第三話 月虹の契約 -前編-



 目を閉じていてもまぶた越しに感じられる強く青い光。

 まぶしくて、とても目を開けることができない……。


 どこからか呪文のようなフレーズが聞こえた。




 ハルタ・クレ・アヤ・デ・ラトレ 失われた指を




 ……意識が飛んだ。






 再び意識を取り戻し始めたとき、青く眩しい光はまだあって、やはり目を開けられなかった。


(誰かの声が聞こえる……)


「マザー・エーテルクリスタルの祝福ある人、また会ったね。キミがこんなことになるなんて……キミにとって彼女は、キミの世界を引き換えにするほど大切な人なんだね」


(聞き覚えのある声……口調……。でも、意識が混濁して誰だか思い出せない……)


「でも、こうなった責任の一端はボクにもあるみたいだ。キミたちの指にはまった指輪は、古い時代にボクがクリューの民に作らせたモノ……ボクの存在に反応して光り、その波動にランドルフが引き寄せられた」


(指輪……そうだ……指輪のせいで冒険者レベルが制限されて……。自分で指を切り落とした……。何のために……? ミサヨを助けるために…………ミサヨは無事なのか?)


 サシェの拡散した意識が集まり始めた。

 青く強い光を遮ろうと、右手の甲で閉じた目を覆う。


「今のボクに使える限られた力……浮遊と浄化の力をキミに。残念ながら毒のせいでキミの中指は死んでしまったけれど、身体に残っていた毒はすべて消えたよ」


 右手を下げていくと光が弱くなったので、うっすらと目を開けてみる。

 腹部に当てた左手の上に右手を重ねることで、青い光はほとんど遮られた。


 ……光源は、自分の左手にあったのだ。


 身体は仰向あおむけに横たえられていて、遠くに黒い空と崖の先端がかすかに見えた。

 重力は感じるのに背中に圧力を感じない不思議な感覚……サシェの身体は空中に浮いていた。


「もう大丈夫だろう……ボクは行くよ。残り少ない力を使ったからね……しばらく眠ることになる……」


「……待ってくれ、霊獣カーバンクル」


 思った以上にはっきりと声が出た。

 上半身を起こすと、そのまま両脚が下がり、草むらに足が着く。


 谷底にしっかりと立ったサシェの目の前に、サシェよりひとまわり小さい霊獣カーバンクルが浮いていた。


「教えてくれ、カーバンクル・カースのことを。その治療方法を」


 そのために、ここまで来たのだ。

 一度は生を諦めたことは、棚上げさせてもらう。

 聞くチャンスは今しかない――と、サシェは思った。


「時間がない……から……よく聞いて」


 黙って頷くサシェ。


「はるかいにしえの日々にマザー・エーテルクリスタルを覆った闇は、ボクが身を犠牲にしただけでは完全に消すことができなかったんだ……」




 カーバンクルは語った。

 消えたように見えた闇は浄化しきれておらず、一部は世界に拡散しただけだったと。


 その闇はおよそ百年に一度の頻度で人の身体に異変を起こすようになった。

 それが、カーバンクル・カース――病気でも呪いでもない……マザー・エーテルクリスタルを危機に陥れたほどの“闇”という存在そのものである。


 一度は滅びるはずの世界が救われた。

 ……その代償が、カーバンクル・カースだったのだ。




「だから……ボクは……ボクの残った力を使って作らせたんだ……今のボクではもう作れない……指輪を……」


 霊獣カーバンクルの声が小さくなってきた。

 今のカーバンクルは昔のように強大な力をとどめていない。


 サシェのために少し力を使ったくらいで、眠りを必要としていた。


「あの場所に行くんだ……扉は……開けておくから……」


 空気に溶けるように消えていく霊獣カーバンクルの姿。


「待ってくれ。治療法を教えてくれ……」


「キミには……マザー・エーテルクリスタルの祝福が……」


 霊獣カーバンクルの声が途絶え……姿が完全に消えた。




 不意に、サシェの顔に雨粒が当たり始めた。

 身体を包んでいた浮遊の魔法の影響が完全に消えたのだ。


 ラテーネ高原は未だに雨空に包まれている。


 流れる雨水で眼鏡のレンズを濡らしたまま、サシェは静かに立っていた。


(霊獣カーバンクルの言葉を、一言一句頭に刻むんだ。そして考えろ……その言葉の意味を。ヒントは与えられたのだから――)




 声が聞こえた。


「サシェ――……。聞こえたら、返事をして――……」


 ハッとするサシェ。

 その声を聞いただけで、全身が不思議な温かさに包まれた。


 ……ミサヨの声だった。

 すぐに濃い霧の中から、ミサヨの姿が現れた。




「ミサヨ……」


「……っ。サシェっ」


 一瞬、時が止まったかのように固まるミサヨ。

 それから顔をくしゃくしゃにして駆け寄り、うむを言わさずサシェの小さな身体を抱きしめた。


「サシェ……生きてた……私……よかっ……」


 震えて泣いている……。


 この雨が降る深い霧の中を、どんな気持ちで探し回ってくれたのか……。

 それを思うだけでサシェも言葉に詰まり、そっとミサヨの背中に腕を回した。


「心配かけて、ゴメン……」


 思わず腕に力が入る。

 ミサヨの冷え切った身体は、思った以上に細かった。


(俺は、バカだった……ミサヨの好意を勘違いしないように、自分に言い聞かせていた。でも……ミサヨの気持ちは関係なかったんだ……。俺の……ミサヨに対する気持ちが、はっきりしてしまったから……)


 ……カサネネ……君は怒るだろうか……?

 ……まあ、たぶん……面白くないっていう顔を、するんだろうな……


 白い霧が、ふたりを世界から隔絶していた。





  ***





 ふとサシェは気づいた。

 あれほど眩しかった左手の青い光が消えている。


 ミサヨから身体を離しながら、じっと自分の左手を見つめた。

 そこには、欠けてなくなっているはずの中指があった。


 ……そして、忌々しい呪いの指輪が……今度は薬指にはまっている。


 ミサヨも、それに気づいた。


「サシェ、中指が――」

「うん」


(カーバンクルは、“中指は死んだ”と言っていなかったか? 中指は問題なく動く……間違いなく自分の指だ)


 サシェは霊獣カーバンクルに出会ったことを簡単にミサヨに話しながら、謎の核心に迫りつつあった。

 ミサヨが呪いの指輪をはめたときには、一晩で髪が五十センチも伸びたという――。


(……そうか……そういうことだったんだ)




 首のチョーカーに意識を集中して、心で話しかけるサシェ。




 サシェ: みんな……次の目的地が決まったよ


 カリリエ: ………


 ラカ・マイノーム: ……… 


 ジークヴァルト: 生きてたか


 ザヤグ: ふ……


 カロココ: サシェ、あんたさ……


 アンティーナ: ……その前に言うことがありませんこと?


 ラカ・マイノーム: そやで、サシェはん




 サシェは大いに面食らった。

 カリリエとアンティーナにリンクスシェル会話をしただけのつもりだった。




 カリリエ: サシェ……良かっ……た……




 サシェは目の前のミサヨを見た。

 ミサヨの首には、ミニブレイクのチョーカーがつけられている。


「あはは……詳しいことはあとで話すけど」


 ミサヨはイタズラがばれた子どものような顔をしている。


「このチョーカー、たくさん作ってみたんだ」


 サシェは、たくさんのパールを袋ごとミサヨに渡していたことを思い出した。




 サシェ: カリリエ、心配かけてごめん。みんなも……ありがとう




 ミニブレイクと黒き雷光団ブラックライトニングという大所帯で捜索してくれていたのだと理解するサシェ。

 自分はなんて恵まれた人間なのだろうかと思う。


「ありがとう、ミサヨが声をかけてくれたんだ?」

「…………」


 頬を赤くして、黙って横を向くミサヨ。




 ミサヨ: 崖を上がった場所で待ち合わせしよう




 ミサヨの案を了承するたくさんの返事がチョーカーに流れた。





  ***





 およそ二時間後。

 サシェとミサヨが、なんとか谷底を抜け出すルートを見つけて崖の上に姿を見せたとき、カリリエ、アンティーナと黒き雷光団ブラックライトニングの面々がすでに集まっていた。


 カリリエとアンティーナが近寄って、容赦なくサシェの左手を持ち上げ、中指を確認した。


「もぅ……ミサヨから聞いたときは、心臓が止まるかと思ったんだから」


「あの話……まだ諦めていませんわよ。無事で良かったですわ」


 サシェは、カリリエとアンティーナが心配してくれる気持ちが、素直に嬉しかった。


 少し間を置いてからラカが進み出て、猫のような尻尾を揺らめかせながら口を開いた。


「サシェはん……ウチらから話あんねんけど、ええ?」


 ラカが犬歯の目立つ歯並びを見せて、ニヤリとしている。


 いつの間にか雨が止んでいた。

 空に浮かぶ雲は途切れ途切れで、隙間から綺麗な星空が顔を覗かせている。



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