最終話

 凛が目を覚ますと、障子にはすでに朝日が差し込んでいた。寝返りを打つと、隣で眠る通成が視界に入る。

 静かに寝息を立てて、熟睡している。起きる気配は感じられない。

 暫く彼の寝顔を見つめていたが、凛はゆっくりと寝ている通成の頬に手を伸ばした。冬の冷気のせいで彼の頬はひんやりと冷たい。その感触が凛の指にも伝わる。

 その時、昨日の出来事を思い出した。通春が手にしていたカメラと母親に抱かれていた赤子の通成の写真が頭に浮かんだ。

 凛は通成を起こさないようにゆっくりと起き上がると、こちらの寝室と居間を隔てている襖へ近付いて行く。そっと襖を開けて居間へ入り、辺りを見回すと、昨日のカメラが棚の上に上がっていた。

 凛はカメラを両手で持つと、寝室で眠る通成へそれを向けた。

 昨日、通春から教えて貰ったことを一つ一つ思い出す。

 そのままゆっくりと彼に近付いて行くと、再び寝ている通成へカメラを向ける。起こしてしまうかもしれない、と思いつつもカメラのシャッターを切った。

 カシャッという音と共に、フラッシュがたかれる。

 凛は内心ドキリとしながらも、それでも通成が起きないことにほっと胸を撫でおろした。


 凛が通成の外套がいとうにブラシを掛け終わった後、外から何やら鳥の鳴き声が聞こえたので雨戸を開けて見てみると、雀が二羽ほど雪の積もる庭を歩いているところだった。

 同時に冬特有の冷たい風が入ってきて、更に部屋の冷気が増していく。

 目の前の雪の白さを綺麗だと感じたのは、これが初めてかもしれない。

 近くでは子供たちのはしゃぐ声も聞こえる。

 雪は降っているが天気は良く、ところどころに青空も見える。

 そのまま外の景色を眺めていると、足音が聞こえて来た。居間の襖が閉まり、足音は更にこちらに近付いて来て、居間と寝室を隔てている襖が開いた。

 「凛、ここにいたのか」

 「通成様」

 通成は襖を閉めてから、凛へ近付いて行く。彼女の手元に自分のコートがあることを知ると、 

 「俺の外套にブラシを?」

 「はい。毛玉になっているところがありましたので」

 「そうか、ありがとうな。でも、なぜ雨戸なんか開けているんだ? 風邪を引いてしまうぞ」

 「景色を見ていました。雪景色がとても綺麗だったので」

 通成も雨戸に手を掛けたままそちらへ顔を向ける。

 「ああ、確かにな」

 それだけ呟いた後、

 「あっ、そうだ。凛、これを見てくれ」

 通成は凛の隣に腰を下ろしてから、手に持っていたものを彼女へ見せた。

 「これは?」

 通成が手にしていたのは写真だった。

 「二週間くらい前にまた矢島が来ただろう? その時に撮った写真だ。通春が店主の留守中に現像したらしい。せっかく撮ったのだから、手元に残したいと言ってな」

 通成はそう言いながら写真に目を通していく。

 凛も同じ様に眺める。

 通成と矢島が一緒に映ったものから通成と通春が並んだものもある。中には凛を撮った写真もあった。もちろん角は写っていない。彼女の頭には手拭いが巻かれていた。

 一枚一枚に目を通していると、最後に見慣れない写真が出て来た。寝ている通成を映した写真である。

 「ん? なんだ、この写真は? 通春が撮ったのか?」

 その瞬間、凛の顔は真っ赤になった。

 「も、申し訳ありません、通成様」

 顔を伏せた凛は正座した膝の上で固く両手を組んで、そう口にした。恥ずかしさから顔を上げることが出来ない。

 「凛が撮ったのか? い、いつの間に……」

 通成は驚きつつ、彼女を振り返る。

 再び自分の寝顔が写った写真に視線を向けた。

 凛が撮った写真はしっかりと被写体を捉えている。ピントがずれていないため、ぼやけることも歪むこともなく、鮮明に通成の横顔を捉えていた。

 通成は自分が撮られたことよりも、凛が自分よりも上手く撮影したことに何よりも驚いた。

 自分が撮るよりもはるかに綺麗に撮れている。

 通成は苦笑してから、凛へ顔を向けた。

 「俺は昔から写真を撮るのが得意ではなくてな、いつもぼやけてしまうんだ。凛の方がずっと腕がいいな」

 「そ、そんなこと……」

 「俺も岡部のように持ち歩くかな。だが、自分の寝顔だしな」

 凛の顔は再び紅潮した。

 通成が冗談っぽく笑った後、 

 「なあ、凛?」

 「はいっ!」

 慌てて顔を上げて、通成を見る。

 「今はまだ雪も降って寒い日も続いているが……。 暖かくなったら、春になったら、二人で旅に出ないか?」

 通成は真剣な表情を凛へ向ける。冗談なのではない。本気で言っているのだと分かる。

 「二人でですか?」

 「通春にはもう話してある。この先困難も多いだろうが、それでも俺は凛と一緒にいたい」

 「通成様……」

 凜の目には涙が浮かんでいる。通成は彼女を抱き寄せると、そのまま続けた。

 「君はほとんどを山で過ごして来ただろう? 季節ごとに姿を変える山も俺は好きだが、素晴らしいものは他にもあるんだ。凛、日本中を見て回ろう? これから変わって行く日本を一緒に見たいんだ」

 凛へ顔を向けた時、通成の背中に腕が回された。凛は首を縦に振ってから、

 「はい。私も見たいです、通成様と一緒に。ずっと一緒に」

 通成も凛を抱き締めた。

 二人は暫く抱き合った後、雪景色に顔を向けた。

 先程から庭にいた雀が冬の空に飛んで行くのが見える。

 通成と凛は手を繋いだまま、その様子を眺めていた。

                                  (了)

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鬼に恋しや 野沢 響 @0rea

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