第四話 月虹の契約 -後編-



「ほら、さっさと出なさいよ」


 小柄なカロココが、ジークヴァルトの背中を押した。


「ジークから言うって、みんなで決めたんだから」

「……わァってるヨ」


 彼はラカの横まで進み出ると、居心地が悪そうにそわそわしながら、サシェをちらりと見た。

 それから口をもごもごさせている。


 彼が初対面でサシェのことを、「好きじゃねェッ」と言い放ったのは、二か月前のことだ。


「ソノ……俺たち、おまえのパーティに…………入ってやっても、いいゼ?」

「ぷっ」


 吹き出したのはカリリエだった。

 サシェとミサヨが戻る前に話を聞いていたのだろう、おかしくてたまらないといった様子で笑いをこらえている。


 それに気づいたジークヴァルトは、顔が真っ赤だ。


「アア……エッと、そうじゃなくて――」


 自分ではどうしようもないくらい、あがってしまったらしい。

 サシェは彼が気の毒になった。


 おそらく、カリリエとは今日出会ったばかりだろう。

 この絶世の美女である歌姫に笑われたら恥ずかしくて、若い男なら誰でも穴があったら入りたくなるに違いない。


 ちょっと待ってくれと言うと、ジークヴァルトは心を落ち着けようと努力した。

 その努力はそれなりに実を結んだようだ。


 一度ちらりとカリリエを見てから、多少どもりながらも、言葉をつむぎ出した。


「俺たち……ずっと……と言っても、三日に一度くらいだけど。サンドレア王国でマルガレーテの様子を見守ってきたンだ。それで最近、急に……白絹の衣が色あせてきた。あの輝くような白い光沢を失ってきてるンだッ」


 サシェの顔に緊張が走った。

 外れて欲しかった予想が当たっていたのだ。


(ホノイコモイ氏の情報を元に逆算すれば……白絹の衣の〈再生リジェン〉効果は、あと一か月以内に……切れる……)




「俺たちも今では、マリィやリタさんと親しい間柄だ。だから余計に……いても立ってもいられなくなった……マリィを死から救うためにできることは、なんでもしたいンだッ」


 だから一緒に行動し、協力したい――とジークヴァルトは言った。

 そのために、黒き雷光団ブラックライトニングを一時的にミニブレイクのメンバーにしてほしいとも。


 サシェが返事をする前に、ラカが付け足した。


「それだけちゃうねんで。ウチら、飛空艇の事件以来、ますますアンタに興味持ってるん。サシェはんと一緒に……冒険してみたいんや」


 今度はラカも少々照れ気味だった。

 カロココは腕組みをしたまま何度も頷いていて、巨漢のザヤグはニヤリとしている。


 サシェはミサヨを見た。

 黒き雷光団ブラックライトニングの若きリーダーは、まじめな顔でサシェを見つめていた。


「みんなで相談して決めたことよ。ミニブレイクのリンクスパールはただの通信手段だったけど……これからは機能的に活動する必要があると思う。リーダーであるサシェの指示に従うことを約束するわ。指示が気に入らなければ、全員で脱退するだけのこと」


 いい顔をしている――と、サシェは思った。

 霧の中でサシェを見つけて抱きついてきたときとはまるで別の……メンバーたちの責任を負っているリーダーの顔だ。


「……わかった。全員、引き受けるよ」


 サシェも覚悟を決めた。

 新メンバーは皆、信頼できる心技体の持ち主ばかりだ。


 そして、次の行き先にたどり着くのに、戦力の増強はありがたい。


「快諾に感謝します」


 ミサヨが丁寧な口調のまま、いつもの顔に戻ってにっこりと微笑んだ。

 カリリエとアンティーナに視線を移すサシェ。


「勝手に決めて、ごめん」


「ザヤグと一緒に冒険することになるとは思っていなかったわ。……でも、文句はないよ」


 サシェの居ない間に親子の再会を済ませていたカリリエが、やさしく言った。

 アンティーナは右手を自分の胸に当てると、いきなり頭を下げた。


「あなたは、私が見込んだお方。こうなることは、想定の範囲内ですわ」


 御主人様の御心のままに――そう言いかけた言葉を飲み込むアンティーナ。

 サシェには主従契約を拒否されたままだ。


(私には、カリリエやミサヨほどの器量はないかもしれません……でも、あなたに尽くす気持ちは誰にも負けませんわ)


 アンティーナは、サシェを主人とすることを諦めていなかった。




 空の雲がすっかり消えた夜のラテーネ高原で、火がかれ野宿となった。

 八人の冒険者がそれぞれ装備を脱ぎ、雨で濡れた服を乾かしたり着替えたりしながら食事をとる。


 ガドカ族であるザヤグの隆起した筋肉美はさすがだった。

 そして下着姿になった女性陣の中でも、健康的な小麦色の肌をしたラカと、透き通るような白い肌のカリリエは、互いに譲らないほど見事なスタイルを見せた。


 ジークヴァルトの目の前でカロココが手を振ってみせたが、彼はカリリエに視線を向けたままぼんやりして動かない。


「だめだ……妄想の世界に行っちゃってるよ……」


 カロココは、肩をすくめてみせた。


「どないしたん、ミサヨ? いつもみたいに、ぱーっと着替えたら?」


 ラカの冷やかしに、ミサヨが顔を赤くして身体に巻いた布を手で押さえた。


「うるさいな、ほっといてよ」


 ミサヨとアンティーナだけが布で身体を隠している。


 死と隣り合わせで生きている冒険者にとって最優先事項は生命であり、異性の目を気にするような感覚は薄れているのが普通だ。

 いつ魔物が出るかもしれないフィールドでの野宿なら、なおさらである。


 ただし魔物には、自分よりはるかに強い相手には手を出さないという性質がある。


 このメンバーのほとんどが高レベル冒険者であり、ラテーネ高原をうろつくたいていの魔物は相手にならない。

 ランドルフのようなノートリアス・モンスターは、例外中の例外だ。


 見張りも立てずにくつろいでいられるのは、そのためである。

 ここが凶悪な魔物の生息地ならこうはいかない。




 ふとサシェのほうを見たミサヨは、驚いた。

 サシェの濡れたローブとスロップは、火のそばに組んだ木の枝にかけられたまま。


 彼は、カバンから取り出した上品な服に着替えているところだった。


「…………」

「……人の着替えを凝視するなよ、ミサヨ」


 サシェに指摘され、急に顔を赤くするミサヨ。

 いや、そんな場合じゃない――とミサヨは頭の中を整理した。


 サシェが着ているのは……ということは……?


「サシェ、その服って、まさか……」


 カリリエが先に声を上げ、全員がサシェに注目した。


 サシェが着替え終わったのは、エラントウプランドとエラントスロップ。

 レベル72になってはじめて袖を通すことができる、白を基調に黒があしらわれたシックなデザインの高級装備。


 サシェの眼鏡とよく合っていて、知的で頼もしく見える。


「どうして気づかなかったのかな……」


 ミサヨは涙ぐんでいた。

 自分のことのように嬉しく感じている。


 サシェが身にまとっているオーラは、間違いなく高レベル冒険者のものだ。


 一度サシェから離れた呪いの指輪は、再びサシェの指にはまっている。

 それにもかかわらず、サシェのレベル制限が解除されていた。


(この私が、ポーカーフェイスが得意でクールな女と言われていたなんて、サシェは信じないだろうなぁ……サシェに会ってから、泣いてばっかりだ……)




「どういうことなんだ?」


 ザヤグが率直に尋ねた。


「ミサヨもおまえも、ドラゴーニュ城で呪いの指輪をはめてから、レベル制限を受けたと聞いているが……」


「そのことは、おいおい話します。それよりも、みんなに大事な話があるから、そのままで聞いてほしい」


 突然あらたまった様子のサシェに、皆の視線が集中した。


 今のサシェは、レベル制限が外れて元の力を取り戻している。

 冒険者レベル75――ここにいる誰よりも高レベルだ。


 あまり間をおかず、サシェは話し始めた。


「ミニブレイクは明朝、次の目的地に出発しようと思う。おそらく最後の目的地になる。その前に確認しておきたいんだ……みんなの意思を」


 全員が頷いた。


「このパーティの目的は、マルガレーテの病気を治すこと。だからと言ってマリィを助ける代わりに誰かが死んでは意味がない。生きて帰り、全員でマリィの笑顔を見るんだ」


 サシェはひとりひとりと視線を合わせた。


「それをここで誓ってほしい。誓えない者は抜けてもらう」


「……そンなに危険な旅になりそうなのか?」


 ジークヴァルトだった。

 頷くサシェ。


「目的地は、ホスティン氷河にあるソジエ遺跡――レベル50の制限がかかる場所である上に、危険な魔物がたくさん巣食っている。その最下層で、カーバンクル・カースを治療するアイテムを入手できる」


 一瞬の間――焚き火に使われた木の枝が、パチパチと音を立てた。


「……誓います……必ず生きて帰り、マリィを救います」


 最初に言葉を発したのは、マリィに一度も会ったことがないアンティーナだった。


「誓います……必ず生きて帰り、マリィを救います」


 すぐにミサヨが同じ言葉を繰り返した。

 そして皆が誓いの言葉を口にし、最後がジークヴァルトだった。


「誓う……必ず生きて帰り、マリィを救ってみせるッ」


「全員の意思を確認した。これをもって、新生ミニブレイクの契約とする」


 サシェの宣言が、透明な夜の空気を震わせた。

 皆の目が真剣であり、自然におごそかな表情になっている。


「……ぉ、見てみぃ。虹がでとるわぁ」


 空を指さすラカ。


 星を散りばめた黒い氷のような夜空に、真円を描いた白い満月が貼りついていた。

 その月を囲むように、丸い七色の虹がうっすらと見える。


 美しく――妖しい光景。

 待ちうける未来は誰にもわからない……霊獣カーバンクルにさえも。



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