家に帰ってからになりそうだ。


 二人で人の少なくなった廊下を進む。さっき大宮さんに少子化と言われたせいか、空き教室が多いことが気になった。いつもは生徒が都合のいいように使用しているけど、少し前まではちゃんと教室として使用されていた名残がまだいくつか見て取れた。


 今日は金曜日で、大宮さんは学校の後塾に向かう。けど、それまで微妙に時間が空くから、帰り道が同じ方向の私は、その暇つぶしに付き合うことが多かった。二人……いや、正確には三人で塾までの道を歩く。わたしと大宮さんと、少し離れた場所から付いてくるのは、大宮さんのいわゆるSPというやつだ。最初に紹介された時はびっくりしたけど、昨今の世の中であればわたしもほしいくらいだった。


「……お嬢様」


 あるマンションを通りがかり、少し離れて後ろを進んでいた女性が大宮さんの前へ出る。それはいつのものことで、わたしもその周辺にくると周りをよく見回すようにしている。その最大の理由は、何棟も並んだマンションが、ただのマンションでないせいだ。


『棺桶マンション』


 学校では、このマンション群を総じてそう呼んでいた。

 いくつもあるマンションは全て高齢者が住んでいて、そのほとんどがひとり暮らしだ。2020年後半に北海道では各地方を結ぶ鉄道の維持がとうとう出来なくなった。鉄道の廃線の影響は大きく、ただそれだけというわけにはいかない。物資の運搬も出来なくなるし、なにより車以外では移動がままない。その不便さは、札幌や旭川など、大きな街へと移り住む要因へと簡単になりえた。

 それにより北海道の西側、具体的に旭川より西の方は、人が住むにはかなり難しい状況になった。まだぎりぎり電気や水道のインフラは残っている場所もあるが、企業が採算が付かないとの理由で、人が少なくなった集落などではインフラがすでに無くなった場所もある。

 そして、地方から出てきた多くの人々に対応するため、政府が支援したのがこの棺桶マンションである。毎月ある程度のお金が支給され、三食の食事も支給製、週に一度はケアワーカーや介護福祉士が様子を見てくれる。つまり、このマンションにいれば死ぬまでマンションの中で暮らしていける。それが、『棺桶』と呼ばれる所以だった。


「高崎、いいわ。今日はいなさそうですし」


 大宮さんのその一言で、SPはまた後ろへ下がる。この周囲は認知症による徘徊者や、棺桶マンションの制度に不安を持っている人が多く、よく事件が報じられる場所でもあった。実際に強盗事件や、学生が襲われたこともあり、周辺には以前はあったコンビニ跡が目立つ。


「用心に越したことはないですから」


 大宮さんは、時々、言い訳をするようにそう言う。実際に、わたしも大宮さんのSPがいた方が安心できる時が何度かあって、甘えているのかもしれないと思っていた。


「では、また」


 塾の前で少しお話をして、大宮さんと別れる。わたしはそのまま家に帰らず、駅の方へと進んだ。

 地下鉄に乗り、札幌駅まで進む。目立つ場所で立っていると、何度も道を尋ねられるから、待ち合わせ場所はいつもチェーン店のカフェだ。

 カウンター席で学校での宿題を片付けていると、右隣の席に深く帽子を被った少女が座った。


「……待った?」

「大丈夫。今日もミルク?」


 薄汚れた帽子はコクリと縦に動く。

 彼女はももと言う。いわゆるホームレス……ともちょっと違うけど、決まった家が無いまま生活をしている子だ。縁があって友人と呼べる関係になっていた。


「ありがとう」


 店員が持ってきたミルクを小さな喉を動かして一気に飲みほす。私より一歳だけ下の十七歳だけど、小学生に間違われるくらい背は低い。本人も気にしているようで、いつもミルクを注文した。


「じゃ、行こ」


 カップが空になると、ももはすぐに店を出る。わたしはあまり気にならないのだが、本人は着ている衣服の匂いが気になるらしく、あまりお店とかに長居をしたがらない。


「手伝ってほしい事がある」


 店を出て、ももはすぐにそう言った。


「何?」

「今日、時間はある?」

「22時くらいまでだったら大丈夫」


 金曜日は、両親共々帰るのが遅い。家に帰っても一人よりは、誰かと居たい。


「じゃ、行こ」


 そうしてわたしはももに手を引っ張られるまま、駅へと入った。

 向かったのは旭川、札幌から特急で1時間30分の距離。いつも札幌に来る際は鈍行を使うももが、特急券を買ったのは初めてみた。そうとう急いでいるらしい。

 旭川から、今度はタクシーで西へ。また一時間ほど乗り、浮島という場所で降りると、ももは茂みの中からスクーターを引っ張り出した。何度か後ろに乗らせてもらったことがある。免許はないけど、そんなことを注意する人もこの辺りにはいないので。わたしは渡されたヘルメットを被り、ももの運転で舗装の壊れかけた道をしばらく進んだ。やがて、小さな集落が現れる。


「こっち」


 ところどころに穴が空いた家へと手招きをされる。陽も落ちてしまって、少し幽霊屋敷みたいな家屋だったが我慢して家に入った。しかし、そんなことはすぐに忘れてしまう。

 そこにいたのは、小さな男の子だったからだ。

 顔を赤くし、肩で呼吸をする男の子は薄い布団をかけられ横になっていた。布団は吐瀉物で汚れた後があり、近くに置かれていたのであろう洗面器もひっくり返ってしまっている。

 ももは素早く家の奥からいくつかの箱を取り出した。


「たぶん風邪、どれがいい?」


 それは風邪薬から胃薬、ビタミン剤から下剤まで、多種多様の薬だった。私はその中からいくつか、風邪に効きそうなものを選ぶと、ももはすぐに男の子に飲ませにかかった。

 ももが急ぐのも無理はない。ももは字がほとんど読めないのだ。それは、ももの幼少期に原因があると聞いたけど、詳しく聞くことはできなかった。

 やがて薬が効いてきたようで、男の子の呼吸はゆっくりと落ち着いてくる。病院に受診させようにも、保険もお金もない子には無理な話だから、わたしが出来るのは助けを求めてきたももの隣にいて、男の子の様子を見守るくらい。


「食べる?」


 ももは奥からいくつかの缶詰を取り出してきた。わたしはそのうちの一つだけを頂くことにする。本当はももの貴重な食料だから、出会ってばかりのころは遠慮をしていたのだけど、ももはそれを許さなかった。


「……きっと大丈夫だよ」


 ももはじっと男の子を見つめたまま、こくりと頷いた。


 さすがに22時までには家に帰れるように、わたしは旭川から札幌行きの電車の乗る。

 もものことも心配だけれど、22時という門限があることをすでに知らせているから、残ることはもも自身許さなかっただろう。

 もものような、廃集落の住む子供はたくさんいるらしい。交通の便がもともと良くなく、インフラの止まった小さな集落はもはや無法地帯になっている。もともと高齢者が住んでいた家が、そのまま放置されているのだ。

 放置される理由としては、売っても入居する人がいないとか、住んでいた住民が孤独死してしまってそのままなど、いろいろな理由がある。

 そのような空き家が目立ち始めると、少し良い家には軒並み泥棒が入った。もちろんそれは犯罪で、最初こそ捕まった人もたくさんいるけど、そのうちニュースでは全く流れることはなくなった。そして多くの見捨てられた家は、以前地方で暮らせていたが、インフラが整っている街では暮らせない、困窮に喘ぐ人々の拠り所にもなった。

 もももその一人であり、旭川に近い廃集落を転々としているらしい。まだ走れる道路を、拾ったスクーターで進み、捨てられた家から食べられるものや使えるもの、そしてタンスの裏にあるお金を集めて回る。ももが言うには、思った以上にお金は集まるらしく、ガソリン代などに困ることもあまりないと言っていた。

 ふと、先程聞いたももの声が蘇る。


『生きること』


 それは、わたしが進路相談の参考にと、ももに聞いた、たった一つの答えだった。


 帰ってきたのは22時ぎりぎりだけど、まだ家の電気は付いていなかった。

 制服を脱ぎすて、シャワーを浴びる。進路調査票の提出は次の月曜日。この先、どういう風になりたいか。私は熱いシャワーを頭から被りながら考える。大宮さんのように、今の日本の現状に不満はあるが、変えるほどの力が自分にあるかと言われたら、そうは思えない。かといって、なんの目標も立てず、ただ生きるのは、ももよりずっと恵まれているわたしが言えることでは無い気がする。

 シャワーから出ると、母親が遅い夕ご飯を食べているところだった。


「お母さん、ちょっと相談があるんだけど」

「なに?」


 夜遅くまで仕事をする母親は、はっきりとモノを言い、白黒つけなきゃ気がすまない性格をしていた。優柔不断なわたしとは正反対で、よく似ていないと言われることが多く、わたし自身少し苦手でもある。けど、母親であることには代わりない。進路のことは相談しなければいけないだろう。


「進路のことなんだけど」

「うん」


 そう言って、わたしはその次なんて言っていいか言葉が出なかった。大学に進みたいのか、働きたいのか、それさえも自分の中で決まっていなかった。

 わたしが言い淀んでいると、母親が口を開く。


「梨穂子、私はね、将来は自分で決めてもらいたいと思ってるの。いつもアイスのショーケースの前でずっと悩んでいる梨穂子にはとても時間がかかると思ってるけど、それでも自分の将来は自分で決めてもらいたいと思ってるわ」


 アイスの件はわたしが小さかった時の話で、少し恥ずかしくも思った。けど、母親は私が決めるのが苦手なことを十分に知っていて、でも自分で決めろと言ってくれたことに、上手く言えない感情が心の中に渦巻く。


「でも、どうしても決められなかった時のために、私は一つの案を出すわ。私が梨穂子だったら、きっとこうする。と思ったことをね、だから決してその通りにすることはないし、あくまで参考程度で聞いてくれればいい」

「うん」


 参考とはいえ、母親の言うことだ。それはきっとわたしの為だと思ってそう言ってくれているのだし、ちゃんと聞かなきゃ。


 そう姿勢を正すわたしに、母親は一言目にこういった。


「もしわたしが梨穂子だったなら、日本を捨てるわ」

「……え」


 捨てる。


「私ももう50近くなるし、二十代の頃から日本の政治を注意深く見てきたつもりよ。ただ、日本はもうダメ、老人が多すぎて、子供が少なすぎる。改善しようにも、政治家は子供を優遇するより、必ず老人を優遇した政策を出すわ。それはもちろん、投票する人のほとんどが老人だから。いくら若者をどうにかしようと思っても、圧倒的に母数が違うもの。この日本と言う国は老人達が、今を生きる老人の為に政治を動かしているの。その圧倒的な波に、若者が入り込む隙間なんてもう1ミリだってない」


 母親の言う言葉は、呆けている私にもはっきりと伝わってきた。それは、わたしにとってあくまで参考で、選択しなくても良い未来の話のはずだった。


「だから……そうね。札幌には今は大学が四つしかないんだったわね。どこに入ってもいいし、働いてもいいけど、どちらにせよ、私は将来移り住む場所のために資金を貯めるのと、語学を習うかしら。いまなら西洋辺りがいいかしら、でも梨穂子の好きなところでもいい。そのために英語は小さい頃からさせてきたし」


 母親は、確かにわたしのことをしっかり考えていた。しっかり考えていた結果が、今のわたしだった。英検は2級を取っているし、会話だってある程度は出来る。いますぐアメリカに行っても、歩くのに困ることはないだろう。


 だけど……


 頭の中で、大宮さんとももの顔が浮かんだ。


 この日本を良くするために、総理大臣になると言った大宮さん。


 ただただ生きるために、今日も違う廃屋を探すもも。


 そして……日本を捨てろを言われているわたし。


 将来、幸せに過ごせるのは、いったい誰なのか。

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